ヒーロー
タイピングの音がすると、くすぐったい。誰もがページを捲っている中に、誰かが自分はここに居るっていうのを示しているようで、私は好きだ。池に波紋が浮かぶように、不必要だけどきっと無駄じゃないことだと思うから。
誰かが怒った。知らないおじさんが、知らない青年に、唾を飛ばしている。図書館でパソコンを叩いているのが、彼の正義に引っ掛かったようだ。ここは別にそれを禁止してはいない。係員も出てきて場を取り持っているが、ヒーローはまるで自分の功績を誇示するよう。悪者は係員と、他の利用者に対して一つ謝罪をし、その場から立ち去った。
勝ち誇ったヒーローは私の目の前の椅子に座って、大きないびきをかきながら眠りについた。大役を果たしたのだから、疲れて当然だろう。それは勝利の雄叫びと何ら変わらなかった。ヒーローの邪魔をしてはいけない。私は本を閉じて図書館を後にした。
外にはさっきの悪者が寒空の中、白い息を吐いてスマホを触っていた。車が同じ方向にあったので、青年の前を通り過ぎようとすると呼び止められた。一つ謝罪されたのだ。近くにいた私のことを心配してくれたみたいだ。
私は彼にどんなことをしていたのかを尋ねた。歌詞を書いていたらしい。勉強のために、憧れの人が読んでいた本を探しに来たみたい。さっきの出来事で本は借りれなかったみたいで、しょんぼりしている。私は応援の言葉を残して、場を立ち去った。
盗作が発覚してニュースで彼を見ることになるのは、その数年後だった。社会的に人気があったために、世間にはよほど衝撃だったのだろう。でも私はそこまで衝撃を受けなかった。あの時の悪者が、本当に悪者になっただけの話だったから。
ヒーローは正しかったみたい。自身の判断で、悪者と決めつけて叱咤した。未来の悪者を見つけたのだ。上映すれば誰もが泣きながら立って、賞賛の拍手を送るだろう。私はその中でも、より木霊するように拍手を送ろう。彼の時間を、ちっぽけで空な倫理で奪ったあなたは正しかった。あの空間に響いた大声は、誰もが待ち望んだ声だったんだ。
あの時の青年と同じように、私は図書館で歌詞を書いていた。タイピングはぎこちないけど、それでもかまわない。本を読み、キーを打つのを繰り返す。すると、あの時と同じおじさんが私の近くに来た。膨れた腹がはち切れそうなほど大きく息を吸うと、その口中では唾液でダムが決壊しそうだった。
次の悪者が生まれる。