初詣のご挨拶
時間は七ヶ月ほどさかのぼる。アリエルがノゾミという子の死に際して、蘇生魔法を使って失敗した翌日のこと……
「じゃ、行ってくる」
「……はい……」
タクマは布団の中にこもったままのアリエルに、短く声をかけると予備校に出かけた。
昼過ぎになって、ようやくアリエルは起きだしてきた。何もする気がおきず、居間の窓から見える空を、ただ、眺め続ける。
「……ダメ……ね……」
吐息とともにつぶやき、ソファーから身をはがすように立ち上がった。
自分の気持ちが沈んでいるのが、ノゾミの死だけによるものではないとわかっていた。昨夜の蘇生魔法失敗で、自分の中の魔力を根こそぎ使い切ってしまった。そのことも精神状態に影響しているはずだ。そして魔力が無ければ翻訳の腕輪も機能せず、日常生活に支障をきたす。
自分自身にムチを入れるような気持ちで、服を着替えて外に出た。向かう先は近所の神社である。
神社につくと、今日も人の姿はなかった。中央に立つ社の前に進み、ゆっくりと深呼吸をする。
サッ サッ サッ
背後の竹ぼうきの音に驚き、振り向くと、緋袴姿の巫女さんが掃除をしていた。いつの間に? いやそれより、このままここにいては、掃除の邪魔か。
無言のまま一礼して立ち去ろうとしたアリエルだったが
「どうぞ、そのまま。……まだ、あなたの用は済んでおられないでしょう?」
巫女さんにそんな言葉をかけられ、驚いて足をとめた。
巫女さんは視線を合わせず掃除を続けている。黒髪のおかっぱ頭で、顔立ちの整った女性だ。
少し迷ってから、かけられた言葉の意味を問い返そうとしたのだが……巫女さんにさえぎられる形になった。
「……善き願いが良い結果に結びつくとは限らない……。でも、人はそれでも願わずにはいられない……」
はっと、胸を突かれたように感じるアリエル。
「あ、あの、それは、どういう……」
「……非情な理と思うでしょうが、この世界としてはつじつまが合っているのです。理は絶対のものではないし、揺れ動く場合もあるのだけれど」
サッ サッ サッ
ほうきの音を聞くうちに、次第にアリエルは落ちついてきた。──全てを受け入れる気持ちになってきた、と言った方がいいかもしれない。
「……ご存じなのですね?」
「はい、私の責でもありますから。彼の世からあなたを招き入れた、そのために」
不思議な感覚だった。まるで問いかけた瞬間に、答えはわかっているような……。まるで自分と彼女が一体となった、いや、自分というものが存在せず、周囲の世界と一体になっているかのような感覚。それでもアリエルの胸には疑問が湧く。そしてそれを言葉にせずにはいられない。
「あなたが私を招き入れた……?」
「正確には、招き入れる手助けをした、でしょうか。別な世界に、私の権限は及びませんから。しかし、彼の世の管理者には、ヒサの玄孫を使わしたという『貸し』がありましたもので。無論、完全に意に沿わぬ事を飲ませる事はできません。管理者にとっても、それが望ましかったのだろうと推察します」
言葉にした時には、その答えがわかる。自分と彼女の境目がないのだから。『ヒサの玄孫』がタクマの事だと、アリエルはすんなり理解した。彼の世とは、つまり、イムラーヴァ……
「……あなたは、この世界の神さまなのですか?」
「そうであるとも、そうでないとも。何しろ、その言葉で人が表すものは漠然としすぎています。しかし……そう、一部の人が指す、『創造者』のイメージを除けば、神と呼ばれる像に近いでしょう。『始原の力』は、我らとはまた隔絶した存在ですから」
サッ サッ サッ
ほうきの掃く音が響いていく。清けく、此方と彼方を分けて聖域を生みだすように。
「……大事な人を、送ってくださったのですね……」
「ふふ……そしてあの子はあなたを愛し、あなたもあの子を愛した。善いことです。それを、痛みだけに終わらせるのは……惜しかった」
彼女の言葉には、かすかな迷いのようなものがこもっていた。はっきりと言葉になる以前の想い。……しかし、アリエルはそれを察した。
「……今、わかりました。私はやはり、あそこで死ぬ運命だったのですね。それにあなたが干渉されたから……そのしわ寄せが、ノゾミちゃんに向かった……」
「……それもひとつの見方ですね。ただ、因果はそれほど単純な、一対一の関係にはできていません。あなたがあそこで死んでいても、やはりこの世のどこかで誰かが、年若いままに命を失い、悲しみが生まれた事でしょう。……そうですね。あなたがその死に立ち会って、悲しまなければならなかった。そこまでは、水面に投げられた小石の波紋が、然らしめた結果と言えましょうか……」
サッ サッ サッ……
規則正しいほうきの音が、次第に間遠になっていく。
「そろそろ、お行きなさい。……あの子をよろしく」
はっと、夢から覚めたような思いのアリエル。
「あ、あれ……?」
境内は薄暗く、すでに夕暮れ時だった。
「私、今までなにを……?」
中央の社前にたってから、知らないうちに時間が経ってしまった。首をかしげながらも、急いで家路につく。──しばらくして彼女は、『狐に抓まれたような』という言い回しを、奇妙な納得感をもって知った。
◇
「開けまして、おめでとーございます!」
「おめでとうございます。今年もよろしく」
「あけおめー」
「カレン、若ぶるのは、イタいって……いててててて!」
「そんなに痛い目に遭いたいか、タクマっ!」
年が明け、居間にみんなそろって新年のあいさつを交わした。カレンがタクマに梅干し食らわすのもアイサツのうちである。
いつもよりみんな、少しだけ起き出すのが遅かった。夜更かしの結果である。史子おばが届けてくれていたおせち料理と、アリエルお手製のお雑煮で新年を味わった。
「あんこ餅、おかわり!」
「ゲルダちゃん、お餅の食べ過ぎは、けっこう苦しいそうよ。気をつけて」
言いながらも嬉しそうにおかわりを用意するアリエル。わかっていながら、タクマたちもまた、ちょっと食べ過ぎた感じだ。居間に移って、ソファーにもたれ、各地の正月風景などの番組を流し見る……
表を見ると、いい天気だった。寒さは厳しいながらも、家の中で過ごすのがもったいないような日差しだ。
「やっぱ初詣、行こうか?」
タクマの提案に、みな一斉にうなずいた。
車通りの少ない道を、神社まで歩いて行く。行き交う人もまばらで、破魔矢を手にした参拝帰りの人たちと時々すれ違うくらい。
「なんかミョーに静かじゃのう。お正月というのはお祭りではないのかえ?」
ゲルダらしい見方だなと、ほほ笑むタクマ。お祭りの一種だけど、みんな一斉に休むお祭りなのだと説明してみた。
近年は、その風習もずいぶん崩れてきたが。駅前アーケード商店街では初売りは二日からだが、郊外のショッピングモールや駅建物に入っている店舗では、一日から初売りを始めているだろう。そのうち、正月は休むものという常識は、客商売では無くなってしまうのでは。
神社の常緑の木々が見える辺りまで来ると、社への登り口の広場から、お囃子の音が聞こえてきた。
「あっ! お祭りじゃっ!」
真っ先に駆けだしたゲルダを追いかけていくと、広場で獅子舞が舞われていた。ああ、そういえば昔は、一軒一軒回っていたなと思い出すタクマ。今はこうやって、人が集まりやすい場所で済ませるのだろうか。
ピーピ、ピャラララ トトン、トトン チンチキチキチキ
軽快なお囃子に合わせて、獅子が舞う。獅子の舞手はひとりだけ。昔は二人で舞っていたものだが、人手がおそらく足りないのだろう。
ゲルダをふくめ、あたりに集まっていた子ども数名が獅子に頭をかじってもらった。泣き出す子もいる中、ゲルダは大喜びだったが。
ご祝儀を渡すときに見てみれば、舞手をふくめ、一行はかなり高齢の方ばかり。これもご時世か。
社に続く階段を登る。思えばこの神社に来るのも久しぶりだ。カレンが魔力回復方陣を完成させてから、とんとご無沙汰になっていた。
建ち並ぶ社のうち、中央の大きいものの前に立ち、鈴を鳴らしてお賽銭を入れ、二礼二拍手一礼。不思議なもので、普段滅多に神社になど来ないのに、ゲルダが賽銭箱にオーバースローでお金を投げたりすると、「ああ、それはいけない」とつい口に出してしまうタクマだった。
ここの神社は登ってきた階段の参道とは別方向の、ゆるやかな下り坂から帰ることができる。朝のジョギングに組み込んでいた頃は、アリエルと二人、そのコースをたどったものだ。境内から出るあたりに天幕がはられており、緋袴の巫女さんがおみくじを売っていた。
「新年の道しるべに、おみくじはいかがですか?」
かけられた声に応え、歩み寄る四人。黒髪のおかっぱ頭、整った顔立ち。その姿に、アリエルの胸をよぎる、どこかで会ったような記憶……
ザラッ ザラッ ザラッ
巫女さんが六角形のくじ箱を振った。その音に、ハッとアリエルは思い出す。そして巫女さんとアリエルと、二人だけがその場に立っていた。彼女はアリエルと真っすぐ向き合い、にっこりとほほ笑んだ。
「お久しぶりですね」
「はい、申しわけありません。ご無沙汰しておりました」
アリエルもほほ笑んで答礼する。不安や恐れはない。とても安らかで、伸びやかな気分だ。
「あの子と一緒に、向こうに帰られるのですね」
「はい……申しわけありません。あなた様には、大切な血筋の人なのに……」
「ふふ……滅多にないことですが、全くないわけではありません。善かれ悪しかれ、この世界は四つ辻のように、そんな客人の多い所。旅立つ者も、珍しいとは言えますが、所詮、『珍しい』どまり」
彼女の口ぶりは、不思議に浮き立って見えた。少なくともタクマの旅立ちを、厭わしいとは思っていないようだ。
「損失とは言えましょうが、しかし、あなた方が今世の理を守ってくれたのも事実。彼の地の管理者に伝えてください。これで貸し借りは精算されたものとしよう、と」
「はい、承りました。でも、どうすれば……」
「大丈夫、あなたたちが向こうに渡れば、自然と伝わるようにしておきます」
彼女の指に光が宿り、アリエルのひたいに触れると、吸い込まれるように消え去った。
「それでは、思慮深く、健やかに、忍びづよく。彼の地に善きことをもたらしますように……」
ザラッ ザラッ ザラッ
「はい、二三八番ですね……こちらを」
「どうも」
ハッと、自分を囲む世界に違和を感じて、アリエルは戸惑った。あれ? 今、誰かと話をしていたような……
「次はワラワじゃ!」
「はい……えーっと、四五番、これですね」
「どれどれ……中吉か。うにゅー……」
ゲルダが微妙な表情で固まっている。何ごとによらず欲張りな幼児である。
「アリエルも引いてみなよ。新年の運試しって」
カレンに勧められ、アリエルも巫女さんの前に立つ。……高校生のアルバイトだろうか。かすかに見えるソバカスが、化粧気のなさを引き立てている。初めて会う娘だった。え? いや、それで当然なのだが。
ザラッ ザラッ ザラッ
「はい、一八三番。こちらです」
「ありがとうございます。……あら」
「おお、大吉かや!」
「うへー……アリエルのくじ運には、ホントかなわないよ……」
「だからカレンはどうだったって」
「いーえ、見せません。こんなものはどーだっていいの!」
カレンは軽くへこんだ顔。言葉通りならば見せたっていいだろうに、結果が結構気になっているようだった。
ちなみにタクマは末吉だった。頑張れ。センター試験はもうすぐだ。
四人そろって家路をたどる。日暮れが早い季節で、もう空は紫色に染まりだしていた。ふとアリエルは歩を止めて、振り向いて社のあたりにお辞儀をおくった。踵を返し小走りで皆に追いつく。自分の小さな気まぐれが、自分でも理解できないアリエルだった。




