誘拐1
「おはよー、ゲルダ!」
「おはよーなのじゃ、ミスズ、カナコ!」
元気よくあいさつを交わし、送迎バスに乗りこむ園児たち。カレンはそれを見送って、奥様方とあれこれ雑談しながら停留所から戻っていく。そろそろ、それが「いつもの風景」になっていた。
二つ先の停留所で、いつもの風景に異物が混じりこんだ。園児たちが乗りこんで、バスのドアを閉めようとした時に、突然サングラスをした男三人が、強引に乗りこんで来た。
「ちょっと、何ですかあなたがた……」
驚いて抗議する初老の運転手を、男の一人が殴りつけてバスの外に放り出した。そして自分が運転席に座り、バスを発進させる。
「ひっ!」
出迎え役の女性職員が、男の手に握られている拳銃に気づいて息をのんだ。
男の一人がバスの座席を見渡して、張り付いた笑顔のまま、たどたどしい日本語で言った。
「騒がない、でね、ボウヤ、たち。これから、楽しいドライブ、行こう」
ほとんどの園児は、何が起こったか理解できず、ぽかんとした顔を向けていた。異常事態が起こったと察した園児は、おそらくゲルダだけだったろう。
(何じゃこいつら……)
魔法を使って叩きのめしてやろうかという考えが湧いたが、アリエルと交わした「私たち以外の人を、魔法で傷つけない」という約束を思い出した。もう「ハリセンボン飲ます」というのが単なる慣用句だとわかってきていたが。
(それに……ちらつかせているケンジュウが本物なら、うかつに魔法を使うと、他の子たちがアブない……かも)
しばらくようすを見ることに決めたゲルダ。監視役の男二人を観察していると……ちらちらとこちらに視線を向けている。自分の赤毛に、よくそういう視線は向けられがちなので、不審と考えなかったのだが……
男の一人がゆっくりとゲルダの席に近づき、通りすぎ……いきなり背後から、濡れたティッシュのようなもので口元をふさがれた。甘い匂いが鼻を突いたと思った瞬間、ゲルダは意識を失った。
悲鳴を上げて職員が男につかみかかり、手加減のない一撃を受けて座席に崩れ落ちた。ようやく他の園児たちも、今起こっているのが異常事態だと気がついた。何人かは泣き出してしまった。
男たちは一切かまわず、泣き続ける園児を放置する。ゲルダに薬品をかがせた男が彼女を抱えて、人通りの少ない場所でバスから降りた。そのまま、迎えに用意されていたらしい車に乗りこんで走り去った。バスは再び発進し、港の方向に走り続ける。
放り出された運転手の通報で、ようやく警察が動き出した。パトカーのサイレン音が、街中に響き渡る。
◇
カレンが家の玄関に入り、居間に通った時、台所で食器が割れる音が響いた。おや、アリエルが珍しい、などと思ったのだが
「……ゲルダちゃん……?」
うわごとのようなアリエルの声に、心配になったカレンが台所をのぞくと、青い顔でうずくまっている。
「どうしたアリエル? 具合でも……」
「危ない……危険なの、ゲルダちゃんによくない事が起こっているの!」
アリエルの震える声に、カレンの表情が一気に引き締まる。聖癒姫たる彼女の、半予知と言っていい「危機察知」能力。それに何度も四聖戦士は助けられてきたのだ。街の方角から、パトカーのサイレンが聞こえてくる。カレンはテレビをつけて公共放送にチャンネルを合わせた。その一方でタブレットを起動して、幼稚園名でツィッター検索をかける。園児の母親らしいツィートがいくつか見つかった。サングラスの男たち? バスジャック? 個々のツィートは混乱しているが、何か異常事態が起こった事だけは察せられる。
「アリエル、タクマに連絡お願い!」
「はいっ!」
ネットから情報を拾い出すのはカレンにまかせ、アリエルは予備校のタクマにSOSを送った。愛用のマウンテンバイクをすっ飛ばして、タクマは即座に予備校から帰ってきた。
「状況は? どうなっている?」
言いながら、タクマが居間に飛び込んだときには、テレビでバスジャック事件の緊急放送が始まっていた。
「坂本幼稚園の送迎バスが、何ものかに乗っ取られたって! 今、港でフェリーに乗りこんで、犯人側が出港を要求しているって報道で……」
「フェリーで出港? どういう事だ?」
犯人の狙いがわからない。わざわざ船に乗ってどうするつもりか? 「行ける先」を自分で狭めているとしか……
カレンは自分のスマホで誰かと連絡をとっていた。相手に辛辣な言葉を浴びせている。
「じゃあ、そっちの認識でも、これがゲルダが目的の誘拐事件だってことだね? そっちの言う『推進派』ってのが動いたっていう!」
恐らく電話相手は魔術管理協会だ。ゲルダが誰かに狙われるとしたら、心当たりは魔法技術関連しかない。というか、ゲルダが狙われたのでなければ、そもそも幼稚園の送迎バスを襲う意図がわからない。昭和特撮のオマージュか。
「……ああ……ああ。手遅れにならない事を祈るよ」
言い捨てて電話を切った。苦々しい顔で告げる。
「沢村と室生がこっちに来るとさ。推進派は全て監視していたはずで、今現実に動いている連中が何ものかわからないが、園児の奪還に協力する、と」
「ちぃ……」
今のタクマたちに、「推進派は全て監視していたはず」とは、言い訳にしか聞こえない。いっそ沢村たちの到着を待たずに、自分たちでフェリーの解放に向かうべきか?
その時、臨時ニュースに乗っ取られたバスの映像が映った。カメラ班はまだ現場に到着していないが、保護者の一人がスマホで撮ってネットに上げた動画が流されている……。映像は乱れがちで、車内のようすもはっきりとはわからない。が……それを見て、アリエルがびくりと身を震わせた。
「……いない! ゲルダちゃんが、バスの中にいない!」
「「何だって!」」
タクマとカレンのセリフがハモった。そして二人は、アリエルのその手の直観が、極めて確度が高いことを経験上知っている。
アリエルが立ち上がり、目をつぶった。精神を研ぎ澄まし意識を広げ、「気配察知」でゲルダの痕跡を探す……。そして一方を指さして目を見開いた。方角は、港とは正反対といっていい。
ということは、ゲルダはバスから更に別の手段で連れ去られている? 港で進行しているシージャックは偽装・陽動の類いなのか?
アリエルが再び座り込んだ。自分で自分の体を抱き込むようにして、ブルブル震えている。タクマが身を寄せ、彼女の肩を抱き寄せた。
「アリエル、落ち着いて。ゲルダを誘拐した連中が魔法技術目当てなら、あの子を簡単に傷つけたりはしないはずだよ」
「わからない……怖いの……こんな……こんな悪意が……」
アリエルがとらわれている「感覚」は、何を意味するのか? カレンは首をかしげた。くどいようだが、こういう状態のアリエルがカンを外すことは滅多にない。
とにかく、アリエルの感覚を信じて、ゲルダがさらわれた方向を追ってみようとなって、三人は車に乗った。ガレージから路地に出たところで、飛ばしてきた黒リムジンが急ブレーキで停車した。沢村と室生だった。カレンが窓を開けて怒鳴る。
「おい、道をあけな! あたしらはゲルダを追う! それと、港のはたぶん陽動だ! ゲルダはそこにいない!」
「何? 確かか?」
沢村も窓を開け、車体を切り返してカレンの車が出るスペースを空ける。
「あたしらの姫の、一種の予知だ。そいつに従って行動するよ。それで何度も命拾いしてきたんだ!」
「……わかった。しかし気をつけてくれ。動いてるのは外国の……特殊部隊かも、という情報が入ってる。詳しいことは言えないが」
窓越しに沢村と言葉を交わし、カレンは車を発進させようとしたのだが、
「!」
ギアに手を置いたまま、固まってしまった。
「? おい、カレン?」
「……外国……?」
宙に目を据えたまま一言つぶやき、固まっていたカレンだったが、その表情が徐々に驚愕のそれへと変わっていった。
「タクマ……信じられない……信じたくないんだが……」
からくり人形のような動きで助手席のタクマに顔を向ける。
「あたしの推論が正しければ……フェリーに乗せられた子どもたちは……全員殺される……」
「な……!」
◇
カレンの「推論」に従って、タクマと沢村たちは二手に分かれた。カレンとタクマが港に向かう。そして沢村たちがアリエルを同乗させて、その感覚を頼りにゲルダを追う。そう分担した。
焦燥感に駆られながら、車を飛ばすカレン。スピード違反で警察に追われようと、精神魔法使ってでも先を急ぐと決めているが、事故を起こしたら元も子もない。
港に着くと……
「ああっ! ちくしょう!」
「バカ野郎! 警察は何をしてたんだ!」
フェリーはすでに桟橋を離れていた。上空を警察のものらしいヘリが飛んでいる。警察としては、袋のネズミのつもりでいるのかも知れない。しかしカレンの推論では、おそらく彼らは水深が深くなった場所で、乗客もろともフェリーを沈没させる。要求もなにもあったものではない。そのこと自体が目的なのだ。絶対に阻止しなければならない。
「カレン、『隠身』を頼む」
「わかった。……すまん、あたしじゃ、あれに取りつく手段がない」
「大丈夫だ。まかせてくれ」
目立たない場所に車を移し『隠身』をかけて、桟橋までタクマは走った。
大きく息を吐いて心を静める。胸の底に焼け付くような焦燥があった。ゲルダの救出に向かいたかったのだが、今自分が感じている以上の焦燥感を、船にとらわれている子どもの両親すべてが感じているのだ。それを自分に言い聞かせて精神を集中した。
水のうえに足を下ろす。脳裏にイメージするのは、昔見た「表面張力」を解説する図。分子が引き合い、最小の表面積になろうとして、物体を押しのける力が生まれる。術の起動は……イムラーヴァ魔法のそれでいいはずだ。
「『浮子』……!」
即興の「物理加速魔法」は成功した。タクマはアメンボウのように水面に浮かび、立っている。そのまま走ってフェリーを追う。海面は波のうねりがあり、足元は力をかけると沈み込んで、力がそれてしまう。砂の上を走るよりも走りづらかったが、身体強化魔法の助けを借りて強引に突きすすんだ。イムラーヴァ魔法の中で、身体強化に関わるそれは、素のままで非常に効きがいい。おそらく「肉体」を媒介とするからだろう。それでも海面を走って船に追いつくなどという無茶ぶりは、タクマの並外れた基礎能力なしには不可能だが。
フェリーの船体に取り付いた。アイテムボックスからイムラーヴァで使っていた武具を取り出す。地球で言うジャマダハル(俗称カタール)に酷似した形状で、攻撃中心のものと防御中心のものと、二つで一揃いの武具だ。普段使う時とは手のひらと甲の向きを逆に持ち、船体に接触させる。そうして、本日ふたつめの「物理加速魔法」を試みた。
「『磁石』!」
ジャマダハルが船体にくっついた。目論見通り。概念自体が「こちら側」のものなのだから成算は感じていたが。磁力のON・OFFを切り替えながら舷側をよじ登り、船内に侵入する。そこで『隠身』の有効時間が切れた。効いたままなら楽だったのだが……
目出し帽をかぶって顔を隠し、身体強化魔法をかけ直す。乗っ取り犯はどこにいる? 報道が正しければ二人連れのはずだ。……予想するに、一人は船の操舵室。もう一人は、乗客を見張っている、か?
まずは操舵室に向かってみる。慎重に廊下を進み、それらしき「関係者以外立ち入り禁止」の部屋にたどりついた。ドアは閉められている。内部を透視する類いの魔法は、タクマは身につけていない。透視を可能にする物理現象は? と考えてX線を思いついたが、さすがに即興で出来るものじゃない。代わりに、聴覚を鋭敏にする強化魔法を使い、中のようすをうかがった。……おそらくアタリだ。中で船員らしい人が、おびえの混じった声で誰かを説得している。さて……どう攻めるか?
タクマは、財布から十円玉を取り出し、ドアの外あたりに放った。……中の様子が緊張したのがわかる。船員の一人が苦痛の声を上げた。
「……お前、扉、あける」
「う……」
船員を使って扉を開けさせるつもりか。なるほど、用心深い。カチリ、と鍵が開き、戸がゆっくりとあけられて──
タクマは、顔を出した船員の胸ぐらをつかんで引っ張り出し、ドアの後ろに放った。すまん、船員さん。背中を銃で撃たれるよりはいいでしょう。そのまま一気に突入する。と、思わぬ光景に一瞬動きを止めてしまった。男は船員の腕を後ろ手に極め、盾にしていた。銃声が二発。正面からくらって、タクマは仰向けに倒れた。
船員をわきに押しやり、銃を構えたまま男が近づいてくる。手が触れる距離になったとたん、音速を超えた蹴りが銃を持つ手をへし折り、打ち上げた。暴発する拳銃と、男の悲鳴。ヘッドスプリングで跳ね起きたタクマは、男が苦痛の表情のまま繰りだして来たナイフをいなし、一撃で相手を昏倒させた。
相手を拘束するうちに、被弾した弾丸が胸のあたりからこぼれ落ちる。先端が平たく変形していた。強化魔法『地精の守護』のおかげである。その強度は素の防御力にも左右されるのだが、タクマの場合、防弾アーマー並みの数値になっているだろう。
──しかし、侮れない敵だ。一般人を盾にするなりふり構わぬ陋劣さといい、利き手を蹴り砕かれながら、反対の手でナイフをふるうしぶとさといい。沢村が漏らした「特殊部隊」という情報はおそらく正しい。
盾にされていた船員が、あえぎながら訊いてくる。
「あ……あなたは、自衛隊の方ですか?」
「……自分は、質問は受けられません。残念ですが」
都合のいい誤解なので、微妙な線で答えて印象操作しておく。
「それよりも、もう一人の犯人は?」
「そ、そいつなら、さっき、川田機関士に案内させて、船底の方へ……」
部屋の外に投げ飛ばした船員が、頭をおさえながら教えてくれた。……ごめん、コブくらいはできたかもね。心の中で謝って、タクマは船底に走った。
船員二人は、顔を見合わせてため息をついた。助かった……もう大丈夫だ。と、その時、拘束された犯人の尻ポケットからシグナル音が聞こえてきた。思わず硬直する二人。おそらくもう一人の犯人からの通信だ。どうしたらいい? 迷ううちに、シグナル音は途絶えた。
船底の一室の扉が開きっぱなしで、そのわきに船員が昏倒している。すばやく近寄って、脈を診るタクマ。よかった。気絶しているだけだ。扉のわきに立って、中の様子をうかがう……。おや、どうやら来訪を知られているらしい。相手も入り口の影に立って、息を殺している気配。迷わず飛び込んだ。
「シッ!」
短く息を吐き、男はナイフを繰りだして来た。鋭い一撃。常人には反応できない速さだろう。しかしタクマの運動能力は素の状態で人類の限界に近い。それが魔法で強化されていては、ちょっと当たるものではない。相手もさる者、二合でナイフに見切りをつけ、飛びすさって拳銃を抜いた。しかしそれまでだった。男の意識を刈り取ったタクマの掌底が、彼の目には見えなかったろう。今のタクマは、サイの鎧を身につけたライオンが、テンの神速で襲ってくるようなものである。
相手を拘束しながら、部屋の隅に目を向けたタクマは、思わず舌打ちした。絵に描いたような爆薬と時限装置が仕掛けられている。すでに起動しているようだった。どうすればいい?
そう、あれだ! いい魔法を教えられていた! 忘れていたよ!
「火薬不活性!」
これでいけるか? 試しにと、男が取り出した拳銃を拾い、救命胴衣に向けて引き金を引く。……銃はちゃんと不発になっていた。
(しかし……銃の火薬と爆弾の爆薬は、同じものと考えていいのか?)
その疑念にとらわれると、その場を去ることができなくなった。装置全体は、配管にハーネスで止められている。目を細めて配管に接している部分を見るとスイッチらしき物が見え、ハーネスを切って移動させることも危険だと思われた。時限装置はセットした時間が減っていって起爆するようだ。となれば、あと七分ほどで時間は尽きる。だめだ、今からバスの園児を含め、乗客全てを救難ボートに乗せるのは不可能だ。
あと六分。どうすればいい? 「火薬不活性」の効果を信じるか? ……いや、やはり「賭け」をするわけにはいかない。より確実な爆弾処理法が必要だ。となれば……一番有効なのは……そう、たしか極低温まで冷却する手だ。そうすると発火装置に給電する電池自体が発電力を失う。しかし……どうやって「物理現象を加速・減速させ」冷却魔法を走らせるか?
あと五分……。あたりを見渡すと、掃除用らしいバケツとモップが……そうだ! 気化熱!
濡れたモップ部分を、時限装置の上、電線に水が垂れない位置に慎重にかぶせた。そしてイメージする。水が気化して、熱を奪っていくさまを。それを「加速」させるのだ。起動に成功すれば、後は思いっきり魔力をつぎ込んでいい。そうでないと、極低温までは、おそらく届かない。
あと三分……
「『氷結』!」
本日三つめの即席魔法は走りだした。見る見るモップが白く凍り付いていく。だが足りない。もっと、もっと低く。マイナス二百度を超えるまで──




