第七話 初陣 〜新任軍師の慟哭
この小説はスマホゲーム 戦国炎舞ユーザー向けですが、ユーザーでなくても気軽にお読み頂けると存じます。
関西から上京した二人の男が新天地での飛翔を目指し始動。仕事と戦国炎舞を両立すべく、下町 門前仲町を拠点にして新たな挑戦の機会を窺う二人が出会ったのは弱小連合 雲外蒼天だった……
「雲外蒼天」
盟主遊木風が命名した連合名だ。結成以降に直面するだろう艱難辛苦を想定し命名された。
雲外に蒼天あり……その意味は、暗雲の外に出れば蒼穹は広く暖かい。努力して困難を克服して乗り越えれば快い青空が望めるという意味を持っている。絶望してはいけないという激励の言葉だ。
連合結成前の予想通り、負け戦さ続きでB階級とC階級を行ったり来たりしていた。
雲外蒼天唯一の利点は「完全縛り無し」という位で取り立てて良いところもなく、メンバー集めにも苦慮し続けていた。
盟主遊木風は悩んだ末、自らが執筆した小説に雲外蒼天を登場させて宣伝活動をする作戦に出た。当該小説をTwitter等で拡散し、人集めのきっかけにするという姑息な手段ではあったが、狙い通りトンチ、デイリンという新人獲得に成功した。
現在の雲外蒼天の連合階級はB。19/20名。
メンバー平均LV177。連合順位は47098位。戦歴は113勝434敗。最終戦歴は2勝8敗。無双である「舐めの小次郎」の戦力は2212475だ。
連合メンバーは中低レベルの戦力者が大層を占めていた。
B⇆C階級連合の為、なかなか高戦力者が寄り付かない状況もあり、合戦イベント前日の夜中まで勧誘を続けている有り様であった。
遊木風は高戦力者を積極的に勧誘する事は忌避し、獲得しやすい中・低レベルのプレーヤーに狙いを定めて勧誘活動に勤しんだ。
勧誘活動は主に「掲示板 連合勧誘待ち」で一本釣りをするスタイルをとった。
遊木風は勧誘効率を高める為、一つの分析を行なった。「連合勧誘待ち」の初期画面に並んでいる勧誘待ちプレーヤーのコメント分析を行い、中・低戦力者と高戦力者の見分け方を見つけ出した。これが奏功し無駄なアクションを低減させる事に成功した。
コメントに現れている特徴的なキーワードは幾つかあった。当該キーワードは、勧誘待ちプレーヤーの戦力や経験値を反映したマインドを如実に表し、勧誘対象をスクリーニングする上で大きく寄与した。
❶拾ってください
❷弱々
❸まったり
コメントに「拾ってください」のセンテンスが含まれている場合、まず戦力200万付近か、それ以下と見ても差し支えない。少なくとも遊木風の経験的知識に照らせばそうだ。これに「弱々」が加わると更に確度が向上する。
「まったり」単独ではこの法則は発動しないが「拾ってください」「弱々」に、この「まったり」が付与されるとほぼ完全体だった。
雲外蒼天は、連合自体のステータスもさる事ながら、戦績低迷の最大要因は司令塔たる軍師不在にあった。
安定参戦率の優秀な軍師獲得・育成が雲外蒼天がブレイクスルーする為の絶対条件であり、喫緊の課題として雲外蒼天の先行きにどっしりと横たわっていたのだ。
現在は遊木風が盟主兼軍師を担っているが、リアル影響で参戦しないと合戦が成立しないという状態にあった。
「今日から君達は軍師だ。頼むよ」
Gin and Limeの入り口に近いソファ席で、遊木風がデイリンとトンチに言い渡した。
「やった! マジですか。やりますよ!」
トンチは念願の軍師指名に心躍らせながら間髪入れず軽快に返答した。
「私は無理です。やった事ないですし」
デイリンは困惑の表情を浮かべながら、間髪入れず遊木風に返答をした。
「全ての軍師に当て嵌まる共通項分かる?
最初は皆んな “経験無し”だ。2人とも軍師経験は無いんだから最低限の資格はあるという事だ。そして成長のチャンスなんだよ」
遊木風は一見尤もらしい無茶苦茶な論理を展開して軍師就任を迫ってきた。
「来週の29日火曜日をデビュー戦にしよう。
其れ迄に勉強して。ネットやlobiに情報がたくさん落ちてるでしょ? 担当割りは任せる」
全く一方的だった。雲外蒼天創立以来の古参メンバーであるzupiの肋骨にヒビが入った翌日にも参戦を求めたという噂は、あるいは本当なのかもしれないなとデイリンは思った。
「っしゃあ! 頑張りまっす! 」
トンチは張り切っている。左の掌に、右の拳をぶつけながら威勢良く声をあげた。
「一応トライしてみますけど……」
デイリンは断りを入れる隙を見出せず、渋々承諾をしたが、不安と緊張がジワジワとデイリンの中で拡がり言い様のない息苦しさを覚えた。
そして、2015年12月29日火曜日 デイリン・トンチの記念すべきデビューの日を迎えた。
初戦の軍師はデイリンが務める事になった。
トンチはさぼうるのシフトが入っていた為、12:00の合戦参加が怪しかった為だ。
「チッキショウ! やりたかったぁ〜」
トンチはデイリンの憂鬱さとは真反対の反応を見せた。いつか憧れのアンドリューへ移籍する事を熱望するトンチは意欲的だった。
他方、デイリンは軍師の1人として雲外蒼天のパフォーマンスを最大限引き出す役目を負った事に改めて緊張感を覚え、手と脚に力が入らない感覚を味わっていた。
「ゼークトの組織論」に鑑みれば、遊木風の任命判断には疑問符が10程付くかもしれない。
此れほどまずい任命は無いと思料された。
プロイセン王国(現ドイツ)の軍事学者だったハンス・フォン・ゼークトの名を冠した組織論では、参謀に付けるべき人材の優先順位が示されている。
第一位は「能力大」にして「意欲小」なる者
そして最もまずい第四位に示されているのは、
「能力小」にして「意欲大」なる者 である。
トンチはまさに第4位だった。少なくともこれまでのビヘイビアを見る限りそうだ。
❶「一夜城」をLV30にした。
❷小松姫(コスト15)に紫玉を2個投入
❸合戦の追込み局面で「秘中の秘」を無断投入
❹武田信玄(コスト20)の騎虎之勢を継承
❺「豊楽」を長期間に亘り「幸楽」と感違い
等々、枚挙に遑がない。
しかし遊木風は、トンチの熱意、感の良さ、飲み込みの早さ等に一筋の光を見出していた。
つまり「伸び代」があると判断したのだ。
デイリンは勤めている倉庫会社の休憩時間に、会社のPCを借用し、エクセルで奥義表を作成した。メンバー毎の持ち奥義、そしてその効果、待機時間、発動時間を記載し、併せて合戦予定を⭕️❌でマーク出来る枠も設けた。
「lobiの軍師集会所」でのやりとり等も参考にして、限られた時間の中で出来る事前準備を行なった。
最終的に頭の中で大まかな奥義投入フローを固め、準備は万端整った。
「意外に…やれるかもな」
デイリンは出来る限り備えを固め、自力で不安を吹き飛ばしたのだ。
11時45分、デイリンは会社近くのロイヤルホストに入りコーヒーを頼んだ。そしてテーブルの上にボールペンと奥義表を用意して、その時が来るのを静かにまった。
11時53分、連合掲示板の静寂が破られた。
「イン! 小梅、確固」
雲外蒼天のスピードスター zupiが登場だ。彼は尋常じゃない位の応援速度を誇った。しかし、LV120 八徳無しという点が残念だった。
「いーん! 前半スポット 慈愛、キツツキ」
「静かなるドン」と異名をとるドンが来た。
「イン! 星、機知。またアイツラかぁ!」
ルーちゃんが天敵の襲来を嘆いた。
その後次々にメンバーがインして来た。
開幕5分前、相手連合を確認。不思議と頻繁に当たる雲外蒼天の天敵とも言える連合がまたもや相手だった。直近戦歴は0勝10敗。
相手は「戦場放浪記」盟主は吉田ルイス。
無双の猫旦那は総戦力269万。メンバー順位7位迄が戦力200万超で、雲外蒼天にとっては強敵だ。噂では、盟主の吉田ルイスは、後で名前変更が出来ると思い適当に名付けてしまった事を後悔しているらしい。炎舞あるあるの典型例とも言うべき失敗談だ。
合戦開始一分前。デイリンの鼓動が速くなる。
緊張のあまりコーヒーには手をつけていない。
開始30秒前……20…15…10…5…開始!!
「zupiさん、小梅お願いします」
デイリンは経験則をフル動員して組み立てた計画を実行に移す。開幕は孔明と決めた。
開始から20秒経過したが奥義が入らない。
「ん? zupiさん? 小梅お願いします」
「zupiさん???」
zupiは社用車の助手席で参戦待機していたが、運悪く、広島・島根の県境にある大万木トンネルという松江自動車道で一番長いトンネルに突入していたのだった。開幕直後からデイリンの練りに練ったプランがぶっ飛んだ。
「なんか入れてよ (● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾」
メンバーからの声が飛ぶ。そのコメントを見てデイリンの頭の中が真っ白になった。
「なんかお願い!」
開幕から「なんかお願い!」という軍師にあるまじき指示を出した。もはや冷静沈着であるべき軍師の姿はそこには無く、火事場であたふたとうろたえている人の様だった。
「兵法入れます」
メンバーのゆいPが助け舟を出した。デイリンが混乱の渦に飲み込まれる前に絶妙なアシストをゆいPが気を利かせて差し込んでくれた。
「キツツキお願いします」
デイリンは気を取り直し軌道修正を図ろうとした。孔明投入後にTOMOに光風を頼む予定であったが予定変更して啄木鳥をコールした。
「コンボ・応援増加系が良くね?」
メンバーから異議が出た。コンボ・応援増加系が良い事は事前に学習してきたはずだが、動転して混乱しながら指示を出した為、意図しない奥義を選択してしまった。
デイリンは代替の奥義をコールする事が怖くなった。最初の躓きが元で破綻に続く坂道を転がり落ち始めたのだ。
そして奥義投入遅れによるロスタイムが生じた為、どのように組み立てをすれば良いのか分からなくなっていた。
待機・発動時間の足し算が出来なくなっている位混乱していたのだ。
「指示!はよお願い!」
この言葉が留めだった。デイリンはまるで雪山においてホワイトアウト状態に陥った駆け出しの登山者の様に身動きが取れなくなった。
事前策定した綿密な計画は脆くも破綻し、デイリンの思考回路は完全に活動を停止した。
「兵法切れる!!」
またもやメンバーから指摘が飛ぶ。
「いーん!だよ。復活!╰(*´︶`*)╯♡」
トンネルを出たzupiが再インの挨拶をした。
「zupiさん、小梅お願いします」
「あーい」
デイリンの計画破綻のトリガーを引いた張本人がデイリンの焦燥を余所にして軽く返答した。
「次、栄枯でよろしいでしょうか?」
デイリンは合戦の制御者である軍師にも関わらず、周りに指示を仰ぐという愚挙を犯したが、それを自覚する余裕すら失っていた。手の平と首筋にねっとりとした嫌な汗をかいていた。
それからデイリンは後衛としての仕事を完全放棄して、掲示板と戦況動向を交互に確認しながら息する事も忘れたような様子だった。
本戦がイージーモードだと気付いた相手は、運否天賦から公事赦免令を繋いでいた。それでも得点差は拡がる一方だ。
相手から撃ち込まれる下げスキルの嵐の中で、デイリンに僅か残されていた思考の欠片はすり潰され、その粉が頭の中で砂嵐の様に舞い飛んでいた。
そして「誰か助けて!」と心の中で絶叫した。
恥辱感・無力感・焦燥感・自己否定感をミックスして出来上がった「どす黒い絶望感」が呪縛となり指示出しの発声を封殺した。
斯くなる上は、端末の通信不良が起きた事にするか、あるいはリアルでトラブルが発生した事にして逃げだしたい誘惑に囚われた。
そうでもしなければ自尊心を維持する気力が保てなかった。しかしそれをメンバーに見透かされた時にはデイリンの信用は欠片も残さずに消し飛ぶ事になる。
そんな逡巡の間に事態は悪化の一途を辿った。もはやデイリンの絶望感は脱力感・虚無感に変容し抜け殻のような状態となっていった。
そしてデイリンは他の参戦メンバーとは違う時間軸に住む異世界の住人となった。
合戦時間残り14分がまるで永遠であるかの様に異常に長く感じ「もう…嫌だ嫌だ嫌だ!」と呟いた。
「応援支援の持続系入れよ。一瞬上げても仕方ないじゃん」
またもメンバーから指摘が飛ぶ。この時点で得点差15億、前衛はペラ、奥義の繋ぎミスにより無駄に時間を空費し、瞬時系奥義一つ分のロスが発生していた。
デイリンの指示を待たずドンが慈愛を放り込む。次いで別のメンバーが迅雷をコールした。もはや軍師不要の様相を呈していた。
完璧にぶち壊された「軍師のプライド」を少しでも取り戻したいデイリンは、最後の力を振り絞り最終奥義だけは指示出しする決意をした。
しかしこの面目を施そうとする画策が、自らに残る僅かなプライドの欠片を、風に吹かれた煙のように跡形もなく消してしまう事をデイリンは全く予期していなかった。
「ラストワサビでいいでしょうか?」
漸くラストに漕ぎ着け、ホッとしたせいも有ったかもしれない。
ここでデイリンは2つのミステークを犯した。1つ目はまたもや「指示仰ぎ」の愚挙を犯した事。
2つ目は合戦終了まで残り2分を少し切った局面にも関わらず、到底発動が間に合わない奥義を要求した事だった。
「時間とか見てます? (・_・; 暴欲入れます 」
メンバーの1人から最後の駄目出しを喰らうとと共に指揮権も剥奪された。
相手はデイリンをせせら笑うかのようにラストの奥義として因果応報を投入し、怒涛の勢いでラッシュをかけてきた。
戦意喪失した雲外蒼天に対し、相手前衛による強スキルが雨霰の如く絶え間なく降り注ぎ、約41億差という圧倒的得点差をつけられ雲外蒼天は大敗を喫した。
そしてその惨憺たる合戦結果が、連合内に殺伐とした雰囲気を醸成した。
共通掲示板に相手からのメッセージが残っていた。天敵からの挑発的なメッセージだった。
「毎度おおきにψ(`∇´)ψ WWW」
屈辱の極みだった。デイリンは、自分のせいで連合メンバーがこの屈辱的仕打ちを受ける羽目になった事を恥じていた。そして形容しがたい強烈な敗北感がデイリンを襲った。
メンバー各自は、ある意味「明示的クレーム」よりもきつい「黙示的クレーム」を残し、言葉少なにリアルの世界へ戻っていった。
デイリンは軍師に専念する為、後衛の仕事を徹頭徹尾放棄したにも関わらず「惨憺」という言葉が生温いと思える程無残な結果を招いた。
デイリンは軍師の役職権限を正当に行使する事無く、雲外蒼天を「壊滅的敗戦」へ先導しただけで初戦を終えたのだ。
天敵 戦場放浪記との戦いで一敗地に塗れた雲外蒼天は空中分解しそうな位、連合内に悪い雰囲気が漂っていた。
デイリンはテーブルの上の奥義表を左手でくしゃくしゃに握り締め、冷めたコーヒーを見詰めながら呟いた。
「やっぱ……かんわ。無理やわ」
デイリンは軍師を継続するモチベーションを完全に喪失した。
「あいつらムカつく。文句言ってくる!」
デイリンの作戦計画破綻のトリガーを引いたzupiが吠えた。
「デイちゃんお疲れ様! ドンマイだ!」
「あんたは気にしろよ」とデイリンは思った。
しかしその想いは責任転嫁である事にデイリンは気付いていなかった。状況見合いで臨機応変に組み立てを考えるのが軍師の本分である。ましてや今回のzupiはアクシデントとも言うべきやむを得ない事態であった。
「文句言ってきたぜ! デイちゃん頑張ろ!」
デイリンの気持ちを忖度出来ていないzupiが、デイリンに慰めの言葉をかけた。
「zupiさんありがとう^ ^」
デイリンは自らの内心に迷彩をかけ本音を隠した。自身の内心はどうあれ、指示出しを失敗したデイリンの精神状況を察したzupiに対して無反応はあり得なかった。
デイリンはlobiの個人チャットを使い、遊木風に19時・22時の合戦不参加の旨と、しばらくリアル影響で参戦が出来なくなったと虚偽報告をした。
遊木風はデイリンの内心を洞察して申し出を了承をすると共に、暫く参戦しなくても雲外蒼天に残留可の旨も併せて伝えた。
程なくしてトンチからも遊木風に対し、デイリンと示し合わせかのように同様のオファーがあった。
トンチはバイト中のさぼうるの厨房において12時の合戦を見ていた。デイリンの初陣が気になって仕様がなかったからだ。
スマホを油まみれの壁面タイルに立てかけて掲示板を注視していた。スマホの中では初陣に臨んだ真友のデイリンが惨憺たる状況に置かれ、相手連合に蹂躙されている悲惨な光景が繰り広げられていた。
トンチは恐怖した。
雲外蒼天の新軍師の2名は、たった一度の合戦によってクリティカルダメージを受け、淡い期待やモチベーションを完全喪失した。
失意の底にあるデイリンは18時に仕事を終え、その足でGin and Limeへ寄った。陰鬱とした気持ちを抱えたまま味気ない部屋に戻る気がしなかったからだ。
「いらっしゃいませー」
いつもと変わらない紗紅羅の元気の良い声がデイリンの気持ちをほんの僅かだが和らげた。
「ん⁈ 暗〜 なんかあったの?」
「なんもあらへんよ」
「ならいいけどさ、なんにする?」
「マンデリン」
「はーい。ゆっくりしていって」
勘の良い紗紅羅は一目でデイリンの苦悩を看破した。それが何であるかは分からないが、深そうな悩みぶりを見てしつこい追撃は避けた。
「デイさん⁈……」
背後から聞き覚えある心地よい声が聞こえた。
カオリだった。カオリと再会した瞬間、下がり捲ったステータスが幾分回復した。
カオリとはあの「悪夢の土曜日」以来会っていなかった。最初は単にタイミングが合わないだけだったが、その内「会いたくないのでは…」とお互いが共に気を回し過ぎた事に原因があったのだ。
「久しぶりやね」
「ほんとだね。デイさん忙しいんだ?」
カオリは避けられていたと思い込んでいたが、それを口にする訳にもいかないので差し障りの無い言い方で真意を探った。
「カオリンこそ。忙しそうやからあんまり連絡したらあかんと思うて。会えて良かった」
「ほんとにぃ⁈」
カオリは、デイリンが「会えて良かった」と言った時の抑揚の付け方、間合い、リズム、眼差し等を見て、言葉がデイリンの本音である事をオンナの本能で嗅ぎ取った。
2人の間に横たわっていた「誤解」という名の恋の障壁はこの時点で一気に取り除かれた。
むしろ暫く会えなかった時間がより2人の結びつきを強化する絶妙なスパイスとなった。
2人の会話は出会った時の様な盛り上がりを見せた。此れまでのロスを取り戻すかの如く、まるで貪り合っているかのようだった。
デイリンは、合戦で大失態を演じた強烈な後悔を一瞬で忘れてしまう程「カオリの世界」に意識を持っていかれた。
そしてカオリは八徳持ちの後衛巧者の様に、デイリンの下がったステータスを見る見る内に回復させ生気を取り戻させた。
「そろそろ帰らなきゃ…」
カオリは腕時計を恨めしそうに見ながら、「まだ帰りたくない」と言わんばかりの表情で呟いた。時計は11時25分を指していた。
「明日が休みならなぁ〜」
「送っていくよ。遅いし…歩きやろ?」
昼の合戦で失態を重ね、今や軍師役職を罷免されかねないデイリンが「恋合戦」では的確かつ迅速に判断を下しながら着実に勝利を手繰り寄せていた。
しかも相手は「恋愛炎舞の100勇クラス」とも言える強豪であるにも関わらずだ。
Gin and Limeを出て、2人はカオリの家へ向かった。木場公園に差し掛かる頃にはどちらともなく手を繋ぎ歩いた。
デイリンは心の中で小躍りをしていた。そして激しい胸の鼓動をカオリに聴かれているのではないかと思える位ドキドキしていた。
デイリンは周りの景色を観るフリをして、何度もカオリの横顔を盗み見した。そして今、手を繋いでいる事が夢ではない事を確認する為、カオリに悟られないように太ももの辺りを指でつねって確認した。
夢でない事を確認し、またカオリの横顔を盗み見て、また夢ではないかと思い、またつねるという無駄なリピートを3回繰り返した。
カオリの横顔は端正でシャープだった。
綺麗な鼻の形、丁度良い上品な唇、透き通るような白い肌、小悪魔のような眼差し、活動的で清潔感のあるショートカットの髪型、全てのパーツが完璧にバランスし、華やかな造形美を創り出していた。
「コスト24だな」とデイリンは思った。最近は何でも炎舞に例える悪い癖がついている。
ローズと石鹸を足したような甘いフレグランスがほのかに香り、デイリンの鼻と漢の部分をくすぐった。デイリンの忍耐は限界に達していた。木場公園を通り抜ける途中の小径でデイリンは自分でも思いがけない行動をとった。
カオリを力任せに抱き寄せ、カオリの左頬に自分の左頬を寄せた。
デイリンの目前には、公園の街灯に照らされキラキラ光るイヤリングが揺れている。そして、デイリンは名残惜しがる左頬を説得し、カオリの左頬から引き剥がした。
カオリは黙ってうつ向いていた。デイリンが次に取る行動に対し黙示的に承認を与えたのだ。
デイリンはカオリの顎を優しく左手で持ち上げ、カオリの形の良い唇に自分の唇を重ねた。
カオリに少し残るモスコミュールというカクテルの匂いとカオリの放つフレグランスが渾然一体となり、デイリンを陶酔の極みに誘った。
デイリンはカオリの唇を独占しながら更に強く抱き締めた。
デイリンの暴欲の果てに取られた一連の行動は、計算通り、いや計算以上のダメを叩き出した。「恋愛炎舞 100勇クラス」の相手を絡め取る力を有する恋愛軍師である事を証明出来た気がしていた。
デイリンはカオリから唇を引き剥がし、恐る恐るカオリの顔を見て反応を窺った。
すくい上げるようにデイリンの顔を見上げるカオリの顔は、はにかむように薄い微笑を湛えていた。
「勝った! やった!やった! やったった!」
デイリンは心の中で雄叫びをあげた。
反射的に繰り出した「恋の敵中突破」が計らずもフルヒットし、デイリンの人生史上において最大攻撃ダメ記録を更新すると共に、難攻不落と思われた恋の100勇を陥落させたのだ。
気がつくと雪がちらついていた。二人の恋の進展を祝福する恋愛の神の計らいではないかと思える程、ドラマチックな演出だった。
デイリンは最後の最後まで残していた取って置きの強スキルを留めの一撃として繰り出し、勝利を完全なものにする仕上げに取り掛かった。
「カオリン、俺と正式に付き合って欲しい」
デイリンの唇でカオリの防御は下がっているはずだ。そこに単体用の強スキル 重崩撃に匹敵する「告白」を真正面から叩き込んだ。
「あの……ごめんなさい………」
カオリから返された簡単な言葉をデイリンは咀嚼出来ず茫然とした。しかし直ぐに言語能力を取り戻し「拒否」された事を理解した。
「祝福の雪」は「下げスキルの吹雪」に変容した。合戦終了間際に放たれたカオリの五方之形が、勝利を確信していたデイリンのハートを貫き大逆転を許した。
容赦無く降り注ぐ「下げスキルの吹雪」がデイリンの全身を真っ白に染め上げていた。
デイリンは言葉を失い、茫然自失でその場に固まり立ち尽くすのみだった。
それはまるで「世紀の大どんでん返しを食らった男」をモデルにした雪の彫刻のようであった……