受験生の鬱憤
S市にある国立大で、センター試験が行われていた。今日は二日目、最終日である。
座席のとなりにオイルヒーターがあるという罠ポジションだったが、タクマは何とか集中力を切らさずに解答用紙を埋め切った。初日はヒーターの刺激臭がきつく感じられたものだ。
「それまで。鉛筆を置いて、解答用紙を通路側に寄せておいて下さい」
試験官の言葉で全員が手を止めた。タクマも見直しを終えて鉛筆を置き、緊張を解いた。
解答用紙が回収されて、試験官らが会場を出ると、受験生たちは三々五々グループになり、互いに声をかけ合っている。同じ高校なのだろう。一浪している形のタクマには、無縁な話だ。問題用紙をまとめて鞄に入れて、足早に教室を出た。
外の冷たい空気を吸うと、軽くセキが出た。オイルヒーターって、喉に良くないんじゃないだろうかなどと、そんな事をぼんやりと考えた。
「ただいまー」
「お帰りなさい、タクマ。お疲れでした。これから自己採点?」
「ああ、明日予備校に提出しなけりゃならないからね」
タクマの気配を感じて、アリエルがいち早く出迎えてくれた。
「もう少しでゲルダちゃんも帰ってくるから……」
「ああ、そうだな。その時一緒にお茶にしようか」
「ええ」
笑顔を交わしあい、勉強部屋に向かった。さて、もうひと踏ん張り。自己採点終わって提出するまでがセンター試験です。
マークシートだけあって、昨日分の採点はあっという間に済んだ。今日の分は、明日朝刊を買ってから。夕食後あたりにはネット上で正当集が発表されているだろうが、できるだけ公式発表によるように、という予備校側のお達しだった。
ゲルダが帰って来た時間には、一緒にお茶にできたタクマ。まあ、結果も落ちこんだ顔を見せずにすむレベルだった。今日は珍しくカレンも家にいた。最近は日中どこかに出かけている事が多いのだが。
「ほう、一段落ついたのじゃな、タクマ。祝いにどこかに遊びに行こう!」
「おいおい……本番はこれからだって」
ゲルダに苦笑を返す。自分が遊びたいだけだろう、と。
「しっかし、マークシート方式って味気ないもんだねえ。大量に採点しなけりゃならないんだろうから、仕方ないのかもしれないけど」
「まあね、導入されはじめの頃は、やっぱりそういう批判はあったらしいよ」
カレンの嘆きにそう答えてみたが、考えて見ると自分が生まれる前の話である。
「大量に、というと、何人くらいなんじゃ?」
「えーっと……」
困ったときのネットだのみ。タブレットで検索してみると昨年度はほぼ五六万人が受験したとのこと。
「ゴジュウロクマンニン? いまいちわからんのう……」
「そうだな、今、テレビでやってるサッカーの試合。あのスタジアム満員になる数の、およそ十倍ってとこだね」
「あ、アレの十倍!」
テレビ画面を見ながら、ゲルダは固まっている。改めて考えて見ると、確かにすごい人数だ。
「ふーん……しかし……その人数から試験で選んで『選良』とするのを続けてきた結果、役所のトップに座っている連中がアレなわけか……」
カレンの口ぶりから、不満・疑問が伝わってきた。……おっしゃる所はわかります。
「これだけの規模で、しかも機械が採点するっていう『客観性』を担保して……試験のやり方としては理想的なはずなんだけどねぇ……」
「カレン、よその制度をあまり悪く言わない方がいいわ。イムラーヴァでは『試験』によって人を選ぶ事自体が珍しいじゃない……」
「うん、わかってる。別にこの世界の制度をくさしたいわけじゃないんだ。確かに、イムラーヴァの身分制のもとじゃ、世襲やら縁故やらで『人材』は決められてしまう。それが不満だからこそ……あたしは『試験』で一切のヒイキなしに『人材』が選ばれたらどんなにいいだろうって夢想していたんだ。しかし……現実にそれが叶っている社会でも、あまりうまく『人材』を選び出せていないみたいでさ……。ある意味、あたしの勝手な理想がポシャっちゃったわけ」
どこかしんみりした口調のカレンだった。彼女にしては珍しい。「世襲」やら「縁故」の意味をアリエルに教えてもらっていたゲルダが、今度は議論に混ざりたがる。
「悪いことなのかえ? 生まれや付きあいなどという理由で『能力』を決められてはかなわぬわい。『試験』できちんと能力を測ったほうがいいじゃろう?」
「それはそうなんだけど、試験で能力を測るっていうのが、限界があるもので……」
思わず口にして、はた、と考え込むタクマ。受験生である自分に、試験制度自体を論評する資格があるだろうか。
「……いや、オレが言える事じゃないな」
照れ笑いを浮かべて退こうとしたのだが、辺りが許さなかった。
「言っちゃえよ。受験生だからこそ、試験制度に感じている理不尽とか、あるんじゃないか?」
「そこまで言ったら、ワラワも先が聞きたいのじゃ」
「私もちょっと聞きたいな」
三人に促されて、しゃべる気になったタクマ。思えば受験生だからこそ感じている不満などは、その時期を過ぎれば忘れてしまうかもしれない。いや、たぶんそうなる。物言わぬは腹ふくるるとか何とか。言っちゃおうか。
「受験勉強してると、はっきり言って面白い作業じゃないからさ、あれこれ考えちゃうんだよ。何でこんな事をやんなきゃなんないんだって。自分がそう選んだためだってのに。しかし、考えているうちに『試験』って制度自体について、不満や疑問が湧いてきてさ。オレが感じる疑問点は大きく分けて二つ、試験の妥当性と絞り込み性能の限界だね」
「ほう? 妥当性ってのは?」
「一番わかりやすい例は、昔の中国で行われていた『科挙』って国家試験だね。国の役人を登用するために行われたんだけど、役人にとってどういう能力が必要かって目的に対して、四書五経っていう儒教の経典を、どれだけ暗記できるか。ある種のテンプレートに従って『美しい文章』を書けるか。っていう、形骸化した教養を求められたんだと。当然、近代になるにつれて、その弊害はこぞって指摘されるようになり、科挙は廃止された。『こういう人材が欲しい』って目的があって試験をするばあい、その試験問題は本当に妥当なものか、常に考え修正されなければならないと思う。そういう意味で、科挙は反面教師だね」
「ふーん、後で調べてみよう」
うなずくカレン。確か科挙について書かれた新書本が家にあったはずだと思い出すタクマ。後ですすめてやろう。
「で、科挙からずいぶん進歩したはずの、現代日本の受験制度だけど……」
「ふんふん、現実にその中でもがいてるあんたじゃ、バンザイできるはずないんだろうけど」
ニヤニヤ笑いで語りかける。タクマも苦笑いを返して言葉を継ぐ。
「まあね……しかしまあ、できるだけ客観的に受験制度を眺めてみてさ……。受験勉強してると、昔あった問題ってので、酷いシロモノに会うことがあるんだ。英語で、もう二百年くらい前の文法でしか使わない言い回しとか。教科書の範囲では絶対にでてこない歴史問題とか。いわゆる『落とすための問題』って言われるやつさ。何でこんな理不尽なシロモノがまかり通っているんだろうと思うんだよ。科挙に劣らない『見当外れ』問題じゃないかって。しかし最近ようやくわかってきた。話は単純で、『試験』の能力を超えて人間の絞り込みをしようとしたからだと思う」
「『試験』の能力というと?」
いつになくマジメ口調なカレンの問いに答える前に、冷えた紅茶を飲み干すタクマ。
「思うに『試験』っていうのは、ある傾向を持った人間を選び出すために、同じ人間によって作られた『道具』であって、その絞り込み能力には限界がある。これはオレの漠然としたイメージなんだけど、そうだな、法律家に適した人間を選び出すために、非常によく考えられた試験問題が作られて実施されたとしよう。たぶん、それによって百分の一くらいまでなら、『適した者』を選び出せるんじゃないかと思う。しかし、千人から一人を、一万人から一人を選ぼうとすると、もういけない。千人から十人、一万人から百人の割合まで絞るのが精一杯だと思う。それを通り越すと、同程度に法律家に適した十人のうち九人を、百人のうち九十九人を『いちゃもんをつけて落とす』事になる、と思うんだ」
「ふーん……『試験』が人間を絞り込む能力、か。なるほどね。さっき言った『理不尽な試験問題』ってのは、『いちゃもんをつけて落とす』ために持ち出された道具というわけだ」
「そういうこと。思うに……何かに適した者を選び出すのに、本当に確かなのは、実際にそれをやらせてみることだと思う。しかし、それにかかる社会的なエネルギーも時間も足りようがないから、結局は事前に、人間が考えた範囲での条件下で疑似的に『それをやらせてみる』しかない。それが『試験』というもんで、そういう現実を一旦抽象化したものである以上、絞り込み能力に限界ができるのは仕方ないんだろう。そんな風に考えてる」
「ふーん……現実を一旦、抽象化する、か。そうせざるを得ないかねえ……」
「うん、科挙みたいに、目的からかけ離れた問題は論外。しかし非常によくできた試験問題があったとしても、それが現実を抽象化したものである以上、絞り込み限界はどうしてもできてしまう。そんな風に考えてる」
見ると、興味を持って聞いているのはカレンだけ。カタい言い回しを続けたためか、ゲルダが大あくびしているし、アリエルもちょっと首をかしげて退いていた。自分がムキになったのを自覚して、思わず赤面するタクマ。受験戦争のまっただ中で、腹の底に溜まっていた憤懣を吐き出したようなものだった。
「試験には限界がある、か。たぶんそれは正しいんだろうね。覚えておくよ」
珍しくカレンがタクマの『説』を素直に受けとった。ホント、珍しい。明日、雪でも降るんじゃなかろうな?
「あ、いけない。お夕飯のしたくが……」
「タクマの言うことはワケわからんのじゃー! つまらん! お前の話はつまらん!」
固まっていたアリエルとゲルダが再起動した。長口上につき合わせてしまった。申し訳ない。心の中で手を合わせるタクマ。結局むずがるゲルダをなだめるために、断ちものにしていた格闘ゲームをつき合う羽目になった。
◇
翌日、タクマは自己採点を予備校の担当教官に提出した。
「ふんふん……、うむ、志藤くんはK大学志望だったね。悪くない点数だと思うよ。十分射程圏内だ」
「はい、さっそく出願しようと思うんですが……」
「え? いや、もう少し待った方がいい。K大学の倍率がどうなるかを見きわめた上で、ね」
「いえ、もう決めた事ですから」
「そうかい? まあ君がそういうのなら。狙ったところに一直線か。サムライだねえ君は。ははははは」
メタボぎみの腹を揺らして笑う教官。サムライっていうか、やろうとしているのはケジメをつける事なんで、勝つための方策をあれこれこね回しても意味がないんで。ケジメというのは不細工でしんどいものだなと、今さらながら思うタクマだった。




