天に響く花3
「お主!!儂に抱かせぬか!!はよう!!」
「煩い黙れ失せろ鬱陶しい天に帰れ。それとも帰れないのか?
……ああ、上から落ちて星に当たったと言っていたな。そんな間抜けでは帰れないのも無理はない。
冥界の畳一畳ほどで良ければ一角でもくれてやるから未来永劫そこから出るな」
「口が悪いのう……。お主一体何故そのようにひねくれてねじくれてゆがんでおるのじゃ。
バビルサという動物がおるじゃろ。丸まってねじくれる自分の角が成長すると何れ刺さってしまうのじゃが。あれみたいじゃぞ。
そのきゃわゆい赤ん坊がお主の性格に似てしもうたらなんとする?」
「……………」
「……………」
無言のままに歩く彼奴を儂はゆらゆらと追う。形を崩しておる故に地に足を付ける必要もないのは楽じゃがどうにも落ち着かぬの。
儂は月晶霊姫様と呼ばれるえらーい精霊様じゃからして実のところ歩くのも一苦労だったのじゃが。ほれ、口にしては言わぬが歩かぬのは実に楽ちんじゃ。何せ儂ときたら人の姿を取れば頭から背なから花やら鳥羽やら竜の角やら魚のヒレやら生えておるのじゃ。
髪の毛はもったり半ば地に引きずっておるし、その地に落ちる髪の毛からまた花が生えまくっておるからそれがまたどうにもこうにも歩きづらくって歩きづらくってのぅ……。何よりいかんのがこの着物よ、豪華絢爛といえば良いやもしれぬがあれは着用するものが生きて動くことを前提としとらん。絶対にしとらん。儂は仏像か。
ふむ、そういえば人間界でグルメを堪能する精霊共は稀に土産と称して儂の絵姿を持ち帰ることがあるがの。どうにも下の世界で精霊共から伝え聞く話を元にりゅーつーしたらしい儂のいめーじらしいが、これがまた似とらんのじゃ。ほれ、精霊って適当じゃから。
やれひぃさまには羽が生えておられる角が生えておられる魚の虹色の背びれがあられる花の化身のようであらせられる月の光のようであらせられる御髪は大地に根ざしておられる、目は二つで口は一つ鼻一つ、全ての精霊をあわせたような姿であらせられる、とまぁ。ようするに下々にとって儂のいめーじなるものはすっかり世にも美しい異形の精霊、と。
そうはいうが絵姿に描かれておるはどうみても宇宙的な化物じゃろがい。全く精霊共め。永く人の世に慣れた古き精霊共は美醜やらも大体わかっておる故、その絵姿を見て大爆笑しおってからに。後でひぃさまはこの月光園の主、天響花の中にあって誰よりもお美しくあらせられますなどと嘯いておったが絶対許さんのじゃ。
……ふぅむ、それにしてもどこに向かうのじゃコヤツ。
まあどこでも良いのじゃが。冥界じゃろうとも儂には好奇心疼く見たこともない世界じゃ。見飽きた青い月夜の世界よりはよほど面白いからの。冥界は淀んでおるが、これはこれでまた美しきものじゃ。
「おい、いつまでついてくるつもりだ」
「うるさいのぉ……。お主、アレじゃ。この前精霊が儂に語ったしゅうとめなるものにそっくりじゃぞ」
「……………………」
骨ながら引き攣るとは器用なヤツじゃの。しゅうとめってわからんが今度から五月蝿くするとしゅうとめって呼ぶことにするぞよ。このように酸っぱい顔をするのならばよっぽどの悪口に相違ないからの。
ああ、それにしても身体が痛うて叶わぬ。あのような勢いで落ちた星に正面から当たってこの程度で済んでおるのは偏に儂が偉ーい精霊様じゃからに他ならぬ。余人なれば間違いなく一息に冥界を越えて花に昇る勢いじゃったぞ。
儂にはまあ実際そのようなものは無いのじゃが、言うなれば全身骨折じゃ。それもいっとう重い複雑骨折で粉砕骨折じゃ。バッキボキじゃぞこれ。治るのにどれほど掛かるやら想像もつかぬ。これでは人間のグルメを堪能も出来ぬ。無念じゃ……。
「…………ちっ、星が当たったなどと信じておらぬがな。禄に動けぬ程の傷を負っているのならばそう言え。
冥界の住人たる俺とて重体の者を手酷く見捨て去るような鬼ではないわ」
「なんじゃいきなり。しゅうとめの癖にいきなり優しくなったのう。精霊共からしゅうとめなるものが優しくしてくる時はとんでもない悪辣な事を成す前兆と聞いたぞよ。
なんでも親の位牌や形見を捨てる段階とか。さような悪鬼羅刹の如き所業、魔人ですらやらぬぞ。じゃが儂に親はおらぬ、残念じゃったの」
「そのクソ偏った知識を今すぐ捨ててこねば本気で打ち捨てるぞこのクソ霞が」
「じょ、冗談じゃ!その手を下ろすがよい!折角赤ん坊が寝ておるのじゃろう!!」
「ふん」
危ない危ない。如何な儂でもこの傷ではどうにもならぬからの。ここは大人しくしておくのじゃ。それにコヤツは恐らく儂くらい強いぞよ。いや、もしかしたならば儂より強いかもしれんの。特にこの冥界にある限り冥界の生き物は無敵と聞く。
この冥界が如何なる世界か儂にはわからぬが、それでもこの冥界という葉は特殊な場所じゃからの。あらゆる魂が流れ着く果て、天響花の中で最も広大で強き葉なのじゃ。この世界の生き物はこの世界に居るかぎりあらゆる葉の生き物を寄せ付けぬらしいぞよ。
本気で争えば儂とてただでは済まんじゃろな。まあそもそも儂は争うとかしないのじゃが。あんなのは野蛮な下々がやることじゃな。
「霞、貴様その傷はどの程度で治りそうだ?」
「霞ではないわ。げっしょ」
月晶霊姫様と呼ばんかい、言おうとして慌てて口を閉じた。いかんいかん、冥界なれば儂の名前を知られておってもおかしゅうない筈じゃ。あの絵姿はともかくの。
儂が誰であるか知られて困るものでもないが、月光園の主が不在などと知られるのはいかん。それに今頃炎狐やら水蛇やらはカンカンに怒っておる筈じゃ。きっと儂を探しておるに違いあるまいて。
「げっしょ?」
「な、なんでもないのじゃ!!くしゃみが出そうになっただけじゃ!!」
「汚いくしゃみだな」
「やかましいぞよ!!」
失礼なヤツじゃの!!
しばし悩んで、苦肉の策としてなんとか名前を絞り出す。月晶霊姫ともあろうものが嘘をつくハメになろうとは……じゃがこれもグルメの為なのじゃ。
「そ、そうじゃな。儂の名は月夜と呼ぶが良いぞ。特別に許すのじゃ」
「月夜、霞には勿体無い名だな」
「やっかましいぞよ!!ええい、儂に名乗らせておいて自分は名乗らぬなどと無礼を越えていっそ破廉恥じゃろ!!」
「誰が破廉恥だこの脳足りんクソ霞が。……そうだな、朔夜でいい。特別に許す。
子の名は……、星陵だ」
今、お主ちょっと考えなんだか?単に儂が言った名前をひっくり返しただけではないか。あからさまに嘘じゃろそれ。しかし儂もちょっと不審さが拭えぬのはわかっておる故藪蛇は突付けぬ。
それに言に嘘がないのならば儂をどこぞで療養させるつもりであるらしい故、精霊は適当ではあるが恩を仇で返すような真似はせぬ。聞かれたくなくば儂も聞かぬでよかろ。
赤子の名前はしかと覚えておくのじゃ。儂が育てるからの。寝顔もきゃわゆいのう……。
「のう、主が連れて行く場所にグルメはあるのか?」
「そんなもんがこの冥界にあると思うのか。土でも舐めておけ」
「なん、じゃと……それでは儂は一体何のために落ちたのじゃ!!」
「知るか。傷が癒えて天に帰る事叶うようになれば人間界にでもどこにでも寄っていけばよかろうが。
そこでグルメでもなんでも楽しんで来るがいい」
「それまで儂は何を楽しみにすればいいんじゃ!?」
「知るか。無駄に広さだけはある。端から漂って端まで漂い、その後はまた最初の地点に戻ってまた端まで漂えば隙は潰せるからそうしろ」
「………それは罪人の穴掘りとどこが違うのじゃ?」
「特に違いはないが」
「なんで儂がそんな事せねばならん!!」
「この冥界にあって仕事無き者はそれだけで罪だ。身体が動かぬ、口が聞けぬ、目が見えぬ。誰であろうとも仕事をせねばならない。
それがこの冥界だ」
「…………仕事、仕事じゃとぅ!?」
「そうだ。貴様に何ができる?
何が職と誇れる。貴様らのような精霊には何もできんだろうが。
特に貴様には手足すらない。挙げ句の果てに禄に働けもせん傷病人となれば尚更だ」
「ぬ、ぐ」
口惜しきことじゃが言い返せぬ……精霊に仕事なぞさせるでないぞよ。精霊が死ねば身体は大気に溶け名と共に魂はそのまま天に昇るというがその理由がよぅくわかった。精霊に冥界無理じゃ!!
「貴様のような光玉など精々が――――――――いや待て。ふむ」
「なんじゃ」
「貴様にも可能な仕事を見つけたぞ。喜べ」
「………………なんぞこう、労働とかそういうのをするのか?」
「いや」
ぐわっしと朔夜の手が儂の身体に掛かる。
「何をしやるか!!」
「乗れ」
がぽっと何かにはめ込まれてしもうた。崩した儂の身体がすぽっと収まるサイズの銀の皿のようなヤツじゃ。朔夜の手元の棒で支えられる奇妙な皿じゃった。
なんじゃこれ。
「俺の見立て通りだな。では存分にこの冥界で働いておけ」
「…………なんじゃこれ」
「光るしか脳が無いがこの冥界で灯りとは貴重なものだ。貴様も見ただろうが冥界の蝋燭というものは灯りとして十分とは言えんからな。
今より貴様はこの冥界を照らす天の光だ。存分にその燭台に乗って光っておけばいい」
「しょ、燭台!?」
この月晶霊姫を捕まえて蝋燭代わりの灯りにしおったぞコヤツ!
「では罪人と並んでか細き蝋燭でも作るか?
それともこの荒涼の大地を無意味に耕すか。燭台ならばその皿に乗っているだけで済むのだがな」
「……………べ、別にイヤとは言っておらんのじゃ」
大人しく燭台に収まっておくのじゃ。こ、これも立派な仕事じゃて……。
それに療養という意味でもできるだけ動かぬほうが良いからの、そうじゃそうじゃ。
別に動きたくないとかそういう事ではないぞよ。