怒濤の土曜日1
アリエルが、次第に明るさを取り戻してきた翌週の土曜日。お昼の片付けをしていた時に、玄関のチャイムが鳴った。
「はーい、今、出まーす」
通販で何か注文していたっけ? と思いながら玄関に来てみると、訪問者はすでに中に入っていた。無礼をとがめるべきか? かかっていたはずの鍵はどうなったか? 一瞬固まってしまったアリエルだったが、面前の、中年女性の訪問者も驚愕の表情で固まっている。
「あ……あなた、どなた? ふ、ふーあーゆー?」
田舎から様子を見に来た、タクマの叔母、志藤史子だった。
居間のテーブルをはさんで、史子に、タクマとアリエルがソファーにかけて向かい合っている。
「……つまり、一年間お世話になっていた外国の知り合いで、拓磨ちゃんを頼って来日した、と?」
「はい……」
「で、現在、ふたりっきりで同棲状態……と」
「は、はあ……」
腕組みして首をかしげながら、史子はアリエルの様子をうかがう。中年過ぎの女性には、まず直感的に相手の好き嫌いを分けてしまうタイプが多い。史子もどちらかというと、そういうタイプだ。アリエルの第一印象は……かなりいい。日本語は流ちょうで、しかも話に割り込むでもなく、タクマのフォローに徹している。品のよさと明朗さという両立しにくい性質を、併せ持っているのもポイント高い。
しかし彼女がタクマの恋人、もしくは伴侶としてふさわしくとも、現状ではかえって有害になりかねない。
「拓磨ちゃん……こういう事は言いたくないんだけど」
「はい……」
「あなたの身分は、受験生なわけでしょう?」
「おっしゃるとおりデス……」
アリエルが入れたお茶を一口飲む史子。うん、これも合格点。
「もちろんわたしは、拓磨ちゃんを信用してますよ? 恩人の娘さんという事だし、きちんとした手順を踏む前にキズものにするなんて、決してないと信じてますとも」
(すみませんすみませんすみませんフミコばさん、オレそこまで意志堅固じゃなかったです、すみません)
「でもねえ、あなたが大学受験を控えている以上、女の子とふたりっきりというのは、さすがに見過ごせないわ。間違いというのは、起こってから正すのじゃなく、起こる条件を先になくしておくべきだと思うの」
話の流れに、アリエルの表情にも不安が宿る。
「独り暮らしを始めろと言い出したのはおじいちゃんで、それは今さら引っ込めないと思うわ。無論、アリエルさんに今から別の寝所を探せと言うわけにもいかないし、ここはやはり、誰か大人がひとり、一緒に暮らすべきだと思います」
ああ、やはりそういう結論になるか。話の途中からおおよそ予測はしていたタクマだった。
「で、誰が適任かだけど、私……がすべき事なのかもしれないけど、裕太と千尋の世話もありますしねぇ。ここはお母さ……早苗おばあちゃんにでも……」
「うっ!」
「えっ! これって……!」
その瞬間、タクマとアリエルは弾かれるように立ち上がった。再び市街地をおおう魔力衝撃波を感じたのだ。思わず互いに顔を見合わせる。
「拓磨ちゃん?」
「悪い、フミコばさん! 急用ができた! ちょっとここで待ってて!」
「失礼します! また後ほど!」
二人そろって家を飛び出す。衝撃波の中心は、やはり前回と同じ城跡公園。互いにうなずきあって駆けだした。
居間にぽつんと残された史子。
「……まさかこのまま逃避行とか……ないわよねぇ……?」
あごに指をあて、小首をかしげた。
◇
公園内に駆け込むと、困った調子で弁解している、懐かしい声が聞こえた。
「だから先に手を出してきたのはあいつらで、あたしは身を守るために反撃しただけだっての!」
「いや、だからね、キミ、本官が聞いているのは、一体何をしたか? なわけよ。まわりで見てた人の話だと、手榴弾でも爆発したんじゃないかって」
「シュリュウダンってのが何か知らないけど、あたしが使ったのは軽い『空気炸裂』だけだって! ケガ人も出てないだろ?」
「えあばーすとだけって……その、それが何を指してるのか聞きたいわけ。結局、火薬か何か、使ったんだよね?」
小柄な初老の警官に対して、見下ろすような高さからまくし立てている女は……
「「カレン!」」
きれいにハモった二人の声に、顔を向けたカレンは破顔一笑。ものすごい勢いで飛んできて、二人を胸に抱き込んだ。
「わははははは! 無事だったかアリエル! ちゃっかりタクマと一緒に現れやがって、もうこっちで会っていたんだな! おねーさんを心配させておいて、お前らはしっぽりか? けしからんガキどもめっ! えいこの、おしおきだっ! おしおきだっ!」
「ぐるじいガレン」
「むもぷぷぷ」
カレンを聴取していたのは、アリエルが来た時に会った警官だった。受け持ち区域なのだろう。タクマは、背の高い彼女も同じ国から来た留学生とつじつまを合わせ、酔漢にからまれてぶっ放したという魔法については、苦しい作り話を重ねてようやく納得してもらった。……正直、ちょっとだけ『説得』の精神魔法を使ってしまった。相手の警戒心をさげて「信じやすく」する魔法である。その性質上、イムラーヴァでも嫌われている種類のものなのだが……
タクマの家に向かう道中、互いに状況を説明し合う。カレンがフェルナバール王国の『勇者召還の間』から単独で次元跳躍したと聞いて、呆れに近い畏敬の念を抱く二人。単純に考えて、十数人の術者をそろえて行う大魔法を、一人でやってのけた事になる。
「しっかし、こっちの世界は魔素が薄いなー。どこもこうなのかい?」
「少しはましなポイントはあるけど、イムラーヴァのレベルからすると微弱だね」
「ふうん、そうすると、魔力を回復するだけでも一苦労か……」
次元跳躍に、どれほどの魔力を使うか想像がつかないが、並みの量ではないだろう。おそらく今の自分が最大魔力ポイントをつぎ込んでも無理なんではなかろうか。そんなことを思うタクマ。
家の前についてから、史子のことを思い出した。ああもう、警官にしたのと同じ話をするしかないな。信じてもらえなかったら……また『説得』に頼るか。親戚の、それも身内と言っていい相手に精神魔法を使うのは、非常に気まずいものを感じるが……
意外にも史子はカレンと波長が合うようだった。カレンはイムラーヴァ各地を旅して回った「放浪の大賢者」である。その旅の話の細部をぼやかして、こちらの世界の話として語った。これが史子に大受けだった。
「ほほほ、カレンさんは本当にいろんな国を旅してこられたんですねぇ。うらやましいですわ」
「いやー、一つ所にじっとしていられないだけっすよ」
「日本語も本当にお上手で」
「はは、言葉を覚えるのは得意なんです。(ポリポリ)このしょっぱいお菓子、わりといけますねぇ」
言うまでもないが、異世界に来るのが前提のカレンは、最初から『翻訳の腕輪』を装着していた。小腹がすいているのか結構な勢いでお茶うけのせんべいを食べていく。タクマはカレンがいつボロを出すか、気が気ではない。彼女のことだ。一週間もこちらのメディアに接すれば、ものすごい吸収力で一般常識を会得するだろうとは思うのだが、さすがにやって来てすぐではムリというものだ。
「拓磨ちゃんも、お友だちを迎えに行く約束だって、一言いってから出かければよかったのに」
「ごめんなさい、焦っていたもんで……」
史子は、入れ直されたお茶を一口ふくみ、探るような視線をカレンに向けて切りだした。
「時につかぬ事をうかがいますが……カレンさんにとって、拓磨ちゃんはどういう存在でしょう?」
「タクマ? まあ弟分っすね。ひねた所があるけど、カワイイもんっす」
「……男女の感情は、まったくない、と?」
何を言うんだフミコばさん、あなた、目の前の女がどれだけズボラで大ざっぱな性格破綻者か知ってて言ってるのか。ムダに胸は大きいけど。少しはこっちの意見も聞いて欲しい……。タクマの魂の叫びは、無論口には出せず、カレンはうーんと頭を掻いて言葉を継いだ。
「そこで全力否定ってのは、かえって弟分のメンツつぶしちゃうような気がするんですけど、でもまあ、あたしの好みは渋いオジサマ系でして」
「そう……そうですか。なるほど」
吹っ切れたような表情の史子。
「実は拓磨ちゃんは、来年大学受験を控えてまして……」
「大学? 受験? ほほう」
わからないままで相づち打ってるだろ、と、カレンに心中つっこむタクマ。
「……というわけで、今は拓磨ちゃんには、学業に専念してもらいたいんです。一緒に住んで、監督というか見守ってくれる方を、探さなければいけないと思っていた次第でして……」
「わかりました。あたしとしてもタクマの所に世話になる以上、役に立てるなら幸いです。要するに、二人が結納・挙式を交わさないうちに、XXってXXXXしないように監視すればいいわけですよね? 大丈夫、まかせて下さい。XXXXってXXXなんてXXXXXですから〈自主規制〉」
「…………」
一瞬カレンを見る目がジト目になりかけた史子だったが、相手は外国人だと思い直した。それに、一緒に住んでくれる大人といって、実家の方もすぐに心当たりがあるわけでもない。
「それではよろしくお願いします、カレンさん」
「はいっ、おまかせ下さいっ」
「……ついでその、カレンさん」
「はい?」
「あなたの日本語、大変お上手なのですが……言葉の節々がその、なんと言いますか、あなたに日本語を教えた人が、故意に下品な表現を教え込んだのではと、心配になりまして……」
「……ハア……」
一緒に夕食をという誘いを断って、史子は丘の上のバス停から田舎町に帰っていった。本当はもう少し早く立つつもりだったと言って。まあタクマたちにとっても、疾風怒濤、予定外の連続だった。
史子を見送った後、アリエルとタクマの肩が震えている。
「こ、故意に……」
「下品な表現……」
二人とも、わき上がってくる笑いを抑えられない。
「文句があるのかお前らはー! 聞いていただろ! 今日からあたしがこの家の監督官だーっ!」
「痛い痛い、カレン、放してくれって!」
カレンに梅干しを食らっていたタクマだったが
「「「えっ!」」」
驚愕の言葉が三人でハモった。夕焼けの空を震わせ、その日二回目の魔力衝撃波が走ったのだ。
「……カレン、ひょっとしてロレントもこっちに?」
「そんな予定ないよ! あたしが知る限りで、次元跳躍を予定していたヤツなんていない!」
一体どういう事か……と、その時、
「ツッ!」
「アチッ!」
「ッ! 背中がっ!」
カレンは左鎖骨、タクマは左足、アリエルは背中に手をやり、うめき声を上げた。痛みはすぐに引いていく……
「それ」が示す事態に気づき、三人は驚愕の顔を見合わせる。急いで体の各部を確認すると『縛魔の紋章』が消えていた。
「何だよこれ、どういう事だよ! オレたちが生きている以上、鍵は壊せないはずじゃなかったのか!」
「鍵は……壊せない。壊せないから……封印は解けない……。いや? 逆ならば?」
「見て! あれ!」
城跡公園から上空に向けて、光の柱が突きあがった。周囲に渦巻き状の雲を発生させ、ゆっくりと消えていく……
三人はそろって公園めがけて駆けだした。記憶の中にある同様の光景を、戦慄とともに思い出しながら。疾風怒濤の土曜日は、まだ終わらない。