Data.1 電波障害
暑さに耐えながらのろのろと歩く。通学路に指定されているこの道は人の通りが多い。ほとんどが同じ方向に進んでいるのを見ているとなんだか安心するのと同時に少し憂鬱になった。
この先にあるのは幼稚園から大学までが一貫された大きな学園で、この街の人間の大概が通うことになる。この街に住む人間のほとんどが俺の先輩後輩に分類されるわけだ。だからといって生活に大きな変化をもたらすわけではないけれど。
学園の正門の前で俺は迷わず、ゲッと声を漏らした。
かわいらしい薄い桜色の石造りの門の前に学園長が立っている。この暑さのなかきっちりとスーツを着込んでさわやかな笑顔をまき散らして、
「おはようございます! トスティ君!!」
と模範的な挨拶をしてきた。
「……っす」
「なんですその挨拶は。朝の挨拶はとても大事なのですよ! もっとハキハキと!」
もう一度、なんて言って挨拶を強要してくる学園長はとてもうざい。
朝から、さんはい、と何度も何度も繰り返す学園長に合わせて挨拶をするなどという辱めを受ける俺の精神的ダメージは計り知れない。帰りたい。
いい加減やめてくれと思ったところで学園長も満足したのかふと真面目な顔をした。
「ところでトスティ君。やっぱり陸上部に再入部するつもりはないのでしょうか?」
「あー、ないッス」
聞き飽きたこの質問におざなりに返す。
中等部の時に、陸上部に入っていた俺は高等部に上がったと同時に部活を辞めた。それは特に事情があったというわけではなく、ただ単純に部活に所属することが必須とされていた中等部と違い、高等部では部活動をしなくてもいいとされていたからだ。
大会でそこそこ成績を残してしまっていたせいか、時々、門前で待ち構えている学園長に再入部を迫られるハメになった。
うっとうしいにもほどがある。
さらに何かを言おうとする学園長を適当にあしらってその場から逃げた。
○
午後の授業というのは大抵、昼寝の時間に分類される。
飯を食べた後は眠くなるし、教師の声は眠気を誘うし、たとえ気温が高くとも窓から舞い込む風が暑さを緩和して心地よい。俺は導かれるままに眠りについた。
このまま深く入っていけばあの子に会える。
まどろみの中でそう考えて、もう少し、というところでズボンのポケットで起きた振動に意識が引きずり出された。
教師に気取られないようにポケットからケータイを取り出す。
メールが一通。
どうせスパムかなんかだろ。俺の逢引を妨げやがって。
口の中で舌を鳴らして、メールを開く。
【To:学園長
Sub:今日の放課後
本文:10分程でいいので陸上部の部室に来ていただけませんか?
入部届けに名前を書くだけですのでお時間は取らせません。】
スパムより性質が悪かった。無視しよう。
というか仮にも学園長が授業中にメールを送ってくるとはどうなのだ。
教師にあるまじき非常識なメールのせいで彼女との密会の予定がキャンセルされた。これはもう理事長に告げ口する他にない。減給されろ。
教師の声を聞き流しながら窓の外を見た。
天気がいい。太陽がギラギラと輝いていて、見ていると目の奥が痛くなる。
視線を黒板に移すと板書は俺のノートよりもはるかに進んでいた。こうなってくるとノートに書き写すのも面倒なのであとで友人に見せてもらうことにする。
少しは話を聞いておくか、とちょっとした気まぐれで教師の話に耳を傾ける。魔術を使うには魔力がどうだのなんだの、変異能力がどうだのこうだのなにか小難しいことを一生懸命話していた。小難しすぎて結局何を言っているのかわからない。
世の中には大まかに分けて、魔力を持つやつと持たないやつがいる。
割合的には6:3で魔力を持つやつのが多い。残りの1割が魔力がないのに魔術が使えるやつ――変異能力者だという話なのだが、正直変異能力者なんて見たことがない。都市伝説レベルの人種だ。
そしてこの学園では魔力があるやつは別館東棟――魔術科の教室に割り当てられ、魔術が使えないやつは本館――普通科の教室に割り当てられる。
俺は魔力を持っているので魔術科。そしてそのせいで不運にも必修科目が一般教科の他に魔術関係の教科がプラスされ本館の生徒よりも授業数は増えもちろんテストも増える。世の中不公平だ。神は死んだ。
六時限目の授業が終わって帰り支度を済ませるも、ここでうっかり教室を出てしまっては校門で待ち伏せしているであろう黒スーツに捕まってしまう。慌てず焦らずたっぷり余裕を持って出るのが賢い判断である。ここ数カ月でそれを学んだ。
教室の窓から校門を確認する。はっきりと見えるわけではないが黒色は見当たらないようだ。
どこかに隠れているのだろう。
十分な時間を持って下校する予定ではあるが、万が一、学園長に見つかっ、た、場合の……逃走経路を……――
突然の眠気に襲われて抗う間もなく眠りに落ちた。