ソクラテスの呪い2
「ねえ、ということは、カレンは『人間が人間の賢さを測る』ことは、難しいと考えているの?」
「まあね。『賢さ』ってのは人間の能力のうち、かなり限定された部分だけど、それだけでも客観的に測るのは難しいと思うよ。王立魔法アカデミーで優秀な成績だったやつが、実際に魔法式を一から組み上げようとなると、てんで使えないってことも珍しくない」
タクマの脳裏に、東大出の官僚や政治家の顔がいくつか浮かんだ。そして、まあ、浪人生でしかないタクマではあるが、彼らが全て優秀だとは、とても思えない。むしろ、犯したミスを素直に認めようとしないという通弊さえ抱えているように見える。
「それに加えて、支配に適した人間ってのは、さらに『善』や『寛大』・『果断』だとかの、矛盾するとも言えるような『徳目』も要求されるだろう? そう考えると『完璧な指導者』を、人間同士で選び出すなんてムリだと思うわ。同じ人間が、神の視座をもって人間を見るしか得られない結果を求めている、というべきかな」
「あ……」
カレンの言葉を受けて、タクマの中で何かが繋がった。
「それか『神の視座』。ソクラテス、いや、正確にはプラトンかな? 彼が言うところの『善のイデア』ってのは、つまり『神の視座』にあたるんじゃないだろうか? そこに達した者がいれば、そりゃあ最高の支配者だろう。いわば神になったわけだから。そして、そういうものだからこそ、実現は絶対にできっこないんだ」
「フフフ、面白い例えだね、タクマ。しかし、あたしらはネットで要約版をさらっただけだ。自分で本物を読むまで、言い切らない方がいいよ」
「ああ、そうだね、反省。でも、オレ、ちょっとわかったような気がする。神さまは人間を治めてくれない。人間を治めるのは人間しかいないんだ。どんなに欠点だらけでも、他にやってくれる存在は、ない」
「そう……ね。そうなんでしょうね」
顔を伏せて答えたアリエルが、さみしげな表情に見えて、タクマはしまったと思った。彼女は敬虔なラーヴァ教信者で「神は死んだ」と言い切るのは受け入れがたい事だろう。
「あー、アリエル、その、言葉がきつかったかもしれないけど……」
「私ね、こっちの世界に来てから、神さまについての考え方が、正直大きく変わったわ」
「ん?」
顔を上げて、アリエルは語り出す。
「こっちの科学文明は、正直圧倒されるわね。宇宙の果ての写真まで撮ってしまうなんて。太陽が何千個も並ぶような大きさのガス星雲とか、何億光年もかかって届く、星が生まれて死ぬ光景とか……ため息が出るほど壮大で美しい。そういったものを見るうちに、思うようになったの。神さまは、おそらく世界を創り出したのだろうけど、私たち人間とは意識のレベルが隔絶していると思う。この巨大な宇宙をつくり出した存在が、半面で『清く正しく』とか『戒律を守って生きなさい』とか、人間にあれこれ注文をつけるのって、むしろ滑稽よ。おそらく……神さまはあまりに巨大すぎて、私たち人間の事は気にかけておられないと思う。少し、さみしいけどね……。だから『人間を治めるのは人間しかいない』というのは、同意するわ。それはたぶん、正しいと思う」
「アリエル……」
プシュという音。カレンがもう一本ビールを開けた。静かになったと思ったら、ゲルダはもうウトウトしていたので、アリエルが部屋に連れて行った。
ちびちびビールをかたむけながら、カレンは語りかける。
「……人間を治めるのは人間しかいない。だから、どんなに欠点だらけでも、全ての人間が政治に関われる民主制であるべきだ。それがタクマの結論かい?」
「そう言葉にされると、『欠点だらけでもいいだろう』と、開き直っているように聞こえるな。やっぱり、欠点はなくせないにしても、少なくする努力は放棄すべきじゃないよ……。たぶんそれが、『代表者を選んで政治をさせる』という、間接民主制の根拠なんだろうな。そしてやっぱり、教育と経済の問題も考えないわけにはいかない。……あの……オラトス村のようなぐちゃぐちゃの暴動って、こちらの世界でも時々ニュース画像になって流れるんだ。そしてそれは、大抵が貧しく、教育が行き届いていない地域で起こっているんだな。そういう意味で、教育を行き届かせて、極端な貧困状態を放置しないってのが、『人間をケダモノ状態にしない』って意味で必要な事だと思う……」
オラトス村の暴動とは、タクマが仲間四人で旅をしていた時に経験した事件である。たまたま滞在していた村に、魔族の襲撃と物資明け渡しの脅迫がなされた。村を守るはずの領主兵たちが撤兵してしまったのをきっかけに、村民が一気に暴徒化してしまったのだ。命からがら逃げ出すどころか、商家や富農を襲って略奪に走る連中さえでる始末だった……。人間の醜さを眼前にさらされたようで、タクマにとってトラウマと言ってもいい。
気の重くなる思い出を、ため息一つで振り払って言葉を繋ぐ。
「フウ……偉そうな事を言ってみても、やっぱりオレは、こういう政治体制の国に生まれて、その空気にどっぷりつかって生きてきた。そういう政治体制でそれなりに安定した生活してきたから、どうしてもひいき目に見ちゃう面はあると思う」
「自分が生きてきた世界に、どうしても引きずられてしまう部分はあるわよね。私も正直、『身分がない社会』というのに、最初はかなり緊張していたわ」
アリエルが戻ってきた。もう遅い時間なので、ノンカフェインのハーブティーをいれてくれる。
「ありがと。……考えて見ると、あんまり向こうで勉強しなかったから、イムラーヴァの過去の歴史でどんな国々があったか、オレは知らない。しかし、こっちの世界では資質に欠ける……いわゆる暴君のために、国と民衆が大被害を受けたって例がたくさんあったんだ。だから、民主主義ってのは、最高の政治を求めた結果というより、最悪にならないように求めた結果だと、そんな話を聞いたことがあるよ……。ま、投票率なんかを見てわかるように、今ある制度の運営自体、理想的にいっていると言えないけどね」
一時あたりに沈黙が落ちた。タクマ、アリエルはお茶を、カレンはビールを飲みながら、とりとめもなく思考を巡らせる……
「ね、タクマ、王国で国民全員参加の投票が行われるには、やはり身分制がなくなることが必要かしら……?」
「……そうだと思う。投票で何を決めるかにもよるけど、身分制があったままでは、結局『票の価値に差をつけろ』とか、そんな横やりが入るんじゃないだろうか」
「そうなるだろうねえ。全ての票が同一価値なら、王侯貴族は平民に、圧倒的に数で及ばない。それをそのまま認めるわけないだろうさ」
「となると……やはり、革命というのは必要な事なのかしら……?」
「……うーん……」
「……あれかい? フランス革命?」
志藤家の本棚には、なぜかフランス革命を概観する書籍があり、三人ともそれは読んでいた。そして……ある程度以上、教科書で習うより細かい「フランス革命史」を見た者は、その動乱の中に自分が立ちたいとは思わない、思えないのではなかろうか。タクマもそういう人間である。もし仮に、あれと同様の事件が、例えばフェルナバール王国で起こるとしたら……タクマとしては全力でそれを回避、もしくは流血沙汰の最小化に努めるだろう。自分自身が身分制のない社会に生きている身として、フランス革命の「恩恵」を受けているとも言えるのだろうが、はらわれた犠牲は、あまりに大きすぎる……
「……できれば……穏健な形で『身分』がなくなる方がいいんだが……」
「うん、あれは凄惨すぎるお話よね……。王族だけじゃなく、第三身分と呼ばれた人たちにも、たくさんの犠牲が出た……。自分の身分を抜きにしても、別な形であったなら、と思ったわ……」
「別に、身分制が崩れる時、必ずああなるってわけじゃないだろう。良い例がこの国の明治維新だ。ま、そのためにちょっと中途半端な感じになったみたいだけどね」
「そういえばそうだ。つまり、身分制がなくなるには『革命』が絶対必要ってわけじゃないんだ。まあカレンの言うとおり、中途半端ではあったね。明治の日本は『四民平等』をスローガンにしながらも、華族なんて制度を作ったりしたわけだし」
「……考えて見ると、ちょっと不思議よね。テレビドラマなんかでは、幕末の時代、それまでの身分制から言えば下に見られていた人たち……『志士』が、能力主義の社会を夢見て改革に奔走したってことになっているけど……」
「能力主義を夢見ながら、西欧の身分制の模造品を作ったりした。奇妙にねじれた時代だったね」
「しかし、そんな『なんちゃって身分解消』でも、段階的に解消していく役にはたったってことじゃない? 一気に変えようとすると『革命』になってしまう……」
いつの間にか三人の話は、イムラーヴァで身分制がなくなる日の事に移っていた。こちらの世界でしばらく暮らすうち、アリエルとカレンも、それが自然の流れだろうと思うようになっていた。
「社会は必然的に進化する」と言い切る学説も知ったが、それは果たしてどうだろうか。地球においても、イラン革命という例もある。宗教国家への革命という、「必然的に進化」論からすれば異様な結果になったのだ。百年・千年というスパンで考えれば「必然」なのかも知れないが……
「もしもイムラーヴァで、穏健な形で身分制がなくなるとすれば、どんな道筋になるのかしら?」
「まずは王侯貴族の間に『それがあるべき道筋だ』という考えが浸透している事が条件だろうね。既得権益を持ってる側からすれば、それを手放すのは中々できることじゃない。それがベターだという考えが、共通理解になっていれば……」
「新しい思想が生まれ、広まっていく事が条件か。遠い道のりだな……」
自分が受験勉強で「ホッブス」だの「ロック」だのと丸暗記させられている政治思想史が、そう考えると無味乾燥どころの話ではない。ある意味、イバラの道の記録なのだなと、感慨を新たにするタクマ。
「そして平民の間にも、一定以上の教育が広まっているべきだろうね。これは、卵と鶏の関係みたいなものかな。平民層にも知識人が増え、それが貴族層に価値観の転換をうながしていく……」
「そのためには、平民層の子どもたちが労働から免除されていなければならないわ。農業を中心に生産技術が向上して、子どもたちを労働力に数えなくてよくなる。そうなって初めて国民皆教育が実現する……」
「全般的な技術の進歩も条件のうち、か。ホントに遠い道だな……」
いい加減遅い時間になったので、その日の議論はそこで打ち切られ、三人は床についた──
布団に入ったタクマの脳裏に、就寝前に読んだサイトの記述が蘇ってきた。
プラトンの『国家』について、サイト主の感想なのだが、ソクラテスの口から語られる民主制下の「自由」のありさまが、論理から導かれたものとは思えない、と。各々の求める自由が、まったくバッティングせずに全て実現してしまうなど、それこそ矛盾した話だ。さらにソクラテスの相方が頻繁に「現にそうなっています!」という相の手をいれている所から察するに、そこに描かれている事態とは、プラトンが理詰めで考えた「民主制」シミュレートの結果ではなく、彼の眼前にあった都市国家アテナイの「戯画」であり、当てこすりだったのだろうという意見だった。彼の言う民主制の宿命が、アテナイ一国の戯画に過ぎないのであれば「普遍的な法則」などと捉える必要はないのでは。それがサイト主の結論だった。
(しかし……「そういう事態が、紀元前のアテナイでは起こった」という歴史証言は、一人の賢者の脳内シミュレーションより劣ったものだろうか? 「民主制」への警告という意味では、より重い意味を持ってないか?)
妙に冴えてしまったタクマの頭に、そんな思いが浮かんでは消える。そのサイト主が最後に挙げていたエピソードは、プラトンの時代からはるか後代、ワイマール憲法下のドイツ共和国において、ナチス党が普通選挙で選ばれて第一党を獲得したことだった──
この節、終わり




