第五話 大家マリア
私のささやかな抗議を無視するとずかずかと彼女は部屋に上がり込んだ。
「ねえアンタどこの子だい。ここらじゃ見かけたことがないんだけど、本当にこ、この人に買われたのかい」子供を買うことは、どこの国でも大罪である。売春が横行しているこの国でも。おおっぴらには。
「誤解ですよ。あなたが思ってる意味とは――」
「ちょっと黙ってて。アタシはこの子に聞いてるんだよ」
非難を込めた視線を私に向かって送りながら、アンタの言うことはアテにならないとばかりに制されてしまった。
メイは彼女の勢いに押されているのかどもりつつ返答をする。
「えっと、昨夜買われたんですけど、そういうのじゃなくて……」おい止めろ。その言い方は私の信頼をさらに落とすだろうが。
「買われたってやっぱりそういうことなんだね。品が良いフリして裏でなんて恐ろしいことを」無駄にオーバーリアクションを取りながら私を責める。
「品が良いフリはしていませんが」人の部屋に強引に上がり込む事と比べたら私は品が良いのかもしれないが。
「いや。あの。ちが、ちがうんですよ。イーデンさんは助けてくれたっていうか、でも……」もうちょっと頑張れないのか。変なところで区切るな。
昨日の勢いはどこへ行ったのやら、しどろもどろの反論をするメイに私はしびれを切らして大家に向き合う。
「手を出していませんので。私は子供に、ましてや貧相なガキに興味はありません。昨夜はあなたの言うことを信じてストリートへ行ったのですが、どうにも店というのが分からなくて困っていた所を彼女に案内してもらっていただけです」
メイがショックを受けたような顔をする。同時に、頬を膨らませて口を尖らせると、私を見つめた。
「本当にデリカシーがないんですね」小声でつぶやく。昨日も聞いた台詞だ。
「手を出してないだって。みんな、そう言うもんだよ」
二人の女性、一人は子供だが、責められることになるとは私が何をしたというのだ。
それでも信じられないのか、大家は一言言い捨てると再びメイに質問攻めを開始した。
「この男の言ってることは本当かい。アンタ家に帰ってないみたいだけど大丈夫なの、そうだ、名前はなんていうんだい」
確かに、自宅はどうなっているのだろうか。そもそも家族はどうしているのか。いや、いっその事いないほうがマシなのかもしれないが。
「わたし、メイって言います。あの辺りで働いているんですが昨日は嫌なお客さんに絡まれてしまって……。その時にイーデンさんが助けてくれたんですよ」
最初からそう言え。ややこしい事態にならなくて済んだだろうが。
「メイね。アタシはマリア、このアパートメントの大家だよ。よろしくね」
マリアの言葉に頷いて笑顔で手を差し出すと二人は握手を交わした。直後に笑顔だったマリアの顔がわずかにくもる。
「その年で客取ってるのかい。あの辺りは色々あるけど、子供を使うような店は無かったと思うんだけどねえ」
「わたし、借金があって……。その、親も、払えないから。今はお店の裏に住んでます」
「親も払えないから」。違うだろう、きっと正しくは、「親が払えないから」だ。
「そうかい。じゃあ金払いの良い客、そこに突っ立ってる男みたいなどんくさい奴をいっぱい捕まえないとね」
マリアは深く追求をすることは無かった。特別な事情ではない。そういうことなんだろう。
「止めて下さいよ。誰がどんくさいんですか。何度も言いますが私にそういう趣味はありませんので」
それにさっさと帰ってもらわなければ困る。第三者がいればメイもきっと諦めるだろう。
「早く帰れ。また夜から仕事なんだろう」私はメイに言う。
「嫌です」メイは短く返す。
「お前なあ……」私は呆れてしまって、マリアに助けを求める。
「マリアさんからも言っていただけませんか。独身男の部屋に子供が出入りしてるアパートメントとなると私もあなたも困るでしょう」
私はずるい大人だ。そして彼女もきっとずるい大人だ。
「そうねえ。メイ、あんた今日は約束はしていないんでしょう。なら帰らないと駄目だよ。意味はアンタも分かるだろう」
マクラーレンさんは良い人だけど、とマリアは勢いを落としてメイを諭す。たしかに心配している声だった。私と言ってることは同じなのに、違う声だった。
メイは再び目に涙をためる。
「約束、しました。昨夜しました」見に覚えのないことを言われても困る。
「してませんよ」即座にマリアへ否定する。
「ねえメイ、このままだと皆が困ることになるんだよ。約束したのは本当なのかい」マリアはメイの手を取ると、そっとその手を撫でながら言葉を促す。
「いーでんさん、は、酔っておぼえていないかもしれなくて」こらえきれなくなったのか、頬には涙が伝っていて、しゃっくりをあげながらとぎれとぎれに言う。
「でもぜったいに、きのうのよるは、これからは一緒にいるよって私はやくそく、して、」
私は何を言ったのだろうか。いや、これも演技かもしれない。私が人に対して、ましてや他人にそんなことを言うはずがない。
実の親さえ一緒にいられなかった男が。何も言うはずがない。
「酔っ払うと男はロクでもないことを言うもんさ。簡単に信じちゃ駄目だよ。傷つくのはメイなんだから」酷い言われようだ。だが、その勢いで説得してくれと私は無言をつらぬく。
「はい。わがままだって、わかってるんです。でもちょっと期待しちゃって。自分でもありえないっていうのはわかってたんです」
心のどこかで期待しちゃって。もしかしたら、明日になれば、今日を耐えれば、いつかは自分の所に戻ってきてくれるんじゃないかってさあ。
頭の中を走る情景。あれはいつのことだったか。たしか、父とはなぜ別れないのかと聞いた時だった。
「分かるよ。アタシだってさ、昔はもっと綺麗で男にチヤホヤされてた頃に色々あったさ。まだ仕事まで時間はあるんだろ。アタシと何か食べながら話さないかい」
マリアはメイを連れ出そうと優しく誘う。
若かった頃。この豪快で小太りの老婆の姿がなぜだか想像もつかない。
「いーでん、わたしね――」
メイはこちらを見て何かを伝えようとする。その瞳をなんだか知っているような気がして、私は居心地がわるくなる。