25話 オーナーの出した条件
テレビの取材はフェードアウトしました
美浦トレーニングセンター
「わかばー、ほら、お馬さんが一杯だよー」
「うーまー」
「ひーん」
なるほど、本当にワイの馬主である庭野環希がわざわざ美浦までやってきたのか。
「この子は、ママのお馬さんでミストラルプリンセス。略してミスプリだよー」
「みちゅぷり~♪」
「ひ~ん」
「きゃっきゃっ」
わかばちゃんは可愛ええのぉ。
まあ、母親である庭野環希は、いささか、いや? かなり奇人変人の類いだとは思うけどな。
「庭野オーナー、ようこそいらっしゃいました」
「田中さん、こんにちは。差し入れのリンゴを持ってきたから、厩舎のお馬さんみんなで分けてちょうだい」
「札幌の時といい、いつもありがとうございます。助かります」
リンゴを差し入れに持参するだなんて、ワイのオーナーである庭野は、馬主の鏡やね。
「それで、話があると聞いたけど?」
「電話で済ますと、オーナーに真意が伝わらない気がしましたので、わざわざ美浦まで呼び立てるような形になって恐縮です」
「私も電話とかってあまり好きじゃないのよね。ラインとかリプを半ば強制するようなSNSなんて、きっとそのうち精神を病むから論外よ」
「あはは、既読スルーは嫌われますからね」
つまり、庭野ってアナログでアナクロ的な思考をしているということなのか?
それか、自分の時間を大切にしているのかも知れんね。
SNSとかって自分の時間を削って、そこまでしてする必要性を感じないしな。
人間が機械を使いこなしているのではなく、機械に人間が使われるようになったら疲れるだろうしね。
「それに、普段ヒメが美浦でどんなふうに暮らしているのか、それも一度見ておきたかったし、ちょうど良い機会だったから気にしないで」
「はい、ミストラルプリンセスの普段の生活を見ていって下さい」
つまりそれって、ワイのプライベートやプライバシーが保護されてないということですな。
まあ、ワイはサラブレッドという競走馬で、人間に世話をされている身分なんやから、それもしゃーないか。
「それにしても牧場に比べたら、やはりトレセンは少し臭うわね」
「くちゃ~い」
「ひ~ん」
わかばちゃん、お馬さん自体はそれほど臭くないんやで。
「常時、二千頭近くの馬が一か所に集まっていますから、多少臭うのは仕方ありません」
「それもあるけど、馬が餌の栄養を消化しきれなくて、馬糞が富栄養化しているのでは? まあ、素人の考えですけど」
それは確かに、牧場で放牧されている時と比べて臭うから、ワイも気にはなっていたんよ。
養豚場で飼育されている、ブタの豚糞と似たような臭いなのは否定できんわな。
ブタの場合は、早く肥えさせるために、必要以上に栄養豊富な餌を与え続けるから、その消化しきれない栄養が糞と一緒に排出されて、臭くなるとかどこかで耳にした記憶があるな。
「それは否定できません。牧場にいる時とは違って、餌も競走馬用に特別な配合をしていますので」
「つまり、人間でいったら、スポーツ選手のアスリート飯と似たようなモノということね」
「そうなりますね」
トレセンで食事に出される馬のアスリート飯は、まずまず美味いんやで。
ビートパルプはほのかに甘みがあって、ワイのお気に入りやね。
初めて配合飼料を出された時は、食べるのに多少抵抗があったんやけど、おずおずと口にしてみたら意外と普通に食べれた。
そらそうだわな。競走馬が食べる飯が不味かったら、さすがに馬も食べるのを拒否するしな。
こうみえても、馬という生き物は、案外グルメなんやで?
ワイの場合は、ニンジンが多めに入っている日は、テンションが上がって天にも昇る気持ちになるしな。
ベータカロチンは馬にとっても必要な栄養素なんや! たぶん。
まあ、ワイが一番美味いと感じるのは、リンゴやけどね。
あと、やっぱ牧草地に生えている生の青草に優るモノなしやね。
放牧地で馬が草ばっかり食べているイメージがあるのは、それなりの理由があるんよ。
※※※※※※
「……ふーん、なるほどね。話の具体的な内容は分かったわ。確かにダート路線も面白くはあるわね」
「それでは、ミストラルプリンセスが海外挑戦するのを、オーナーも賛成していただけるのですね?」
いや? たぶん、貴方のお話は承った。持ち帰って関係各所と調整の上、後日改めて連絡するという、遠回しの拒否なんじゃねーの?
ワイのダートで二走続けてのレコード勝ちを目の当たりにして、どうやら田中さんに色気が出たみたいやね。
それにしても、ワイが海外遠征とはねぇ。
ワイも出世して偉くなったもんやんね。
だけど、ワイに海外遠征はまだ時期尚早な感じもするけどな。
しかし、ダート路線を行くのであれば、三歳の春ってダートオープンの番組が中央も地方の交流重賞も少ないから、海外のレースも選択肢としてはアリっちゃアリなのかも知れんね。
UAEやサウジアラビアのレースは、アラブのお金持ちが主催しているから、レースの賞金も高額になるし、ホースマンが中東に出稼ぎに行きたくなる気持ちも理解できるしね。
「基本的にはね。でも、中東に遠征するには条件があるわよ」
え? 違ったの? オーナーは拒否しないの?
どうやら、ワイの予想は外れたみたいだな。
「その条件とは?」
「川崎の全日本2歳優駿で、最低でも二着までに入ることよ。その結果如何によっては、国内のクラシック路線に戻ることも考慮することになるしね」
え? ワイの次走って、阪神ジュベナイルフィリーズか年末のホープフルステークスじゃなかったの?
まあ、海外でもダートを走らせるのであれば、前哨戦も同じダートの方が無難ではあるけれども。
それよりも、これでワイのダート路線が決定してしまったということになるのか?
さらば、桜の女王……
さらば、牝馬クラシック路線……
まあそれでも、ダート路線もとりあえずは、UAEダービーまでみたいではあるけど。
「なるほど、オーナーがおっしゃる意味は理解できます」
「そう、全日本2歳優駿で二着にも入れないのであれば、海外で勝ち負けするのは厳しいんじゃないかな?」
「それは、もっともだと思います」
それはまあ、確かにそうだわな。国内の前哨戦を惨敗して、海外遠征を白紙撤回したとか、よくある話だしな。
「それで藤枝厩舎には、どれぐらい海外遠征のノウハウがあるのでしょうか?」
「私が前に担当していた馬で、香港には行ったことがあります。まあ、ギリギリ掲示板でしたけど」
「田中さんには、一応の経験があるということね」
「付け加えて、ワシからも説明させてもらおうかの」
オッチャンおったのか。さっきまでオーナーとの会話を田中さんに任せて、空気に徹していたんやな。
調教師として、オッチャンはそれでいいのかと思わなくもないけど。
というか、オッチャンの名前って藤枝というんか。初めて知ったわ。
ダビスタにでも出てきそうな名前やね。
みんな、テキや先生とかでしか、オッチャンの名前を呼ばないからなぁ。
あーでも、そういえば、厩舎の入り口に看板が掲げられていたか。
けど、これからもワイの中では、オッチャン呼びで確定やけどな。
「では、先生お願いします」
「毎年のように海外遠征をしている、リーディング上位常連の厩舎と比べたら少ないですけど、ワシもドバイには三度ほど連れて行ったことがあります」
「そういえば、先生の厩舎に所属していたブロークンアローも、ドバイで二着になっていましたね」
「あの時は、オーナーが四割権利を持っていた、ウイングレッドにしてやられました」
ウイングレッドの名前は、ワイでも知ってるで。
ブロークンアロー先輩が二着になったダービーの、前年のダービー馬で三冠馬だしな。
庭野オーナーは、ウイングレッドの権利を四割も保有してたんか。
ウイングレッドの稼いだ賞金で、ガッポガッポのウハウハやね。
ドバイでそのウイングレッドの二着ということは、ブロークンアロー先輩ってやっぱ凄かったんやな。
というか、ドバイで日本馬のワンツーやったんか。それも凄いな。
それと、話の流れ的には恐らく、ドバイシーマクラシックかな?
「ブロークンアローは生まれた時代が悪かったのと、ほんの少しだけツキがなかったのでしょう」
「そうなるのでしょうね」
「お話は分かりました。先生の厩舎のノウハウであれば、ヒメを海外に連れて行っても大丈夫そうですね」
「オーナー、ありがとうございます!」
ワイも厩舎の先輩に負けないように、海外遠征でも頑張らんとな。
でも、その前に、川崎やったね。
「まあ、私の方にもドバイの知り合いから、ミストラルプリンセスをUAEダービーに招待するから、出走してみないかという誘いがあったしね」
「そうだったのでしたか」
「彼らは日本の競馬も要チェックしているから、二走続けてレコード勝ちのヒメは、彼らのお眼鏡に適ったということなのでしょう」
というか、ドバイから直接連絡がくるオーナーの伝手とはいったい?
まあ、オーナーはテニスの女王だし、世界的にもビッグネームだから、セレブの知り合いも多いのだろうね。
おかしい、美雪の出番がなかった…
オッチャンの名前は正直悩んだw
 




