カーくんは正義の味方
志藤家に平穏な日々が戻ってきた。
タクマはセンター試験に照準をあわせ、アリエル、ゲルダは今まで通りのパターンに戻り、カレンは書斎に閉じこもったり管理協会の間を往き来したりをくり返していた。
ある日予備校から帰ってきたタクマを、ゲルダが玄関まで迎えに出てきた。
「ただいまー」
「お帰りなのじゃタクマ! 絵日記のネタが欲しいのじゃ!」
「え?」
面食らうタクマ。アリエルも出てきて言葉を添えた。
「お帰りなさい。坂本幼稚園の宿題ですって。一カ月くらいのうちに家の人とどこかに行って、その体験を絵日記にしてきなさいって」
「ああ、そういう事か。また遊園地でも行こうか?」
「うーん……どうせだったら初めての所がいいのじゃー!」
ゼータク言うなあと思ったが、この前ひどい目にあった埋め合わせだ。ゲルダの希望を尊重しよう。
着がえてから居間でタブレットを起動し、市内のイベントなどを探してみる。
「おっ映画で面白そうなのやってるな」
「どんなタイトルじゃ?」
「『がめる怪獣○メラ』と『大▽神さかる』の特撮二本立て」
「ぶーー! 却下じゃー! おぬしが見たいだけであろー!」
速攻否定されてしまった。わかってくれよ、男の「子ども心」ってやつさ。心の中に秘めたタクマの言い訳。いや、口に出したらジト目で見られるだけだから。
「タクマ、ゲルダちゃんに見せる映画なら、せめて文科省か教育委員会の推薦作品にしたいの!」
「う~む、子どもに見せる作品に限って、公的権威にすがるのはいかがなものか?」
あれこれと迷ったあげく、絵日記にするならばと水族館を選んだ。
S市の水族館は、ショッピングセンターを中心とする複合施設の最上階を占めている。わりと新しい施設である。次の休日にさっそくみんなで訪れる事にした。カレンは最近忙しいそうで、誘ってみたがパスとのこと。
日曜日はよく晴れた秋空だった。屋内施設なので天気は関係ないとはいいながら、やはり気持ちがいいものだ。
丘の上のバス停から複合施設への便に乗る。アリエルの手でおめかししたゲルダは、ひいき目なしに可愛かった。タクマの叔父に招待されたお祭りでの、ゴスロリ服を参考に衣裳をそろえたらしい。アリエルはもう言うまでもなく。最近はむしろ地味めな服を選んで、自分に向けられるカメラを避けよう。そんな方向に努力している。
バスの車窓から見える山肌は、すっかり紅葉の盛りだった。あるいは紅葉狩りもよかったかもな。そんな事を思うタクマ。なんたって絵が簡単に描けそうだ。赤と黄色のクレヨンをゴリゴリすればいいんだろう? などと。発想からして察せられるが、タクマに絵心は皆無に近い。
施設につく。一応名前はあるのだが、あまりなネーミングなので省略したい。まったく、いわゆる子どものキラキラネームかと命名者を問い詰めたい。
晴れた日の日曜日、当然のように混んでいた。はぐれないようにゲルダの手を引きながら、あちこちカメラに納めるアリエル。エレベーターでまっすぐ水族館の階に上がった。
入り口ではさすがに行列ができていたが、中に入ると見学ルートが分かれているので、さほど混雑に悩まされずに済んだ。
「ふわあ……水の中に……道ができてる……」
アーチ状のアクリル板の外側は巨大な水槽になっている。イワシか何かが群れになって泳いでいった。エイがゆっくり、羽ばたくような動きで頭上を過ぎていく。
「ヘンな魚じゃー、笑った顔なのじゃー!」
「ふふふ、本当ね」
「初めて来たけど、意外に本格的だなー」
ゲルダの絵日記のためといいながら、結構自分も楽しんでいるのを自覚するタクマとアリエル。自分たちと同じように感じている親も多いのではなかろうか? そんなことを思った。
大水槽はさすがに人気があるようで、観客がゆっくりと進んでいく。大型のサメも同じ水槽に入っていて、近くを通りすぎた時には、ゲルダが二人とつなぐ手に、少し力がこもった。
大水槽を過ぎると個別の展示になっていた。クラゲの水槽前では三人、思わず息をのんだ。まるで水中の花吹雪のよう。
タコの水槽で、しばらく探して「あ、あそこじゃ!」ようやく藻に化けていたタコがわかった。さすがは「海の忍者」である。
ハリセンボンの水槽前で、添えられていた写真の「針千本」状態が見たくて、ゲルダは水槽前でほっぺたをふくらませてにらめっこを挑んだ。ふくらんだ状態は魚にとっても疲れるものだとアリエルに諭されて、残念そうな顔で諦めた。
「熱帯の海」水槽では、サンゴからイソギンチャクから魚まで、極彩色の乱舞である。「海の中って、誰が色をつけたんじゃー」ともらすゲルダ。確かに自然の神秘である。人間のデザイナーも、結局は自然を模倣する以上の事はできないのではなかろうか。
順路をたどっていくと登り階段になっていた。上がった先は広めのロビーになっており、そこからガラス戸を出ると、目の前に広がるのはプールを囲む観客席。イルカ・アシカショーの会場である。すでに席は埋まりかけていた。ショーの開始時間が近いらしい。って、ちゃんと確認しとけよオレ、などと自己ツッコミを入れるタクマ。最近ゲルダの自分に対する態度がぞんざいになりつつあるような気がするのだ。これ以上、家長の権威を落とさないようにしないといけない。
ショーが始まった。イルカはひたすらダイナミックに動き、アシカはひたすら器用に動く。双方の鼻先からポンポンとボールが飛び交い、子どもたちの歓声が絶えなかった。ゲルダはもちろん、アリエルも海獣に芸をしこむのは見た事がないらしい。三人とも大いに楽しんだ。普通、童心に返るとはこういった行為を言う。特撮映画やアニメの視聴では、なぜかオタク趣味と言われるのが一般的である。
ショーは大喝采で締めくくられた。後で知ったのだが、夏場は観客席に水しぶきが飛ぶまでイルカが跳ねるそうで、秋の日はおとなしめのボルテージだったらしい。
会場前のロビーに戻ると、アシカの着ぐるみを着て写真を撮れるサービスが始まっていた。大人サイズのアーくん、中学生サイズのシーくん、幼児サイズのカーくんと3タイプそろっている。無論ゲルダも希望した。
ゲルダがだぶだぶのカーくん(本物の着ぐるみというより「着る毛布」レベル)を着込んでいると、突然、警報ベルが鳴り出した。一気にあたりに緊張が走る。思わず三人とも身を寄せ合って、あたりの気配を探る。……自分たちに直接害意は向けられていないと判断したのだが……。一分ほどたってから、水族館内にアナウンスが流れた。
『お客さまに申し上げます。ただいま、館内の装置の不備により、一時本水族館を閉鎖いたします。火事などの災害ではございませんのでご安心下さい。お客さまにおかれましては、職員、警備員の誘導に従って、北側階段よりご退出ください。くり返しお伝えします……』
何だこれは? 何か、不測の事態が起こったという事か?
目を閉じたまま、あたりの気配を探っていたアリエルが、目を開いた。
「タクマ、水族館のある階の下……○×銀行で事件が起こったみたい。男が一人、銃を持って立てこもっているわ」
「なにっ!」
「……おそらくショットガンというやつじゃ。この間ドラマで見たのにそっくりじゃから」
ゲルダもアリエル同様の気配察知ができるようになっていた。実際、学問・教養を身につけるよりも魔法の覚えの方が速いらしい。カレンの言う「魔法における一種の天才」は至言である。
しかし、やれやれ、佐田の件が片付いたと思ったら、まるっきり関係ないトラブルにぶつかってしまったようだ。疫病神とかついてないだろうな?
何にせよ、自分らに無関係なら、ここは素直に警察にまかせて……と、思っていたら、ゲルダが両手で頭を抱えるようにして、しゃがみ込んでしまった。
「……なんじゃ、こやつ……グチャグチャじゃ……」
「え? どうしたんだ、ゲルダ?」
「タクマ、立てこもっている男の精神状態がヘンなの。まるで……まるで心の病気か、錯乱魔法をかけられているような……」
ゲルダもアリエルも、かすかに身を震わせている。どういう事だろう? 心の病気? 錯乱魔法? そこまで考えて、つい先だって起こった自動車の暴走事故を思い出すタクマ。いわゆる脱法ハーブを吸ったドライバーが起こした事故だった。……そうか、薬物使用によって、そういう状態は起こりうるか。だとすれば……原因がなんであれ、これは一刻を争う事態では……?
「……アリエル、ゲルダ、正直言って、オレは二つの考えに迷っている。一つは、この件はあくまで警察にまかせて目立たないようにする。もう一つは……」
タクマの言葉に、即決でうなずく二人だった。
◇
「動くんじゃねえ! オラァ! テメエ、なめてんのか? ああ? なめてんのかよぉっ!」
○×銀行△△支店は、表のシャッターを下ろされ、数名の行員が人質にとられていた。異様にやつれた表情の男が、猟銃を振りまわし怒鳴りちらしている。人質は支店長らしい恰幅のいい中年男と、女性行員が三人。受付台の上にすわった男に恐怖の表情を向けていた。支店長は腕にケガを負ってるようだった。包帯を巻いて止血しているが、顔色が悪い。立てこもり犯は痩せぎすの男で、年のころは中年に見えるが、実際そうなのか、あるいはやつれているからそう見えるだけなのか、定かでない。端的に言って犯人は異常だった。言っている事が要領を得ない。
「……ちっくしょぉ……何でだよぉ……一億くれぇ置いとけよおぉ……! どいつもこいつもナメやがってぇぇ!」
男は窓口の行員に銃を突きつけ、「一億円出せ」と要求した。支所には端的に言って、それだけの現金は用意されていなかった。窓口嬢が引きつった顔でそれを告げると、錯乱して入り口を封鎖し、立てこもったのだった。
苦悶の表情で身もだえ、その口の端からよだれが流れ落ちる。銀行の行員は、支店長ふくめ全員、この男とコミュニケーションを取ることを諦めていた。どう見ても「マトモ」じゃない。
男の体がガクガク震えだした。それを見て行員たちの間に絶望的な表情が浮かぶ。ついさっき、五分ほど前、同じような状態に陥った男は……
「あ……が……あぁあ! いでぇ……いでえぇぇ! いでえよおぉぉ! おがあぢゃあぁぁん!」
ズドーン! ズドーン!
「きゃあぁぁぁ!」
「ひぃぃっ!」
空に向けて散弾猟銃を乱射する。それはまるで、時間ごとに襲ってくる発作のようだった。
『犯人に告ぐ、犯人に告ぐ。落ちついて話を聞きなさい。言いたいことがあるなら、マイクを貸そう。とにかく、落ちついてよく考えなさい』
拡声器を通した説得が聞こえて来た。表に警察が陣を構えたらしい。一個建ての建物ではないこの支店では、数カ所出口を押さえれば、もう犯人は袋のネズミである。問題は、いかに人的被害を抑えて犯人の身柄を確保するのか、そこに尽きる。
「ああ? サツか? ちくしょう、てめえらサツを呼びやがったなあぁ! ふざけやがってぇ! ぶっ殺してやるうぅぅ!」
呼んだも何も、勝手にこの男が行員を脅して表シャッターを下ろさせ、立てこもったというのに。それで警察が来ないと思っていたのか? ……いや、この男に筋道の通った判断を求める事自体がムリなのだろう。
「立てよぉオラあ! そこの、そこのババア、てめえだ! 立ってシャッターの前に行けよぉ……!」
銃口で行員の一人を指し、アゴの先で指図する。三十前後と思われる女性行員は、恐怖に顔を引きつらせて首を振るだけ。おそらく、足が震えて立ち上がれないのだろう。
「死ぬか? てめえ、そこで死ぬか? はは、死ねや、ナメんじゃねえぇ!」
女性行員に銃口を向け、無造作に引き金を引いたのだが……不発である。
「……なんだ? ふざけんなよ。ふざけんじゃねえよ! ナメてんのかてめえぇぇ!」
もはや猟銃にまでナメられていると感じたらしい。銃を放り捨てて、腰回りに差していたサバイバルナイフを引き抜く。
「ひ……ひ……!」
立ち上がれない行員が、必死に後ずさろうとする。
その時ボフーンという音とともに。天井隅の通風口カバーが落下した。結構な大音だった。全員の視線が集まる。大人が通るにはきつめサイズの穴から、するするとロープが一本たれてきて、続いてそこから、異様な物体というか、人物というか、キャラクターが滑り落ちて来た。
「ジャジャーン! 正義の味方、カーくん参上! なのじゃ!」
「「「…………」」」
「……ナメてんのか……」
それは上階の水族館のマスコットキャラ、アシカのカーくんである。正確には、カーくんの着ぐるみを着てベネチアンマスクをつけた黒髪の少女。いや、幼女と言っていい背丈かもしれない。
カーくん幼女はピョンピョンと、まるでバッタのような身軽さで、ナイフを振りかざす犯人に迫った。
「てめ……」
「ほいっ」
「ナメて……」
「ほいっ」
「死ねや……」
「ちょいな!」
男が振りまわすナイフを紙一重で回避して、挙げ句の果てにはつき出したナイフの上に直立した。犯人ふくめ、あたりの者全員があっけにとられる。カーくんは、ひょいと上体を倒し、男に顔を近づけて
「ふん!」
デコピンを一発かました。バチーンと結構いい音が上がり、男は糸が切れた人形のように崩れ落ちる。カーくん、スチャッ! と音がしそうなポーズで着地。
「ではサラバ!」
ピョンピョンと机の上を飛び、通風口下に向かう。たれたままだったロープをつかみ、スルスルと天井裏に吸い込まれていった。
天井裏でロープを引いていたのは、言うまでもなくタクマである。ゲルダを抱き上げ、作業用の足場に下ろす。
「ケガは?」
「ダイジョウブ。ワラワを誰だと思っておる!」
「カーくん。ふふふ」
「にゅふふふ!」
言い交わしながら二人とも、足音一つ立てずに鉄網の足場を駆け去っていく。これまた言うまでもないが、潜入ルートを割り出したのも、猟銃を不発にしたのも軽業師顔負けの体術も、すべて魔法のおかげである。つくづく「魔法」はチートそのもの……
作業用扉を出ると、アリエルが待っていた。
「お帰りなさい、二人ともケガはない?」
「ん」
「当然、ワラワを誰だと」
「「カーくん」」
「にゃははは!」
アリエルは、ゲルダの顔にマスクを描き、髪を黒く見せていた魔法を解除する。「色が光の反射ぐあいで決まるとわかってから、簡単にできるようになった」という偽装魔法である。……そのうち、アリエルに科学知識で抜かれてしまうのではと不安に思っているタクマであった。
カーくん着ぐるみも、申しわけないが持ち去る事にした。目撃者が多数いるわけなので、ゲルダのDNA検出にでも使われかねない「証拠」を残しておくわけにはいかない。
三人は、何食わぬ顔で外の水族館見物客の群れにまぎれ込み、帰りのバスに乗りこんだ。
◇
家に着くと、ゲルダはさっそく絵日記を描きだした。まさか今日の出来事を正直に描かないだろうなと、心配になるタクマ。テレビではニュース番組で立てこもり事件とその速攻解決が報じられている最中だ。人質になっていた行員が「カーくんが助けてくれたんです……」とインタビューに答えている。……あの人たちまでクスリやってたと疑われなきゃいいんだけど。カレンが一緒にいて『隠身』を使ってくれれば、もう少し地味な結果にできただろうが……体験の異様さでは大差ないか。そんな事を思う。
と、その時タクマの携帯が鳴った。発信者は……管理協会の沢村?
「もしもし? 志藤です」
『沢村だ。その……今、ニュースを見てるんだが、「ぴかりんあんS市」の立てこもり事件、ひょっとして君たちが……』
「……まあ、お察しの通りです。今日偶然、水族館にいましたもので」
『やっぱりか……』
「はあ……」
『志藤くん、これは忠告なんだが……。君たちは客観的に見て、途方もない力を持っている。その気になれば、救世主としてふるまえるかもしれない。しかし、世の中の秩序と平安を、本当の意味で守れるのは、持続的に治安維持に努められる「組織」なんだよ。わかってくれると思うが』
「ええ……」
『善意から出るものにせよ、「世直し」じみた事は、考えないほうがいい、と、私は思うよ……』
「……沢村さん。例えば清掃業者が管理している公園があって、そこを通りかかったら、ゴミ箱から空き缶が一つこぼれていた。放っておけば清掃業者が片づけてくれるでしょう。でも、ちょっと拾ってゴミ箱に入れるのも、悪いことではないでしょう」
『うむ、しかし……』
「たまたまそこを通りかかって、少し急ぐ理由があったから、ですよ。世の中全ての公園を回って、空き缶を片づけようなんて、そんな事は考えませんから」
『急ぐ理由? お、おお……そういうことか。ふむ、どうやら余計な気を回したようだ。では失礼、邪魔したね』
沢村は通話を切った。
……目立ちたくはなかったけど、非常事態だったんですよ、わかってください。テレビニュースでは、容疑者が過去に覚醒剤所持で逮捕された経歴があると報じはじめていた。
◇
数日後、坂本幼稚園モモ組担当の教師は、早めに提出された絵日記の採点をしていた。提出者は……「赤い旋風」ゲルダちゃんか……
『スイゾクカンにいったのじゃ。エイがわらっていたのじゃ。コブダイはブサカワイイのじゃ。ワラワはカーくんになって、ひとびとの目に勇姿をやきつけたのじゃ!』
魚らしい絵の中に、着ぐるみを着た自画像らしい姿が描かれている。
「…………」
「楽しそうでなによりでした。家の人にちゃんとお礼をいうのですよ?」とお返事帳に書きこんで、花丸をつけた。担当教師の脳には、いわゆる「深く考えないブレーカー」が、根をおろしているのであった。




