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勇者の郷里に跳ばされて?  作者: 宮前タツアキ
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二人の迷い

 幼稚園からのバスを迎え、アリエルはゲルダと一緒に夕食の買い物に繁華街へと向かった。

 ゲルダがふと立ち止まり、ショーウィンドウの前から動かない。ペットショップの前だった。視線の先には、毛並みの良い子犬たちが展示されている。


「……ふわふわのコロコロなのじゃ……」


 ゲルダがあまりに熱烈な視線を送っているので、アリエルは声をかけた。


「ね、ゲルダちゃん、犬を飼ってみる?」

「えっ」


 驚いたように振り向くゲルダ。


「ウチは一軒家だから、飼おうと思えば飼えるはずよ? タクマにお願いして、子犬を買ってもらうの。もちろん、ゲルダちゃんも一緒にお世話をするのよ?」


 アリエルの提案に、一瞬ほほ笑みかけたゲルダだったが、ゆっくりと笑みを消して、視線を戻した。


「……いい……だめじゃ。最後まで、面倒を見てあげられないのじゃ……」

「あ……」


 しばらく子犬をながめていたゲルダだったが、


「行こう、アリエル!」


吹っ切ったような声とともに、その場から離れた。


(この子は、まだイムラーヴァに帰ることを前提にしているの……?)


 ゲルダが取り戻した記憶は、自分が「作られた」魔王だったというものだ。それでも、この子はあそこに戻ろうというのか。意外の念と同時にアリエルの胸に湧いた思いは……かすかな後ろめたさだった。


 ◇


「行ってくるのじゃー!」

「行ってきまーす」

「はーい、気をつけてね」


 朝、ゲルダとタクマを送り出し、朝食の後片付けをすませたアリエルは、日課のビデオ録画の消化にかかる。最近は地球の政治状況もおおむね分かってきて、世界中のニュースが一つの画面で得られる「報道」の在り方が、興味深く刺激的だった。それぞれの国のニュースは、客観的事実の羅列というより、その国自身の「主張」と言っていい。互いの主張を一応聞いて、その意味するところをいろんな角度から考えて見ると、全く違った見方が浮かんで来たりする。それはドラマやアニメを視聴するのとは、また別の知的興奮を覚える瞬間だった。

 今、視聴している報道番組の特集は、中東地域で起きている国家間をまたいだ大規模戦乱だった。こちらの世界においても、複雑きわまりない情勢と言っていい。


(元は宗派対立からここまで発展してしまったのね……。うう~ん……確かに根っこの部分から対策するには、宗派間の経済不平等に切り込まなければならないんだろうけど、目先の武力衝突に対策しないわけにも行かないだろうし……)


 考え込んで、ふと苦笑がわく。「どうすればよりよい解決が」という、為政者側の視点で考えこんでいた。アリエルの年来の習い性と言っていい。「女は政治に関わらない」が不文律のフェルナバールに生まれて、しかしその風潮に馴染めなかったアリエルだった。すぐ上の姉フレイアと一緒に、よくグチを言いあったものである。

 テレビを切ってキッチンに行き、冷蔵庫のストックを確認する。頭を切り換えるつもりだったのだが……


(……私は……どう生きたいのだろう……)


それを考えずにいられなかった。

 こちらの世界に跳んできて、タクマに会った時にはもう、彼と一緒に生きる以外のことは考えられなかった。イムラーヴァに帰還するあてもなく、また、こちらの世界は、単純に比較して極めて生活しやすい場所である。タクマと所帯を持ち、こちらの世界に骨を埋める。その覚悟を固めかけていた所だった。

 そこに……カレンと、そしてゲルダがやってきた。カレンが来た事で、帰還の可能性は一気に高まり、そしてゲルダとの生活は……


(あの子は……、自分が生きる道を、全く迷っていない……)


 かつての敵であり、今は保護の対象と思っていたのだが、彼女の迷いのなさには、自分が逆に導かれるように思う事がある。


(私は……私自身は、どう生きたいのだろう)


 カレンが帰還の術を見つけてくれたとしても、必ずしもそれに乗らなければならない理由はない。タクマと一緒にこちらの世界で生きる。そう決めて、家族にはメッセージを託してもいい。タクマには、こちらの世界の家族もいる。そして、こちらに残る道を選べば、平穏な生が約束されたも同然だろう。

 しかし……やはり思わずにはいられない。いまだ戦乱の収まらない故郷。そこに住む様々な顔、顔、顔……。胸に手を置いて思い起こせば、戦乱のさなかに身をおきながらも、傷ついた人びとを自分の技で癒やした時に、誇らしさと充実感を覚えていたのも確かなのだ……

 自分の中の迷いに答えが見つからぬまま、アリエルは吐息をついた。


 ◇


 予備校で、その日の講座が全て終わり、タクマは教室を出て、そこで一人の少女に呼び止められた。


「ヤッホー志藤センパイ、なんか元気なくない?」

「あ? いやそんな事ないよ。元気だって」


 渡瀬久美。タクマの高校の後輩である。小柄で地味めな見た目だが、上目づかいにニヤリと笑うと、どこか小悪魔的な印象を与える。タクマは祖父の指示で高校時代を過ごしたエリアからはずれ、S市に来たわけなのだが、彼女は彼女の事情があって、やはりこちらで暮らしているらしい。

 四月に予備校で会ってから、彼女の方はタクマの顔を覚えていたとかで、何となく話すようになっていた。……つまりタクマの側は覚えていなかったわけだが。


「ふーん、そう? 五月頃にはクスリでもキメてんじゃ? ってくらいバリバリだったのにさあ、最近はホケーっとしてるのが多いじゃん」


 遠慮ない評言に思わず苦笑するタクマ。まあ、アリエルと再会したばかりの頃は、自分でも思いかえすと笑えるほど張りきっていた。何でも出来そうな全能感があふれていた。クスリか……ちょっとアレだが、うまい表現だ。


「いや、あの頃は……ちょっと……行きすぎっていうか」

「やっぱ、アリエルさんに会えたから?」


 思わず軽くむせた。こいつは、何というか、言うことがストレートでうろたえさせられる。


「お、お前、何で、その」

「みんな知ってるよ? アリエルさん、商店街の人気者だし。それであのでかい人と赤毛の子と、志藤センパイんち、ホームステイ・ハーレムだってもっぱらのウワサ。あはは」


 どこまでホントなのか。しかしまあ隠していたわけじゃないから、軽いウワサ程度にはなっているのかもしれない。……ホントに軽い程度……だよな。

 なんとなく一緒に玄関まで歩く。


「とー言うことはー、志藤センパイのやる気スイッチはアリエルさん直結なわけだからー、ボーッとしてるのもそれが原因とみた! ズバリ倦怠期!」

「うっ……」


 何という単純な推論。そしてそれが一応、途中までは当たってないこともない。言葉につまるタクマを見て、渡瀬はむしろあわてた。


「あ、あれ? 当たっちゃった? ごめんセンパイ、冗談のつもりだったんだけど」

「当たってないって! アリエルとは、その、あの」

「…………」

「…………」


 言葉が出てこないタクマに、生温かい視線を向ける渡瀬。


「じゃ、あたしバイトがあるから。がんばってね、センパイ」


 それだけ言い残して、予備校の門を出ると反対方向に去って行った。

 なんとなく、軽い敗北感に打ちひしがれるタクマ。


 帰りの道すがら、とりとめもなく考える。確かに……タクマが考えこむことが多くなったのは、アリエルが原因と言えなくもない。突然、まるで奇蹟のように世界の壁を越えて現れたアリエル。かつて言えなかった想いを伝え、それが通じあって、お互いもう離れて生きるなど考えられない。しかし……二人が一緒に生きていくのは当然の前提として、「どのように生きていくのか?」という問題は、突きつめて話しあったわけではない。イムラーヴァに帰る術がないと思っていた時ならともかく、大賢者カレンがアリエルを追ってきた、今となっては。

 いまだに帰還の方法は見つかっていないけど、カレンならばいずれそれを見つけ出すであろうことを、タクマもアリエルも疑っていなかった。となれば……二人にはこちらではなく、イムラーヴァに帰って(再び渡って)生きていくという選択肢も生まれる。


 仮にこちら側で暮らすとして、アリエルを幸せにできるのかと問われれば、できると言い切る自信はある。純粋な自負はさて措いて、イムラーヴァで得たアドバンテージを用いても。フェルナバール金貨を換金すれば、何らかの事業を興す資金としては十分な額になるだろう。また、魔法を別として、身についた格闘能力だけでも、一財産作る気になれば造作もない。しかし……それらはあくまで経済的な意味で不自由はさせないということである。生活の基礎ではあるけど、全てではない。

 それとなくアリエルの「社会勉強」の傾向を見ていると、やはり王族に生まれたためなのか、政治学や経済学など「統治」に関わる学問に、より強い興味を持っているのがうかがえた。彼女にとっては、やはり故郷に帰って、フェルナバール王国の、ひいては臣民の幸福のために尽くすのが、望ましい生き方なのだろうか。


 そこまで考えて突き当たったのは「オレはどう生きたいのか」という自身の問題だった。思えば、それを突きつめて考えたことがなかった。イムラーヴァから帰って無気力に苛まれていたのは、「喪失感」もさることながら、そもそも自分の人生の目的を、はっきり見定めていなかったことも一因である。……誰もが、高校時代ではっきり「これが目標」というものを見つけられるわけじゃないだろうけど。大学進学が、猶予期間モラトリアムのためという者だって多いはずだ。


 家に帰り着くとアリエルは買い物に出かけていた。ゲルダを迎えて、そのまま商店街に向かういつものパターンだろう。

 ふと思い立って、運動着に着替え、道場で木刀を手に取った。素振り用で、重く反りがないものを。


「……シッ!」


 素振りの型をくり返す。それは、日本剣道のものではなく、イムラーヴァで教え込まれた直大剣の使い方。最初はフェルナバール王国の老騎士に仕込まれ、後にはグラドロンの聖騎士ロレントからたたき込まれた技の数々。

 次第にかつての戦いの日々──体を貫く恐怖に近い緊張と、死と紙一重の境目をすり抜ける、言いようのない感覚が蘇ってきた。自分の意志とは無関係に召喚されて戦いの中に放り込まれて、それで完全に不幸だったかと問われれば、必ずしもそうとは言えない。あたかも、動物が獲物を狩りきったような、原始的だからこそ強烈な喜びも、確かにその身に感じていたのだ。

 こちらの世界で生きれば、安全で平穏な一生を送れるだろう。悪いことでは全くない。それを望んで得られない人たちはいっぱいいる。だがしかし……再びイムラーヴァに渡れば、彼はもう一度「勇者」として、様々な戦いや政治向きに大きな影響力を及ぼすことになるだろう。それは一種の権力欲と呼べるだろうが、「自分にしかできない仕事」であることも確かだ。


(オレは……何がしたいんだ? どんなふうに、生きたいんだ?)


 タクマはゲルダが呼びにくるまで、無心に型稽古を続けた……


「ばかタクマ! 早くゴハンにするのじゃ! クリームシチューが冷めてしまうのじゃ!」

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