誘拐再び1
志藤家の門をくぐる沢村と室生。沢村は黒のアタッシュケースを下げている。出迎えたタクマに居間に通されて、そこで四人と二人が卓を囲んだ。
沢村が無言でケースを開き、その中から二冊の本……和紙を閉じたものを取り出した。
「連絡のとおり、ボートに残されていたものだ。防水ケースに残っていた遺留品の中で、できればこの冊子の解読というか、翻訳をお願いしたいのだが……」
タクマは朝方に、佐田の遺留品が見つかったとの連絡を受けた。A県O半島の湾内に漂流していたボートから、防水性のキャリーケースだけが見つかり、残された物から持ち主が佐田蔵人と見られる、と。
本は和紙をこよりで閉じた和装本。しかし左綴じになっており、書かれているのはイムラーヴァ文字だった。手に取ってみるタクマとカレン。
中に書かれていたのは……まるでロビンソン・クルーソーばりの「別世界にひとり」手記だった。内容からみて、イムラーヴァから転移してきた初代、佐田冷輝の残したものらしかった。
……彼がこちら側に転移して来たのは、事故によるものだったようだ。某教団が王国内で起こしたクーデターの戦闘中、魔法使いの放った術が原因不明の暴走をおこし、彼だけが次元跳躍したものと見られる。描写が断片的なので、細部は予測で補うしかないが。また同様に、直接言及されてはいないが、端々からうかがえるのは、彼が教団の准幹部だったらしい事。爵位階級ははっきりしないが、王国の貴族の家に生まれたらしい事だった。
そして、こちらの世界での苦難の日々。魔素は薄く、習い覚えた魔法も十分には使えない。あたりの住民は、彼にとっては見下すべき輩で、その中で鬱屈を抱えながら生きてきた。……よくもまあ、曲がりなりにも一家を構えて生き残れたものである。そこが、使いづらくとも魔法という「チート」を持っていた結果だろうか。
「……なんか気が滅入ってきた。なんだろう、このレーテルって男。もう少し自尊心を捨てて周りに合わせれば、よほど生きやすかっただろうに……」
「ああ……しかし、それはそれとして、こういう物が見つかったってことは……」
「うむ、管理協会としては、佐田蔵人は自殺か事故死したものと認定した。無論、偽装の可能性も考えて、しばらくは警戒態勢を維持するがね」
アリエルの容れたお茶をすすり、カレンに答える沢村。普通に飲んでいるのに、なにか茶道でもやってるような堅苦しさを感じさせる。室生は無心に茶請けの羊羹を楽しんでいるようすだった。
「ちょっと単純すぎる決定ではないかえ? ワラワの同級たちを沈めようとした手口からすれば、まんま偽装に思えるぞ?」
ソファーの上、クッションを抱き込みながら、ジト目でもらすゲルダ。沢村の頬がかすかにゆるんだ。生意気カワイイというか何というか……
「R国の情勢と併せての判断なんだよ。軍の幹部と政府要人が相次いで失脚し、それで佐田の、R国との手づるが切れたと見られる。殊に要人の方は、その後急病死するという念の入れようでね。表に出ない部分でもかなりの粛正があったらしい」
ちなみに、R国要人とは、かの国のアングラ組織に近い人物だった。送りこまれてきた「特殊部隊」も、犯罪者が減刑と引き替えに従軍する札付き部隊だったらしい。さらに、日本側の政権内でも唐突な閣僚の交代があった。健康上の理由ということで、政治家としても引退すると発表された。
「それで佐田が前途を悲観して? うーん……」
「死体が出ないことには、油断できないねえ……」
首をひねるタクマとカレン。
「でも……これは佐田蔵人にとって、お祖父さまの日記にあたるわけでしょう? 人の目をごまかすために捨て去るには、かなり貴重なのでは……」
アリエルらしい感想だが……生きるか死ぬかを分ける偽装の際には、切り捨てられない物ではないとカレンは思う。
「遺体が上がるまで結論は保留だね。で、こいつだけど、翻訳には一週間ほど時間をくれないかな? あらかじめ言っておくけど、レーテルって男の行状記って感じで、魔法技術に関わる記述は少ないようだよ」
「承知した。よろしく頼む。では、室生くん」
「え? 羊羹食べないんですかー、沢村さん?」
要件が終わると、沢村と室生はあわただしく引き上げていった。
当然ながら、手記を訳するのはカレンにまかされた。プリンタが置かれている「遊戯室」のパソコン前に陣取るカレン。家主のタクマを差し置いて、すでに定位置ともいえる場所だった。
綴りを開いて流し見しながら、頭をかく。
「うーん……通信機のコア部品でも出てくれば、まだ信じられたんだが……」
言いながら、ポツポツと、一本指タイピングで打ちこみ始めた。
タクマたちには知るよしもないことだったが、この時を境に、彼らに密かに付けられていた監視・護衛体制が徐々に縮小された。前回狙われたゲルダだけには、残されたのだが……
◇
十日ほど後──唐突に、長い一日が始まった。
いつもどおり、タクマ、ゲルダ、カレンを送り出したアリエル。簡単な昼食を済ませ、テレビの録画を見ていたら、玄関のチャイムが鳴った。
「宅配でーす」
「はーい、いま開けまーす」
ガラス戸越しに映る運送会社の制服を見て、アリエルは戸を開けた。
ボシュ!
くぐもった音と同時に、鎖骨下あたりに痛みを感じ──そのまま意識を失った。昏倒する前に見た映像は、制服姿の男が拳銃を構える姿だった。
◇
ゲルダが通っている坂本幼稚園。昼食が済んで昼休みという時間に、事務方から教師を通じてゲルダに連絡が来た。
「タクマが帰ってこいと?」
「うん、同居しているお姉さんが体調を崩されそうで、一足先に帰って来なさいって」
「アリエルが?」
普段のゲルダなら、話に怪しさを感じたかもしれない。しかし、アリエルが具合を悪くしたと聞いて、気が急いてしまった。大丈夫? 一人で帰れる? と尋ねる教師に生返事を返して、停留所から市バスに飛び乗った。幼児料金は無料である。
◇
S市内の某予備校。午後の講座が始まる直前、タクマのスマホに着信が入った。相手は……不明? 不審に思いながら出てみる。
「もしもし?」
「志藤拓磨くんだね? 我々は、その……ゲルダちゃんを見守っているものだ。白瀬の指示といえばわかるだろうか?」
「! ええ、それで?」
「ゲルダちゃんが五分ほど前に、坂本幼稚園を出てバスに乗った。おそらく家に向かったらしい。家で何かあったかと確認の電話を入れたのだが、固定、携帯ふくめ通じない。いま、一人を君の家に向かわせたのだが……」
「な!」
電話を切って予備校を飛び出すタクマ。自分自身のうかつさを呪いながら。
◇
家についたゲルダは、まっすぐ居間に走る。この時間、アリエルの定位置だ。居間に飛びこむと、ソファーに倒れているアリエルの姿があった。
「アリエル!」
駆け寄ろうとしたその瞬間、ドアの影に隠れていた者に、ゲルダは背中を撃たれ意識が遠のいた。
◇
マウンテンバイクをエンジンつき並みの速さでこいで、タクマは飛んできた。家の前の通りを、運送会社のトラックが遠ざかり、角を曲がっていった。門のわきにはバイクが駐まっている。強化魔法を唱えてから玄関に飛び込んだ。と、足元に見知らぬ男が転がっている。顔の半分から肩先まで、ひどい火傷を負っていた。こいつが家で何かやったやつか? いや、白瀬の部下かも? 迷いながらも治癒魔法を一度かけてやり、家の中に駆けこんだ。
「アリエルっ!」
アリエルが居間のソファに倒れている。駆け寄って抱きあげ、脈を診る。よかった、気絶しているだけらしい。胸元に血がにじんでいたので、治癒魔法をかけた。体を揺すって声をかけても目を覚まさないのに不審を感じ、解毒魔法も重ねて唱える。……アリエルが目を開いた。
「タクマ……」
「アリエル……どうしたんだ、何があった?」
覚醒したばかりのアリエルは、記憶が混乱ぎみだったようだが……
「そう……、宅配ですって言って、運送会社の人が玄関前に……あ……!」
アリエルの証言では、麻酔銃のようなもので撃たれたらしい。居間を見渡すと、ゲルダが幼稚園に持って行っているポーチが落ちていた。
しまった、あの運送会社のトラックか! ゲルダが、おそらくあれに……! 唇を噛みながら、カレンと沢村に連絡を入れるタクマ。そして玄関で倒れていた男に完全回復まで治癒魔法をかけ、水を飲ませて介抱した。男はやはり坂本幼稚園を監視していた一人で、ゲルダを連れ出そうとしていた者を止めようとして魔法攻撃を受けたという。しきりにゲルダを助けられなかった事をわびていたが、タクマは、自分自身をこそ許せない気持ちでいっぱいだった。
◇
中古なりに馴染んだSVU車のハンドルをカレンが握り、タクマ一行はゲルダの追跡に出た。頼りは前回と同じ、アリエルの遠隔感知である。国道に出たあたりで沢村から連絡が入った。
「容疑のかかっていたトラックを発見した。R市の国道X号線わきで乗り捨ててあった」
「了解、こっちはX号線を西に向かって追跡中。ゲルダの反応はそっちから感じられる」
「現在位置は? ……わかった、N市のあたりで検問を張ろう。カレンくんの車は、即、通すように手配するから安心してくれ」
「了解」
◇
魔術管理協会、安曇野の執務室。タクマとの連絡を一旦切る沢村。
「目標はゲルダちゃんをさらい、国道X号線を西進中とのことです」
「ちいぃ……私たちに感知手段がない以上、タクマくんたちに頼るしかないですね……」
広げられた地図を見ながら、爪を噛む室生。安曇野は瞑目したままだったが、ひとつ吐息をついて
「……いったい、何が目的でしょう……? 今さら何をやれば、彼の利益になると言うのでしょう……?」
うめくように漏らした。実際、相手の意図が読み取れない。名指しはしないが、その場の全員が、これが佐田蔵人の仕業と確信していた。
「アタマが壊れた人と思ってましたけど、それを言ったら、先読み自体が不可能ってことになっちゃいますよね……」
爪だけでなく、歯ぎしりまで鳴らす室生。相手を予測不能と評価したら、それ以上自分がこの件に関わることを自分で否定することになる。それはギブアップと同じだ。そんな事が、できるはずがない。室生占地は、外見に似合わず非常な負けず嫌いである。
◇
N市の国道で、沢村の言うとおり検問が張られていた。カレンの車のナンバーが伝えられていると思っていたのだが
「こちらへー、ご協力願いまーす……」
警官は構わず免許証と車のチェックにかかる。
「おい、聞いてないのかよ! あたしたちは……」
魔術管理協会の協力者だ、とは言えずに口ごもるカレン。
「免許証の提示を願いまーす……」
妙に間延びしたその言い方に不審を感じ
「『魔力消去』!」
アリエルが状態異常解除の魔法を唱えた。はっと、目を覚ましたような警官。
「あれ? 自分は何を……」
「ナンバーを見てくれ! 通せと言われているはずだ!」
あわてて確認し、平謝りしながら一行を解放する警官たち。
やられた。佐田はおそらく、暗示に近い魔法を使ってここをきり抜けている。それ以降、警官たちはロボットのように同じ動作をくり返していたのだ。タクマは即座に沢村に連絡を入れた。
◇
「……N市の検問を突破されました。タクマくんの話では、佐田は精神魔法を使って警官を操ったらしいそうです」
「く……我々に開示していない切り札があったと……」
沢村の報告に、うめき声を上げる安曇野。佐田は数多くのイムラーヴァ魔法アレンジを管理協会に提供し、「推進派」の中心になってきたのだが、自らの隠し球にしていた魔法もあったわけだ。
「これでは……検問自体が無意味になってしまう……」
卓に手をついて、表情を曇らせる沢村。と、室生が顔を上げて口早に提案した。
「沢村チーフ、佐田はー、おそらくS県に入っているはずです。県警に連絡してー、検問を二チームにわけて実施してもらえばー……」
「む、どういうことだ?」
「つまりー、一か所の検問をAチームとBチームで三〇分毎とかで交代させるんですー! 佐田は止められないかもしれませんがー、どこの検問が突破されたかが、チーム交代の時にわかりますー!」
「そうか!」
即座に沢村はS県警に連絡・指示を入れた。交代は短い時間がいいという判断から、十五分交代とした。
じりじりと時間だけが過ぎていく。突破された検問から、佐田が北関東自動車道に乗ったらしいことがわかった。一体どこが目的なのか? 首都圏に向かうのであれば、強引にR国大使館に駆けこむ選択かとも思えたのだが……。仮にそうだったとしても、R国本国の大元が粛正された後では、大使館も佐田を受け入れまい。
室生は爪を噛みながら考える。佐田の目的は何なのか?
(佐田の目的は、魔法技術を提供してR国でのし上がる事だったはず……。いや、最初からそうだったのか? 最初は……異世界に転移してしまった者が最初に希望することは……元世界への帰還?)
異世界イムラーヴァへの帰還。確かに、カレンに訳してもらった佐田冷輝の手記からすれば、それは一族の悲願だったろう。また、「こちら」での立場を回復不能なまでに悪化させてしまった以上、起死回生の方策ともいえる。しかしどうやって? 室生とそれなりに親しくなったカレンの話では、彼女もいまだに、こちら側から帰還魔法を成功させる目処は立っていないという。佐田は、カレンが知らない方法を知っているのか?
(仮にそうだとすると、ゲルダちゃんを誘拐して逃走しているのはなぜなのか? 仮定、佐田の目的はイムラーヴァへの帰還である。……予測一、ゲルダちゃんが異世界転移に必要。予測二、それを行うのに特別な場所、あるいは施設が必要……)
検問突破状況から、佐田が上信越自動車道に乗ったらしいと報告があった。このまま西進すれば、N県に入る。
ふと室生の脳裏に、N県にある松代防空壕跡が浮かんだ。数十年前に行われた魔術実験で、空間変性事故が発生し、それ以降封鎖されたままになっている施設。魔術管理協会が生まれた、直接の原因となった事件である。協会職員になる者には、必ずレクチャーされる組織の原点。
異界……空間……ブラックホール……ワームホール……不安定な空間……
室生は目をむいたまま、跳ねるように立ち上がった。
「室生くん?」
「……安曇野相談役……あるいは……ただの予測でしかないんですが、あるいはー……佐田の目的は、松代空変事故跡地ではないかとー……」
「なんですって!?」
安曇野が、思わずもらした言葉の、語尾が震えていた。




