16話 ひーん!(母ちゃん、ただいま!)
語り部のヒメが出てこなくなると、台本形式になるというw
札幌競馬場 滞在厩舎
「うーん…… どうするかねぇ? 中一週中一週の連続では、さすがに二歳牝馬には厳しすぎるだろうし、中二週で自己条件の土曜ダート千七か、日曜日の芝二千ということになるよなぁ。んで、中三週以降だと美浦に戻って……」
「テキ、何を悩んでいるのですか?」
「ああ、田中か。いやね、ミストラルプリンセスの次走について、どうしようかと考えていたんだよ」
「次走は中二週じゃないのですか? 予定が変わるのであれば、ヒメの短期放牧の期間も変わってきますので、先方にも連絡を入れておかないと」
「いや、一応は中二週の予定のままにはしているのだが、それも完全に確定ではないので、こうして悩んでいるというわけだ。田中は何か良いアイデアないか?」
「札幌2歳ステークスには出走できませんか? ヒメの前走の走りっぷりを見れば、重賞でも十二分に勝負になると思いますよ」
「ミストラルプリンセスが間違いなく、重賞でも勝ち負けできる素質を持った馬だというのは、この二走の走りで十分に理解したけど、札幌2歳ステークスは毎年フルゲートになるから、残念ながらも未勝利馬のヒメは除外になるよ」
「ヒメは強いですけど、まだ未勝利でしたね」
「お前たちの口車に乗って、コスモス賞に出したのが、結果的には失敗だったのかなぁ。自己条件の未勝利戦にしておけば良かったのかも知れん」
「最終的には、テキだって乗り気だったじゃないですか」
「まあ、最終的な責任は調教師で出走許可を出した、このワシにあると認めるよ」
「あーっ! ムカつく! ベテランのクセして外にヨレるなよな! 何十年馬に乗っているってんだ! まったくあのオッサン腹立つわ! あんな下手くそな御し方では、教官からの再特訓は確実だよ! まったく競馬学校からやり直してこいってんだ!」
「み、美雪ちゃん落ち着いて、どうどうどう」
「悍馬がいるぞ……」
「あれ? 先生と田中さん雁首揃えて、二人して何やっているんですか? もしかして、出張馬房で逢引きとか?」
「馬鹿こけ、それにそのセリフ前にも聞いたぞ。ミストラルプリンセスの次走について話してたんだよ」
「ヒメの次走ですか? 札幌2歳ステークスに出ても勝負になると思いますけど、普通に中二週で日曜未勝利の芝二千じゃないんですか?」
「札幌2歳ステークスは登録したとしても間違いなく除外だから、日曜日の芝二千を選択するのが普通だよなぁ」
「まあ、ヒメは小さいながらパワーもありますので、ダートも普通に力強く走りますから、土曜日のダート千七でも楽に勝てるとは思いますけど」
「ダートか? うーん……」
「テキ、美雪ちゃんが言うように、余裕のある今のうちにダートを試してみるのも、良い機会かも知れません」
「しかし、調教とレースとでは、また違うぞ?」
「レースと同じ、札幌競馬場のダートコースで追い切りをしたんですよ? ヒメの調教でのあの動きを見れば、絶対にダートでも走りますよ」
「うーむ…… ダートかぁ」
「テキ、選択肢は多いほうが、ローテーションの幅も広がりますよ」
「先生、私も田中さんに賛成です。ダートの未勝利戦を勝てば、一勝馬でもほぼJBC2歳優駿に出られます。毎年JBC2歳優駿は面子が軽いから、空き巣狙いができる確率が高いですし、お得だと思いますよ?」
「そ、そうか? そう言われると、悩ましいな……」
「テキ、来年のクラシックに向けて賞金を加算する目途が立ちやすいのも魅力的だと思います」
「そのためにも、ヒメのダート適性の有無を確かめるのに、ダートの未勝利戦ということか」
「一石で三鳥ぐらいの効果がありそうですね!」
「しかし、ヒメがダートのレースを走っている姿が想像も付かないな」
「私には500kgを超える巨漢馬をヒメがぶち抜く姿が想像できますよ」
※※※※※※
北海道 日高門別町 日高ニワノ牧場
「ヒメー、着いたよー!」
「ひん!」
「10日程度の短期放牧だけど、リフレッシュしておいで!」
コスモス賞のレースが終わった直後に、ワイは札幌競馬場から馬運車に載せられて、ドナドナされてしまったのである。
それで、何処に連れていかれるのかと思っていたら、着いた先はワイの生まれ故郷である、日高ニワノ牧場であった。
まあ、周囲の人間から牧場の名前とか聞こえてきたし、サツキも一緒に馬運車に乗り込んだから、そうなんだろうとは思っていたけどな。
つまり、短期放牧というヤツなんだろうね。新馬戦とオープン特別を中一週で使ったから、軽めのリフレッシュ放牧ということやね。
札幌競馬場の滞在厩舎にずっと居るのは、自由に運動ができないから、息が詰まってストレスが溜まりそうだし、ワイも助かったわ。
「ぶるぅ(娘よ、戻ってきたのかい?)」
「ひーん!(母ちゃん、ただいま!)」
ワイの母ちゃんであるヨーコさんは、ワイを産んだ年の春は種付けをしなくて空胎にして、翌年の春に種付けをしたけど不受胎となり、今年の春に再度種付けにチャレンジしたけど、これまた不受胎になったらしい。
だから、ヨーコさんは歳も結構な歳だということで、そのまま繁殖牝馬としてはお役御免、今年でおしとねすべりになったらしくて、残りの馬生は功労馬として、悠々自適の余生を送ることになったみたいだ。
もしかして、ワイが不受胎になった二頭の産駒の生命力まで、奪ってしまったなんてことは、ないよな? さすがに、あるわけないか。
いや、神さま謹製のチートで、あり得ないとは言い切れないのか?
つまり、ワイが母ちゃんの最後の産駒ということになるんやね。
まあ、繁殖牝馬の場合は、ラストクロップとかいう言い方はしないと思うけど。
ヨーコさんの産駒はワイを含めて八頭だから、繁殖牝馬としての仔出しとしては、平均よりはやや少なめになるのかな?
でも、八頭の産駒を産んで不受胎を含めて五回ぐらい空胎だったら、計算は合うのか。
母ちゃんは、今年で20歳だったはずだしね。二年連続で不受胎になったから、それで繁殖引退ということなのだろう。
もっとも、繁殖牝馬の中には24歳ぐらいまで、産駒を産める元気なオバハンもいるみたいやけど。
つまり、紫メッシュのオバハンが赤ちゃんを産むみたいなもんなんやで?
うん、ないわ。人間ではありえへん。
そう考えると、馬の生態と繁殖可能な年齢って人間とは少し違うみたいやね。
「ひひん(元気そうでなによりだね)」
「ひんひん(でも、たぶん直ぐに出かけることになると思うんだよね)」
「ぶるぅ?(人間が一杯いる大きな馬場で走るところに行くのかい?)」
馬であるヨーコさんは、どうやら競馬場という名称を知らなかったみたいだ。
まあ、ケイバジョウ? なんのこっちゃい? 馬では、そうなるわな。
でも、ワイが何をしているのかは、自身の経験とかから照らし合わせて、おぼろげながらも理解しているということは、やはり馬は賢い生き物なんだろうね。
人間の幼稚園児程度の知能は、馬にもあるとか言われているしね。
「ひん(そう、競馬場っていうところだよ)」
「ひーん(あたしゃ、あの変な檻に入れられるの好きじゃなかったのよねぇ)」
なるほど、ヨーコさんはゲートに入るのが嫌いだったのね。
まあ、ゲート入りが好きな馬は変人ならぬ、変わった馬のような気もするわな。
「ひひん(だから、たぶん10日ぐらいしか此処にはいられないと思うよ)」
「ひん(娘も忙しいのだね)」
今回は短期放牧みたいだし、ゆっくりできるのは長期の放牧か、競走馬を引退した後のことになるのやろうね。
調教師のオッチャン、押しに弱いのか優柔不断なのか…




