誘拐再び2
むき出しのコンクリートの囲まれた、だだっ広い坑道のような場所。車が優にすれ違える広さがあった。等間隔に置かれた投光器が、白々と床を照らしている。コート姿の小男が一人、キャリーケースとむき出しのキャリアーを、両手に持ってふらふら進む。キャリアーには、猿ぐつわをかまされ、後ろ手に拘束されたゲルダが縛りつけられていた。
小石に車輪をはねられ、キャリアーが横転した。
「んぐっ!」
その衝撃で、ゲルダは目を覚ました。うめき声をあげながら、あたりを見回す。
「……ほう、気づきおったか。魔族というのは、麻酔が切れるのも早いようだな……」
「んんっ! うにゅん! ぬぐー!」
ゲルダを見下ろし、薄笑いを浮かべる佐田蔵人。うめき声を上げていたゲルダだが、何かに気づいたようで、不審な面持ちで同じ響きのうめきをくり返す。
「くっくっくっ……魔法を使おうとしているのならムダだ。お前を拘束しているのは『魔封じの鎖』。我が教団が蓄えておいた秘宝のひとつだ。それに縛られた身では、まともに魔法など使えたものではない」
「うぐっ……ぐにゅにゅ……」
そのまま、にぎやかにうめき声をあげるゲルダをよそに、佐田はキャリアーを引いていく。
坑道の奥まった場所に、開けた空間があった。ピラミッドの下部三分の一といった形の、鋼板で作られた台が据えつけられていた。かなり年数が経ったものに見える。投光器が、そこに光が集まるように配置されていた。
台の上に一つずつ荷物を引き上げ、キャリーバッグに腰掛けて息の乱れを収める佐田。体力が余っているというタイプではないようだ。
ゲルダは妙な悪寒を感じ、罵るのをやめた。あたりの気配が……何か変だ。肌身にふれる空気が妙にうそ寒く感じられて、一刻も早くこの場から離れたいという衝動がわく。
ようやく息の整った佐田は、手を伸ばしてゲルダの猿ぐつわをはずした。
「けほっ! けほっ! ワラワを放せ、このゲスが! ワラワを誰だと思っておる!」
「くはははは……魔族とはどいつもこいつも、身の程をわきまえぬ事をさえずりよる。バルドマギという豚と同じよのう」
男の口からもれた名前に、ゲルダはさすがに目をむいた。
「バルドマギ……じゃと?!」
「ほう、こんな幼生体が知っているのか? 魔界の貴族を名乗っていた豚だが、あるいはそこそこ名は知れておったのか? ふん……しょせん、我の持つ科学技術を、できるだけ買い叩こうとする下賤の輩だ。貴族などとおこがましい。せいぜい、小商人がいいところよ」
「…………」
この男……存外に口が軽い。ゲルダは誘い水をかけてみる。
「……ワラワを、どうするつもりじゃ」
「くはは、一応はおのれの先行きを案じるか。エサを与えておけば、それにしゃぶりついているだけと思ったがのう」
「…………」
タクマたちと最初に会った時を思い出し、こめかみに青筋がピクピクするゲルダ。落ち着けと自分に言い聞かせる。プライドだけは高そうだから、そこをくすぐってしゃべらせ続けるのだ……
「……言葉の節々から、さぞや高貴なお方とお見受けいたします。どうかこの無知なワラワめに、教えをたれてはいただけませぬか?」
……そこまで言ったらイヤミだろうと思うのだが、それが通じているのかいないのか、佐田は堰を切ったようにしゃべりだした。
「ひははは! 知ってどうするというのだ! 知ったところで何も変わらん! 牛が食われるために屠殺される前に、わざわざ『これからお前を殺すのだ』と告げて、牛が救われるのか? 例え言葉が通じようが、魔族には畜生同様に救いなどないのだ! おとなしく我の凱旋の礎になるがよい! きれい事しか並べぬラーヴァ神も、哀れみをたれるくらいはするやも知れぬわ。ひははははは!」
佐田の尊大さに胸がむかついてきたが、ぐっとこらえるゲルダ。どうやら自分を殺したいらしいが、一体何のために?
「ワラワの命をご所望とみえますが、何故ワラワごときの汚れた血を見るを望まれますやら。牛を例えに引かれましたが、ワラワの肉を食らいたいとでも?」
言葉がさすがに皮肉の域に達して、佐田は鼻を鳴らしてゲルダの腹を蹴りつけた。
「ぐほっ! げほっ!」
「言葉に気をつけろ、魔族のガキが! 貴様の肉だと? 触るのも汚らわしいわ! 我が貴様に求めるのは、魔族がくたばるときに吐き出すという魔力のみ! それ以外には興味ない。貴様は黙って、我がイムラーヴァに帰還する『動力』を吐けばいいのだ。電池だな生体電池。いや、死ぬときに発電するなら、死体電池か? くははははははは!」
蹴られた事に腹は立ったが、それ以上に、目の前の男の精神状態をいぶかしむゲルダ。
(何じゃコイツは? まともと思えん……。く……しかし、今のワラワにできるのは、時間稼ぎのみ。大丈夫じゃ。必ずタクマたちが助けに来てくれる……!)
「ほ、ほう、イムラーヴァへの帰還とな。そんなマネが出来るのかえ? 大賢者と言われた魔法使いも、手こずっておる難題じゃが」
さすがにこれ以上追従を続ける気にはなれなかった。佐田はまた一つゲルダに蹴りを入れて、興奮した調子でまくし立てる。
「薄汚い魔族のガキが! 目の前にいる我を誰だと思っている! ベレヴァルト王国の正嫡、レーテル・サータ・ベレヴァルト! 本来、貴様ごときが直に口をきける相手ではないと知れ!」
コイツは何を言いだしたのだ? いぶかるゲルダをよそに、佐田はウロウロ歩きながら、己に言い聞かせるようにつぶやき始めた。
「……全ては順調だった……欲にまみれた商人どもを、抱き込む所まではうまくいっていたものを……。それをあの男が台なしにしおった! ベレス神の御心などと抜かし、早すぎる戦端を開きおった! あと少しだったものを! モルドバ砦の乗っ取りさえ、うまくいっておれば! レバネンが未完成だった魔法を使った。陣地が光の暴風に包まれて……気がついたときには、まわりの様子は一変していた。言葉が通じぬ蛮人ども! 魔法を知らぬ蒙昧の輩! しかし、なぜだ! なぜ魔素がない! この我が……ベレヴァルトの王座につき、いずれイムラーヴァを席巻するはずだった、この我が! 蛮族どもの情けにすがらねば生きられなかった! その口惜しさが貴様にわかるか!」
悔しさどころか、佐田の言っている事自体が理解できないゲルダ。こいつは確か、イムラーヴァからの移転者の子孫のはず。それがまるで……自分がイムラーヴァで生きていたような事を……
「だが我は自重した……隠忍といってもよい。蛮族どもに頭を下げ、その中に溶けこんで、イムラーヴァに帰還する道を探し続けた。ひたすらに探し求めた。
我の手に唯一残った魔導結晶を頼りに魔道通信機を完成させ、探し続けた……探し求めた……イムラーヴァの同胞と、語り合える空間座標を!
一つ目の身が滅びてから、通信はついに繋がった! 焼け付くほど焦がれていた、イムラーヴァの言葉をこの耳で聞いたのだ! くぶうぅぅ……おえあぁっ!」
突然佐田は跪き、胃の内容物をもどした。ゲルダは驚き、この男の熱に浮かされたようなしゃべり方に恐怖を感じはじめた。
「ぜえ……ぜえ……それが魔族だったとは! 人の言葉をしゃべる下劣なまがい物だったとは! おのれ、ベレス神の復讐なのか! この我を、異境の地に流刑に処したに飽き足らず、どこまで愚弄したら気が済むのだぁぁ!!」
佐田は今度は泣きだしていた。まなじりが裂けんばかりに見開いた目から、涙がとめどなくあふれる。ゲルダは必死に拘束された手をはずそうとした。常軌を逸したこの男から、一刻も早く遠ざかりたかった。
「我はまたしても屈辱に耐えねばならなかった! あの下劣な豚と、こちらの世界の科学技術をもって取引しなければならなかった! 我はイムラーヴァの覇者たるレーテル・サータ・ベレヴァルト! イムラーヴァは草木の一本に至るまで我が物だ! それを、我の所有物たるイムラーヴァ魔法式を、豚から買い戻さねばならなかった! その気持ちが、貴様にわかるか、魔族のガキがあっ!」
三たび、ゲルダを足蹴にする佐田。ゲルダは歯を食いしばってそれに耐える。佐田は自分でバランスを崩し、台の上で仰向けに転んだ。
佐田のようすが変わった。一時、感情が冷えたかのように……
「……だがそれは……蛮族の中で、我の地位を高めていった……。科学技術などというものにうつつを抜かしながら、魔法については幼児も同然の連中が、諸手を挙げて我を賛美しおったわ。……我は……連中を指嗾して、『これ』を作らせた……。イムラーヴァへの道……異界に通じる門を……」
佐田はゆっくり身を起こした。そのまま四つん這いでずるずると、ゲルダの元に近づく。ゲルダの顔が恐怖にゆがんだ。足蹴にされる暴力よりも、佐田の目が、大きく見開かれながら何も映っていないような目が、恐ろしかった。
「……実験は失敗に終わった……。蛮人どもが小賢しくも魔法式を書き換えたためだ……。そして馬鹿どもが、自分の命で自分の行いを償うハメになったわ……。装置は撤去され、この場所は閉鎖された。しかし……まだこの場所は、イムラーヴァに近いのだ。他の場所より、異界の門が開きやすくなっている」
内ポケットに手を入れ、結晶状のものを取り出す佐田。コトリと音をたて、ゲルダの目の前に置いた。
「……本当は、もっと準備が必要だった。連中を働かせ、もっと実験結果を蓄積するべきだった……。しかし、もう遅い。いや、もう時が満ちている」
佐田は反対側の内ポケットから、バタフライナイフを取り出し、刃を露出させた。ゲルダの額に汗がにじむ。悲鳴など上げてやるものかと、唇をかみしめた。
「魔族の魔力、魔導結晶、そして異界に繋がりかけているこの場所。それだけあれば十分だ……。少なくとも、私には十分だ……。これで全てが終わる……」
逆手に持ったナイフを振り上げる佐田。ゲルダは思わず目を閉じた。……その瞬間、空を裂く音と金属音が鳴り響いた。
ナイフが投擲された石ではじき飛ばされていた。罵りとともにスタンガンを取り出す佐田。
輪郭がぼやけるほどの速さで人影が迫った。佐田が突き出したスタンガンを左手で跳ね上げ、容赦のない突きをみぞおちに打ち込む。
「カァァァァァッ!!」
「ゴェッ!」
滅多に挙げないタクマの気合いは、怒りを声に乗せて拳から逸らすため。殺さぬよう手加減された拳だったが、佐田は胃液を吐いて悶絶し、その場にくずおれた。スタンガンから放たれた雷魔法が天井方向へ走って消える。佐田の体が地に着く前に、タクマは身を翻してゲルダを抱き起こしていた。
「ゲルダ……ケガは? どこか痛いところはないか?」
「遅いのじゃ、ばかタクマ! ……ちょっぴり、怖かったのじゃ……!」
「ごめん……ごめんな……」
涙ぐみながら、ゲルダの拘束を解くタクマ。何か言おうとしたゲルダが、タクマの背後に視線をやり、目をむいて固まった。
「タクマ……あれ、何じゃ?」
「え?」
手を止めて振り返ると、佐田が倒れている場所の上、一メートルほどの高さに、まだらに光るモヤのようなものがある。次第にはっきりと球形状にまとまり、徐々に大きくなり始めた……
首をかしげて、タクマが近づこうとした時
「だめっ! タクマ! それに近づいちゃ、だめっ!」
アリエルの叫び声が響いた。恐怖に近い危機感がこもった声だった。タクマは躊躇せず飛びすさり、ゲルダをキャリアーごと抱き上げて台から飛び降りた。駆けてくるアリエルとカレンの元に走る。後ろ手にはめられていた手錠は力づくでこじ開けた。上体を拘束していた鎖は、イムラーヴァ由来の『魔封じの鎖』らしかったが、鍵の部分を壊したら簡単にほどけた。
「ゲルダちゃん……!」
涙声でゲルダをかき抱くアリエル。ゲルダも不安だったのか、アリエルに抱きついた、のだが……
(すりすりすりすりすり)
「……アリエル、すりすりは三回までじゃ……」
(が~~~~~ん!)
二人のやりとりに笑顔を向けていたタクマとカレンだが、台の上でゆれている光のモヤに視線をむけると表情が固くなる。アリエルが危険と感じた以上、ただのモヤではありえない。
「カレン、あれ、何かわかるかい?」
「いや……初めて見るね。術者からもれるオーラに似てるか? しかしひとりでに球状にまとまるなんて……」
光のモヤはゆっくりと大きさを増していく。直径五十センチほどになった。地に横たわる佐田の体にかかりはじめ……佐田の体がビクビクと痙攣した。
「……まずい。体にいいものには見えないな……」
台の方に足を向けるタクマ。だが、アリエルが止めに入った。
「タクマ! だめ! あれに触れたらいけないわ! 理由はわからないけど、危険なの!」
「大丈夫、触れないようにするよ。佐田の体を引っ張ってあれから引き離す。ほっといて死なれても寝覚めが悪いからね」
素早く台の下まで近づき、球状のモヤを観察するタクマ。彼の接近に反応したようすはない。そもそも、意志や感情を感じない。ならば自然現象の類いなのか?
台上にあがり、肉食獣が得物に近づく用心深さで距離をつめ……喰らい取るような動きで佐田の足をつかみ、飛びすさった。そのまま、腰がひけたお姫様だっこ(別名フォークリフト持ち)の形で抱えあげ、走り戻る。
通路の隅に佐田をおろし、駆け寄る三人にふり向かず声をかけた。
「見ない方がいい! ……残念だが、もう事切れている」
タクマの制止に足を止めた三人だったが、カレンはもう一度歩を進め、タクマに語りかけた。
「タクマ……見ないと判断材料にならないよ」
タクマは肩越しにカレンを見、眉を寄せながらもうなずいた。場所を譲って立ち上がる。しゃがみ込んだカレンが目にした佐田の遺体は、上半身の一部が変質していた。ガラスのような、タールのような……衣服と肉体を含めて、元の物質から違う物になっている。変質はおそらく体の内部にまで達していて、死亡したのはそれが原因と思われた。惨いというより、異様な光景だった。
うめき声を上げながら、カレンはつぶやいた。
「こいつは……どういう事だ。芸のない分析だが、『アレ』は触れた物が、変質してしまう空間ってことか?」
「……外でヘリの音がする……着陸したようだ。解説してくれる誰かがいるといいね……」




