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第九話 交渉と出ない答え

 周囲の喧騒が大きくなる。中心は台風の目のようにしずかだ。

 私と、札束と、黙りこくる女。

 ダンサーが舞台から降りてきて興味深そうにこちらをのぞく。

 隣りにいる女同士抱き合ったり顔を近づけたりして状況を把握しようとしている。

 他の客たちの酒も止まり注目が集まっている。

 爆音のBGMは相変わらず何事かをわめきたてているが、もはや誰の耳にもとどかない。

 

「……ねえ本気なの」

 抑揚のない声は彼女の商売人としての風格をふきとばしてしまっていた。

「冗談に見えますか」

 冗談ではない。私は私自身に言い聞かせているようだった。

 

「――だからって」

 女の言葉をさえぎるように人垣がわれる。騒ぎに気づいたガラの悪そうな男たちがこちらへ来た。

 男の一人が私の前に立つと、タバコをテーブルに押し付けて消した。

「お客さん飲み過ぎじゃないか」

 空いているグラスの一つを見てわざとらしく笑う。

「店のルールは破っていませんよ。酒を飲んで女を頼んだだけだ」

 ルールに則ってルールを侮辱している。彼らにとっては縄張りを荒らす嫌な客でしかない。

 男の顔を正面から見すえる。目をそらしてはいけない気がした。とても、原始的な衝動。本能。


「おい、こっちの兄さんはどこの女の為に騒動を起こしてるんだ」

 男が私から視線を外すと女に向かって苦々しげに吐き出す。

「メイよ」

 一言で返す彼女は不満そうな様子だった。もっとこれが店一番の女だったら、と想像をして私は思わず苦笑してしまった。

「メイ、メイ……ああガキか。ガキを買うやつは物好きだが、アンタはその中でも飛び抜けてるな」

 肩をすくめる男に交渉を続ける。冷静に、がっついて見えないように。

「美醜の感覚は人それぞれですよ」

「まあ確かにそうだな。ここには色んな奴が集まるよ」

 肘をついて退屈そうに再びタバコを尻ポケットから取り出した。

「メイの売上げは」

 その一言に、女は男に耳打ちをする。

「そんなもんだろうな、あれじゃあな。よし分かった」

「え、ちょっとそれって」

 良い方に転がっているようだ。メイの容姿が悪いと思ったことはないが、彼らの言う一般的には悪いと思われる方向でこれは良かったのではないだろうか。

 こんなことを思っているようではまたデリカシーがないとわめかれそうだが。

「お客さん、一括なら構わないがどうする」

 一括か、散々容姿のことをけなしておきながらも取るところはきっちり取るというわけだ。

「構わないですよ。勤務は終了ということでいいですね」さり気なくこれからのことを匂わせて添える。

「今日で勤務終了だ。メイを呼べ」男はアゴで指示をする。

「分かったわよ」

 

 突然、人ごみをかき分けてメイがあらわれた。

 顔を赤くし肩で息をしながら男の前に立つと私の方を指差し、慌てて話し始める。

「こ、この人は悪い人じゃないんです。ちょっとそりゃあこの辺のルールは知らないし、女の子の扱いもなってない人だけど、悪気があって問題を起こすような人じゃありません。だから――」

「お前は何を言ってるんだ」

 私は思わず口を挟んだ。この娘はどうもせっかちすぎる。

「本当にな。お前の上客に向かって何を言ってるんだか」

 男もくだらないと言わんばかりに同調する。

「じょ、上客って……」

 指の形をピストルにすると男は机に向かって撃った。

「な、なにこの大金。全部本物なの、イーデン本当になにしでかしちゃったの」

 どこまでも考えの方向性が間違っている。私は額に手を当てる。

「お客さんのお帰りだ」

 男は私を立ち上がらせると伝票に適当なサインを入れて投げた。

「メイ、お前も一緒に行くんだよ。明日から出勤しなくていいぞ、永遠にな」

 メイは口を大きく開いて首を傾げる。

「その通り。さっさと行くぞ」私はメイに声をかけると先導する男について出口に向かって歩き出した。

「来ないのか」自体に追いつけずメイは女の顔を一瞬見るが、振り返って小走りに私のほうへ走ってきた。

「イーデン、明日からってもしかして」期待を抑えきれないとばかりに早口になって聞いてくる。

「そのもしかして、だな」

 店のBGMが遠のいていく。背後では女たちの拍手喝采と客の野次がうねるように湧き上がる。

 酒を再び開ける者、手笛をする者、ハイタッチを交わす者。

 その盛り上がりように一瞬驚くがすぐにきまりが悪くなる。

 出口では男と女が見送りをしてくれている。

「メイ、捨てられたら帰ってくるのよ」女が真顔で言った。

「今までお世話になりました」

 形式通りのあいさつをして頭を下げると、メイは私の方を見る。

 私は顔を合わせることができないまま、早足に店を出た。

 

「どうして」メイは言う。

「どうしてだろうな」答えにならない答えを返す。

「わたしがカワイソウに見えたの」可哀想。そうは思わなかった。どうしてもっと上手く出来ないんだとか教養もない奴は人間に見えないだとか出てくるのはいつもの私だけだった。

「同情して欲しかったのか」

「そんなわけ、ないでしょ」

 ここに住む女達はきっと同情だとかそういうことを嫌う。なら見下す私と同情する誰かならどちらがマシなのだろうか。

「じゃあ別にいいだろ」

「何がどう良いのかわかんないよ。それじゃあ、わたしはどうすればいいのかわかんない」

 彼女の苦悩に私は触れないようにした。触れたくなかった。

「そうだな」

「そうだよ」

 ぽつぽつと続く会話に私は歩みを自然とゆるめていた。

「必ずこの恩は返します」

 強い言葉だ。強い表情だ。私が子供の頃にこんな決意をしたことはなかった。

 いつだって誰かの顔をうかがってレールから外れないよう必死になっていた。

 それが間違っていたとは思わないが。

「期待はしてない」本心だ。

「あーあ。早く大人になりたいなあ。もっと大人になれば私だってすっごく美人になるかもしれないですよ。その時に後悔したって遅いんですよ」メイは言う。

「そんなに急いでどうするんだ」

どうせ誰だって大人になる。否が応でもなって、あっちからこっちから問題が振ってくる。

「急ぎたくもなります」子供は大人になりたがる。大人は子供になりたいと思う暇もなく老人になって朽ち果てる。

「ならもう少し食べないとな」私はメイを見下ろして残念そうにため息をついてみる。

「ほんっと失礼ですね。いいですよ、死ぬほどたべてやるんだから。今日からずっとおごりですよ。わたし好きなもの毎日食べますからね」憮然として放たれた言葉に私は思わず笑った。

「美味い料理屋は詳しいんだろ」

 笑いが止まらなくなって、からかうように言う私にメイは「わたしのこと本当になんだと思ってるんですか」と返しながらも笑っていた。

「ほら、早く案内しろよ」

 あの屋台の男は私の顔をまだ覚えているだろうか、そんなことを思いながら私たちは帰路を急いだ。


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