第四話 眠りから覚めた
差し込む朝日で目が覚めた。全身が倦怠感にさいなまれる。枕元のペットボトルは空だ。
はだけたシャツ、外れているボタン。昨夜のことがかけあしで通り過ぎる。
「嘘だろ」
慌てて辺りを見回すとベッド下の床の上でメイがシーツを被って丸くなっている。
断片的な記憶がうらめしいが、恐らく、私は手を出してない。こんな事になるなら夜のうちに帰らせるか、徹夜でもしておくべきだった。
「なんで床で寝てるんだ……」
硬いフローリングの上じゃなくても、ソファとかもっとまともな所はあるというのに。シーツの塊がモゾモゾと動き出した。
「おは、おはようございまス」
あくびを挟みながらメイはあいさつをした。
「――昨日はすまなかった」
酔いつぶれてしまったことへの謝罪。
「いえ大丈夫ですか。寝てしまってごめんなさい。お水、もっと持ってきましょうか」
妙に神妙な顔をして私に問いかける。そんなに酷い潰れ方をしたのだろうか。全く記憶がない。
「私が持ってこよう」
立ち上がり冷蔵庫へ向かうと2本分のペットボトルを取り出した。片方を手渡すと、キャップをひねり飲み干した。カラカラになっていた喉を通る透明な水は私の呼吸を整えてくれた。
「時間だな、帰れ」
水が、とても冷たい。シンと静まり返った部屋にはカチカチと時計の音が大きく聞こえる。
メイは決意したような顔で水を一口飲むと言った。
「私をここに置いてくれませんか」
私を見る瞳からは何の感情も読み取れない。
「もう一晩買って欲しいということか」
きっと、そんなことではないと分かっていても聞かずにはいられなかった。昨日、私の前ではしゃいでいた少女が急に遠くなってしまったように感じて苦々しくなる。
「違います。ずっと、ここに置いてくれませんか」
ずっと、なんて出来るわけがない。
「無理だ。帰れ」
メイに背を向けるとシワになったシャツを脱いでクローゼットを漁る
「お願いします。家事も言われたことも全てします。だから私を――」
私を。その続きは聞きたくない。
「お前の借金を私に払えというのか」
お金、私の人生にはどうしてこうも押しかかってくるのだ。確かに決別したはずの物は、いつも私には見えないところからアメーバのように触手を伸ばして捕まえようとしてくる。そして捕まったら二度と身動きが取れなくなってしまう。
「必ず働いて返します。おねがい」
自分よりずっと大きな男に絡まれても毅然としていた彼女が泣いている。大きな黒い瞳は、表面張力が壊れてしまった。縋る彼女に私は酷く裏切られた気分になった。遠い昔に似たような光景を私は見たことがある。
「最初からそれが目的か、ガキに興味のない私なら同情してくれるとでも思ったのか。これだから売春婦は嫌なんだ」
娼婦を信用してはいけない。結局最後には寄生先が見つかればどうでも良くなって裏切るのだ。
「違います」メイが勢い良く頭を振ってさけぶ。小さな両手で自分自身を抱きしめるようにして立っている。
「私に言ったじゃないですか。覚えてないんですか」
責めるような声色。私が何をしたというのか、何を言ったというのか。それでも、全部何もかも関係ない。
「覚えていないな。早く出て行け」
酷い男だ。話を聞きもしない。酷い男は、話を聞きもしないのだ。
「――アンタまたなの、朝っぱらから何一人で物騒なこと言ってるの」
ドアを叩く音と共に女のしわがれた声がする。巡回の時間だったか。とことんツイてない。外に向かって返答する。
「なんでもありませんよ。テレビの音が大きすぎたみたいですね、すみません」
「なんでもない奴はテレビに向かって売春婦だの罵らないよ。店子にまた事件でも起こされたら困るのよ。ドアを開けて顔ぐらい見せておくれよ」
音を出さないように口でしゃべるなよ、とメイに伝える。無言で頷くのを確認するとドアを数十センチだけ開けた。
「ああ夢見が悪かったんですよ。本当に。すみませんね」
白々しい私を怪しんだのかオーナーは顔を顰めながら遠慮なしに覗き込んできた。
「本当にそうかい?それならいいんだけどねえ」
「前に女を連れ込んだ外人が騒ぎを起こした時は店の元締めまで来てちょっとした乱闘よ。部屋の掃除が大変だったんだから」
隣のバカ男に是非それを伝えて頂きたい所だ。そしてそのまま国へ強制送還されてしまえばいい。
「それは大変でしたね」
「まああんたは品が良いし金払いも悪くないから信用してるよ」
世の中はまだまだ金のちからが強い。きっとあと数百年は。
「じゃあくれぐれも騒ぎを起こさないでおくれよ」
「はい。分かっていますよ。では失礼します」
ドアを閉めると小さく毛布を被っているメイを睨む。
「ごめんなさい……」
「お前のせいで――「言い忘れたけどさ!!あんた顔色悪いけどちゃんとご飯食べてるの?この前アタシが外人でも食べやすい料理が出る店、紹介してやっただろ」
背後で勢い良くドアが開いた。
「ええ、ちょ、ちょっとあんたその子誰だい。まさか子供に手を出すなんて」
目を白黒させながら大家が立ち尽くしていた。誤解だ。
「勝手に入ってこないでくださいよ」
――ああ、頭が痛い。