熊殺しへの道
やがて元服した新之助は松平頼久を名乗り、その後14歳で第5代将軍・徳川綱吉に御目見し、越前国丹生郡3万石を賜り、葛野藩主となった。
さらに名を頼方と改めた。
頼方となった新之助は和歌山へ帰ることになった。
そして俺は藩主の側近くに仕える馬廻役と藩校での剣術指南を兼務することになった。
このくらいの年齢になれば運動神経の発達は終わり、骨格や筋肉を発達させることが出来る様になる。
「よしいいか、新之助。
これからはお前さんに体を本格的に鍛えるぞ。
たっぷり肉を食い、海藻も食え。
玄米や四国稗と大豆、四季の野菜もたっぷり食え。
そして筋肉が痛くなるまで鍛え、その後十分体を休ませろ」
「おおよ、わかったぜ」
さらに木工職人に木製のベンチを作らせた。
「こんな感じでいいのかね?」
「ああ、いい感じだ」
さらにと鍛冶職にダンベルも作らせる。
「何に使うかわからないがこんな感じでいいのかね?」
「ああ、いい感じだぜ」
とりあえずベンチとダンベルがあれば後は懸垂などはkの枝でもいいだろう。
「よし、新之助、まずは腹筋を中心に体の芯の筋肉を鍛える。
まずはこれからだ」
といれはドラゴンフラッグをやってみせる。
重しを載せてひっくり返ったり動いたりしないようにしたベンチの上に寝そべってベンチを腕で引っ掛けて固定し、お腹をぐっと曲げ脚を持ち上げて頭の方まで持っていき、そこからぐぐっと脚を下ろしていき、ベンチに腰はつけない程度まで下げ、そこからまた体を起こす。
「こんな感じだ、さあやってみろ」
「へっ、簡単じゃねえかそんなの」
といった新之助は何回かやってみせたがベンチから落ちそうになったので俺は受け止めてやった。
「はは、どうだ、結構きついだろう」
「結構なんてもんじゃねえぞこれ」
「まあ、少しずつ回数を増やしていくことだ。
腰回りに痛みがある時は無理してやるなよ」
「ああ、そうするぜ」
ダンベルフライをやらせたり、チンニングこと懸垂をやらせたり、ダンベルスクワットやジャンピングスクワット、ダンベルクランチをやらせたりもした。
ダンベルとベンチの組み合わせによる筋力トレーニングは結構馬鹿にできないぜ。
瞬発力を鍛えるために縄の両端に握りを付けた縄跳びの縄も作ってそれを飛べるようにもさせた。
一年もすると大分筋肉もつき背も伸びた。
「うむ、いい体になってきたな」
「そうか?いやまだまだだな」
無論、体を鍛えるだけでなく柔術の受け身や打撃、当身、投げ、極め、更には剣術、居合術、槍術、捕手術、捕縄術、棒術、剣術、十手術、薙刀術、ヌンチャク術、経絡殺活法なども教え込んだ。
やがて、18歳の頃には新之助は身の丈六尺を超える偉丈夫に育った。
「よしそろそろ実践的訓練に入ろう。
これを持て」
俺は新之助に手槍を渡した。
「何だこれ?」
「ああ、お前にはこれからこの槍で猪を狩ってもらう。
まだ熊を狩るのは早いだろうからな」
「おいおい、猪だって槍で仕留めるのは大変だぞ」
「ふ、戦国時代に加藤清正という武将は槍一本で
虎を倒してるぞ、それに比べれば猪を狩る
くらいで音を上げるな」
「へーい」
まあ、最初から独力で猪を狩るのも大変だろう。
なので猟犬である紀州犬に猪を追い出してもらい、ある程度足止めなどもさせて猪を狩ることから始める。
匂いでこちらのことがバレないように風向きに注意したり獲物に近づくために気配を消したりする技術も少しずつ上っていく。
「うりゃー、猪を仕留めたぜ!」
「うむ、大分上達したな」
暫くすると、犬の補助なしでも一人で猪をかれるようになった。
「そろそろ、熊狩りに挑戦しても良さそうだな」
「おう、いまの俺なら熊にだって負けないぜ」
「よし、なら準備をするか」
俺は一緒に鍛えている藩士の連中を呼ぶと火縄銃や熊槍、手斧、鉈と解体用の小刀などを用意した。
仕留めた熊を運ぶための太い縄や背負子を持たせ、早速山へ向かう。
山にいるツキノワグマは、普通で80kgだがたまに200kgを超す大物もいる。
日本の本州に生息する野生生物では最も大きく鋭い爪の前足の一撃で牛や馬を倒すことができる。
しかし、熊の脳、胆や肝は昔から薬として取引されており熊を狩るマタギも存在する。
そしてこれから行うのは巻き狩りだな。
藩士の皆におれは言う。
「よし、お前さん達はセコだ、
俺が合図がしたら大声を上げて
下から熊を上に追い込んでくれ。
最後は新之助がしとめる予定だ」
ムキムキマッチョな藩士たちは力強く頷く。
「了解!」
「まかせときな」
まあこいつらでも熊をかれそうな気がするが、今回は新之助の最終試練だしな。
「ソーレア!ソーレア!と大きく叫んで追い込んでくれ」
ムキムキマッチョな藩士たちは再び力強く頷く。
「おおう、わかった!。」
逃げた熊はまっすぐに登ろうとする習性がある。
だから新之助は尾根で待ち構えやりで仕留めさせる。
獣でも登りながら逃げるのは苦しい、特に体の大きな熊ならなおさらだ。
熊は常緑樹の茂った所に姿を隠しながら、なるべく楽なルートに沿って尾根へ出ようとする。
そうすると熊が逃げる速度も遅くなるし、体力もそれだけ消耗する。
つまりしとめる確率が高く、危険も少ないという利点がある。
俺と新之助は急いで尾根に向かい、たどり着くと叫んだ。
「よーっし、はじめろ!。」
その声が響くとともに
「ソーレア!ソーレア!。」
「ソーレア!ソーレア!。」
「ソーレア!ソーレア!。」
「ソーレア!ソーレア!。」
「ソーレア!ソーレア!。」
とセコの熊の追い出しが始まった。
俺は火縄銃に弾を込め火縄を挟んで火蓋を閉めて待ち、新之助はやりをぐっと握りしめじっと待つ。
「そっちへ!行ったぞー!」
勢子の声が聞こえるとともに走ってくるツキノワグマが見えてきた。
大分大きいな、まあ何とかしとめるしかないが。
「グオオォォア!。」
熊は吠え声を上げながら突進してきた。
「相手が大きいからと恐れることはない。
動きをよくみていつも通り対処しろ」
「わかってるって。
熊ごときに怯むかって」
新之助は槍を熊に向けて待ち受ける。
そして熊が威嚇のために立ち上がった瞬間に新之助は熊槍を心臓めがけて突き出した。
「グワァ……グウゥゥッ……」
熊はうめき声を上げそのまま仰向けに倒れた。
「ふう、どうだ、これで俺も熊殺しだな」
上がってきた藩士が歓声を上げる。
「おおー!。」
そして倒した熊は熊鍋にしてみんなで美味しくいただいた。
そしてその後
「うむ、熊殺しとなったお前に俺が教えることは何もない」
「そうか、関口の親父、今までありがとうな」
やがて新之助は22歳で紀州徳川家を相続し、第5代藩主に就任し、将軍・綱吉から偏諱を授かり、徳川吉宗と改名し、やがて将軍となった新之助は、町火消“め組”に居候する貧乏旗本の三男坊・徳田新之助と姿を変え、市井の江戸町民に混じり、度々悪人を懲らしめたそうだ。