第二話 二人の関係
「そういえばおにいさん、名前は」
私の横を歩きながら思いついたかのように聞く。
「どうせ数時間後には切れる縁じゃないか。必要ないだろう」
なつかれても困る。なるべく私はつれなくするよう心がけた。
「お兄さんってモテないでしょう。見た目は悪くないのにもったいない。そういう時は嘘でも適当な名前をでっち上げるべきよ。明らかに嘘みたいな名前言う人いるもん。今日はハロウィーンだから、ジャックだよ、とか」
熱気で脳みそまでとろけてしまっているようなネーミングセンスだ。到底真似出来ないしするつもりもないが。
「教えてくれないなら私がすごい名前つけちゃいますよ」挑戦的な目だ。放って置いたら本気でやりかねない。こういうおふざけをする時、全力でやるのがここの人間だ。
「……イーデンだ」
「イーデン、エデン。いい名前ね。お兄さんにぴったり」エデン。楽園。人類が追放された場所。人類が目指す場所。
「それはどうも」お礼の言葉が小さすぎて、喉に詰まってしまう。
路地を出る寸前にメイの歩みが止まる。
「案内する前に、先にお店によってもいいですか」
申し訳なさそうな表情でこちらを伺う。
面倒だが、仕方ないだろう。誘拐事件と騒がれても困る。
黙って頷くと安心したように再び私の手を引いた。
店は表通りを少し外れた目立たないエリアにひっそりと佇んでいた。
同じような店が何件かあるが外からでは客が入っているのかすら分からない。
いくらこの通りが"そういう目的の店"の集まりだと言っても、流石に子供が相手となると派手に営業は出来ないようだ。
「ここで待ってて下さいね」
念を押すように私の手を両手で包むように握りしめるとはにかむような笑顔で中へと消えて行った。
「金はいいのか、金は……」
逃げられたらどうするつもりでいるのか。いっそ逃げてしまおうか。
「お待たせしました」
「あら、ほんとに客捕まえてきたのね。やれば出来るじゃない」
化粧の匂いと香水の匂いが混ざりあった、人工的な夜の匂いだ。
派手な中年女、店の主人だろう。ジロジロと品定めするように近づいてくる。
「こんばんはーメイは器量は悪いけど性格はイイコよ、よろしくね」
「そうですか」
「色が黒すぎてあんまりお客に受けないのよね。お兄さんたちみたいな肌の白い人が人気なのよ、ここ最近はね。女の子も肌を白くしようと死に物狂いで頑張るんだから」
持って生まれたものを否定してまで別の所へたどり着こうとする。彼女たちの色白信仰はどこから生まれて何を見据えているのか。
「それは残念で」
「あなたって結構物好き?こういうお店は初めて?」
その目の奥には好奇心が隠しきれていない。
「どうでしょうね」
「愛想がない人ね。1杯ぐらい中で飲んでったら」
さっさとこの不毛な会話を切り上げたい。
ここはどこまでも人を馬鹿にする連中の集まりだ。稼げるチャンスは逃したくないということか。
「それで、彼女はいくらで」
「もう、仕方ないわね」
交渉するのも馬鹿馬鹿しい。
私は言い値を女に払って二人で店を後にした。それでも安すぎるが。
低賃金で劣悪な仕事。辞めるという選択肢は誰も考えていない。
暗にそれを認めている政府、この国は間違っている。なぜ退廃を選ぶのか。
人は文化的でより良い社会を作らねばならないはずだ。そしてその為の努力を惜しんではいけない。
「……ごめんなさい」
私の後を付いて来る彼女の表情は見えないが、見るまでもない。
「何に対して謝る。お前を買わされたことについてか」
「え、あの、その。ママも言ってたと思うけど」
聞こえていたのか。どうでもいい会話だ。
「ハッキリ言え」
何もかも今更だろう。
「わたし、他の子とか、ママみたいに綺麗じゃないから」
「私を顔で買うような底辺の連中と一緒にするな」ぴしゃりと言う。
「ごめんなさい……」
卑屈になる場所がズレている。根本的に違うことがあるだろう。
「私が必要としているのはガキでも女でもない、食事だ」
「――あえていうなら、さっきの化粧臭い女よりはお前のほうがマシだな」
私の言葉にメイは笑顔を取り戻す。なんて単純なんだ。羨ましい限りである。
「美味しいお店、案内しますね」
スキップでもし始めそうな様子で、私の前を早足になって進んだ。