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第十六話 プロメテウスの恋


 空港のロビーでは国際線のアナウンスがひっきりなしに流れている。

 電光掲示板の前で、バックパッカーやビジネスマン、家族連れの数グループが熱心に搭乗便を確認していた。

 腕時計とチケットを見比べて、まだ時間があると思い、集団から少し離れた通路の向こう側へと歩みを進める。

 ガラス張りの壁にもたれ掛かる。外ではフライト待ちの飛行機の下、整備士たちが炎天下の中、点検を行うためにノロノロと動いていた。

 その光景をぼうっと眺めながら私はなるべく何も考えないように目を閉じて、港内の冷気を浴びていた。

 もうすぐ、過剰な冷房とも熱帯気候ともお別れだ。


 ――乾いた音を聞いた。

 

 手を打つような、クラッカーのような、今までに聞いたことのないような、形容し難い音を聞いた。

 私はいつの間にか床に走る無数の傷を見ていた。

 その上を静かに侵食していく粘性の、アメーバのような赤い液体。

 体と頭に衝撃が遅れて走る。

 

 何が起こったかを把握するために深呼吸をしようとするが、上手く酸素を吸い込むことが出来ずに、ごぼり、と妙な音が口から漏れる。

 霞む視界をクリアにしようと何度かまばたきを試みる。

 まともに機能してくれない体を無理やり捻ると横隔膜が震えるのを感じた。

 体の中心、ああ、肝臓の辺りを何発か撃たれたと気づいた時に、ようやく痛みが襲ってくる。

 慌ただしく逃げ惑う人々の悲鳴や叫び声が遅れてついてくる。


 その中で、母国のイントネーションで喋る男の声がスルリと私の中へ侵入してきた。


「博士、あなたの研究はここでお終いです。原子力を、プロメテウスの火を人は必要としてはいけない」

 

 どうやら、私は裏切られたようだ。メールはこのための囮か。

 初めから私を国へ帰還きかんさせるつもりはなかったらしい。

 倒れた衝撃で吹っ飛んだアタッシュケースを男は拾い上げるとそのまま人ごみに紛れて消えていった。

 

 こんな状況でも私は酷く落ち着いていた。

 相手は雇われたプロか何かだ。きっと助からないだろう。

 笑いがこみ上げてきた。鮮血がはじけたシャボン玉のように点々と床に模様を作る。

 最後の嫌味は言わなくて正解だった。


 アタッシュケースの中身は、カラなのだから。


 私がプロメテウスだとするのなら、火を与えたいと思うのも、人のみであって死神の使いとその国に暮らす者たちではない。

 なんとか体を仰向けにすると、ガラス張りの窓が見えて、空はどこまでも高く透き通っていて、白い雲が浮かんでいた。

 送電線もなければトタンだらけの屋根もないことをなぜか残念に感じた。

 周りに集まってきた警備の男たちが何事かを叫んで私の体を引きずろうとするが、もう痛みも声も薄くとけて消えていく。

 

 ふと口の中がカラカラなのに気づいた。

 水が欲しいな、と思ったがそれより先にあの焦げたフライドポテトの味を思い出した。

 

 私の感覚はいよいよおかしくなっているようだ。

 

 それでも、それでも。わたしは。

 

 ああ、あの不味いフライドポテトが食べたいな。

 

 もう誰かを待つことはないだろう、直感でそう思った。

 重い鋼鉄の扉の前で待つ子供はどこにもいない。

 メイの顔が一瞬だけ浮かんで、わたしの意識はそこでプツリと途絶えた。


 『ただいま、イーデン』


 おかえり、君の帰りを待っていたよ。





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