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第一話 少女との出会い

 

 よるが来る。

タクシーから降り立った私の目の前には街灯が負けてしまっている程の大きな光のゲートが出迎えた。歓楽街。現代におけるソドムとゴモラ、硫黄と火が焼き尽くす瞬間まで続く熱狂。

 

 昼間かと錯覚するような派手なネオン看板、馬鹿げた色の街頭、いかがわしいパブとバーでストリートは埋め尽くされていた。

 夜のストリートは、頭の悪そうな買う男と娼婦と客引きと物味遊山の観光客でごった返していた。

 

 なんて所を紹介してくれたのだ。私が最も嫌う連中の掃き溜めではないか。引き返そうとも思ったが、ここまで来てそれは癪だ。


 パブやバーの前にはぴっちりとしたタンクトップやTシャツと短パン姿のロングヘアーの褐色女たちが整列して笑顔を振りまきながらこちらに手を振っている。


「1杯だけでもどう――」

「ドルもOKよ」

「中でダンスショーやってるよ」


 なるほど、ショーを中でやっているのか大音量のクラブ音楽が外にまで聞こえてくる。凄まじい熱気だ。気候がそれを助長させているのか。陽気になった客が道のど真ん中で踊り始めた。

 良く言えばこの国はとても若くエネルギッシュなのだろう。

 悪く言えば先を考えない奴らの集まり、その日暮らしのふざけた国だ。


「来るんじゃ無かった」


 外国人でも食べやすいというレストランとやらはどこだ。見渡す限りバーとパブと、怪しげな屋台料理しか出ていない。アパートメントの大家に騙されたのだろうか。

 

 少し歩けば光に群がる虫のように客引きと売春婦が横に並んでくる。

「ねえちょっとそこのお兄さん飲むだけでいいから中入らない」

 興味がない、と腕を巻きつけてしなだれかかってくる女を振り払う。――触るな、鬱陶しい。商売女とは話す気にもならない。


「だめよ。さっきのあの子、本当はレディボーイなんだから。可愛い女の子探しに来たならこっち」


 白い歯をチラつかせていたずらっぽく笑いながら私の耳元でささやく。 

振り払っても振り払っても新手が来る。


「いい加減にしてくれ。私は飲みに来たつもりも女を買うつもりもない」

「えーっ。じゃあなんできたのよー」 私の腕に、腕を絡ませる女。その顔はまだどこか垢抜けない。

「気の迷いだ」なるべく女を見ないようにして離してくれと視線を送る。


 口を尖らせながら女は、冷やかしはごめんよ、と離れていった。

 

 何故こんな所に来たのか。

 何故こんな国に居るのか。

 私が一番に聞きたいことだ。


 焦燥感が胸から喉に向かってジリジリと向かってくるのを感じない振りをする。まだ、終わるはずがない。終わるわけにはいかない。

 成功しなければどんな研究もこれまでの努力もガラクタとなって道端に転がされるだけだ。


 研究さえ停止に追い込まれずに進行していれば、今頃、本国で私は――。

 理解しようとすらしない連中は全てクズだ。

 未知なる物を恐れていては我々は永遠に進歩することが出来なくなる。進化を止めて与えられた物だけを享受して生きる人間は、ただの家畜だ。

 

 ああ、何も考えたくない。


 「通りから外れたか」


 いつの間にか店もネオンも人もまばらな裏通りに出ていた。

ペットボトルと酒瓶が辺りには散乱している。


 「あまり長くいるのは不味いな」


 薄暗い路地では何の犯罪に巻き込まれるか分かったもんじゃない。

 早めにタクシーでも拾ってアパートメントに帰ろう。来た道を戻ろうとした瞬間、背中に衝撃が走る。


 「お、お兄さん……私を、買いませんか」


 振り向き目線を落とすと10にも満たないであろう少女が背中に必死で張り付いていた。

 緊張した面持ちではあるが強い黒の瞳が私を突き刺す。

 長い黒髪と健康的な褐色の肌。この国のスタンダード。ハイエナのように発展を求めてやってくる移民により、いずれは無くなるであろうスタンダード。


 ここでは最低限のモラルすらないのか。年齢を考えて欲しいものだ。

 ため息を吐きながら私は少女を冷たく突き放す。


「私に犯罪者になれと言うのか。残念だが少女趣味はないんだ」

「さっさと家……店に帰るんだな」


 帰る家など何処にもないことは薄々分かっている。彼女たちに突きつけられる残酷な現実は誰かにとっての理想郷であってディストピアだ。


「お客さんを取るまで帰れないんです。どうしても今日取らないと借金が払えません」


 そんなことは私の知ったことじゃない。この手の女のよく言う万国共通の台詞だ。


「そうか。なら別の奴を捕まえるんだな。表には腐るほど男がいるぞ」


「表通りは、警官もいるから……」


 一応違法とは理解しているということか。


「警察官がいる?いいことじゃないか。借金の相談でもしてきたらどうだ」


「お店のママがきっとお金を渡してます。相談なんてしたら酷い目に合わされてしまう」


 警官に賄賂か。つくづく腐ってるな。その年齢で身を売るより酷い目とはなんだと言うのだろう。知りたくもないが。


「子供も女も私はいらん。他を当たれ」


 踵を返す。


「待って、わたし―――「君、何か困ってるの?僕で良ければ力になるよ」


 どこからか現れたニヤニヤとしている小太りの白人中年男が少女の腕をつかむ。この手の趣味を持つ輩はどこにでもいるが、自国でしょっぴかれるのを恐れて異国の地に来てまで法と国の発展を踏みにじるのだ。


「さっきから聞いてればそこの男は酷いじゃあないか。随分と冷たい。そんな奴より僕と一緒においで。君、随分と痩せているようだし美味しいものでも食べに行こう、なんでも買ってあげるよ」


 私を横目に、服の上からベタベタと男は少女の体を撫で回す。挑発的な態度だ。これは男なりの宣戦布告なのだろう、私の獲物を横取りするなという、おぞましいタイプの。


 「あの、大丈夫ですから、やめてください」


 慌てた少女は血の気のない顔をさらに白くして腕を引き剥がそうと抵抗している。


「本当に大丈夫ですから……離して」固く結ばれた男の指を一本一本解こうと少女の指がなぞる。

「金に困ってるんだろ?気取るなよ。俺が買ってやるって言ってるんだからおとなしく付いて来い」

「止めて下さい。離して。人を呼びますよ」


 ついには声をあげて男に講義を始める少女。

 手を鳴らしたような乾いた音が辺りに響く。男が少女に平手打ちをした。少女は震えながらその場に座り込んでしまった。


  ――豚が。本性を表したな。


 「おい、お前は買わないんだろ。気持ち悪い顔で見てないでさっさと失せろよ」

 「言われずとも行きますよ。では良い夜を」


 外国に来てまで女を、しかもガキを買おうなんてどうかしてる。国の恥さらしとはまさにあいつのような連中のことだな。私は足早にその場を立ち去ろうとする。


 「澄ました顔しやがって。どうせお前も金持て余して来てる俺と同じだろ」


 罵声に、顔が熱くなる。私がお前らと同じだと。女を買って、思い通りにならなければ平気で暴力を振るう。消費して消費してすりつぶすことに、罪悪感を感じない連中。あるいはそれすら良い事をしてやったとうそぶく連中。私の父親だった人。


 「表のまともな女には相手にされなかったか?国に帰ればどうせ落ちこぼれなんだからガキにでも相手して貰ったらどうだ」


 落ちこぼれ。私が。冗談はそのクソふざけた性癖だけにして欲しい、豚が。


「ああそうですね。そうだ、相手をして貰うことになってるんですよ」


 私は思い出したかのように男に向かって笑顔を貼り付ける。


「さあ行こうか。朝までの約束だったね」


 男の脇をすり抜け少女の腕を取って起き上がらせた。子供のことは良く分からないが、この年齢にしては彼女は軽すぎる気がした。稼いだ金で食事は取れているのだろうか、それとも。


「ふざけてんじゃねえぞ。そいつは俺のだ」

 男はつばを飛ばしながらわめき散らす。

「いつから彼女があなたの物に?私と先約済みだ、そうだろう?」


 努めて紳士的に見えるよう少女に声をかける。少女は恐怖で喋れないのか目を潤ませながら必死で頭を縦に振った。


「ほら、こちらが先約だ。彼女もそう言ってる。何か問題があるなら彼女の店のオーナーにでも相談してみましょうか」


 大抵がそういう店にはマフィアが元締めとしている。商品である女を傷物にするような男には容赦しないだろう。こういう輩には大抵、色々と前科がある。


「面倒はごめんだよ。好きにしろよ」


 舌打ちしながら男は去っていった。


「おい、客引きは誰かに任せたらいいだろう。さっきみたいなのに絡まれたくなかったらな」


 呆然とこちらを見ている少女に向かって言う。

 あいつより少しはまともな奴を見つけてくれるだろう。まあ、あくまで少しは、だが。


「ありがとうございました……」

「じゃあな」

「ま、まって。私の事、買いましたよね」


――恩知らずとはこの事を言うのだろうか。

どいつもこいつも常識と良心を親の腹の中にでも置き忘れてきたんだな。無視をして立ち去ろうとすると少女が後ろから必死で追いかけてくる。


「一度買うと言ったら、買わなきゃいけないんですよ」

 自信満々のその言葉に説得力はないことに気づいているだろうか。

「警察とさっきの男を呼び戻すのとどちらが良いか選べ」

「じゃあ店のオーナーに相談します」

 

 商魂たくましく、少女は腰に手を当てて私の前に立ちふさがった。

 生意気な子供は嫌いなんだ。その根性で別の客でも取ったらどうなんだ。

 それでも強引に押し通ろうとする私に向かって先ほどとは打って変わった縋るような声で言葉をつむぐ。


「お願いします。なんでもしますから。お金がいるんです」

 

 お金、お金、お金。1日の稼ぎが明日に直結する生活、明日が来なければその先はずっと来ない。自分の未来への展望など想像できないと母親はよく言っていた。

 だから、お前は違う世界に生きてね。私とお前は違うのだから。お前は賢いのだから。勉強だけしていればいいの。外になんて出なくても良いのよ。お部屋でずっとお勉強してなさい。母さんみたいにならないように。

 母の優しさは私と世界を永遠に断絶してしまう壁だった。幼いころの記憶は数式と、机に積まれた大量の教科書。


 少女の声が、私を路地裏に引き戻した。

「良いお酒とか、美味しいご飯がテイクアウトできる安いお店とか、紹介します」身振り手振りで必死だ。

「……それに、おにいさん、女の人を買いに来たんじゃないですよね」


 唐突なその言葉に私は少し驚いた。何故そう思えるのか、根拠はなんだ。


「どうしてそう思った」

「他の人より私を見る目が冷たい、から。おにいさんは、わたしたちのような仕事をしてる人たちは嫌いでしょう……?その、なんて言えばいいのか、分からない、けど」

  

 中々に鋭いようだ。私は娼婦というものに良い思い出はない。


「そんな人間によく買ってくれとセールスできるな」

「おにいさんたぶん悪い人じゃなさそうだから。頭がすごく良さそうだし。私、人を見る目はあるほうなのよ」

 

 得意気に少女は言う。

 先程まで散々な目にあっていたというのにこの切替の早さは何なんだ。私は呆れてものも言えなくなってしまった。

 「大丈夫、私は明朗会計なんだから」腰まで伸びた黒髪を揺らしながらその場でくるり、と回ってみせる。


 彼女はよく、根拠も仮定もなしにこれまで生きてこれたものだな。今日は散々だ。どうかしている。

 私は今日何度目かも分からないため息をつくと、頭の悪そうな小うるさい商売人に付き合う覚悟を決めた。


「――まともな食事が出る店に案内してくれ」

「ありがとう!! 私の名前、メイよ」


 私もどうかしている。

 少女は嬉しそうに頷くと私の腕を引いて表通りのネオンへと誘った。



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