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プロローグ 私の失敗

 

 頭が酷く痛い。もう何日も仕事が忙しく、寝る暇もない。

 電話が鳴っている。

 るるるるるる、るるるるる。

 窓ガラスを打つ雨。

 たんたんたん、たんたんたん。

 

 る、る、る、たん、たん、たん。

 たん、たん、る、る、る、る、る。

 

 音の境界線が、曖昧だ。

 

 眠気と戦いながら私は重い体を引きずりながら受話器に手を伸ばす。

 「ハロー、ハロー」

 自分の声が思ったよりずっと子供っぽく聞こえる何故だろう。

 「ハロー。こちら×××病院ですが、イーデン・マクラーレンさんですか」

 「はい、そうですが」

 「ああ良かった。てっきりご家族が誰もいないのかと思って……」

 家族。私の家族。私の母親。私の父親。母さん、父さん、ずっと昔に私を捨てた人たち。

 私に家族はいない。ずっと一人暮らしではないか。

 

 「マクラーレンさん。聞こえていますか、マクラーレンさん」

 「はい、はい。それで」

 「大丈夫ですか。それで、それでですね、あなたのお母様が亡くなられたのですよ」母が死んだ。

 「私に母はいませんが」

 「エミリア・マクラーレンさんはあなたのお母様では――」

 死んだような脳みそから記憶を引っこ抜こうと、こめかみに指を当てた。頭痛が治まらない。

 

 ――エミリア、エミリア、エミリア・マクラーレン。私の母だった人。化粧をして、香水を付けたら夜の街へ消えていく人。記憶の中の母親は何故かずっと若いままだ。

 

 「聞いていますか、マクラーレンさん」

 「聞こえていますよ。エミリア・マクラーレンは私の母ですが、私に母はいないんですよ」

 「――それはどういう」

 

 私は静かに受話器を置いた。母が死んだ。もう何年も私を拒絶していた母が。

 電話が再び鳴り響く。煩い教師のように、神経質に、ヒステリックに。

 電話線を探すと迷わず引き抜いた。最後のワン・コールを断末魔に悲鳴が鳴り止んだ。

 これで大丈夫だろう。

 

 眠ろう。起きたらまた、研究所に行かなくては。


 IDカードをいつも通りに切って重い扉が開く。マグカップを持った所長がこちらを見て目を見開いた。何をそんなに驚いているのか。

 「所長、昨日のレポートの件についてですが気になる点が幾つかありまして」

 「マクラーレン君、何をしに来たのかね」

 仕事をしに来たに決まっている。研究を進めなくてはならない。彼こそ一体どうしてしまったのだ。

 「マクラーレン君、君は昨日付けで退職しただろう」

 何を言っているのだろう。

 

 「研究は打ち切りだ。もう必要がないのだよ、君の研究も君も必要がない」

 「無駄な研究を続ける予算など何処にもないのだよ」

 「大体、君のような出身の者がどうしてこんな所にいるのだね」

 「可哀想なお母様もだから君を捨てたんだ」

 「君は冷たい、実の母親を埋葬すらしてやらないなんて」

 「本当に駄目な子だ」

 「イーデンは駄目な子ね」

 

 うるさい、うるさい、うるさい、うるさいうるさいうるさい。


 

 「煩いんだよ、お前に何が分かる」

 

 私は叫ぶ。

 目を開くと見知らぬ天井。

 

 いや、違う、私は異国の地のアパートメントを借りたのだ。ある日、唐突に私の研究チームは解散させられた。今までの努力は所長の一言で一切合切終わることとなったのだ。納得は勿論できなかった。

 

 私の研究が成功すれば人類は飛躍的に進歩するはずなのに。誰もが私を認めようとしない、自分が理解出来ないものからは目を瞑って、分かったような口で延々と危険性がどうだのだとか予算がどうだのだとか、非難をして退けるのだ。

 

 それならばもう良い。研究データを自分のパソコンへと移すと私はさっさと高飛びをした。認めないのならば、お前らは必要がない。私一人で十分だ。

 

 汗でびっしょりの前髪が額に張り付いている。全身で荒く呼吸をしながらシーツを握りしめる。

 

 「ああ、夢。夢だ」

 雨の音がしている、母国では見られないような大雨だ。今この国は雨季に突入したばかりでバケツをひっくり返したような雨が断続的に降るのだ。雨は嫌いだ。大雨も小雨も私にとっては同じ雨音にしか聞こえず、私を苛むのだ。

 「のどが乾いた」

 枕元のミネラルウォーターに手を伸ばす。午後17:00、一体いつから寝ていたのだったか。

 

 「ちょっと何の騒ぎさ。大丈夫なのかい」

 ドアをがんがんと叩く音と共にしわがれた声を張り上げながらアパートメントのオーナーが騒ぎ立てる。もう60を過ぎたオーナーは常にアパートメントを巡回していて、自分の城が誰にも傷つけられないように蛇のごとく見張っている。

 「生きてるかい、部屋で暴れられたら困るんだよ」

 

 ――おせっかいで金に汚い女。私が嫌いとするタイプだ。私がドアを開け、何でもないような笑顔を貼り付けて紳士的に、それでいて申し訳なさそうに対応しない限り彼女は延々と叫び続けるだろう。

 

 「はい、今出ますよ。大丈夫です」

 がちゃり、とドアノブを捻る。目の前には白髪頭の恰幅の良い小柄な老婆が私を睨みつけるように見上げている。

 「廊下を掃除をしていたらアンタの叫ぶ声が聞こえたからね。大丈夫なのかい」

 「すみません。ちょっと映画を見て盛り上がってしまって」

 「そうかい、他の人も住んでるんだから気をつけておくれよ。あと、部屋は傷つけないように」

 「分かっていますよ。次からは気をつけます」

 「それならいいんだけどね」

 不満そうな顔をしつつ、どうしたものかと悩むように腕を組む。この裁判長は審議から可決までが長いのだ。

 

隣の部屋からガラスが割れるような音が漏れてくる。

彼女は眉を釣り上げ、「あの酔っぱらい、また――」憎々しげに呟くと踵を返した。どうやら私への追求はここまでのようだ。いつもは喧しい隣人がこう役に立つとは。

 

 私はホッとして小さくため息を付きながらドアを閉めようとする。

 「ねえ、アンタ」

 まだ何かあるというのだろうか。いい加減にして欲しい。

 「ちゃんと食べてるのかい、顔色が悪いよ。まだ来て1ヶ月も経ってないから、ここの料理に慣れるのは難しいかもしれないけどさ」

 そう言えばまともに食べていない気がする。毎日やっていることと来たらパソコンに齧りついて引っこ抜いてきた研究データとにらめっこだ。停止したプロジェクト、足りない機材、たった一人の研究員。

続けることに何の意味があるのか、もはや私も理解をしていなかった。それでも私は完成させてみせよう。

 

 「ここから三本隣のストリートに行きなよ。観光客向けの、外国人でも食べられる料理が一杯あるからさ」

 ――部屋で死なれたら困るからね、と笑いながらオーナーは隣の部屋へ憤然と肩を揺らしながら歩いていった。

 久しぶりに外に出ようか。確かに、まともに食べていないのは致命的だ。これでは研究も進まないだろう。

 重たい体に再び新しい服を着せる、単純作業ほど重労働だ。

 

 通りに出て流しのタクシーを捕まえると行き先を告げる。空は先程の模様が嘘のようにカラッと晴れていて、星が浮かんでいた。




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