逃望者
私は時間を切り取っている。その人差し指で、その空虚な一瞬を、盗むのが私に許された逃亡だ。やらねばならぬ、なさねばならぬこともあることを理解し、その上で私は逃げているのだ。
一つ、シャッターを押す。カメラというものは、人類の発明した最も冒涜的な道具だ。美しい景色を永遠のものにでき、未来に残すことができる。
子供の頃にカメラがそのような時間の概念を壊す代物と気づいたときには、もう私はカメラの魅力に取りつかれていた。一眼レフにあこがれ、写真の構成のために勉強し、携帯のカメラで何か感じたものを盗り続けていた。
一眼レフを初めて手に取った時、何か焦燥感にかられたのを覚えている。あの純粋な時間に覚えた高揚感ではなく、焦ってしまっていたのだ。それからは一眼レフを持ち歩き、前のような感じるものを探して今までと同じように、ただ私は歩いた。
焦燥感の理由を理解したのは、撮った写真を現像し、今まで取ってきた写真と見比べてみた時だった。一眼レフで撮った写真は携帯で盗った写真よりも、誰が見ても鮮明で美しい構図だった。けれど、それには輝きなどなかった。
紫陽花、向日葵、木蓮、薺、過去の私からの贈り物はどれももう色褪せてはいたが、光は失わず、生きていた。今では私の写真を、誰もが「君は上達した」と言う。私にはわからない、あなたたちがいったい何を見ているのか、吐き気を覚えてしまう。
ただ純粋に写真を撮り続けることはもうできなくなっていた。時間を盗ることはできなくなっていた。ただ撮っているのだ。それなら、私にとる資格はない。今ではカメラを置き、ただ何もない仕事に身を打つ日々を過ごしている。
それでもまた私はカメラを手に取る。もう私が撮ることのできる写真はただの空虚だ。けれど、その空虚を得ることで、私は現実から逃げることができる。逃げることが望みなら、私はまた一つシャッターを押すことができる。
景色は変わる、人の感じ方も変わる。カメラでさえ、その時間を切り取っても、心の在り方には敵わない。
ならばまた一つシャッターを押すことが、逃望者の私にできる未来への贈り物だ。