遠くへ
彼方の書庫に通ずる一つのお話。
ダムの上にもうすぐ着く。綺麗な場所ではないと思っていたからここを選んだ。森の中に大きく、無機質な混凝土は似合わない。昨日降った雨の影響か、ダムの水は絵の具のような緑色になって、どこか絵画的で、なぜここを選んだのかわからなくなってくる。
もう少しだ。やっと道の切れ目が見えた。水面を眺めると、下のダムよりも自然の水らしい色で、なんだか気味が悪い。ダムの縁を歩いて、音を聞いて考えていた。見覚えのある水筒がコンクリートの切れ目にあって、気が付くと手に取っていた。
目の前にあったボートには先客の痕跡があって、まだそんなに汚れていないパーカーがかかっていた。遺品を底に投げて、そこに乗り込んで、船はぎこちなくも漕がれていく。緑は私を待ってたかのように錯覚したのかな。無機質な岸は見えなくなっていた。
これ以上奥には進めない。でも、諦めることは嫌だ。岩肌を這い、木を舐めて進んだ。理由なんて知らないが、導くように木々が倒れていた。既に切り傷だらけだったが構わず進む。嫌な予感が心を責めていくのを感じる。ここに来てはいけない、きっとそう知らせていた。
喉が渇いて水筒を忘れたことに気づく。忘れたついでに靴を脱ぎ、さらに上流へと向かう。倒木を越え、さらに奥へと進んでいった。木漏れ日が私の存在を知らせているようで、やめて欲しかった。そんなことを思って、空が曇るのは残酷すぎるな。
滑った。泥濘に足を取られたのだ。鈍い音がして振動が伝わっていく。でも転んでよかった。視線の先には泥だらけで、見覚えのある靴があった。間違いない、ここに居た。カバンに靴を突っ込む。まだ、雨は止んでくれない。
雨が降ってきた。それとは対照的に森が開けて、目的地が見えていた。
その建物は、この場に似つかわしくないはずの人工物が溶け込んで、何故ここを選んだのかわからなかった。雨だ。雨のせいだ。この場所が綺麗に見えるのは、きっと雨が汚しているからだ。ぬかるんだ地面に残った足跡をたどって進む。足跡はドアの前で途切れていた。
建物の中は明るく、卒倒する程の本で埋め尽くされて、私が例えるなら”書庫”だと思った。本を開くと、文字がずれていた。手に取る本を読むことは叶わなかった。
その場所で彼女は横になっていた。人の心配をよそにして、心地よさそうに眠っている。そばにあった本は、文字が滑るように読めなかった。それでもよかった。彼女のそばに座り、頭を撫でる。かすかで、儚い寝息を刻んでいた。