気付かない 気付けない
私が見えた人は、良いことがあるんだって。
そして、座敷童子と呼ばれる存在が住み着いていると、その家は栄えるんだって。
大昔に死んじゃった私。
天国にも行けなくて、ずぅっとここで過ごしてる。
毎日は退屈。
でも、退屈な日々の方がマシだった。
なぜなら『私』と『座敷童子』。
この二つを結びつけて、何時の頃からか、たくさんの人がこの家に寝泊まりするようになったから。
望んでいないのに。
「座敷童子様、どうか、お願いします。」
手を打ち合わせて、拍手なんてしてる。
拝まれたって、嫌なのに。
「お姿を見せて下さい。」
「ほーら、新しい玩具ですよー。」
「美味しいお菓子を持ってきました。一緒に食べませんか?」
好き勝手に騒ぐ人達が、私の安眠を邪魔をする。
死んでいても、眠りたい時だってあるの。
何も考えず、ボーッとしていたい時だってあるの。
いつもいつも遊んでいるわけじゃないの。
何より、私は大人は『嫌い』。
穢れを持っているから、大嫌いなの。
私は大昔に死んだ、ただの子供だよ?
あなた達が祈る事も、願う事も、叶えられる神様じゃないの。
異性にモテたいだとか、誰よりも一番になりたいだとか、叶えられるはずがないじゃない。
それにね、肉体が滅んだ時のまま、私は止まっているわけじゃない。
精神はちゃんと成熟しているの。
老成もしているの。
その先の果てまでだって、至っているの。
だから、もう何も考えず、何も思わずに、ただ揺蕩うようにまどろんでいたいの。
疲れてるんだよ。
思い出したくない記憶が一杯だから。
思い出したら、辛くて悲しくて切なくて、自分が自分がじゃなくなりそうで、心がどうしようもなく悲鳴を上げているの。
ねぇ、眠らせて?
私が仲良くなれても、みんなみんな、逝っちゃうから。
残された私は、ずぅっと一人ぼっちだから。
例え束の間の『お友達』を作っても、また一人ぼっちになっちゃうだけだから。
構わないで。
――本当に、本当に嫌なの。
これ以上、誰かを看取りたくない。
私を忘れて、声も聞こえなくて、姿も見てくれなくて、その瞳に私を写し込まずに無視されて、それでも諦めきれなくて最期まで見てしまうのはもう嫌。
だから、眠らせて。
これ以上、誰も私を気にかけないで。
ただそう願うのに――。
「どうか、どうか――!」
「座敷童子様ぁ!」
なのに、眠らせてくれない人達が、これっぽっちも私を気遣ってくれない。
図々しくもこの家に寝泊まりする。
ただ願いながらも、私の気持ちなんて、全然気付いてくれないままに。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
死んでから出来た一番最初の『お友達』は、この家に住む男の子だった。
優しくて、頼りになって、見る見る成長していった私の初恋。
でも、私はずぅっと子供のままなんだよね。
あの子がお嫁さんを貰ってからも、ずっと子供のままだったんだ。
だから大好きだった気持ちも打ち明けられずに――あの子は穢れてしまった。
それ以降、私が見えなくなった。
声も届かなくなった。
ずっと、側に居たのに――。
「愛してるよ、さなえ。」
「私もです、貴方様。」
よそから来たお嫁さんと、一緒の布団に潜り込んでいってしまった。
見たくもなかった。
知りたくもなかった。
大人になるって、そういう事なんだって事を。
私を忘れてしまったのも、見えなくなったのも、声が聞こえなくなったのも、ただその『穢れ』を負っていたからだなんて。
汚い。
女だけじゃなかった。
穢れをその身に負うのは、男も一緒。
人は清濁併せ持って人だけど、やっぱり清らかなままではいられない。
生きられないんだね。
でも、その範疇から外れた私は、いつまでも子供のまま。
純真無垢なままで、でも精神だけは否応なく大人になっていってしまう。
穢れたら悪霊になっちゃうから、それもできない。
生者と死者は、結ばれてはいけないの。
死に引き摺り込んじゃうから。
でも、それでもやっぱり好きだった。
結ばれたかった。
辛かったよ。
大好きだった人が、私を忘れて、ただ穢れていくのを見るのは。
でも、見てるしかなかったんだよね。
私はとうに、死んだ存在だったから、生者のお嫁さんにはなれないんだもの――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
例え私が見えない大人ばかりでも、子供達の多くは私を見つけてくれるし、声だってかけてくれる。
一緒に遊んだり、一緒に笑ったり、一緒に泣いて怒ってたくさんの思い出を作った。
失恋は辛かったけれど、これが『私』という存在の在り方だと思ってしまえば、いつか離れていってしまうとしても、新しい記憶で塗り替えられると思った。
そう思い込んだ。
だから、たくさんの子供達と絆を結んだんだ。
もっとも、結んでは、解けていったけど。
――それすらもが上手くいかなくなったのは、何時からだったかなぁ?
空からたくさんの爆弾が落ちてきて、みんなが危ないからって遊んでくれなくなった頃?
それとも、裏切り者探しで躍起になっていた戦争始めの時?
もっともっと前の、合わない子を群れから追い出した瞬間からかな?
「自己中。」
「我儘。」
「癇癪持ち。」
「やり過ぎ。」
――子供の言葉って、真っ直ぐに心に届くよね。
まるで、見えない刃物で刺されたみたいに、胸が苦しくて痛くなる。
だから、死んでからも、私の心にそれらの言葉は響いてきた。
忘れたくて、忘れられない記憶だ。
で、それから逃れようと足掻いて、余計に傷付いて。
いつしか疲れちゃったんだ。
だから、眠ろうと、そう思ってたのに。
寝れない。
眠れない。
一人ぼっちの時間が、長く続いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
寝たいな。
眠りたいな。
ただそう思う。
何も思い出さずに、何も思わずに、ただ微睡んでいたいって。
実際、微睡むくらいならなんとかなった。
ボゥッと虚空を見つめて、来る日も来る日も変わらない景色を見つめてた。
何も変化が起きない壁を。
けれど、ある日私を探してくれる声に気付いて、その時間に終わりが訪れた。
いけなかったのだと思う。
声に釣られて、反応してしまったのは。
あっという間に、私という存在が認知されてしまったのだから。
私が見えるのは、綺麗な子だけ。
穢れを知らない、無垢な魂の者だけ。
子供を持つ大人は無理だし、欲に塗れている人も無理。
私が見えるのは、私と同じような、共鳴出来る存在だけだから。
殺生を行った者も同様。
虫すら殺せない。
そんな子だけが、私を見れた。
――つくづく、子供の頃に命を落とした事が悔やまれるよね。
似たような者でないと、波長が合わなくて視えないみたいなんだもの。
「お願いだ、この宝くじを当ててくれ!でないと、首を括るしかないんだ!」
必死に叫ぶ人。
手に握り締められたのは、何かの紙束。
必死に祈る様子に、嘘や誤魔化しはなさそうに見える。
でも。
でもね。
――私は今、貴方の目の前に居るの。
それでも、貴方は私を見つけられないの。
見ることが出来ていないの。
だって、その身は異性を知っているでしょ?
肌を重ねた事があるでしょ?
交わった事によって、貴方が持っていた純粋さは失われて、穢れが宿ってしまっているの。
だから、無理なの。
見つからないの。
私はここにいるのに。
「頼むううううううううう!」
私の姿が見えれば、その『たからくじ』というものも『あてる』事ができるかもしれないけどね。
――でも、見えないんじゃ、どうしようもないよね。
響く絶叫に、なんでこんな事になってるんだろう、と、ぼんやり思った。
今夜もまた、私は眠れない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ひっきりなしに訪れる人達。
懲りもせずに何度も何度も来る人もいるし、良く分からないものを置いていく人、玩具を置いていく人、綺麗な浴衣や帯、お菓子を置いていく人と、私はただただ『すれ違う』。
誰も、私を見えてなかった。
見てくれなかった。
声をかけても、反応を返してくれなかった。
それは、私を探して、見つけてくれたこの家の子も一緒。
今では大人になった彼女は、一番最初の『友達』の面影を持ちながら、同じように私を見てくれない。
結局、一人ぼっちになるんだよね……。
寝たいな。
眠りたいなぁ。
なんで、私はどこへも行けないんだろう?
この家に縛り付けられるようにして、もう何百年経ったかも分からない。
何度も補修して、何度も増築して、何度も作り直して。
でも、私は土地そのものに縛られたように、この家がある場所を中心にして、遠くへ行けない。
ずぅっと、ずぅっと、ここで膝を抱えて過ごしてる。
死んだ直後――ううん、死ぬ前から、何も変わらずに。
私はなんで死んだのかな?
思い出しても思い起こせない記憶は、私がここで生きて、過ごしていたという記憶と同じで、霞んだまま。
まるで霧がかかったように浮かんではこず、ずっと見えないままだった。
寂しいな。
退屈だな。
面白くないな。
一方的に期待して、一方的に落胆して、一方的に罵詈雑言を残して去っていく人達を眺めながら、思う。
私に気付きたくても、気付けない人と。
気付いて欲しくても、気付いてもらえない私。
なんだか、生きていた頃にもあったような気がするなぁ、これ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ある日を堺にして『ぶうむ』とやらが過ぎたらしい。
おかげで、ようやく私は微睡める日が訪れるようになった。
それでもやっぱり邪魔してくる人達は居たし、相変わらず私を見えない人だらけ。
子供まで穢れていたのは驚いたけれど、それが今の時代なんだろうね、きっと。
まだ十にも満たない子供達だったけれど、その子らは明らかに殺生をしていた。
だから、私が見えなかったんだ。
声も、聞こえなかったんだ。
――平和な世になっても、人は誰かを傷付けるんだね。
それは、小さい子程残虐で。
そして、冷酷なもの。
見つけたのは、家の回りをうろついていた野良猫の死体。
火傷に、見るからに腫れた体に、たくさんの暴行を受けた後なのが分かった。
耳も尻尾も千切られていて、見るからに痛々しい骸。
せめて、お墓を作って供養してあげたいんだけれど。
――私に、その為の肉体は無いんだよなぁ。
しばらく、どうか私みたいに、土地に縛られるような存在にはならないでと、祈りを捧げ続けた。
晴れの日も、雨の日も、変わらずに。
どうせ私は天候には左右されない。
風邪を引くような体も持ち合わせていない。
だったら、私がこの子の為にしてやれる、精一杯をしようと思ったんだ。
一人で恨みつらみを抱えて逝くのは、とても辛い事だから。
過去に、そんな事があった気が、するから。
そうこうしていたら、一番最初の『友達』の面影がある、私を探してくれた子が見つけて弔ってくれた。
何度か遠目に眺めていたのを知ってる。
そして、こっそりと、水と餌を軒下に置いていた事も。
だからか、手を合わせてくれた。
その瞬間、ああ、この子はちゃんと、人として真っ当な大人に育ってくれたんだなと、ぼんやりと思った。
私は成長出来なかったけれど、この子はもう心配しなくていいんだな、と。
――ただその際に、彼女の懺悔を聞く事になるとは、思いもしなかったけれど。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ごめんなさいね――貴方も、なっちゃんも、私のせいで辛い目に合わせてしまって。」
恨みたかったら、恨んでくれていいのよ、と。
それだけの事を招いたのだから、どんな事も受け入れる、と。
しばらく、何を言ってるか分からない事を一人で呟いて、黙祷を捧げる横顔を眺めて。
そうしてから、なっちゃんは私の名前だと気付いて――ようやく一連の騒動がなんだったのかを理解した。
確かにこれは懺悔だね。
でも、必要のない懺悔だよ?
だって、私は見た目子供のまま、成長出来ずにいても、その精神はちゃんと大人になっているもの。
生きている人なんて目じゃない程の長い時を生きて、たくさんの事を目にして、たくさんの事を知っている。
だから、ここで癇癪を起こしたら、それこそ精神まで子供だと自ら認めちゃうじゃない?
そんなのは嫌だ。
私だって、見た目はともかく中身は大人だって自負はあるんだもん。
何よりもより短い『時間』しか存在していない彼女に対して、年長者の私がしてはいけないことだと思った。
ただね?
知らなかったよ、未だに私の名前を覚えてくれていたなんて。
彼女が私の事を、今も忘れてはいなかっただなんて。
一番最初の『友達』や、他の子達と同じように、私を居ないものとして過ごしていたわけでは、決してなかったんだって。
嬉しい。
嬉しいよ。
本当に嬉しい。
何時も綺麗に掃除してくれてたのも、私が喜んでくれると思ったからだというのなら。
人をたくさん呼び込んだのも、自分が見えなくなって寂しがってるんじゃないかと思ってくれていたのなら。
お菓子や玩具、綺麗なおべべを飾っていたのは、私が以前羨ましそうにしていたのを、覚えてくれたなら!
全然知らなかったんだ。
私はたくさんの『贈り物』を貰っていたんだね?
お友達がまた見つかるように、環境を整えてもくれていたんだね?
眠れない、眠りたいと、駄々を捏ねていたのは、私だったんだね。
確かにここはもう、昔みたいに多くの子どもたちが訪れる場所じゃなくなっているし、寂しかった。
戦争が起きて、みんなどこの家にも居ない子がおかしいと、疑心暗鬼に駆られて『居ない子』探しを始めたから、私は子供達の前にすら姿を出せなくなった。
そうして――最早誰も寄り付かなくなってしまった家が、ここだった。
だから、私は一人ぼっち。
自分で招いたようなものだけど、それでも傷付くくらいなら、傷付けるくらいなら、一人の方がマシだって、ずっと思ってた。
例えそのまま忘れ去られてしまっても、しょうがないって。
でも『あーちゃん』は気付いてたんだね。
私が寂しがりやだって事を。
だから、お友達になれる子を自分の代わりに見つけようとしてくれてたんだね。
今はもう、疑心暗鬼に駆られる子は居ないんだって、座敷童子っていう居るか居ないか分かんないものと結びつけて、人を呼び込んでくれてたんだ。
それは他ならぬ私の為に。
なら、
「もう、良いよ。」
気持ちは十分に伝わったから。
私はもう寂しくないし、辛くもないよ。
だって、新しい『お友達』は『あーちゃん』がいっぱいくれたでしょう?
だから、もう良いの。
自分を責めないで。
私は今、十分に幸せだよ。
ほら、ひどい目にあった猫も言ってる。
悪いのは身勝手な人達であって『あーちゃん』じゃないって。
「ね。一緒に眠ろうか?」
騒がしくても、それはもう嫌なものじゃないよね。
だから猫さん、私と寝よう?
きっと、騒々しい中で眠るのも、楽しいものだよ――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
幻を、視ました。
かつて共に遊んで過ごした儚く幼い少女と、腕に抱き締められた殺害されたはずの野良猫の幻想を。
――うちは民宿です。
猫なんて飼えるはずがないのです。
それでも迷い込んできたあの子が放っておけなくて、悪いこととは知りつつも、餌付けしてしまいました。
完全な自己満足です。
そこには、反論も一切の弁明も致しません。
けれども、その自己満足の結果がこれとは、悔やむに悔やみきれないでしょう?
だって、猫であるあの子には、何の罪も無いのだから。
「ごめんなさいね――。」
ただ偶々目についただけなのか。
それともうちで可愛がられていると知りつつの犯行だったのか。
――何にしろ、これが八つ当たりの類であるのは明白でしょう。
警察には届け出を出さないとなりません。
小さな命を奪い、そこから人に手を出す快楽殺人鬼へ変わる可能性は、決して低くはないのですから。
そう決意した私の耳に、にゃーん、と、彼女の腕に抱き上げられた猫が鳴いた気がしました。
何か言葉を喋っているようですが、私には届きません。
視えるだけなようです。
出来れば、その言葉も聞こえれば良かったのですが――。
「本当に、ごめんなさい。」
それでも、私がすべきことはしておくべきでしょう。
長いこと、その姿を目に捉える事が出来なくなっていましたが、ようやく、言葉くらいなら届くかも知れません。
彼女からの言葉は、届いていなくても、きっと伝わると、そう信じましょう。
「貴方がここに縛られてしまった理由も、何を望んでいるのかも、ようやく分かったの。だからもう、邪魔はしないわ。」
だから、これだけは通じて欲しい。
そう祈るように――願いを込めて微笑みます。
それに満足したように、笑い返してくれる幼い少女。
スゥッと、空気に溶け込むようにして、猫と共に消えていきます。
あっという間に視えなくなりましたが、これは私がまた視えない状態へ戻っただけでしょうね。
本当は、今もずっと、そこに佇んでいるのでしょう。
あの、寂しげな微笑みとともに。
「さぁ、手続きを済ませませんとね。」
それでも、私は以前のような心配はなくなりました。
例え彼女が、とても優しく――それでいて不安定な存在であっても。
もう、悪霊と化す事に怯える事は、決してありません。
何故なら、何時も寂しそうに微笑んでいたのは、それだけ多くの人を見送ってきた側である証ですから。
それを成し遂げて来た彼女は、決して脆く弱い存在ではないし、誰かを傷付けるような横暴な者でもないのです。
それを知ったからには、ただ本来の在り方へ戻してあげるだけの事。
その事が、今の私に出来る唯一の懺悔。
そして、友達だった私からの、死者である彼女への最後の手向けでしょうね――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
民宿としてちょっとした有名処であったその宿が畳まれたのは、表向きは建物の老朽化が酷いからという事になっている。
だがしかし、木造建築の家屋は、梁や柱さえもが取り替える事が出来、今の建築技術では問題なく解消出来るはずだった。
それでも宿の廃業は決定事項だと、民宿関係者は最後の客を見送るとすぐに閉鎖した。
その譲らない姿勢に、一部の報道陣がおもしろおかしく報道したが、それさえもが時と共に風化していった。
かつては座敷童子が住む屋敷として、有名だったこの家も、交通の便の悪さが祟り、住む人が居なくなって久しい今日である。
それでも毎日のように掃除は行われているし、老夫婦となった元民宿関係者によって、出来る限りの存続はさせられてきた。
筆者が訪れた際も庭の掃き掃除をしており、人の良さそうな夫婦が会釈して出迎えてくれる。
「よう来なすった。」
「本日もよろしくおねがいします。」
ここ最近交わされるやりとり。
だが、これもそう長くは続かないだろうと思う。
何せ、この老夫婦は子供にも養子にも恵まれず、跡を継げる後継者が居ないのだから。
かつて『なっちゃん』と呼ばれた少女が、座敷童子の正体だと今の私は掴んでいる。
実際、彼女の姿は何故か『見えない』。
私には家の縁側で足をブラブラとさせているのが見えているにも関わらず、ここで長年過ごしている老夫婦の目にも見えないのだ。
剰え、その体は互いにぶつかる事無く、すり抜けていく。
気味が悪かった。
正真正銘の幽霊が、そこには居たから。
更にその近くには、半透明に透けた茶トラの猫の姿までもがある。
時折威嚇し、それを窘めて抱え込み、逃げるように何度も目の前から立ち去られたのは今では苦い思い出だ。
あれによって、私はしばらく彼女との接触が不可能となってしまったのだから。
しかし、彼女が見えた私は老夫婦たっての願いで、一つの役目を引き受けた。
その代わりにこの土地と建物、それに少しばかりの遺産を受け継ぐ事となっている。
表向きは養子として。
しかし、実際にはこの幽霊を『慰める役』として、契約が交わされたのである。
どうやら一人と一匹は、微睡んでいた日々から目を覚ました直後だったらしい。
明らかに人気の少なくなった状況に戸惑っていたものの、どうにも退屈な日常を過ごしているようだった。
そこに、言い方は悪いが、私は付け込ませてもらった。
とにもかくにも『慰める役』は、果たさないとならなかったから。
「こんにちは。」
「はい、こんにちは。」
言葉をかければ返される。
それは、彼女が私を認識し、そして私も認識出来ているからにほかならない。
別に、私は聖職者でもなければ霊能力者でもない。
ただ清い体であった事と、殺生を好まない性質で、幼い頃から機会に恵まれなかった事が幸いしていただけの事。
そんな私の前で子供らしい行動を見せる『なっちゃん』の名前は一音だけで、大昔ならば別に珍しくもなんとも無い、本当に『な』だけが名前の女の子だった。
年の頃は6つか、7つか。
とにかく幼くてあどけない顔は、しかし見開かれたままで瞬きもせず、それでいて疲れ切った色と相俟って、何ともバランスが悪い。
まるでそれは――人生に疲れ切った老人のような瞳だと、私は内心で評価している。
「お菓子あるけど、食べる?」
「いただきます。」
菓子の入った白い箱を掲げて見せれば、育ちの良さが伺える言葉遣いに、僅かに目が細められる。
目の前で開いて袋の中身まで供えて見せれば、すぐに手を合わせてから伸ばされる腕。
そんなとこは、確かに子供そのものだと感じるだろう。
だが、実際に食べるわけじゃない。
彼女は幽霊なのだ。
供え物として置かれたものを、触れた振りをして、ただしげしげと見つめるだけだった。
「面白い形ですね。」
「花を模しているんだよ――甘い煎餅みたいなもので、クッキーっていうんだ。」
「くっきい。」
触れる事は出来ずとも、供えてもらえれば食べた気分になれるのだ、彼女は笑うという。
そんなコロコロとした声に、幽霊であっても不気味に思わなくなったのは、半年前の事。
当時私が抱いた思いを知らない彼女は、置かれているお菓子にとても嬉しそうだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ごちそうさまでした。」
「おそまつさまでした。」
供えられたものを前にして、食べた気分になれるというのは、本当かどうかは分からない。
だが、こうして私が持ち込む菓子に、彼女はとても嬉しそうにして見せるのだから、ついつい買ってきてしまうのは間違いない事だ。
怨霊や悪霊になる気配なんてものも微塵もないし、見た目はともかくとして、中身は至って普通の女の子のように思える。
ただ、それは今の彼女の笑顔や言葉を交わせたからであって、そうでもなければ近寄りがたいと感じていた。
何せ、その見た目は、悪霊そのものなのだ。
血の気が失せて青白い肌に、薄汚れた髪や手。
身に付けられた衣類は言うに及ばず、ボロボロで継ぎ接ぎだらけだ。
加えて、大きな目玉が零れんばかりに見開かれたままギョロリと動く様は、なんとも薄気味が悪い。
だがしかし、それは死んだ為にそうなっただけだろうと思う。
そうでもなければ、生前の環境や死ぬ直前が、彼女をこうさせたのだろうと。
何せ生贄だ。
どんな目に遭ったか、分かったものじゃない。
古今東西、神職に関わる者が残虐な行為をしてきた事実は残っている。
川が氾濫すれば縛り上げた上で重りをつけ、その川に沈めた。
橋が流されれば流されないようにと、人柱として橋に括り付け生き埋めにした。
その贄にされたのはいずれもが若い女性ばかり。
この少女もまた、その犠牲に遭ったのだから――ただ殺されただけではないだろう。
女だけに拘ってる時点で、その背景にあるものは容易に伺える。
ヨーロッパで盛んだった魔女狩りと大差ないはずだ。
「気に入ったならまた持ってくるけど、どれかあるかな?」
「では、先程の『くっきい』を。」
「了解。今度は花以外の模った物も選んでくるね。」
「まぁ!他にもあるんですね?」
「うん、猫とか犬とか、いろいろあるよ。」
「それは楽しみです!」
喜んでくれている彼女だが、一つだけ思う事がある。
――きっと、風呂に入れてワンピースの一つでも着せてやれば、とても可愛らしくなるだろうな、と。
顔立ちはとても整っているし、見開いたままの瞳さえ細めてくれれば、途端に気味の悪さが無くなるのだからそう思っても仕方が無いだろう。
例えば、今こうして供えていた菓子に手を伸ばし、微笑んでいる時に細まった瞳の作る表情のように、生来の彼女はきっと、可愛いはずだ。
でなければ、生贄として選ばれる事も無かったはずである。
「でも、良いのですか?いつもいつも、こんなにたくさんの贈り物をいただいてしまって――。」
そんな彼女が申し訳無さそうに眉を寄せる。
目玉は相変わらずギョロリとしているが、それでも他の表情筋はしっかりと仕事をしてくれていた。
だから、意思の疎通も難しくない。
読み違える事も無く、ストレートに彼女が何を思っているかを知れる。
おそらくは実際に食べるわけでなくても、自分の為に用意し続ける事へ今更ながらに気が引けているのだろう。
しかし、そんな謙虚さもまた、私が彼女と関わる事に決めた理由の一つ。
これがあったからこそ、私は彼女の『慰め役』を引き受けられたとも言えたのだから。
「良いの良いの。君は子供なんだから、いろんな物を見て、いろんな楽しい事を感じていれば良いんだよ。」
「ですが――。」
「精神年齢なんて関係ないって。大人だって同じなんだから、見た目が子供な分、君はお得ってだけでね。」
「はぁ。得、ですか?」
「そう、得。多かれ少なかれみんな持っている『お得感』だよ。君の場合は、私に頼れるっていう『お得』だね。」
「まぁ――それではまるで、かか様みたいです!」
「おや、それはいいね。君みたいにいつまでも子供で、可愛い子なら大歓迎だよ!」
普通のガキは面倒くさい。
反抗期を迎えれば非行に走りやすくなるし、逆に反抗期らしい反抗期が無いと大人になってから自殺を選んだりしやすくなる。
人を育てるというのは、とにかくバランス取りが大事で、偏ればどこかへ悪影響が出てくるものだ。
おかげで、結婚も子育ても魅力が感じられない。
このまま独り身で良いや――なんて思っていた矢先だったが、どうやら可愛い娘ができそうである。
しかし、その前にやはり気になる事がある。
この子、とにかく汚いのだ!
丸洗いしたくなるくらいには、とにかく汚くて気になる。
だから、ごめんねこれだけは譲れないと、果たして効果があるか分からない事に彼女を巻き込む事にした。
「よし、なっちゃんは今日から私の娘!」
「はい、かか様。」
「てことで、お風呂入ってみようか。」
「おふろ、ですか?」
なお、その後コテリと首を傾げた我が娘が、その後に長風呂で真っ赤に染まったのか、それとも羞恥心で染まったのかは不明である。