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第十四話 大人になれなかった子供は


 メイが来て日々は目まぐるしく過ぎていった。


 私は相変わらず研究漬けで、あまり構ってやる余裕はなかったが、その間熱心に私が街で買ってきたテキストを読み漁ってはわからない部分に線を引いて、スキをみては質問を繰り返した。


 そして、料理が全くできない私は目玉焼きから練習するハメになり、マリアがそれを見かねて時々、食材を持ってきては料理教室を開催していた。


 アンドレは相変わらず飲んだくれては夜の街に出かけたりレックに絡んだりしていたが、メイを見かけると気さくに声をかけてはくだらないジョークを飛ばしたりしている。


 この前、レックが金のピアスを外している所を見かけた。

 その耳には新しく赤い石が飾られていて、出処をメイがさり気なく聞くと、どうやら隣の酔っぱらい男だというから驚きだ。


 今日もそれなりの味の夕食を二人で囲ってその日のできごとを話していた。

「イーデン料理うまくなったね。目玉焼きがとくに」

「お前のフライドポテト、次はいつ食べられるんだろうな」

 軽口を叩きあう。

 ふとメイが、今までは触れなかった話題に触れてきた。


「イーデンのお父さんとお母さんってどんなひと」

「なんだ唐突に」

「なんとなく。このイーデンを育てた人って気になる」

 暗に私が変人だとでも言いたいような口調だ。

「お前のところと似たような……いや、違うな」


 メイは両親を愛している。言葉にはしないが、彼女の口から両親への恨みを聞いたことが無かった。

 私は違う。両親を愛してなどいない。酒と暴力と、過剰な期待と軟禁。


「どう違うの」

 子供の好奇心は残酷だと思う。それでいて、簡単に責めることは出来ないのだから厄介だ。

 私はどう説明したものか、と黙り込む。

「ごめんね。言いたくないならいいの」

 メイは引き際をわきまえている。本質ではとても賢くさとい。


「私のお母さんはいっつも外で畑仕事をしてたの。お米しか育たない場所でね、他に何もない所。それでもお金が足りなくて。観光客向けの工芸品とか毎日少しずつ作って生活していたの」

 メイは続ける。その顔はどこか懐かしいものを見ているようだった。

「お母さんは働き者だったよ。わたしたち兄妹にごはんを食べさせてくれるのに一生懸命で。でもお父さんは家でお酒飲んでるばっかだった。たまに外に出たと思ったらトランプで負けてきて、とんでもないことになって」


 なるほど。彼女の不幸は主に父親のせいか。

 なぜどこの国でも駄目な男は酒と博打をするのか。それ以外にやることがないのだろうか。もっと建設的に生きればいいのに。


「クズだな」

 私は率直に言う。

「クズ、クズねえ。うん、そうかも。でも、お酒を飲まなければ優しくていいお父さんだったよ。私は嫌いになれなかった」


 アルコールさえ飲まなければ、ギャンブルさえしなければ、暴力さえふるわなければ、浮気さえしなければ。

 一つでもあればそれは不良債権であって止めれもしないことを検討するのは無駄なことだ。


「それでも家族だからね、仕方ないの」

 売られてもか、という言葉をのみこんだ。私には理解しかねる考えだった。


「……私の母は娼婦だ。お前やレックと同じだ。私の父親はそのヒモで、酒とギャンブル狂のどうしようもない男だった。生活費から金を抜き取っては負けて帰ってきて、その度に腹いせに私と母に暴力をふるうゴミだった」

 どう思い出しても良い所など何一つなかった。罵倒と痛みと物が壊れる音。毎日耳をふさいで必死に荒らしが過ぎ去るのをまっていた。

「そのうち外に別の女を作って出ていった。若くて学歴もあってまともな職についてる女が良いと言い捨ててな。その反動で母は――」

 奥歯を強く噛みしめる。メイが心配そうにこちらを見ている。


「母は、少しずつおかしくなっていったよ。私の行動を制限するようになったかと思ったら大量のテキストを買ってきて、毎日のように勉強をしろと言い続けた。ひどい時には椅子に縛り付けられて日が暮れるまでわけの分からない文字列と格闘したさ」


 私の年齢には明らかに合っていない内容のテキストだったと記憶している。

 ジャンルもバラバラで数学から語学、はては経済に物理学や化学もあった。

 母自身もすでに理解していなかったのだ。学問のこと、父のこと、私のこと、これからのこと、すでにおわったこと。


「頑張ったね。もう、大丈夫だよ」

 何を根拠に、そんなことを。


 それでも体をはって稼いでくる母に対してノーとは言えなかった。言いたくなかった。

 期待に答えるのが残された私の役目。母の心の支え。

 外へ遊びに行くこともせずに夜中まで勉強しては母の帰りを待った。

 

「おかえり」と「ただいま」そのたった一言の会話をするために眠い目をこすりながら机に向かっていたが、何時もねむってしまって、私が見るのは朝方、寝室の奥で次の仕事の時間まで仮眠を取っている母の姿だった。


「なんとか期待にこたえて、それなりの学校を出てそれなりの大学をでて、有名企業に就職して――」

 言葉を切った。私の人生はとても駆け足だったように思えた。


「今、お母さんはどうしてるの」メイが聞く。

「死んだ」

「それは、病気? 」

「さあ。知らないな。就職が決まった頃に突然電話をしてきたと思ったら、再婚するからもう連絡はしないでと言われてそれきりだ。それまではストーカーレベルで毎日のようにメールだの電話だの手紙だのよこしたのに」


 母は、私を捨てた。全てが無意味になった気がした。


「葬式をあげる頃には男に逃げられていたようだったがな。学習しない女だ」

 鼻で笑う。

 私に連絡が来た時に、身内は私以外にいないとのことだった。


「男の人、最初からいなかったんじゃないかな」

 メイはぽつりと言った。言葉が出なかった。

「邪魔になると思ったんじゃない、イーデン、有名な会社に入れることになったから」

「それがウソを付くのとどう関係がある」

「お母さん、体を売ってたこと、本当はすごく気にして――」


「やめろ」


 私は怒鳴りつけた。それ以上聞きたくない。

 何もかもに目をつぶってしまいたかった。そんな仮説はいらない。

 だって、私に残ったのは結果だけだ。

 母に捨てられた。母はいないと病院のスタッフに告げた。母の葬式は上げなかった。


「出ていってくれ」

 震えていた。

「イーデン、あのね――「出ていってくれ」

 私はもう一度大声を出した。

「分かった。ごめんね」

 メイの表情は見えなかった。静かに立ち上がるとスカートの裾を直して私を横切って玄関に向かう。白いフリルが揺れるのが見えた。

「違うんだ」

 何に弁解をしているのかわからなかった。

 玄関のドアが閉まると、私はまたひとりぼっちになった。


 私の怒鳴り声を聞きつけて、レックとアンドレがやってきた。

 開けっ放しのドアから部屋に入ってくる。

「ねえどうしたのよ。今の怒鳴り声、何? メイはどこにいるの」

 レックが急ぎ足で言う。

「出ていった」

 私はそれだけ答えた。

「出ていったってお前、今何時だと思ってんだよ。小さい女の子がこんな真っ暗の中……」

 アンドレが言葉をにごす。

「出て行けって言ったんでしょ。喧嘩するにしたって程度があるの。あんた馬鹿なの。いい加減にしなさいよ」

 レックが私の胸ぐらをつかむ。

 真っ暗闇の中、一人で立っているメイを思い浮かべる。

「俺さがしにいってくるわ。マリアにも頼みに行く」

 アンドレが走って行った。

「私も行く」

 レックがアンドレの背中に叫ぶ。

「イーデンさ、もっと大人になりなさいよ。アンタはメイに何を望んでるの。可哀想な子供を買って、きれいな服を着せて、教育して、ただの親切じゃないでしょう」

 レックは私を乱暴に離すとそのままアンドレを追いかけていった。


 私はメイに何を望んでいるのか。

 私とメイは同じだと思っていた。

 それなのに、違う。

 私は受け入れられずに大人になれなかった子供で、メイは全てを受け入れてこれから大人になろうとしている子供なのだ。


 突きつけられた違いに勝手に失望していた。

 テーブルを見ると食べかけの料理が二人分並んでいた。

 考えがまとまらないまま、溢れ続ける感情のしずくに足元をすくわれて溺れてしまう前に私は夜の街へ走り出していた。



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