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勇者の郷里に跳ばされて?  作者: 宮前タツアキ
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アリエルの戦い

 グラドロン教皇国、首都ルクセール。

 教皇庁舎で執務にあたっていたロレント・ジンバルは、街の方角が騒がしいのに気づいた。窓辺に立って眺めてみたが、暴動の類いではないらしい。


「ロレントさま! 一大事です、ロレントさま!」

「どうした、落ち着け」


 部下の一人が大あわて飛び込んできた。


「あ、あの、まだ確認をとったわけではないのですが、街の方で勇者と聖癒姫が戻られたと、歓呼するものが……」

「来たか! 何と、早かったな!」

「ロレントさま?!」


 部屋を飛び出し、庁舎正面に駆けるロレント。事前にカレンと打ち合わせていた通りだった。彼女が再び次元跳躍を行ってから、三日ほどしか経っていないのに。もっと事前の準備に時がかかるかと思っていた。

 門前の階段に立ったとき、登ってくる二人の姿が眼に入った。活動的だが見た事のない服装。そして金属質な光沢の箱を背負っている。上を見上げた二人と目が合った。


「「ロレント!」」

「お帰り、アリエル。お帰り、タクマ。イムラーヴァは勇者の帰還を歓迎する!」

「ただいま、ロレント。……やはり、こうなったよ」

「ははははは!」


 駆けよって固く手を握り合う三人。二人についてきた群衆が、歓呼の声を高くする。後の歌物語に競って取り上げられた「聖戦士再会」の場面である。


「……カレンから聞いている。聖剣に、だな?」

「ああ……すまん、大恥かくかもしれないけど」

「『人間を治めるのは人間だけ』といったか? 確かに、聖剣が我らの行く末を決めるわけじゃない。まあ、お前の思いをぶつけてこい!」

「タクマ」

「うん」


 ロレントにうながされ、二人はそのまま聖剣の間に通される。

 王侯の謁見場のような広間の中央に、台座に突き立てられ、聖剣が眠っていた。引き抜けるのは聖剣の意志に叶った者だけで、さらに異世界からの客人まろうどのみが、神々の不干渉誓約に縛られぬため、強大な力を与えられる。

 台座の数歩前でアリエルは立ち止まり、タクマだけが聖剣に向かい合う。あの日、人族の救済を誓って聖剣を抜いたのと同じように。しかし、今回の言葉は、かつて神官に覚え込まされたものとは、全く別物だった。


「……聖剣よ、オレはかつて、人族の救済を誓ってあなたの力を借りた。……だが、過った。戦争の終わらせかたを間違って、結局、再び戦火は巻き起こってしまった。人族だけを救おうとしても、結局何も終わらない。人族も魔族も、最初からイムラーヴァに在ることを許された住人なのだから」


 広間に集まった者たちの間にざわめきが起こった。神官や騎士たちが、当惑して顔を見合わせる。


「だから……オレは帰って来た。過ちを正すため、おのれの罪を償うために。今、オレが願うのは人族と魔族がともに救われる世界。遠い理想なのはわかっている。オレの故郷でも、差別のない世界なんて実現していない。だがオレは、遙かな道を歩いて行くと決めたんだ。聖剣よ、示してくれ。オレの歩みに、力を貸してくれるかを……」


 それは、かつて語られた力強い誓いではなく、迷いながらも真摯に紡がれた一つの願い。タクマの手が、聖剣の柄に触れ……そしてそれはまばゆい光の奔流とともに、何の抵抗もなく引き抜かれた。

 居並ぶ者たちに、おののくようなどよめきが走った。それを貫き、力強い声が宣言する。


「聖剣の意志は示された! 勇者、タクマ・シドウの願いに応え、我々はその実現のために協力を惜しまない!」


 グラドロン教皇、ラムゼル・ミスカマス。年齢に似合わぬ張りのある声で、辺りの動揺を一瞬で抑えてしまった。後年、日記にこの時の思いが綴られているのが発見されたが、一言、「我がこと成れり!」と記してあった。

 聖剣が輝きながら姿を変えていく。それは手にした者の力を一番発揮しやすい形をとるのだ。まっすぐな両手剣は、細身の曲線を描く両手剣に姿を変えた。日本刀である。タクマの体に力がみなぎっていく。聖剣を台座に戻してから、彼の力は八~九割失われていたのだった。それが再び満たされてゆく。いやこれは、以前を上回るエネルギーかもしれない。タクマは聖剣を背負う形に持った。光の粒子が集まって聖剣の鞘が形づくられ、そのまま彼の背に負われる形で納まった。


「タクマ!」


 アリエルが駆けよって、そして迷わずキスを交わした。群衆からどよめきが起こったが、先ほどのとは別物だった。それは歓呼と喝采に変わっていく。二人とも我に返り顔を赤らめ、大いに照れた。


「じゃ、ちょっとだけお別れだ」

「はい……イムレバネンに向かいます」

「親御さんたちを安心させないとな」

「はいっ。タクマ……今のあなたを傷つけられる者はないと思うけど、油断はしないでね」

「うん」


 再び軽いキスを交わして、タクマはロレント率いる教皇国第一騎士団とともに南部の港町キグナスへ向かった。

 アリエルはあわただしく教皇とのあいさつを交わし、フェルナバール首都イムレバネンへ。教皇国とフェル王国の首都同士は転移門トラベルゲートが設置されているので、アリエルの旅路はすぐだった。


 ◇


「戻られました! アリエルさまが戻られました!」


 侍従の先触れに先導されて、アリエルはまっすぐ玉座の間に向かう。国王イルフレドは、玉座の間から飛び出してアリエルを迎えた。


「アリエルぅ~、よくぞ無事でぇ~!」

「申しわけありません陛下。ご心配をおかけしました……」

「ばかものぉっ! こんな時に他人行儀な呼び方をするでないっ!」


 人目もはばからず号泣して、アリエルをかき抱くイルフレド。アリエルの目にも涙が浮かんでいた。皇太子レクオンが、第二王女フレイアが、アリエルを迎えた。皆、王室に再び光が点ったような気持ちだった。


 再会の喜びもつかの間。アリエルはベレノス西方諸国連合との戦争終結案の協議を申し入れた。正直、居並ぶ者全て、その唐突さに面食らった。


「……アリエル、お前が真面目なのはわかっておるが、何も今日、この場でなければならんということもあるまいに」

「ベレラカンから受けた仕打ちを憎むお気持ちはわかりますが、現状、キグナスを早々に奪還出来る見込みは立たないのです」


 イルフレドと宰相は、女であるアリエルが政治向きに口を差し挟むことに戸惑っていた。今回の件でアリエルは当事者とも言えるのだから、頭ごなしに拒否はしなかったが。


「キグナスはじきに解放されます。タクマが聖剣の力を回復し、西市に向かいました。ロレントも教皇国第一騎士団を率いて同行しています」

「な、何と申した! タクマ・シドウがこのイムラーヴァに戻ったと?!」

「それに教皇国騎士団とは? それではグラドロンは此度の戦役で、我らにくみする事を決定したのですか?!」


 驚愕の情報が、アリエルの口から次々と寄せられる。そしてさらに続くアリエルの言葉は、彼らを驚愕を通り越してあぜんとさせた。


「違うのです。教皇国騎士団は、キグナス西市が解放された後に、治安維持のため駐留すべく向かったのです。父上、ロアン宰相、これが私たちが考えた和平の形。キグナス西市をベレノス連合に割譲し、和平に持ち込みたいのです」

「……な……」

「か、割譲……?」

「どういう事ですアリエル。あなたの話では、タクマどのは我らの側に味方されるのではなかったですか? キグナスを解放して、その上で割譲とは?」


 一番整然とした反応ができたのが、王女フレイアだったのは皮肉である。場の流れで協議に残れた事を、内心喜んでいた。アリエルが理解不能な和平案を打ち上げるまでの話だが。


「……私たちはこう考えました。ベレノス連合はクロムレック王国との戦いの代価に、より多くを望んでいる、と。本来ならば彼らはクロムレックの領土割譲を希望するべきだが、現状、クロムレックには西方連合諸国にとって、利用しやすい土地は少ない。だから隣接するわが国のレパレス州と大商業港キグナスを望んだ。フェルナバール王国は、距離的に近いクロムレックから代わりの土地をいくらでもむしり取れるだろう、そういう理屈で」

「まさにその通りです。誠にもって傍若無人な言いぐさ。銃とかいう兵器を手に入れたベレラカンが増長しおって、連合諸国を煽っておるのです」

「ですが宰相、我らが理詰めで筋を通そうとすれば、クロムレックはただでさえ少ない耕作に適した土地を、見せしめだけのためにむしり取られる事になります。西方連合としては、得られる収穫物と輸送費用を考え合わせれば、割に合うはずがありません。それは結局、西方連合とクロムレック双方に不利益だけを残す結果になります」

「それは……そうでしょうが……」

「ですから我が国が、一時犠牲を甘受すべきだと思うのです。理非曲直は別にして、目先の一手を譲ることで、将来的な利益を得ることも可能です」

「姉上のおっしゃる事は、僕には納得できません。わが国は、なにも悪くないじゃないですか。それが言いがかりをつけてきた相手に譲らなければならないなんて……」


 家族と廷臣に囲まれながら、アリエルは孤立無援の思いだった。だが諦めない。なんとしても説得して見せる。これが私の戦いだから。


「キグナス西市を失えば、わが国の損失は大きいでしょう。しかし、必ずしも回復不能な損失ではありません。クロムレック王国から賠償金の形で回収できると考えます。ですが、父上、ロアン宰相、賠償の期間に猶予を設けて欲しいのです。クロムレックは、時間さえかければ必ず豊かになれるはずなのです。タクマの故郷で得た知識を総動員して、私たちが必ずそうして見せます。わが国が出資して鉱山開発を行うのもいいでしょう。ほとんど手つかずだった北部原生林から、木材の伐採と輸出の経路を確立するのは、さらに短い期間で達成できるはずです。大事なのは、幼弱なうちに踏みつぶしてしまわぬこと。そこを配慮していただきたいのです」


 アリエルの弁じる迫力に、一同、圧倒される思いだった。これがあのアリエルなのか? 引っ込み思案で、他者を傷つける事を恐れて、意見が対立すれば、決まって自分の方から折れていたというのに。まるで……まるで、おのれが傷ついても、守らなければならぬものがあるような──


「……アリエル。西方連合と関係を修復するために、敢えてキグナスを譲れというのは、理屈としてはわかるつもりです。しかしクロムレックの魔族に、そこまで気を遣うのはなぜなのですか? 先の大戦は魔族の側が仕掛けてきたもの。しかも、多大な犠牲を払って我らは勝利したのです。領土の割譲なく、賠償金だけで済ませ、しかも返済猶予まで設けよとは。その上あなたが言っているのは、『賠償』というよりほとんど『援助』ではありませんか」

「姉上、それはあの戦いが、己の意志も定かならぬ少女が傀儡とされ、引きおこしてしまった悲劇だからです。私たちは本当の黒幕にさえ気づかずに、彼女を封印して戦争に勝ったつもりになっていました。だからこそ、火種は再びたやすく燃え上がったのです。今、カレンとあの子はそろってクロムレック王国をむしばんでいた男を討ちに向かいました。タクマが人族の争いを止めて、ゲルダちゃんとカレンが魔族の争いを止めてくれるでしょう。災いの根が断たれる今だからこそ、わが国は身を削ってでも、遺恨の少ないやり方で戦役を終わらせるべきなのです」

「黒幕? クロムレックをむしばむ男? いや、ゲルダちゃんとは誰ですか?」

「アリエルさま、おっしゃる相手は現在ネストロモを占拠しているバルドマギのことでしょうか? 駐留していた教皇国第二騎士団を敗走させ、自国住民にさえも恐怖支配をおこなっていると報告が入っておりますが……」


 アリエルはフレイアと宰相にうなずき返し、言葉を継いだ。


「はい、黒幕の名はバルドマギ。非道な魔道具を孤児たちに埋め込んで、自分の意のままになる生体兵器をつくり出し、それに魔王を名乗らせていました。ゲルダちゃんは……かつての名前は、ゲルドゥア・マグナス。私と同様に、タクマの世界に跳ばされて……私たちはそこで一緒に暮らしてきました。彼女は私の、妹とも娘とも呼べる存在です」


 言い切ったアリエルの言葉に、一同、完全に理解許容量を超えてしまい、あたりは沈黙に包まれた──



 アリエルは、かつての自室に身を移していた。お付きの侍女たちが涙を流さんばかりに喜んで、湯浴みと着替えを勧めた。しかしアリエルはその気になれなかった。侍女たちの手を取って、心配をかけた事をわびたが、なおも玉座の間で続けられている会議の行方が気がかりで、くつろぐ気分には到底なれなかったのである。

 だいぶ経って、フレイアが部屋を訪ねてきた。会議は何らかの結論を得たようだ。


「お姉さま……」

「座りなさいアリエル。少しゆっくりお話しましょう」


 立って迎えようとしたアリエルを、艶然と笑みながら制して、フレイアははす向かいに腰掛けた。侍女たちが急ぎ、茶を淹れる。フレイアはお茶を口にしながら考えをまとめているようだったが、やがてゆっくりと口を開いた。


「……正直、驚きの連続でした。あなたは、生還の歓び以上の驚愕を、王室に投げ込んでくれましたね」

「……申しわけありません、お姉さま……」


 フレイアは口元をおおい、やがて抑えきれない含み笑いに肩をゆらし出した。


「いえ、責めているわけではないのですよ? 『まつりごとに、女の浅知恵など』とか言っていた連中が、まるで童子のように呆けて、フフフ……。あなたを部屋に追いだしたのも、これ以上驚かされては、話が進まぬからですよ。……アリエル、先に聞いておきたいのですが、タクマ・シドウどのの世界で、あなたがたは一緒の家で暮らしていた、と言っていましたね?」

「……はい……タクマの家に、私と、カレンと、ゲルダちゃん……ゲルドゥアと、四人で」

「その……タクマどのと、あなたは……」


 気遣わしげな姉の声に、頬を染めて一瞬ためらったが


「……はい、私はもう、タクマの妻です」


アリエルは、はっきりと言い切った。回りの侍女たちが、目を丸くして固まった。


「そう……そうでしたか……」


 声をかけるフレイアの目は、妹を慈しむかのようだった。未来につながる変革の期待もこめられていたが、それは自分の胸ひとつに、今は納める。

 こほんとせきばらいし、フレイアは姿勢を正した。


「とりあえずネストロモの現況はおいておき、西方諸国連合への方策に話を限りましょう。あなたの二つの提案ですが、一つめは、わが国は西方諸国連合にキグナス左岸を割譲する。主に西方諸国側の対クロムレック賠償を軽くするために。二つめは、わが国はクロムレックへの戦後賠償を領土ではなく賠償金で求める。猶予期間を設けて、無理な額にはしない。そうまとめてよいかしら?」

「はい」

「提案は一応の考慮に値すると、ロアン宰相と、及ばずながら私も口添えしたのですが、あなたの言う『戦乱の終結』が現実の形にならないと、議論の土台が成りたたない。そう主張する臣下の意見が大半でしたわ」

「…………」


 フレイアの言葉にうつむくアリエル。


「そこにあの通信が入ってきたものだから、先を考えずに済まそうとしていた者どもの慌てようときたら。フフフッ!」


 可笑しくてたまらないといったようすのフレイアに、アリエルはキョトンとした表情を向ける。


「えっ? 通信とは……」


 アリエルの言葉に、今度はフレイアが驚きの表情を返した。そしてその白面の美貌が、苦々しげにゆがめられてゆく。


「何ということ! こんな重大事もまだあなたに伝えていないなんて! これだからこの国の官僚組織は……」

「あ、あの、姉さま、お気持ちはわかりますが」

「……そうでした。クロムレックからの魔導通信が入ったのです。通信者はカレン・イクスタスさまとゲルドゥア・マグナスの二人。ゲルドゥアが王座に帰還して、反乱者バルドマギを逮捕拘束。首都ネストロモを解放した、と。いかなる国への武力侵攻も考えておらず、先の戦争の和平交渉を開始したい、との宣言でした」

「ああ……!」


 やってくれた。カレンとゲルダが、計画通り事を成し遂げてくれた。つかの間、安堵に包まれるアリエル。

 妹の歓びを、これまた嬉しそうに眺めていたフレイアだったが、つ、と立ち上がってアリエルをうながした。


「姉さま?」

「さ、行きましょうアリエル。『政治に女は関われない』そんな不文律など、変えてしまいましょう。今、ここで」

「……はい!」


 アリエルの部屋を出て、二人は玉座の間に向かう。普段、しずしすと淑女の見本のような歩みのフレイアが、今はズンズン凜然とした歩調で先をいく。


「……クロムレックへの賠償金請求。これはよいでしょう。正直、現状うまみのある土地がありませんからね」

「はい」

「問題はキグナスの割譲です。わかっているとは思いますが、領土割譲が国にとって禁忌の条件なのは、それを呑めばずるずると同じ要求をくり返されかねないからです。つまり侮られる」

「はい……」

「ですが、こちら側に明らかに侮りを受けない、相手を圧倒する材料があれば、少々譲る程度のことは、むしろフェルナバールの余裕と映るでしょう。アリエル、あなたは嫌がると思いますが、タクマどのには、この件での切り札になってもらいますよ」

「は、はいっ……」


 玉座の間の扉を開ける王女二人。女の戦いの第二幕が始まった。

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