隠密賢者の暗躍1
S市の東には、田園地帯が広がっている。すでに収穫も終わった後で、畝だけになった田んぼの風景は、まるでセピア色の写真のようだ。
その中にぽつんと一個所だけが緑色があった。針葉樹がまとまって植えられた、いわゆる鎮守の森である。人気も無く閑散としたその場所へ、中古のSUV車がやってきて、砂利がしかれた広場に駐まった。降りてきたのはカレンである。あたりを見渡し……おもむろに、古い鳥居をくぐって不揃いな石段を登っていった。
短い石段を登り切って、小さな広場に足を踏み入れた時
シャン
鈴の音が響いて、あたりは一面の野原になっていた。正面に立つのは緋袴の巫女。鈴を手に、カレンに向かってほほ笑んでいる。
「よう、お世話さん」
「ようこそ」
「確か、ここで最後だよね?」
「ええ」
巫女は右手奥、少し離れた場所を指さした。古びた石柱が、元在ったであろう場所から倒れて転がっている。
「やれやれ、めんどそう。前にも聞いたんだろうけどさ、あなた方で直してもらうわけにはいかないのかい?」
「これはあくまで人が作ったもので、それを再び用いようとしているのも人ですから」
「仕方ないね-。……よっ、どっこいしょっ……と……」
カレンは石柱を立て直した。と、ヴン、と空気が振動したような感触がした。
「……はい、無事起動しました。地脈の精を糧に、三日ほどで城跡公園地下の遺跡は使えるようになるでしょう。かつてのように、それ自体で世界の壁を飛び越えるのはムリだとしても、そういった術を補助する役割は果たせるはずです」
「助かったよ、ありがとう」
「いえ……」
一時、二人の間に沈黙が落ちた。
「……前にも聞いてるんだろうけど、なぜ手助けしてくれたのかな? あんたにとって、あたしらは所詮、異世界からまぎれ込んだ異物だよね?」
「一番の理由は、力尽くで次元の壁を越える術を使われるのは、危険だからです。かつてあった設備を利用する方が、今世の理に対する影響は抑えられるでしょうから」
「安曇野さんと同じ理由か。でも、こういう施設があるってことは、『ことわり』ってのが今とはちがう時代もあったんだよね?」
「はい。人の思念が物質に直接影響を与える。そういった時代もありました。今世の理は絶対のものではありません。しかし……急激な変化は、大きな軋轢を生むでしょう」
「うん、そうなんだろうね……」
うなずきながら、カレンはポケットから紙片を取り出し、その一部にチェックマークをつけた。
「……ここを出たら、また全部忘れちゃうんだよね? 少々惜しい気がするんだけど」
「申しわけありませんが、それもまた、理の一部と思ってください」
「ん、じゃ、さよならだ。お世話さまでした、この世界の神よ」
巫女はほほ笑んで鈴をふり、次の瞬間、カレンは、鎮守の森の中、狭い空き地に建てられた石塚の前に立っていた。夢から覚めたような表情だったが、自分が握りしめていた紙片を見て、S市の東西南北、四個所にチェックマークが入っている事を確かめた。軽く吐息をつく。
「……お世話さまでした、この世界の神よ」
同じ言葉をくり返し、あいさつするカレン。記憶がないのだからしかたがない。そして踵を返すと、足早に石段を下って、駐めていた車に戻っていった。
◇
佐田の旧宅でバルドマギと相対し数日後、S市城跡公園に、先日集まっていたのと同じメンバーが再び集結していた。
この夜、カレンが一度、イムラーヴァに帰還跳躍を試みる予定だった。
公園の数カ所を「工事中」標識で封鎖し、昔は本丸があったとされる広場に、二重の魔方陣が組まれていた。外側は空間結界方陣。内側は、次元跳躍方陣である。カレンが忙しそうに作業し、タクマや室生に指示を出していた。
アリエル、カレン、ゲルダと、三人の転移先が城跡公園だったことは、さすがに偶然ではかたづけられず、周囲の調査が行われた。その結果、城の地下深く、以前は丘だった部分に、何かの古代遺跡が存在し、それが原因で跳躍の経路が繋がりやすいと予想されるに至った。
とあるきっかけから、遺跡の東西南北に何らかの「スイッチ」があるだろうことを知ったカレンは、それを探して起動させる事を目指した。自分の記憶に残らない形でだったが、それらを成し遂げ、改めて城跡公園地下を調べてみると、魔素が劇的に集積されて、遺跡が「稼働」状態になっていることが確認された。おそらく……これで次元跳躍は、ずっと容易になっているはずだ。
準備が整った。カレンがゆっくり方陣の中央に入る。皆、一様に無言だった。
「……こんな時に何て言えばいいのかな? こっちの世界でさ、初めてロケットに乗ったパイロットが、なんかソレっぽい名言残してないかね?」
おどけたカレンの口調。あたりの雰囲気を変えようとしているのだろう。
「……ごめん、ちょっと思い出せない」
「ちぇー、『これはひとりの人間には小さな一歩だが』くらい言ってくれるかと思った」
カレンにつきあうタクマ。どことなくお約束っぽい軽口の応酬。しかし……おそらくアームストロングの名言のようにはならない。次元跳躍の魔法技術記録は、管理協会が全力で秘匿し続けるだろう。少なくとも、五十年か百年くらいは。
「気をつけて、カレン……」
「おうっ、戻ってくる時には、更に術を最適化してくるよっ。ゲルダは何かみやげの希望はないかい?」
「ふむう……考えて見ると、食べ物ではおおむねこちらの世界が上じゃのう。なんたる事じゃ……」
短く言葉をかけあって、笑顔を交わす。そして、タクマ、アリエル、ゲルダが、次元跳躍方陣の外周の三か所に位置取った。両手を挙げて構え、魔力を込める。
「……それじゃ、手はずどおり」
「おうっ」
「はいっ」
「うむっ」
三人が次元跳躍方陣に魔力を流し込み、歩を引いた。続いて、空間結界方陣を起動する。上方に取り付けられた魔道具を頂点にして、三角錐の白い壁が生まれる。……そのまま三分。自動で空間結界は消失し、カレンの姿も消えていた。跳躍の魔法衝撃は全く感じられなかった。外側の結界のおかげである。内側に数カ所仕掛けられていた記録用魔道具を回収する。跳躍が成功したかどうかは、記録を調べればわかるはずである。が、三人はカレンが成功したことを疑わなかった。
急いで後始末をして、一行はその場を離れる。タクマは一度ふり返り、自分が発つ時もここからなんだろうなと、そんな感慨を胸にしてたち去った。
◇─────◇
跳躍が終わると、カレンは見知らぬ場所にいた。上方に夜空が広がっている。見えるのはイムラーヴァの双子月。あたりに立ちこめる濃密な魔素に、むせそうだった。
「おんやぁ、どこだいここは? 『勇者召還の間』に出るもんだとばっかり思ってたんだが……」
イムラーヴァのどこかである事は間違いない。目が闇に慣れてくると、自分が一種の環状巨石列の中心に立っているのがわかった。あたりに人の気配はない。巨石列の外側は、うっそうとした森が広がっている……。と、森の中で何かが動いた。近づいてくる気配が一つ……二つ。暗視の魔法を唱えるカレン。
「……緑晶クマかよ。参ったね。殺伐としたお出迎えだこと……!」
緑晶クマは、かなり上位の魔物である。自分がいる場所がどこなのか、おおよその見当がついた。
身体強化魔法を唱えて、カレンは駆けだした。
◇
クロムレック旧首都、ネストロモの魔王領臨時執政本部。
執政官面会の広間で、バルドマギは中央の椅子にでっぷりとした体を預けていた。
「貧相な椅子よのう、これでよく魔王領の執政を名乗れたものだ。ふん、ま、つなぎと思えばいいか……」
うそぶきながら酒杯を傾ける。
バルドマギの前にセルニアが引き出されてきた。顔も向けず、地下蔵から勝手に持ち出した酒をあおるバルドマギ。セルニアは開口一番、叩きつける。
「バルドマギ卿! 即刻、捕虜の処刑を中止なさい! もはや戦闘は終わりました! これ以上の殺戮行為は許されません!」
「ふうむ? 何を寝ぼけたことを言っとる? 先の大戦で、我らがどんな目にあわされたか、忘れたというつもりか?」
「我らの側が宣戦した戦いです! それに行きがかりはどうあれ、今までクロムレック領の魔族を保護してくれたのは、彼ら教皇国騎士団です。あのような見せしめをして、ネストロモの民衆は、むしろあなたに反感を持ちますよ!」
そのセリフに、バルドマギは床に杯を投げつけた。
「寝言は寝て言え、この小娘が! 魔族が、人族に恩を感じているだと? おのれらの王たる、このワシに反感を持つだと? 腑抜けたことをぬかすな! きさまそれでも青海将軍たるイルメルドの娘か!」
「王とはなんです? だれがあなたを王として認めました? 先の部族会議で王に推されたのは、あくまでゲルドゥア・マグナスでした。それも半分、力による恫喝だったものを。一度も我らの前で戦って見せたことのない、あなたがどういう理屈で王を名のれるのか? あなたが一度なり、ネストロモの民を護った事があったとでも? 寝言を言っているのはあなたの方です!」
「ヌガァァッ!!」
一声吠えて、バルドマギはセルニアを殴りつけた。拳で顔面に入れる容赦ない一撃だった。くずおれて昏倒するセルニア。
「地下牢にたたき込んでおけ! おのれ……民だと? 背くだと? 上等だ! ネストロモの平民どもがそこまで腐っているなら、こいつを見せしめに処刑して、目を覚まさせてやるわ! 自分らの主人が誰なのかを、な!」
意識を失い運ばれていくセルニアに、届かぬセリフを投げつけて、息が荒いバルドマギ。と、その背後から声がかけられた。
「あらあら、ずいぶんおかんむりだこと。少し落ち着いたら? あのサタとかいう人族が言うには、血の圧力が上がるのは早死にの元だそうよ?」
「ぬ! どういうことだ、きさま? なぜここにいる?」
バルドマギの後ろに立っていたのは、特徴のない中年男と鮮やかな銀髪の女だった。
「もうあそこに居つづける必要はないでしょう? セグル王は火縄銃を使い、文字通り引き返せない一歩を踏み出してしまった。後は高みの見物と行きたいわねえ。いい加減、しつっこいのもイヤになったし」
「……言われた仕事は終わった。脱出は早いほうがいい……」
無論、ベレラカンに火縄銃を売り込んだ「発明家」ジガンと、その娘役のラミアである。二人とも、人族の特徴が色濃く出た「混血」だった。魔族の側からも蔑視される「混血」だったが、その特徴を逆手にとって、人族側への潜入工作を請け負う間諜として生きてきた。使い捨てにされるのが常の危険な仕事だったが、リーダー格のラミアが滅多にない美貌と才知を兼ね備えており、きり捨てるには惜しい人材として、その道で一目置かれる存在になっていた
「ふむ……まあいいか。確かにここまでは計算通りだ」
(あんたじゃなくて、ほとんどあたしが立てた計画だろ)
口の端を上げて笑うバルドマギに、心中密かに突っこむラミア。仕える相手を持たぬ間諜として、バルドマギとは金で雇われた関係だったが、それなりに長い付きあいとなったため、要らぬ手を貸す羽目になった。異世界の人族サタから送られた情報を元に、「銃」を再現したのもほとんど自分の業績だと自負している。本来なら割増料金を請求したいところだ。
にやけた表情のまま、バルドマギが肩に手をかけてくる
「ワシが恋しくなったのであろう? 久しぶりに可愛がってやってもよいぞ?」
(…………)
勘違いっぷりに呆れながら、角が立たないようにゆるりと、むくんだ腕をすり抜ける。
「さっさと仕事を終わらせちゃいたいんですよ。長たらしいのも嫌いでしてね。それに……ネストロモはあまりいい思い出がないもので」
「……報酬の残りをいただきたい。それと、前払い分がギルドに払い込まれた証書を」
「ぬうう……。確認するが、最後の仕込みは終わっておろうな?」
「ええ、そりゃもう。セグル王が意外にねばるようだったら、あら大変、爆弾がー。……ま、あなたとしては、自分自身で倒した方が見栄えがいいでしょうけど」
供の者をよび金貨袋を持ってこさせ、しぶしぶといったようすで報酬を支払うバルドマギ。
「うむ、確かに」
「はい、確かに。それではこれで失礼します」
「……ずいぶんせっかちだのう。もう少しゆっくりしていってもよかろう?」
未練たらしい肥満体に、ラミアは口の端だけの笑みを向けた。
「わたしなぞに構っていないで、ご自身の大業に専念なされませ。魔界侯爵バルドマギさま」
「ぬ……」
そう言い残し、二つの影は部屋を出た。
バルドマギの描いた絵のとおり事が運ぶなら、西方諸国連合とフェルナバール王国が互いに国力を削りあった所を、再興されたクロムレックが漁夫の利を得るわけだが、さてそう上手くいくかどうか? 「混血」の流れ者には、魔族の側にも肩入れする義理はない。報酬を得て、しばらく安楽な生活を送る事ができるなら、それで十分。この世に確かなものなど何もありはしないのだから。
夜の闇に溶けこむように屋敷の外に出る。門を出るとき、ふと、ラミアは肩越しに屋敷を見やった。シルエットだけだが、記憶通りの屋敷の姿だった。しかしそれは彼女の心に、むしろ苦い想いをかき立てる。
(相変わらず、きれい事を……。そんな幻想を抱えていられただけ、あんたはあたしより恵まれていたんだ……)
言葉にならぬ思いを後に、ラミアたちは街路の陰をぬうように消えていった。




