38話 差し入れ持ってきたん?
美浦トレーニングセンター
ドッガラドッガラドッガラ!
「ヒメ、抑えて抑えて!」
「ぶるぅ?」
ワイはまだまだ全然大丈夫やで?
もっと速く走れるのやけど、抑えろですと?
「そんなに一生懸命に走ったら、レースの前なのに消耗しちゃうよ?」
ワイの脳内にアクティヴが流れて、テンションが高めになって走れと魂が命令するんや! あ、GⅠの調教BGMはディアンジーやったっけ?
でも、ミユキがそう言うのであれば、しゃーないから彼女の顔を立てて抑えてあげるとしますか。
ミユキが馬も御せないポンコツな騎手とでも思われてしまったら、乗り換わりさせられるかも知れないしな。
ワイもなるべくなら、ミユキから乗り換わりしない方が都合がよいから、少しは自重しなあかんかったわ。
「最後の2ハロンだけ全力を出せばいいから」
そういうことね。
ほな、お終いだけ、サッとやって引き上げることにしますか。
ドッガラドッガラドッガラ!
「ヒメ、お疲れさま。この調子ならオークスでも、結構いい勝負ができそうな気がするよ」
「ひん」
いい勝負じゃなくて、オークスでの目標は優勝だけどな。
「美雪、ご苦労だったな」
「先生の指示通りにお終いだけ伸ばしてみましたけど、ヒメのタイムはどんな感じでしたか?」
「37.2からの11.8と11.6だから、かなり速いな」
ワイとしては最後の2ハロンを、11.5-11.5のつもりで走ったんやけど、ちょっとだけ遅かったみたいやね。
「単走にしては結構出ましたね」
「ヒメと併せ馬をすると、他の馬がオーバーワークに成りがちになるのも悩みの種なんだよなぁ」
そうか? ワイと一緒に追い切りを走れば、最終的には厩舎の他の馬のレベルアップにも繋がると思うで?
でも、オッチャンの言うとおり、レースの前に追い切りでオーバーワークになって馬が潰れてしまっては、元も子もないということなんやろうなぁ。
だから、ワイが併せ馬じゃなくて単走で追い切りをするのはそういうことやったのね。納得したわ。
現在のオッチャンの厩舎には、GⅠ級の馬はワイ以外にはおらんからレベルが違いすぎて、ワイと併せ馬をしづらいのやろうね。
ジャンピングドゲザ先輩はオープン馬いうても障害のオープン馬やし、平地競走の能力でいったら精々二勝クラス程度の実力だろうしね。
ドサマワリ先輩も、その名のとおりローカルのGⅢ重賞の常連で、イマイチぱっとせえへんしなぁ。
それにしても、この二頭の馬名はヒドい…… ワイはこんな珍名を付けられなくて助かったわ。
二頭は馬主さんも同じだし、きっと愛馬に珍名を付けるのが好きなオーナーさんなんやろうね。
でも、名は体を表すを地で行くが如く、この二頭の先輩はそれぞれ三億近く稼いでいる、馬主孝行のお馬さんなんだよね。
もちろん、進上金が入るオッチャンの厩舎にとっても、大切なベテランオープン馬なのである。
※※※※※※
む? なんやなんや、騒がしいぞ。
またぞろ人間がぎょーさんやってきおったな。
海外GⅠ馬である、このワイを拝みに来たんやな?
殊勝な心掛けやね。感心感心。
「はい、というわけで、優駿牝馬オークスに出走を予定している有力馬のレポートで、ミストラルプリンセス号が所属する藤枝厩舎にお邪魔しております。藤枝先生、今日はよろしくお願いします」
なんや、オークスに出走する馬の事前情報をリポートする番組やったか。
このネーチャンは何度か見たことがあるな。去年の美浦に入厩した直後と今年のサウジに行く前と、ドバイから日本に帰国してからやったかな?
けど、有力馬の紹介と謳っているのだから、ワイも有力馬の一頭ということなんやな。ようわかっとるやんけ。
でも、オークスに出走予定の18頭全部の取材はせーへんのかな?
「こちらこそ、よろしく」
それはそうと取材に来るのであれば、当然リンゴの差し入れの一つでも持ってきたんやろうね?
くんくん、すぴすぴ……
「人懐っこいお馬さんですね」
「そうですね。ミストラルプリンセスは物怖じしない性格なので、人にちょっかいを掛けるのが好きな馬ですね」
ちっ、リンゴないんかい。気の利かんネーチャンやな。
ワイの馬主さまを見習えと言いたい。
あと、競馬サークル内では化粧と香水は控えめにしろ。
馬のフレーメン現象は、強い臭いを嗅ぐと勝手に反応するんやで。
「早速ですが藤枝先生、ミストラルプリンセス号にとってオークス出走となりますと芝のレースは久しぶりなりますけど、その辺りはどうなんでしょうか?」
そういえば、ワイは昨年の8月の半ばにコスモス賞で芝を走ったのが最後で、それ以来ずっとダートやったな。
つまり9ヶ月もの長い間、芝のレースに出走していなかったということになるか。
その後に、5戦連続でダートを使って海外でGⅠまで勝ってしまったのだから、そりゃみんなワイのことをダート馬だと勘違いするわな。
「芝は未勝利ですけど、芝自体を走るのに問題はないと思ってます」
「ふむふむ、芝自体は大丈夫と。私も昨年の夏の札幌で走った芝の二戦での、ミストラルプリンセス号の追い込みの脚が凄かったのを記憶しています」
「コスモス賞を勝っていればダート路線には進まなかったはずなので、UAEダービーでの勝利はなかったと思います。だから結果論ですけど、コスモス賞は負けて良かったのかも知れません」
まあ、コスモス賞で一着になっていれば、ダートの未勝利戦は使わなかったわけだし、ワイのダート適性がここまで高かったとは見抜けなかっただろうなぁ。
芝で勝ち切れないから、目先を変える意味でダートを使ってみたら、才能が開花したとかよくある話やからね。
あ、ワイもその口やったわ。
「芝のオープン馬になってしまうと、普通はダート路線に目を向けないですよね」
「そうなりますね。勝ってしまえば逆に選択肢を狭めることもあるのだと、この歳になって勉強させられましたよ」
オッチャン、人生は死ぬまで勉強やで?
「なるほど。今回のオークスに関して言えば、問題があるとすれば相手関係でしょうか?」
「そうですね。一頭抜けて強いのがいますので、それが問題でしょうね」
あー、ワイもスポーツ新聞を見てその強そうな馬を知ってるで。
「5戦5勝と無敗の桜花賞馬である、ダーマデラローサのことですね?」
「ええ、距離は未知数の気もしますけど、あの馬が強いのは紛れもない事実ですからね」
けど、なんとなく薔薇の貴腐人は二千までの気がするんよ。
まあ、ワイの勘なんやけどな。
でも、本当に強い馬というのは、400メートル程度の距離延長はものともしないで克服する気もするしなぁ。
だから、注意は必要ということだ。
「その2400という距離ですけど、ミストラルプリンセス号についてはどうでしょうか?」
「この時期の三歳牝馬すべてに言えることですけど、2400は走ってみなければ分からない。これが半分以上は本音ではあるのですよ」
そりゃそーだ。正確なレース結果というのは、フタを開けるまでは分からないのだからね。
「残りの半分の本音はどうでしょうか?」
「ミストラルプリンセスの血統的な背景と体形から、距離の延長は歓迎します」
まあ、ワイが仮に桜花賞に出走していたとしても、ダーマデラローサに勝てたかどうかは怪しい気もするけど、2400ならば勝てる可能性は高くなりそうだしな。
「自信のほどを伺っても?」
「最低でも掲示板には載ってくれると信じていますよ」
「控えめなコメントのような気もしますね」
このオッチャンは、あまり法螺は吹かないタイプの調教師だからね。
まあ、三味線を引いて煙に巻くことはあるみたいだけどさ。




