第十三話 フライドポテト
中途半端な食事を終えると今後の問題について私は頭を悩ませた。
ソファに座り、食後のコーヒーを飲みながら整理をする。
まずは学業の問題、当然義務教育ぐらいは果たすべきだろう。学歴がなければ社会に出ることは出来ないだろうし、それなりの企業に就職することだって難しいだろう。
この国は階級社会だ。先進国よりもずっとシビアで、生まれた時から既に人生が決まってしまっていると言っても過言ではない。
持っていない人間が、持っている人間になる為には金と後ろ盾がいる。持っている人間でさえ、怠惰に身を任せて先の選択をしなければ落ちていく一方だ。
「お前、学校行きたいか」
さり気なくメイに問う。
カップを手に持ったまま、立ち上る湯気を見つめる。
「学校、ううーん。あんまり、ピンと来ないかも。行けると思ったこともないからなあ」
当の本人はあっけらかんとしている。今まで想定をしてこなかったことがいきなり降って湧いて出ればそうもなるだろう。
「学歴がなければまともに働けないぞ」
私は出来るだけ簡潔に言った。
「そんなこともないですよ。学校行ってなくても働いてる人、いっぱいいます」
その一杯、というのは路上で働いている連中か、それとも違法営業の店か。
「あのな。また夜の生活に戻りたいのか。大学まで出ていれば良い企業に入れる。良い企業に入れれば今よりずっとマシな生活がおくれるし、馬鹿にされることもないんだぞ」
「もうお店には戻りたくないですけど……。イーデンの言う良い企業ってどんな所なの」
メイはカップに口をつけると小さく聞いた。
「生活に困らない程度には給料が良くて休日もしっかり取れて福利厚生が充実している」
最低基準だ。
「ふくりこうせい……。勉強はしてみたいと思うけど、良い会社に入るためにするのは……イヤかな」
カップに目を落としたままメイは言う。私は少々驚いた。良い生活に興味はないのだろうか。もっと、そういうものに対して、ガツガツとしているイメージだった。
「まあ、考えて置いてくれ。お前の両親と戸籍の問題もあるしな」
私は一旦、時間を置くことにした。まともな生活に慣れてくれば考えが変わるかもしれないし、今すぐ判断を下せというのも性急だ。
「戸籍、たぶんわたしないですよ。というか、わたしの生まれたところでは上の子以外ない人のほうが多いかも」メイは肩をすくめる。
戸籍がないとは。なら、生まれた時から売る前提だとでも言うのか。どこまで人権を踏みにじる所なのか。私は生まれて初めて見たこともない人間に腹をたてた。
彼女たちは何のために生まれてきたのだろう。愛情という名の呪縛の下に、決められた人生を歩む。
言葉を与えて、意味を持たせて、家族のためと言い切って。それなのに彼女が金を増やすツールでしかないと言うのなら、割り切って育てられる家畜より酷い扱いではないか。
「愛してる」は呪いのような言葉だ。免罪符だ。そしてそれは、誰かの贖罪の言葉だ。
だが、警察や公務員にでさえ賄賂が通る国だ。戸籍の一つや二つ、金を出せば買える気もする。
「……まあ手続きはなんとかなるだろ」
「お金で解決しようとしてない」
メイがジッと目を細める。変なところで勘が鋭い奴だ。
図星だが、これ以上の解決策はないし、金でなんとかなる部分はそうしたほうが手っ取り早いし面倒が少ない。
「イーデンは勉強ができる人なほうがすき? 」
メイは決まりが悪そうにしている。
「出来ないよりは出来る方がいい」
話をする度に何を言ってるの、という顔を女にされるのは実にうっとうしい。
「じゃ、頑張らないと」決意を固めたように口を結ぶ。
何でも私を基準に考えるのは止めて欲しいところだが、やる気が出たのなら構わないということにしておこう。
この話題はここまでとばかりに私は話を切り替える。
「そういえばお前料理はできるか」
買ってばかりの料理では健康に悪い気がした。不味くはないのだが、やはり整った生活を送る上では自炊は欠かせない。
自分が料理を出来ないことを棚に上げてメイに降る。
「料理。やったことないけど簡単なのから始めれば、たぶん」
多分という言葉が怪しいが、出来るに越したことはない。
「ちょっと冷蔵庫見てきます。何か作れるものあるといいなあ」
メイは私と自分の空いたカップを手に持つとキッチンへ向かった。
調理できるような食材はあっただろうか。普段料理をしない人間の冷蔵庫に期待なんてするものじゃない。
「あ、これならわたしでも出来そう」
メイの手には冷凍のフライドポテトのパッケージが握られていた。
「えーと。凍ったまま、油で揚げるだけ。簡単ね」
パッケージを読み上げる。初めから油物に挑戦というのはいささか難易度が高い気がしたが、冷凍物ならそんなに心配はない気もした。
そもそも街中で揚げ物を使う屋台やら店がそこらかしこにあるのだから、馴染み深いはずだ。
「今からやるのか、それ」
食事を食べてそう時間は立っていないのだが。
「やる。全部は開けないから。だめかな」
顔の前に凍ったパッケージを突き出してくる。まあ、たまには良いか。
余れば夜食にでもすればいい。
「油はカウンターの下の引き出し。鍋はその隣だ。コンロの使い方、分かるか」
「コンロの使い方ぐらいわかります」
ムッとした顔のメイは早速用意にとりかかる。
私は換気扇と窓だけは開けるように指示をすると、新聞を広げた。
紙面には特に興味を引くようなことは書いていなく、強盗や殺人、遠い国でのテロ等が他人事のように並んでいる。
経済も大きな動きはなく、世界は今日もどこかの平和をノロノロと食いつぶしているようだ。
母国の名前が小さな記事の端に書かれていた。胸を刺すような感傷も怒りもなく、ただただ遠く感じた。
新聞に一通り目を通し終わる頃、キッチンの方から焦げ臭いような匂いが漂ってくる。
「きゃ、なにこれ」
短い悲鳴に振り返るとフライパンから火柱が上がっていた。
「嘘だろ」
何をどうしたらそうなるのか。ただのフライドポテトで。
ソファから跳ね上がると、キッチンまで走った。
視界ではメイがカップに水を汲んでフライパンに向かって振りかけようとしている。
「水はやめろ」
ギリギリでメイの腕を掴んで強引にカップを取り上げるが、カップから溢れた水がわずかにフライパンの中へ入ってしまった。
慌てて近くにあった蓋で空気を遮断する。火は少しの間、立ち上っていたがやがて小さくなって消えた。
はねた油が小さな腕に付着する。
「あっつ」
手を抑えてメイが顔をゆがませる。
「……ごめんなさい」
メイは、目に涙をうかべて私に謝った。
「油に水は悪化させるだけだ」
私は淡々と答えた。
「ほんとうに、ごめんなさい」
メイはもう一度謝った。このままでは何を言っても謝り続けそうだ。
「腕、見せてみろ」
「大丈夫です。痛くないから、あの、片付けます」
私はメイの強がりを無視すると、水道の蛇口をひねるとメイの腕をつかんで水に突っ込んだ。
「怪我をしたら言え、意地は張るな。それと、料理はしなくていい」
赤くなりかけた腕をじっと見る。
「……ありがとう。ごめんなさい。わたし、なんにも役にたってない」
「掃除はできるだろ」
氷があったら良かったのだが、生憎昨日の晩に使い切ってしまっている。
「料理は私がやるからいい。適材適所だ」
「てきざ……? 」
「人には向いてることと向いてないことがあるということだ」
私は投げやりに呟きながら鎮火したフライパンの蓋をあけてみる。
中には所々、いや、ほとんど焦げたフライドポテトの残骸が残っていた。
なるべく被害が少なそうな部分をつまむと口へ運んだ。
その様子を見てメイが目を丸くする。
「まずい」
当たり前だが、焦げた味しかしない。
「これはありえないな」
メイの顔が再びくもる。今にも泣きそうな顔だ。
私は不味いといいながらも、何度かフライドポテトを取って食べると、メイの口へも運んだ。
メイは驚きながらもおずおずと口を開いてそれを食べた。
「な、ありえないだろ」
「……ありえない」
二人で顔を見合わせると、どちらからともなく笑いが漏れる。
いつの間にか、笑い声は二人分になって、大きく部屋に響いていた。
「お二人さん楽しそうに何やってんのー」
開けっ放しにした窓からアンドレの声が聞こえた。
「メイの初手料理だ、お前もどうだ」
私は笑いをこらえるように窓越しに声をかけた。昨夜の仕返しにこれはいい物が出来た。
「お、マジで。食べる食べる。女の子の手料理なら大歓迎」
調子よく答える男に私は玄関を開けてやろうか、と久しぶりに思った。
「ちょっと、イーデン、なんでそういう時だけ簡単に人を入れるの」
顔を真っ赤にして怒るメイを見て、私はまた酷く笑った。