ゲルダの戦い
魔王国クロムレック、旧首都ネストロモ。城下町を見下ろす位置に、旧魔王城がそびえ立っている。城の出入り口は、今は厳重に封鎖されていた。
ネストロモ占領の後、バルドマギは一度だけ供の者を連れずに旧玉座の間に入った。かつては魔王ゲルドゥアを封印していた部屋であり、それが解かれた後は、黒い水晶柱に『魔王冠』が封じられたままとなっている。……一刻ほどの後、バルドマギは憮然とした表情で玉座の間から出てきた。魔王冠は、彼を所持者と認めなかったのだ。
バルドマギは王城を封鎖して、移り住もうとしなかった。魔王冠の件がおおっぴらになるのを厭ったからだ。そして他の魔族の何者かが魔王冠に選ばれる事を恐れて、封鎖したまま他者が入れぬよう手配した。
憂さ晴らしに、教皇国騎士団の捕虜たちを公開処刑していたバルドマギだったが、部下からの報告に、激怒して吠えた。何者かが獄舎に忍び込み、前執政官セルニアを脱獄させたという。
「どいつもこいつも役立たずどもめぇっ! 探せ! 草の根分けても探し出せ!」
城下町から近隣の村に至るまで大規模な捜索がなされたが、セルニアの行方は杳としてつかめなかった。──後から考えれば当たり前の話で、彼らは一カ所だけ立ち入りを禁じられていたからである。
業を煮やしたバルドマギは、布告を出した。セルニアが戻らなければ、日に十人のネストロモ住民を処刑する、と。
◇
旧魔王城の玉座の間に、二人の人影が座していた。翠の瞳と髪が、見る者の目に涼しい佳人、セルニア・イルメルド。そして、まばゆいほどの銀髪と美貌の「混血」。バルドマギに雇われていた間諜、「ラミア」である。
玉座の間に、体格のいい中年男が入ってきた。ラミアと組んでいたジガンである。正面の門からではない。玉座の後ろあたりに、地下回廊につながる階段が現れている。旧クロムレック王国の限られた重臣しか知らない隠し通路であった。
ジガンは二人のそばにより、無表情に何かを告げた。その言葉にセルニアは表情を曇らせ……そして立ち上がり、ラミアに一礼した。銀髪の女は髪と同じ色の瞳を細め、一瞥を返した。
「行くっていうのかい?」
「はい……民の命がかかっているとなれば、選択の余地はありません」
迷わず返された答えに、背もたれによりかかり、ため息を返す。
「あんたが出ていった所で何にもならない。バルドマギは相変わらず、気分次第で住民を処刑するだろう。あいつにとっちゃ、自分の手駒として働かないものは、例え魔族であっても塵芥さ。今は雌伏して、バルドマギに対抗する旗頭を目指した方が、まだマシな命の使い方だよ?」
投げやりな言い方だったが、どこか温かみが感じられた。微笑みを返して、セルニアは言葉を継ぐ。
「……私に対して、ネストロモの人びとがなにがしかの期待を向けて下さるとすれば、それは私が人びとを守るために微力を捧げてきたからです。だからこそ、私が救える命を見捨てたとなれば、人びとは一顧だにしなくなるでしょう。私には、ソルア姉さまのような知力も決断力もありません。できる事は、せめて覚悟を示す事だけです」
「……はっ、とんだ骨折り損だったね……」
吐き捨てて横を向き、ソルアはもう妹と視線を合わせようともしなかった。セルニアは、跪いて頭を下げた。
「姉さまが家を追われてから、どんな思いをされてきたか、想像もできません。将軍の娘として安穏と暮らしてきた私が、『わかる』などと言ってはいけないことなのでしょう。しかし、姉さまは、それでも私を助けてくださいました。私には、姉さまがかつての姉さまと別人になってしまわれたとは、思えないのです……。どうか、そのお力を、民のために……」
それだけ言い残して、セルニアは立ち去ろうとしたのだが
「死ぬつもりでおるならば、ワラワにちょっと協力せんか?」
玉座の後ろから響いてきた声に、さすがにぎょっとして立ち止まった。ソルアは椅子から跳ね起きた。
地下回廊から、ローブ姿の二人が入ってきていた。片方はかなり長身で、もう片方は鮮やかな赤毛と目立つ角を持った魔族の少女。
ソルアとジガンは、武器を取り身構える。
「何もんだい? バルドマギの密偵かい?」
「……よしておくれ、冗談でも言ってよいことと悪いことがあるぞ?」
赤毛の少女は顔をしかめて玉座に近づく。そしてソルアたちに背を向ける形で、玉座に正対した。
「じゃが、まあ、少し待っておくれ。こちらを先に片付けたいのじゃ」
「ゲルダ……気楽にやんな。どちらにしても、あたしらがやることに変更はない。うまくいったらラッキー、くらいのもんさ」
「わかっておる、シショー。じゃが……」
ヴン、と空気を震わせて、少女の魔力角が光り出した。
「やはり気になるではないか。ワラワの誓いに、古の宝具は何と応えるか」
セルニアたちは、少女が魔王冠に触れようとしていると気づいた。この場に身を潜めてから、彼女たちは一応、魔王冠に触れてはみた。しかし反応は一切なかったのだが……
「……ワラワはかつて、偽りの名と借り物の力で、汝の目をあざむいた。今、再び汝に問う。ワラワが望むのは、魔族も人族も救われる世界。どちらかが救われるだけでは、決して本当に救われる事はないのじゃ。たとえその道が遠くても、この身を捧げて歩みとおそう。……汝、今一度、ワラワに力を貸すや、否や?」
祈りのような、誓いのような言葉とともに、赤毛の少女は黒水晶柱に触れ……そしてまばゆい光とともに柱は砕け散り、彼女の頭上に再び「それ」は輝いた。
彼女はもう少女というより、年若いながらも成人女性の姿に見えた。魔王冠の輝きに栄える、燃えるような赤い髪。そして何より、偉容を誇るかのような魔力角。
「ゲルドゥア・マグナス……?!」
恐れ知らずのソルアの声が、この時ばかりは震えていた。
◇
ネストロモ執政官公邸。
バルドマギは謁見室と名づけた広間に悪趣味なほど飾り立てた椅子を置き、座して杯を傾けていた。
そこに副官の獣人マーカスが血相を変えて飛び込んできた。
「バルドマギさま! 一大事です!」
「どうした、騒がしい。セルニアが見つかったか?」
「セルニアなら、一緒に魔王城から現れました。いえ、そうではありません! 一大事というのは、ゲルドゥアさまの事でございます! ゲルドゥア・マグナス陛下が、魔王城から現れました。現在、この屋敷に向かって行進中です!」
「なんだとぉっ! ば、バカなぁぁっ!!」
椅子から転げ落ちて、よたよたと窓辺に走る。群衆の歓呼の声が響いていた。みな、ゲルドゥアの名を連呼している。
「く……くく……、マーカス! 狙撃部隊を最上階に配置せよ!」
「バ……バルドマギさま……それは……!」
「つべこべ言わずに用意しろ! きさま、今さらゲルドゥアに寝返って、ただですむと思っているのか! やるしかないのだ! きさまも、ワシも、な!!」
まさかという気持ちの方が強かったが、バルドマギは生き残るための布石を打った。セルニアかその支持者が、幻覚魔法を使って小芝居をうっているのでは。もしも本当に、あの小娘が「こちら側」に舞い戻ってきたのなら、『シュガルの供物』を取り除かれた女児の力など、知れたもののはずだ……。必死に考えをまとめようとする。
「バルドマギ!」
公邸前広場から澄んだ声が響いてきた。思わず飛び上がったが、必死に居住まいを正して、重々しい態度を装い、窓を開けた。
目の前にあの女がいた。以前ほどの体格はないが、魔力の象徴である魔力角は往事とさほど変わっていない。魔王冠も再び頭上に戴き、鮮やかな赤毛が目に染みるようだった。バルドマギは数度、幻術解除の術を唱えて、目の前の光景が変わらぬ事に舌打ちした。
「約束どおり、ワラワは帰って来たぞ。部族会議を招請もせず、ワラワに無断でクロムレックを簒奪しようとした罪、許しがたい!」
「撃てぃ!!」
言葉を交わすことさえ拒否して、バルドマギは命令を下した。公邸の最上階から轟音が上がった。数十丁のボルトアクション・ライフルが火を吹いたのだ。射線の先のゲルダが、わずかにゆらいだかに見えた。
「……理なく、駐留軍の人族兵士を処刑した罪! ネストロモ市民に対する恣意的な残虐行為! いずれも看過できぬ大罪である!」
よどみなく、宣告は続く。バルドマギは目をむいた。放たれた銃弾は、ゲルダの手前一メートルほどの空間に凍り付いたように止まっている。
「撃て! 撃て、撃て! いずれヤツも魔力が尽きる! 数で押し切ってしまえぇっ!!」
「『火薬不活性』」
バルドマギの吠え声にかき消え、ほとんど聞こえなかったが、ゲルダの背後に立つローブ姿の者が小さく唱えた。
……続くはずの銃声がない。最上階に伏せる兵士たちに、次第に動揺が広がる。銃が撃てない。何度引き金を引いても、カートリッジを交換しても、全く発射できない。……利にさとい者が銃を捨てて逃げ出した。その流れは、見るみるうちに加速する。
「……何だ?! どういう事だ? 何が起こった! なぜ撃たない!!」
「撃たないんじゃなくて、撃てないの」
狂乱するバルドマギに、ローブ姿の人物が、のんびりした口調で諭す。
「ベレラカンに銃の技術を伝えたのはあんただろ? しかも、火縄銃なんて骨董品を。あんたはベレラカンの軍事力が自分に及ばないように、『穴の開いた』技術を渡したわけだ。『サタ』も同じさ。イムラーヴァへの帰還を諦めていなかったあいつは、銃を無効化する魔法を伏せておいたのさ。あんたは自分が作った罠の形そのまま、自分がはまっちまったってわけだ」
「ぐぬ……ぬぐぐぅ……」
興奮のあまり、言葉が出ない。顔面は真っ赤に紅潮し、倍の大きさにふくれあがったかのよう。
激情に流されそうな自分を抑えて、バルドマギはフトコロの「それ」に手をかけた。使い捨ての転移の魔法具。『シュガルの供物』と一緒に見つけた、古代の遺物である。
「この借りは、必ず返すぞ……!」
「逃げるのかえ……判で押したようなザコよのー」
心底あきれた調子のゲルダの声に、バルドマギの肥大したプライドが血を流す。
「ここで逃げだして、再起の芽があるとでも? のう、侯爵さまよ。おぬしはワラワを孤児院から引きずり出して、あれこれと仕込んだわけだが、今のワラワには魔道具さえも埋め込まれておらぬ。そのワラワが怖いかえ? 自分が孤児院から拾ってきた、血筋もしれぬ小娘が? それでよくも魔界侯爵なぞと名乗れたものよのう?」
「が……ぐ、が……」
退くべきだった。それがこの場の最善手だった。しかし、バルドマギをここまで駆り立ててきたのは他でもない、異常に肥大した自我なのだ。それが、最後にこの男の命運をも決定した。
「なめるな小娘ぇぇぇっ!!」
口の端から泡とともに吐き捨てて、バルドマギは己に使える最大の攻撃魔法を放った。
「が……あが、ぐ……」
良い色にこげついた肥満体が、ピクピクと痙攣している。傍らには、微かに髪の形を乱したゲルダが立つ。
「……まあ、ザコは取り消してやってもよいぞ。思ったよりは使いよったわ」
「ま、うぬぼれるくらいの力量はあったって事だね。しかし……」
ローブのフードを下ろしたカレンは、執政官公邸の惨状に眉をひそめる。三階建ての瀟洒な建物の側面に、大穴が開いていた。
「迷惑なヤツだねえ。どうせなら建物から出て戦えばよかったのに。これから片付けなきゃならない仕事が山積みだってのに、もう……」
「……公邸を魔王城に移しましょう。あとで教皇国その他にことわりを入れなければなりませんが、ゲルドゥアさまが既に封印を解かれているのでは、人族側としても封鎖しておく意味は薄いでしょうし」
生真面目に意見を述べるセルニアをよそに、泡をふいているバルドマギを、つま先でつつくソルア。
「殺さないのかい? ゲルドゥア・マグナス」
「うむ、まずは裁判にかける。これからの魔王国は、王の恣意ではなく法で動く。それをはっきりさせねばならんからな」
「……ずいぶん、お優しい事で……」
呆れた調子のソルアだったが、
「優しいか? 国を治めるにあたって明確なルールがないのが、どれほど危険な事か、知らぬわけではあるまいに? ルール・法がきっちり立てられてこそ、ワラワも仕事を役人に任せられ、楽ができるというものじゃ。人治主義は効率からして悪すぎじゃて」
ゲルダの切り返しに言い返せず、黙り込む。
セルニアが一歩前に出て、問いかけた。
「ゲルドゥアさま、今後の事はいかように?」
「……今、バラしてしまったとおり、ワラワは実は孤児でのう。マグナスの名を名乗る資格はないのじゃ。それでも」
「あなたは魔王冠に『魔族も人族もともに救う』と誓われ、魔王冠はそれを受け入れました。あなたが我らの王、ゲルドゥア陛下です。お名前が気に入らなければ、それは別の機会にでも」
ゲルダをさえぎってセルニアは語りかけ、膝を折って臣下の跪拝をささげる。彼女は、自分が仕える王を見出したのだ。その二人の間に割って入り、ソルアは低く妹をいさめた。
「……アンタ好みの甘い理想を語ってくれたけどね、セルニア、こいつについて行くのはヤバすぎるよ」
「ふむ、まあ、遠い理想なのは認める。だがのう、それが成らなければ、おぬしらも本当には救われまいよ」
「くっ……」
むしろやんわりといった調子のゲルダの返事に、ソルアは目尻を引きつらせた。彫像のように整った顔は、ほんの少し歪めるだけで、ひどく動揺しているように見えるから不思議だ。妹を案じるためなのか、ソルアは普段通りの鉄面皮を保っておれない。つい感情を露わにしてしまう。
甘い理想を、臆面もなく語る者は、確かに用心した方がいい。だがしかし、人族と魔族と、双方の蔑視が無くならなければ「混血」の蔑視も無くならない。人族側に行っても、魔族側に行っても受け入れられないのだ。出自を隠して生きる以外、逃れる術はない……
「あたしが言ってるのは、『対等に』と言いながら、人族に隷従させられる場合もあるって事さ! 今、思い出したよ。あんた、カレン・イクスタスだろう? 四聖戦士の一人が、どういうわけでゲルドゥア陛下に『シショー』と呼ばれているんだい?」
名指しされ、伏せていた顔を上げるカレン。行政組織の移転問題から意識が戻ってきた。あたりの魔族の群衆から、かすかに驚きの声がもれる。
「どういうわけって……あたしがゲルダ……ゲルドゥア陛下に魔力コントロールを教えたからだよ」
「陛下はよしてくれ、シショー。のう、ソルアと申したの。何かマズイことなのかえ?」
キョトンといった調子で語りかけるゲルダに、ソルアは苛立つ。人族を打ち倒すと宣言した者ならば、人族と通じるのを裏切りと呼べるのだが、双方を救うと宣言した者に、なぜ人族が側にいると問うても糾弾にならない。
「……はっきり言ってやるよ! あんたが、人族側の傀儡じゃないかと疑ってるのさ! 参謀役についているのが人族側の賢者さまときたら、そう疑われても仕方ないだろうに!」
言ってからしまったと、心の中で青くなるソルア。自分の懸念が当たっていれば、相手にしてみれば殺してでも口をふさがなければならなくなる。ゲルドゥアにしてもカレンにしても、自分が戦ってかなう相手ではない。自分が冷静を欠いている事を痛感する。
が……二人が浮かべたのは「困ったなー」という表情だった。
「そうは言われても、タクマたちは人族側の戦乱を収めなければならぬしのう……」
「タクマとアリエル、離ればなれにするわけにもいかないから、あたしが着いてくるしかなかったんだよね」
「タクマ? アリエル? ……ゆ、勇者と聖癒姫が戻ってきたのか?!」
驚愕に声を高くするソルア。いけない、感情をコントロールしようとしているのだが、二人が口にする事が全て想像の斜め上だ。魔族の群衆が、さらに息をのむ気配がした。
アゴに指をあてて考え込んでいたセルニアだったが、天然というか、直球な質問を投げかけた。
「あのう、ゲルドゥア陛下。何やら四聖戦士の方々と仲がよろしいように思うのですが……どういう事でしょう? 私の記憶が確かなら、陛下は方々と激戦を戦って、封印されたはず。なのに……どういう行き掛かりがあったのでしょうか?」
「うーん……みんなとは、向こうの世界で会って、ゴハンをおごってもらって、翻訳の腕輪をもらって……」
「ああ、ゲルダ。長話してる時間はないよ」
「要するに、じゃ、『家族』になったのじゃな」
どこか幼く見える笑みをうかべて、ゲルドゥア・マグナスが言い切ったその言葉に、あたりの群衆はあぜんとするしかなかった。




