カレン流しつけ術
日曜日の午前中、丘の上のバス停に、タクマは来訪者を迎えに出ていた。祖父と従兄弟たちである。
三日前に唐突に電話が入り、「次の日曜に顔を見に行く」との祖父の言。相変わらずマイペースな人だった。まあ、色々同居人が増えたから、会ってみたいと思ったのだろう。従兄弟の裕太と千尋が一緒というのは、少し意外だったが。
(……ちょっと、うるさくなるかなあ)
思ううちにバスが到着した。降り立った年齢不詳に見える老人と、中学生くらいの兄妹に近寄り声をかける。
「久しぶり、じっちゃん。裕太と千尋も」
「おう拓磨、元気そうでなにより」
しわだらけの顔なのだが、姿勢は凜として身ごなし軽く、見ようによっては六十台に見える祖父、志藤斉兵衛。実際には齢八十を超えている。
「タクマ! 家に着いたら道場で組み手な! 今日こそケッチョンケッチョンにしてやるから!」
顔も言いぐさも生意気な裕太。中学三年になる。やはり祖父に古武術の手ほどきを受けており、タクマをやたらとライバル視しているのだった。
「ユウタ兄、やめとけば。それ、ケチョンケチョンにされるフラグ」
見た目も声も大人しめに見えるのだが、言うことは容赦ない千尋。中学に上がってから漫研に入部したのを、母の史子に心配されているオタク娘であった。
家に着くと、さっそくアリエルが玄関に迎えに出た。
「ようこそいらっしゃいました。あ、すみません、ここは以前、お祖父さまのお家だったそうで、失礼を申しました」
「いやいや、もう二十年近くも前の話。今は拓磨の家じゃから。しかし達者な日本語だのう。生まれがこちらとか?」
裕太と千尋は、軽く圧倒されている。テレビタレントのような外人美女が、ネイティブレベルの日本語をあやつっている。
「こんちわー、カレン・イクスタスっていいます。お噂はかねがね」
「……ゲ、ゲルダなのじゃ……どうぞ、よろしくなのじゃ」
いつも通りのノリのカレンと、自己紹介時に失敗すると、手ひどいお仕置きをされるとすり込まれてしまったゲルダだった。
居間に上がって、自己紹介をすませたあたりで、裕太がタクマに突っかかる。
「タクマ! さっき言ったとおり、道場で組み手な!」
「やめときなよもう、タク兄にばっかり、犬みたいに吠えついて……」
あきれ顔の千尋。事実、さきほどアリエル、カレン、ゲルダの前で自己紹介した時には、「志藤裕太です……」とえらく低調だったものを。
「ん~、拓磨、ちょっと相手してやらんか? わしも見てみたいしな」
斉兵衛の言葉に、裕太の顔が輝いた。それを見て、アリエルとカレンには、よほど祖父──師匠に認められたいのだな、と、裕太の心情が丸わかりだった。
道着に着替えて道場で向かいあう二人。並んでみると、十四歳にしては裕太の上背はかなりある。一七五センチのタクマに近いくらいには。トントンと飛んで体をほぐす。おや、結構やるかもしれない。カレンとアリエルはそんな予感を覚えた。二人とも本職は魔法職と言っていいが、そこそこ武術修行もおさめている。
「はじめぃ!」
「ハーッ!」
合図とともに、一直線に仕掛ける裕太。速い。突きも蹴りも、相当なスピードが乗っている。年齢にしては破格と言っていいかも。しかし、ちょっと相手が悪い。年齢にしては破格の裕太に対して、人類にしては破格のタクマである。
「セイ! セェヤ! シィ、ヤッ!」
裕太が鋭い掛け蹴りを見せた。道場では大人の門人にも時に決まっている得意技だ。しかし、タクマには当たらない。全て受け流されている。リズムカルで素早い裕太の動きに対して、タクマの動きは切れ目なく、むしろゆったりとして見える。
一連のコンビネーションをさばかれた裕太が、飛びすさって距離を取り、仕切り直した。息を一つつくと再度仕掛ける。
「ハーッ! シィ、セイ、セイヤ、セイッ!」
再びタクマが受け流す。……うちにタクマの表情が渋くなってきた。脇で観ているカレンとアリエルには、岡目八目、タクマの感じている事がはっきりとわかった。
「フッ」
「あうっ!」
逸らした突き手をそのまま取って、教科書のような脇固めに捉える。
「くっ……くそっ」
「それまで!」
斉兵衛の一声で、技を解いて開始線まで下がり、一礼する二人。しかし……裕太はおさまらない。
「もう一本! 次こそぶっ倒してやる!」
「……裕太、道場では子・孫の関係はないと言っとるがの、礼儀まで捨てろと言うた覚えはないぞ?」
「うっ……」
祖父の叱責に居住まいを正し、「もう一本お願いします!」と声をかける裕太。タクマはうなずいて応じた。
(そんなにひねくれた子でもないようなんだけどなあ。何であそこまでタクマに突っかかるんだろう?)
見ているカレンの胸に疑問が湧く。
再度始まった組み手は、前回通りの展開になった。速攻で攻め入る裕太。それをさばいて脇固めに取るタクマ。
「ちっ、ちくしょう! 何でだよぉっ!」
裕太は真っ赤になって悔しがっている。タクマは斉兵衛と顔を見合わせ、困った視線を送りあっている。
「どうします?」「わしも困ってるんよ」そんな心の声が聞こえて来そうだった。
二度、三度と繰り返されたが、結果は判で押したように同じだった。裕太は全く同じ手順でタクマにあしらわれているのを屈辱と考えているようだったが、原因は裕太の方にある。攻め方がワンパターン過ぎるのだ。おそらく、身体能力を生かした速攻で、道場ではそこそこいい成果を上げているのだろう。しかしそれがかえって攻め手のバリエーション不足につながっている。タクマは同じ手で切り返す事によって、自覚させようとしているのだが……
一度、隅に寄って汗を拭くタクマ。その背中を見る裕太の目が、半ベソをかいて赤くなっていた。と、突然
「ちっくしょう!」
「!」
「裕太っ!」
タクマの背中に突っこみ、裕太が蹴りを放った。が、当然のように受け流され、板間に尻もちをついた。
「なんばしよるとか! そげん技教えた覚えはなかぞ!」
思わず生国なまりの出る斉兵衛。裕太は一瞬、自分のやった事が信じられない顔だったが、すぐに上目づかいの悪い顔になった。子どもが「自分が悪いのを分かっていながら認めない」あの顔である。
「ボウヤー、あたしが相手してやろうか?」
突然カレンが声をかけた。その場全員の視線が集まる。コキコキと首回りをほぐしながら、普段着のジャージ姿で歩み出る。のっしのっしと擬音をつけたくなるような動きだった。ついでに、たっぷたっぷと。
「……何だよあんた、関係ないだろ」
型どおりのセリフで拒絶する裕太だったが
「あんたがあんまりコドモだからさー、ちょっとおしおきが必要だなって。タクマにまかせてもいいんだけど、あんまりおしおきの仕方が上手くないからねぇ」
「…………」
一瞬言い返そうかと思ったタクマだったが、「じゃあ、あんた、おしおき上手な自信でも?」と、からまれるのが予想できたので声を飲み込んだ。言い合いで勝てない相手に言い返してはいけない。君子危うきに近寄らず。戦は勝ち易きに勝つ、である。……この場合、三十六計逃げるにしかず、か。
値踏みするような視線をカレンに送っていた斉兵衛だったが
「……お願いできますかな?」
と言いだした。驚いて祖父を見る裕太。顔は真顔で、ふざけたようすはない。
「はーい、まかされましたっと」
膝をついたままだった裕太に突進し、ローキックを放つカレン。裕太はあわてて飛びすさった。
「テメエ! ひ……」
卑怯だぞ、は自分に返ってくるだけだと、声を飲みこむ裕太。カレンがにたぁと笑いながら距離を詰めてくる。
(こ、こいつ、人をコドモとか言っといて、見た目よりずっと精神年齢がガキだ!)
他人の事は、けっこう正確に判断できる裕太だった。ついで、大口たたくだけあってシロウトじゃないらしい。しかし、祖父やタクマほど隔絶した印象はない。自分が届かない相手じゃないと見た。
「セェヤッ!」
「よっと!」
得意の速攻を仕掛ける裕太。確かに速い。しかし、もう何度も見てパターンは覚えた。そして、この子はそのパターンから自分で抜け出さなきゃ強くなれない。攻撃の引き腕を引っかけて、体重を乗せて引きずり込むカレン。
「うぉっ!」
一八〇センチ近い長身で体重をかけられたら、それはこらえるのは難しい。何キロとは言わない。何キロとは。
グランドに引き込んだカレンは、素早くフロントチョークに捉えようとした。裕太も絞め腕に手をくい込ませ、ガードする。カレン、素早く技を解いて仕切り直した。
立ち上がると裕太の顔が赤くなっている。
「あ……あんた、恥ずかしくないのか……」
上ずった声で抗議する裕太。
「んー? 何の話だい?」
踏みこんで再びローキックを放つカレン。
「バカっ! ちくしょう、近寄るなっ!」
裕太、左ジャブからのコンビネーション。しかし精彩を欠いている。再び腕を取られて、引き込まれまいと踏んばった瞬間をとらえ、カレンは踏みこんで大外刈りに切って取った。柔道の技そのままではなく、足を引っかけておいて上体を浴びせて打ち倒す形である。そのまま袈裟固めに移行する。これまた、押さえ込みというより頸動脈を極めてしまう型。
ジタバタと暴れる裕太。辺り一同、あっけにとられている。
「いい加減、頭冷やして自分の欠点見ようねー。コンビネーションしのがれて、寝技に引き込まれたらこの通りだよー」
ジタバタジタバタ……
「タクマも、さんざ同じ所をつついていたんだけどねー……あら?」
裕太はすでに失神ていた……。絞め落とされたというより、窒息である。なんで? いや、肉で。
「あ、あれ? そこまでキツく絞めた覚えないんだけど……」
あわてて介抱するカレン。アリエルが水をとりにキッチンに走った。
「ただいまの決まり手はオッパイ絞め、オッパイ絞めでカレンの勝ち」式守伊之助の扮装で、自分がそうアナウンスするさまを想像するタクマ。
「……変なクセがつかなきゃいいのう……」
斉兵衛が今さらな心配をしていた。ゲルダはケラケラと、千尋は「自業自得ー、むふんむふん」と咳のような笑い声をあげていた。
裕太を道場の隅に休ませると、今度は斉兵衛とタクマの、軽い約束稽古になった。
互いに型をなぞって動き、相手の技に受け身を取る。この組み合わせになると、今度はタクマの動きが速く鋭く、斉兵衛の方は、ゆったりと滑らかに見える。ことに斉兵衛が、投げられて受け身を取るときなどは、板間に落ちる際にもまるで音がせず、投げのエネルギーがそのまま立ちあがる力に変換されるかのようだった。なるほど、筋力に拠らない「技」というのは、こういうものかと感心しきりのカレンとアリエルだった。……ゲルダはそろそろあくびしていた。
昼食は、せっかく街場に出てきたんだからという事で、繁華街のファミレスにみんなで行った。斉兵衛や千尋は、タクマと互いに近況など語り、尋ねるのだが、裕太は毒気を抜かれたようにおし黙っている。時々カレンに視線を走らせ、見返されると顔を赤くして視線をそらした。
史子叔母から色々と買い物も頼まれていたという事で、家に帰ってきたときには、荷物が結構な量になっていた。今度はタクマたち四人が叔父夫婦の家においでと言い残し、祖父たちは帰路につく。バス停まで送ろうかというタクマの申し出を、荷物は裕太が持つから大丈夫と、斉兵衛は押し止めた。
帰り際、いきなり裕太がカレンの前に進み出て一礼し、
「あ、あのっ! こ、今度も手合わせ願えますかっ!」
緊張しきった声でシャウトした。何か昔のテレビ番組の一シーンを彷彿とさせる。
「おう、かまわないよ。今度は同じパターンくり返すんじゃないよ」
「はいっ! ありがとうございますっ!」
そうか裕太。キミは肉を選んだか。それもいいだろう、男の選択だ。そんな思いでうんうんとうなずくタクマだったが
「何を考えているの? タクマ……」
「いえなにも」
アリエルに突っこまれてしまった。勘の良すぎる恋人も難儀なものだ。恐らくオレは、一生浮気はできないなあなどと思うタクマ。まあ、する気もないけれど。
千尋は千尋で、アリエルの耳元に口を寄せ
「タク兄の事、お願いしますね」
とだけ告げた。アリエルは頬を染めながらも微笑んでうなずいた。
祖父一行を見送り、皆、家の中に戻る。
裕太の敵愾心がうまい方に逸れて、一皮むけるといいんだがなあ。そんな事を思うタクマ。自分が「修行」によらず、聖剣の力で強さを手に入れた事に、正直、慚愧の念を持っていた。イムラーヴァに渡る前には、ほんの少ししか差が無かった自分と従兄弟に、理不尽なまでの差がついてしまった事に、裕太が納得できない思いを持つのも、ある意味仕方ない。
「……やっぱり着けていた方が……」
「……でも、家くらい楽にしてたいじゃん……」
背後から、アリエルとカレンの、そんな会話が微かに聞こえた。
……それは……中学生には刺激が強かったろうなあ……




