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第一二話 少女との生活

「……おはようございます」

 レックと私の、いささか大きめのやり取りでメイが起きてしまったようだ。

 ソファから上半身だけを起こして私とレックを見つめている。心なしか何か言いたげな視線をよこすが、私にその意図はあいにく伝わらない。


「メイ、おはよ。メイが起きたから私は帰ろうっと」

 私の肩をすれ違いざまに軽く叩くとレックは中途半端に片付いた部屋を後にした。

「さてと。夜まで寝るかあ」という不健康そのものな生活を表す言葉が聞こえてきた気がしたが、私はあえてそれに関しては何も言わずに「皿、ありがとう」とだけ返して彼女の後ろ姿を見送った。


「レック、夜からずっといたの」メイが聞く。

「そんなわけないだろ。この惨状の収拾しゅうしゅうをしにきただけだ」

 私は床を見やる。途中まで片付けてはいたが、まだ空き瓶やスナックの空などが部屋のあちらこちらに散らばっている。

 それもこれも途中からスピーカーを持ち込んで踊り始めた馬鹿男のせいだ。

 元がラテン系なのかは分からないが、アンドレは酒が入ると普段に輪をかけて陽気になるようだった。

 レックをダンスに誘っていたようだが、釣れたのがマリアだったのには笑ってしまったが。


「わたしを起こしてくれれば良かったのに」

 不機嫌そうにメイは言うが、あれだけ気持ちよさそうに寝こけている人間を起こして片付けをさせるのは、それはそれで骨が折れる作業だと思う。

「そう思うなら家主よりはせめて早起きするんだな」

 不眠症気味の私より早く起きるとなると、相当の努力が必要に思えたが私はあえてそれを告げずに返した。


「片付け、まだですよね。わたしも手伝う」

 ノロノロとソファから起き上がる所をみると普段は朝方に起きる生活ではないのだろう。

 そもそも、夜の店で働いている人間の生活というのはただ逆転しているだけではなく不規則でバラバラな場合が多い。

 日中にすませなければいけない買い物や用事、ゴミ出しも勿論のこと、家族がいればその食事と家事も襲い掛かってくる。

 必然的に寝る時間はやることを済ませて空いた時間に、となってくる。


「別に寝ててもいいんだぞ」

 働かざる者食うべからず。その信条を掲げる私が珍しく本心からそう言った。

「レックは良いのにわたしはだめなの」

 ソファの隣にある洋服の山に顔を埋めてボソボソと言う。

 ……頭が起きてるか起きてないかの違いだろうに。子供はどうも合理的な判断に欠けるというか、出来ないというか。

 この現象を可愛らしいと思えるのが家族を持つことが出来る人間の条件なのかもしれない。あいにく私はなだめたり、さとしたりするのが得意ではないので当てはまらない。


「レックは荒らした張本人だろうが。片付けを名乗り出るぐらい当然だろ」

「じゃあアンドレさんが一番にかたづけるべきだと思います」

 よく分かってるじゃないか。だがあの酔っぱらいは相当泥酔していた。しばらくは起きないし、わざわざ起こしに行きたくもない。下手をすればこちらが介抱するハメになるような気がする。

 このまま誰々のせい、などと言っていたら部屋は永遠に片付かないだろう。

 こんな時に、ハウスキーパーがいたら助かるのだが。


「アンドレに片付けが出来ると思うのか。私はアイツの部屋に入ったことはないが中の想像は出来る」

「……たしかに。なんか、片付けに呼んだらまたお酒もってきそう」

メイはこらえきれないのか口元を隠している。私はもう一度周りの惨状さんじょうを確認した。

「ほんとにな。一人じゃらちがあかない、動けそうなら手伝ってくれ」

「最初からそう言えば良いのに。わたし片付けはけっこう得意なんですよ。お店だと掃除ばっかりしてたから」

 ゴミ袋を私から受け取るとメイはテキパキと動き始める。びんや紙ゴミ等を効率よく仕分けしていく。


 私は掃除機を引っ張り出してきてコンセントを伸ばした。

「夜の店なのに掃除ばっかり、か」

 私はあえて含みを持たせるような言い方をした。

「ねえ、馬鹿にしてませんか」

 手を止めて振り向きざまにメイは言う。

「さあ。どうだろうな」

 誤魔化すようにメイがゴミを拾った後の床に掃除機をかける。お互いの声を遮るような音が、床からチリを排除はいじょしていく。


「その掃除ばっかり、の女に大金をはらった男の人のタイプってどうなんでしょうね」

「単にハウスキーパーが欲しかったんじゃなのか」

 ハウスキーパーが欲しいのは本心だ。家に誰かをいれるなんて考えられなかったため、全て自分で家事は行ってきたがいてくれれば色々と便利なのだろう。

「……イーデンにはわたししかいない気がする」メイは真面目くさってそう言った。

「なら、掃除は頼んだぞ」 

 掃除ぐらいしてくれてもいいだろう。食費と生活費は私が出すのだから、それぐらいの恩恵があってもいいはずだ。

「もうそれでいいです」

 メイの呆れた声に何が不満なのかと首を傾げたが、すぐに熱心に掃除機をかける作業に没頭した。チリ一つないように。


 あらかた掃除が終わると、私はここ数日放置していたノートパソコンを立ち上げ、仕事の続きを開始することにした。

 気を利かせたメイがコーヒーをいれてキッチンから戻ってくる。

 片方のコーヒーは色がほぼ黒から薄い茶色になっていた。

「それ、すでにコーヒーじゃないだろ」

 カップを受け取り、デスクのリクライニングチェアに深く腰をかける。

「コーヒーですよ。……三分の一ぐらいは。いいの、その内飲めるようになるんだから」

 私は鼻で笑うと「仕事をするから声をかけるなよ」と言ってディスプレイと向かいあった。

 

 仮設を立ててシミュレーションする段階はほぼ終了しているといってもいい。

 あとは現実で実験に移すだけなのだ。安全性には十分と言っていいほど配慮しているし、規模は限定していて極わずかだ。初めから使用に耐えうる用な大型の物を作る予定等さらさらない。

 たしかに、こちらが想定し得ない事故が起きる確率は0%とは言えない。結果は蓋を開けてみないと分からない。

 だが、それが何だというのだろう。次の段階へ行こうと人の心は常に進化し続けているのに、それを阻むのも人の心だ。

 技術は可能性や発想から生まれるのではない。常に新しくありたいと願う欲望から生まれるものだ。欲望がなければ次のステージへは進めない。欲望を放棄した人間は、人間として生きる権利を放棄したも同然だ。

 

 目が乾いてきて、首を軽く回すと関節がきしんだ。

 USBを丁寧に取り外すと鍵付きの黒いケースにおさめると、机の引き出しへしまう。


 時計は正午を回っていた。昼食も朝食も食べ忘れたことに気付いた。

 メイがいることを思い出して、一人ならばいいが、まだ育ち盛りの子供に対してこの食生活は頂けないと思い直した。

 ある程度現金を渡しておくべきだろうか。


「おい、食事を忘れてた」あまりの言い草だが、これ以上に言葉が思いつかなかった。

「終わったんですか。わたしなら平気ですよ。なんだかすごい難しそうな顔してたから、コーヒーのおかわりでもって思ったけど声かけづらくて困っちゃった。」

 メイはマリアから貰った服をきちんとたたみ、その中から気に入ったであろう服を床に並べて暇を持て余していた。

「それよりイーデン、これどう思う」メイがくるりと回ってみせる。

 ノースリーブの薄い黄色のワンピースには腰元にリボンが付いている。

腰から下の生地にはドレープがついており、メイが動く度にふわりと揺れる。

 洋服のことは良く分からないが、褐色の肌に黄色は良いと思った。

「良いんじゃないか」

「適当にいってない」

不満そうにこちらに近づいてくる。

「他になんの感想を言えって言うんだ。似合ってるから良いと言っただけだろ」

 私はディスプレイとにらめっこをしていて、つかれた目を閉じて天をあおぐ。

「似合ってるかな、それならいいよ」

 メイは上機嫌で返事をした。


「金、渡しておく。仕事をしてるとどうも時間感覚がなくなる。お前は好きな時に好きな物を食べにいってくれ」

 私は先程の議題を上げることにした。

「渡さなくてもいいよ。イーデンの仕事が終わるまで待ってるから。一緒に食べたいの」

「下手すると1日1食もありえるぞ。それにお前、暇な時はどうするんだ」

 暇な時。私はすっかり頭から抜けていたがこの子供は学校にすら通ってないのだ。今から通えるとは思えない。親の許可や戸籍がどうなっているのかも分からないからだ。

「1日1食……。暇な時は掃除とか、洗濯とか、家事をします」

 

 1日1食という言葉を何度も繰り返す。そっちの優先順位が高いことに呆れ半分、感心半分。将来の心配というのは彼女にはないのだろうか。

「家事は程々にしてくれ。あまり部屋のものは触らないで欲しい。特にこのパソコン周辺は。お前欲しいものはないのか」

 仕事のものを下手に触られても困る。まあ、本当に触れて欲しくないものは鍵付きのボックスにしまうことにしているが。

「ほしいもの、ほしいもの……うーん、勉強ができるような本かな」

 珍しいものをねだる、もっと子供らしい人形やら服をねだると思っていた。

「子供用か、街へ行った時書店で買ってきてやろう。他には何かないか」

 本なら安いものだ。

「ありがとう、勉強してちょっとでも役に立てるようになりたいの。――あとは特にないかな。しいて言うならやっぱりご飯は三食たべたい……。イーデン、仕事熱心なのはいいけど、もっとちゃんとした生活をするべきだとおもうの。体を壊したら仕事もできなくなっちゃうよ」

 おずおずとメイが言うものだから、私は少しだけ自らの生活をかえりみる気持ちが沸き上がった。


「……善処ぜんしょする」

「まあ、こんな時間だが食事にするか」

 冷蔵庫には何か残っていただろうか。メイが顔を輝かせる。


「うん。あ、そういえば……」

 私は椅子から立ち上がるのを止めた。


「イーデンってどんなお仕事をしてるの」


 純粋な問い。ただの興味だろう。そこに値踏みしてくるような視線も声色もなかった。


「人間の生活に、いずれ無くてはならないものを生み出そうとしてる」

 メイはきょとんとした表情になる。当たり前だ。曖昧で抽象的すぎる。

 私は答える気がないし、そこへ進めるかも分からない。


「そうなんだ。よくわからないけど、イーデンのおかげで私の生活はよくなったよ」

 メイは笑顔で私に言った。

「そうか。これからはお前の努力次第だけどな」

 

 研究を進めれば一人だけではなくもっと多くの人間の暮らしが楽になるだろう。

 私は両手を合わせて背伸びをすると、立ち上がって冷蔵庫の方へ向かった。




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