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勇者の郷里に跳ばされて?  作者: 宮前タツアキ
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「けじめ」の終わり

 夕食後、いつもは居間で過ごすタクマだったが、その日はすぐに自室に籠もることにした。明日は早くに起きだして、電車に乗らなければならない。

 階段口に立つと、アリエルがするりと追いついてきて、そっと小さな包みを手渡した。


「ん? なに?」

「チョコレート。ふふっ……」

「ああ、そういえば……」


 バレンタインデーなど忘れかけていたタクマ、アリエルと笑みを交わし……そして小さくキスして階段を上がった。


「アリエルぅー、ワラワもチョコ欲しいー」

「ちょっとだけよ? ちゃんと歯を磨くのよ?」


 階下から聞こえてくるゲルダのおねだり声に、思わず苦笑がもれる。二人のようすをうかがっていたらしい。

 部屋に入って、受験票その他を確認する。二時間ほど軽く復習をして、布団に入った。……思い直して、アリエルからもらった包みもバッグに入れる。試験が終わったら開けよう。そう決めた。


 ◇


 タクマの志望校K大学は、S市から電車に乗って一時間ほどの所にある。交通機関の乱れもなく、時間通りに到着できた。

 試験会場であるK大学の講義室に入ると、だだっ広い部屋に、すでにかなりの受験生が着席していた。やはりみんな大目の余裕を持って会場に入っている。席にふられた番号順にキレイに席について、雑談の声もほとんど聞こえない。意外に参考書を開いて時間をつぶすものは少ないようすだった。ここまでくれば、ジタバタしても、という事か。

 一種独特な静寂に包まれていた会場だったが、試験開始時間が近づくにつれて、徐々に緊張感が高まっていく。やはり何もしないよりはと、参考書を開く者が増え始め、それぞれの顔が引き締まっていく。気の弱い者は胃痛を起こすかもしれない。ちなみに、スマートフォンその他の携帯電話は、当然ながら持ち込み禁止である。

 試験官と監督係が入室してきた。受験会場が締めきりになる。それぞれの配置につき、おもむろに問題用紙が配られた。


「問題用紙は配られましたね? 手元に用紙がない方は? ……おられませんね。それでは……開始」


 伏せられていた問題用紙を開き、一斉にシャーペンを走らせる。タクマも用紙を開き、大きく息をついて心をしずめ、ペンを握った。

 一月末のセンター試験は、自己採点の限りでは十分目標ラインを越えているはずだ。あとはこの本戦で全力を尽くすのみ。

 不思議と心が落ちついていた。頭がしんと冷えていながら、腹の底がじんわりと燃えているような感覚。悪くない。手強い問題は後回し。出来る問題から確実に。予備校で培った受験テクニックも存分に駆使して、タクマは回答欄を埋めていった。


 ◇


 同時刻。タクマの家の近所にある神社で、アリエルとカレンが鳥居をくぐっていた。そのまま、中央の大きな社に進む。事前に調べた「正式な参拝」作法に従って、アリエルは社の前で手を合わせる。二礼、二拍手、一礼。その様子をカレンは手水舎てみずや前に立って眺めていた。アリエルがそうせずにはいられない気持ちはわかるが、それに自分がつきあうのはちょっと違う気がする。ま、弟分を信頼しているのだという事にしよう。

 アリエルが戻ってくる。


「お待たせ、カレン」

「気が済んだ?」

「……ううん、全然。タクマのために何かしたいのに、何もできないのが……」


 冬空をあおぎ、吐息をつく。白い息が長く尾を引いた。

 神の御利益を信じているわけじゃなくても、何かせずにはいられない。そんな時も確かにある。二人は並んで参道を下っていった。


 ◇



「そこまで。ペンをおいてください。解答用紙と問題用紙を回収しますので、そのままでしばらく待ってください……」


 試験官の言葉に、ため息とともに体の緊張が抜けていく。タクマは手を膝の上におき、軽く目を閉じた。


 試験後、電車に乗ってS市に帰るタクマ。車内でふと思いだし、アリエルからもらった包みを開いた。お弁当などに使われる容器に、手作りっぽいチョコが並んでいた。何もこんな事をやらなくてもいいのにと思いながらも頬がゆるむ。一個つまんで口に入れた。甘さよりも、濃厚なカカオの香りが鼻に抜けていくのが印象的だった。

 駅に降り立ったタクマは、まずは予備校に向かった。受けた学校によってはすでに問題が知らされており、予備校独自に模範解答を作って自己採点などをする。そうして結果によって二次、三次の滑り止め受験などを相談するのだが、志望校一本のタクマにとっては意味がない。彼にとって、今日立ち寄ったのは予備校終了の手続きのためである。

 細々とした雑務を済ませて玄関口まで来ると、見知った顔に出合った。


「あ、志藤センパイ、お疲れ。今日だったよね?」

「ああ、済ませてきたよ。渡瀬は……明後日だっけか?」

「うん、覚えててくれたんだー……って、S市でなら、当然だよね」


 渡瀬久美。タクマの高校の後輩で、予備校では同級にあたる娘だ。彼女の志望校はS市にある国立大学。「駅弁」などと揶揄される地方大学だが、近場の定番と言っていい。センター試験の会場でもあった。


「で、どんな調子だった?」

「うーん……悪くはなかったと思う。全力を出せたよ」

「へー、じゃ、滑り止めも受けないの? そだよねー、志藤センパイ、一途だもんねー」


 どういう方面にからかわれているかはわかるのだが、タクマとしては苦笑を返すしかない。


「あー、それじゃー春からは同棲しながらの大学生活かー。くーっ、ケシカランなー」

「……いや、そうはならないよ」


 笑ってからかってくる後輩に、つい真面目な返事を返してしまう。「?」マークが浮かぶ渡瀬の顔だったが、ふと真顔になって話題を変えた。


「あ、志望校一本で、それが済んだって事は、志藤センパイ、予備校ここは今日まで?」

「うん、終了の手続きを済ませてきたとこ」

「ふーん……そっか……。さみしくなるなあ、知った顔がいなくなると」

「……」


 何か、後輩のセリフがいつになく神妙な調子だったので、何と答えたものかとタクマが迷っていると


「……じゃ、センパイ、一つ頼み事、いいかな?」

「頼み事?」

「うん、その、アリエルさんに、ありがとうって伝えてもらえるかな? あたしね、春先にヤな奴らに絡まれたんだ。それを、アリエルさんに助けてもらっちゃってさ。ずっとお礼言わなきゃと思ってたんだけど……機会がなくって」

「へえ、そんな事があったのか……。わかった、伝えておくよ」


 タクマの返事に、いつも通りの笑顔を返す渡瀬。


「じゃ、行くね。……あ、あたしさ、駅向こうの『ビアンカ』ってケーキ屋でバイトしてるんだ。良かったらアリエルさんたちを連れてきてよ。サービス……はできないかもだけど、精一杯おもてなしさせてもらうから」

「ああ、ありがとう」

「じゃね、センパイ」


 階段を小刻みに駆けていく彼女の背を見送り、タクマはゆっくりと踵を返し、門を出た。




「ただいま……」


 力を尽くした分、気合いの抜けた声だった。ふと不審に思う。アリエルが迎えに来てくれない。最近はゲルダもよく玄関まで迎えてくれるのだが……

 居間に入ると、アリエル、ゲルダ、カレンが正座して迎えてくれた。


「「「お疲れさまでした」」」


 一礼して家長をねぎらい、そしてみなでパチパチと拍手した。


「大げさだって……」


 言いつつ、照れながらもうれしそうなタクマ。

 そのまま、タクマを慰労する宴が始まった。宴と言っても、カレン以外はノンアルコールだが。すっかり料理がうまくなったアリエルの、心づくしの手料理が並ぶ。


「「「「カンパーイ」」」」


 それぞれの飲み物を一気に干して、笑顔を向け合う四人。


「ありがとな、みんな。オレのケジメにつき合ってくれて……」

「やーねー、おとっつぁん」

「それは言わない役職なのじゃー」

「ゲルダちゃん、約束」


 他愛のない会話に笑い声が絶えない。暖かい家の中。気心の知れた仲間どうし。一つの目標から解き放たれた開放感。

 後から思い出そうとしても、細かい事は思い出せず、ただ「楽しかった」としか言えないような時だった……



 翌朝、いつも通り朝食を済ませる。そしてかねて「大切な話があるから」と予告の電話を入れておいた通り、タクマとアリエルはバスに乗ってH町の叔父一家の家に向かった。場合によっては泊まりがけになるかもしれないので、カレンとゲルダはお留守番だ。

 叔父宅に着くと、大人は全員そろっていた。裕太と千尋は自分の部屋で待つように言ってあるという。……すでに用件は察せられていたようだった。早苗ばあちゃんが、いわば根回しをしていたらしい。

 居間で、四人が正座してタクマたちと向かい合う。二人も正座し、おもむろにタクマは切りだした。


「じいちゃん、ばあちゃん、修二叔父さん、史子ばさん……オレは、向こう側の世界で生きていこうと決めました」



 ◇


 夕刻、二人は修二の車で送られて、S市の家に帰ってきた。


「……ありがとう、修二おじさん」

「ん……合格発表までは、居るんだよな」

「はい」

「……カゼなんてひいちゃ、だめだからね」

「はい、気をつけます」

「アリエルちゃんも、気をつけてあげてね……」

「はい、もちろん……」


 細々とした、優しくも他愛のない言葉を交わし、修二と史子はH町の家に帰っていった。

 立ちすくんだまま、車を見送る二人。……見ると、アリエルが涙を流していた。無言でその肩を抱くタクマ。


「……ごめんね……あんなに、優しい家族が、こちらにはいるのに……」


 アリエルの言葉に、肩を抱く手に、ほんの少し力を入れるタクマ。


「いつかは……旅立たなければならないんだ。誰でも……ね」


 ありがちな言葉だが、今ようやくその意味が実感できる思いがした。自分が為すべき事を見つけたならば、それまでの自分を育ててくれた人たちと場所と、別れて旅立たなくてはならない。それはとても居心地のいい、温かく柔らかい場所だけれど、だからこそ……

 そのまましばらく、タクマはアリエルが泣きやむのを待った。家の中には、軽々しく涙を見せたくはない子もいるから。そうして二人は踵を返し、門をくぐって「ただいま」を言った。

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