Data.1 電波障害
気合を入れて校舎を出たものの、階段以降特に妨害はなく以外にもあっけなく俺は家にたどり着いた。
とはいっても安全な道を選び遠回りを重ね、さらに用心深く進んだため時刻はもう19時を回っていた。
「……ただいま」
「遅かったな」
本を読んでいた父さんがこちらも見ずにそう言う。それに対して「うん、ちょっと」と煮え切らない返事で、逃げるように自室に向かった。
「トスティ、もうご飯できるわよ」
「食べてきた!」
背中にかかる母さんの呼びかけには嘘を吐いた。
『ご両親とはうまくいってないのかしら』
部屋に入るなり声が降ってくる。
お前には関係ないだろ。
『最後くらい一緒に食事をとっておけばいいのに。明日目が覚めるころには、貴方はいないのだから』
そうだな。俺が明日目覚めることはない。なぜなら俺は今日寝ないからだ。
眠ればまたアイツに会うことになる。だが寝なければ会うことはない。
完璧な作戦だ。
『……』
――とは思ったものの。深夜3時にもなるとさすがに眠い。いつもは彼女に会うため無駄に眠っていたのに、それが突然彼女に会わないために不眠だなんてどうかんがえても両極端だろ。
寝そうになるのを何とかこらえる。眠気を紛らわすためにゲームをやってはいるもののそれでもキツイ。
まずい。寝そうだ。
どうしよう。どうしよ―――。
はっと気が付くと目の前に彼女がいる。
そうだよな、そりゃ眠気には勝てないよな。睡眠は人間の三大欲求だもんな。
己の意志の弱さをこんなところで痛感するハメになるとは……。
『うふふ、うふふふふ! 無駄な抵抗でしたわねぇ!』
「うるせえ! 大体、体くれとか殺すとか、お前は一体なんなんだよ!」
高笑いをしている彼女に絞り出すように吐き捨てた。
すると彼女は一度、きょとんという顔をした後、髪をさらりと流して胸を張った。
『私は神の遣い。消えてしまった神を取り戻すためにやってきましたの』
ぽかん。俺は今間違いなく頭の悪そうな顔をしている自覚がある。
かみ。神ってなんだ。髪か、紙か?
話についていけない俺を放置して彼女は得意げに続ける。
『かつてこの世界には神がいました。けれど愚かな人間たちは神を欺き裏切ったのです』
てんでさっぱり、この女は何を言っているんだろう。
なんだろう。こんなに美人なのに言っていることが電波すぎてやばい。
『今の私は実体を持たないがため、何もできません。だから私は貴方の体をもってして、神をこの世界に呼び戻す!』
失恋の気持ちってこんなに何とも言えない感じなんだな。
悲しいという感情すら湧きあがらない。この女マジでやばい。
「神の遣いさんは俺の体を乗っ取って、どうやって神?を取り戻すんだ?」
『それは……まあ、追々考える予定ですわ』
そんな曖昧な感じで命奪われるなんて理不尽にも程がある!
「俺の体は絶対渡さねえからな」
ハッキリと意思表示をした。しっかりと彼女を見据えて。
彼女はひとしきり高笑いをしたあと、俺の目をまっすぐ見つめて微笑んだ。
その表情はあまりにも綺麗で、呼吸をすることすら忘れるほどで、彼女が近づいてくるのに身動き一つ取れなかった。
『頂きますわ』
彼女の唇が、俺の唇に触れた。
目覚ましが鳴っている。もう朝か。起きなきゃ。
体が動かない。
目覚ましを止めようにも、体を起こそうにも動けない。
あれ、あれ、どういうことだ。
そう思った時に、体が動いた。目覚ましを止める。制服に着替える。俺は鏡を見て鬱陶しそうに自分の髪を掴んで少し考えた後、一つに結いまとめた。
一階のリビングに降りて母さんと顔を合わせる。
「おはようトスティ。今日はちゃんと起きられたのね」
母さん。母さん、俺、おかしいんだ
「おはよう。今日の朝ごはんはなに?」
俺は笑った。
ああ、やっぱり。やっぱり。俺の体はあっけなくも彼女に乗っ取られてしまったようだ。
彼女の思考はわからない。俺の意思では体は動かない。声も発せない。俺は俺の体の視界をただ眺めているだけ。これがどういう状況なのかも皆目見当がつかない。
いつもと様子が違う「俺」に母さんは少し驚いた顔をしながらも「俺」に朝食を差し出した。
朝食ののちに具合が悪いんじゃないかと心配する母さんをなだめすかして「俺」は学園へと向かう。
背筋をしゃんと伸ばして歩いているせいか、いつもより目線が高い。
「俺」はどうするんだろう。俺はどうなるんだろう。
動け動けと念じても体は一切俺の言う通りには動かない。
学園に向かった「俺」が何をしたのかというと、いつも通り学園生活を送っていた。
けれど俺を乗っ取った彼女は非常に優秀だったようで、俺とは正反対。
数学も化学も英語もなんでもできる。
魔術の実技でも華麗に炎を操って見せた。
俺は、たったの一度も、そんなこと出来たことなかったのに。
成績は中の下。魔力を持って生まれながらまともに能力を開花させられなかった俺が一夜にして覚醒した様に友人たちは俺を囲んで囃し立てる。
友人に囲まれて「俺」は笑っている。友人たちは最初こそ「俺」の変化を訝しんではいたけれど、すぐに友人たちは「俺」を受け入れた。
バキリ。と何かが折れたような気がする。
なんか、このままでいいような気がしてきた。
だって今日一日の「俺」の行動、「俺」の成績は父さんが望んだ俺そのものだったから。
彼女が自分の目的の為に何をどうするつもりなのかはわからないけれど、きっとこのままのほうがいいんじゃないか。
「トスティ!」
放課後の廊下で後ろから声をかけられた。振り返るとそこには榎本先輩がいる。
「榎本先輩。こんにちは、何か用ですか?」
「えっ、……あ、いや用ってわけじゃないんだけど」
「俺」の様子を見て榎本先輩は一瞬たじろいだ。
「昨日なんか変だったから大丈夫かなと思って」
そこで一度言葉を切る。
「ああ、心配かけてすみません。大丈夫、元気ですよ」
「うん、元気そうだね。でも昨日より変に見えるというか……」
榎本先輩は心配そうに「俺」を見ている。
「サツキさん、もうすぐ部活が始まりますよ! 部長の貴方が遅刻だなんて他の部員に示しが……おや、トスティ君」
榎本先輩のさらに後ろから学園長がやってきた。学園長はぱっと笑顔を浮かべて俺に近づく。
「トスティ君。どうですか? 陸上部入部しませんか?」
「……すみません、俺は陸上部には――」
「貴方には聞いていませんよ」
学園長のいつもの部活勧誘。それに答えようとした「俺」に学園長は笑顔のままハッキリとそう言った。
「学園長?」
榎本先輩は首を傾げている。
「トスティ君、私はトスティ君に話しかけているんですよ」
「なにを――」
反論の声をあげようとした「俺」の口を右手で無遠慮に塞いで学園長は「俺」の目を見ている。いや、俺の目を見ている。
「トスティ君、お返事は?」
……、―――――。
「はい……!」
返事の言葉は空気を震わせて音になった。
てのひらを閉じたり開いたりして体が動くことを確認する。
「なんで……」
『なんっなんですの!?』
頭の中で彼女の声が響いた。
「生徒の異変に気づけずして学園長は名乗れませんよ」
ふふとどや顔をした後に学園長は榎本先輩へと声をかける。
「サツキさん、僕は少しトスティ君とお話がありますので、先に部活を始めておいてください」
「……わかりました」
榎本先輩は状況把握をしていないながらも不安そうにこの場を離れていく。
そして残されたのは頭の中でなおも吠え続ける彼女の声に頭痛がしている俺と学園長。
学園長はさて、と話を切り出した。
「お悩みがあるようですので、お話を聞きましょうか」