幼少時の地獄のトレーニング
俺は小さなMMAジムのトレーナーだった。
ちなみにMixed Martial Artsの頭文字をとったもので、いわゆる総合格闘技のことだ。
しかし、興行としての総合格闘技が流行ったのは昔のことで昨今の不景気じゃジムの経営は厳しい。
ダイエットジムのような女性会員を指導してようやっと食っていけるような感じだった。
そしてコンビニに寄ろうとした所で駐車場に止まっていた乗用車を運転していたやつがアクセルとブレーキを踏み間違えた。
「ぬおおおお!たかが鉄の塊ごときに!」
”ぐしゃり”
やっぱり車には勝てなくて、結局俺は轢かれてて死んだ。
ああ、くそ、たかが車に惹かれて死ぬとは情けねえな。
その俺が目覚めると何故か江戸の紀州藩邸の紀州徳川家御流儀、関口新心流柔術の紀州藩剣術指南役の関口某になっていた。
「むむむ、どうしてこうなったかはわからねえが、
これはこの時代にブルース・リーのような男を、
世界に通じる男を育てろってことだな」
俺が剣術指南をしたのは徳川御三家の紀州藩第2代藩主・徳川光貞の四男として生まれ、しかし、庶子で母の家柄も低かったため、幼時に家臣の得田家へ養子に出され、兄の次郎吉が病死した後に名を得田新之助に改めた男だ。
「今日からお前さんを鍛える事になった。
まあよろしくな」
俺がそれを告げると新之助は殴りかかってきた。
「お前が俺にだと?!悪い冗談はよしな!
おおらぁ!」
俺は新之助の足を軽く払って転ばせる。
「おい、いいか、新之助、お前さんには世界を目指してもらう。
それにはまずは体作りからだ」
幼い頃から手に負えないほど暴れん坊と呼ばれた新之助だが俺に取っちゃあまだまだだ。
まあ、周りの連中は遠慮してんだろうけどな。
「うぐぐ、こんちくしょう、意味わかんねえよ!」
ウンウンと俺は頷く。
「今はわからずともいい、やがてきっと役立つだろう」
さて、新之助はまだまだ若い。
そして人間の運動能力に深く関わるのは小脳、大脳、脊髄などの脳と全身をめぐる神経と骨格や筋肉だが、神経系統は生まれてから5歳ごろまでに80%近く成長し、12歳でほぼ100%成長が終わる。
そして、出来上がった神経経路は一度できると消えることは滅多にない。
なので、幼い頃は体を十分に意識して動かせるようにするのが重要だ。
俺は新之助の全身の運動神経を鍛えるべく水練や大きな石の多い不安定な足場での河原での歩行や走行、乗馬、前転受け身、木登りや宙返りなどを重点的に行わせた。
この時期は反射神経の構築時期であり骨格や筋肉はまだ十分ではないので無理な筋力トレーニングは行わない、骨や筋を痛めて障害が残ったら意味が無いしな。
なので十全に体を動かせる下地を作る時期だ。
一緒にコーディネーショントレーニングをくわえて行く、いわゆる運動神経が良いと言うのは主に目や耳などで捉えた状況から脳をうまく働かせて、からだの各部に的確な指令をだすことだ。
そしてその運動神経をきたえるためのトレーニングがコーディネーショントレーニングだな。
これは1970年代に旧東ドイツのスポーツ運動学者が考え出した理論で、運動神経を「リズム能力」「バランス能力」「変換能力」「反応能力」「連結能力」「定位能力」「識別能力」の7つの能力に分けそれらを組み合わせて鍛えるものだ。
練習としては例えば三すくみ拳、いわゆるじゃんけんを使ったりな。
じゃんけんの歴史自体は浅いが三すくみ拳自体は日本の平安時代にはあったらしい。
三すくみ拳はヘビ、カエル、ナメクジの三すくみで人さし指をだしたらヘビ、親指をだしたらカエル、小指をだしたらナメクジと言うもので、カエルはナメクジに勝ち、ナメクジは蛇に勝ち、蛇はカエルに勝つというもの。
「ほれいくぞ」
「あんたが蛇なら!俺はナメクジ!」
俺が人差し指の蛇をして、見せると素早く新之助は小指をだして見せた。
相手の動きに対して勝つものを判断するというのは大事だからな。
「ふむ、少しは反応もまともになってきたな。
悪くはないぞ」
「へへ、まあ、俺には才能があるからな」
ふんぞり返る新之助の頭を俺は軽く小突いた。
「調子に乗るのはやめておけ。
いまのお前より強いやつなんざゴロゴロしてる」
新之助がちょっとふてくされたようだ。
「ちぇ、わかってるって、あんたにだって勝ったこと無いしな」
ちょっとだけフォローしてやろう。
「まあ、同じくらいの歳のやつならそうそう負けはしないと思うぞ」
そう言うと偉そうに胸を張る新之助。
「そうだろそうだろ」
もう少し奥ゆかしさも欲しいとこだがまあ今は仕方ないだろうな。