神原村にて2
翌日、朝食が済むと、タクマは村の神社に向かった。アリエルとゲルダには、澄美が釣り竿を持って迎えにきた。
「アリエル姉ちゃん、ゲルダちゃん、ハヤ釣りに行こうー」
完全に相手を、自分と同じ精神年齢と見てる。そして二人は満面の笑みでうなずいた。
用水路から堤防を抜ける水門付近に、近所の子どもたちが集まっていた。澄美が連れてきた亜麻色の髪のお姉さんと赤毛の幼女に、みんな一時驚いたが、言葉は通じるし邪気のない二人だと知ると、普通に接してくれるようになった。
「ゲルダちゃん、引いてる引いてる!」
「おおう、大物なのじゃー! わぷぅ! はねたー!」
「アミ、ほら、こっちのアミに入れな!」
「ごめんなさいケンタくん、エサつけて……」
「ミミズくらい手でさわりなって、アリエル姉ちゃん」
これまたゲルダやアリエルにとって、初体験の釣りだった。竿先に感じる魚の躍動が、快感となってピリピリ背筋に走る。昨日覚醒した狩猟本能のなせる技か。子どもたちの年長組には、ちょっと引かれるくらいはしゃいでしまったアリエルたちだった。
夏のハヤはあまり美味しくないから、持って帰っても親が料理してくれないという。そういうものかと思い川に放した。そして、みんなで神社の屋台で会おうと約束して解散した。
佐原家に戻って、カレンと一緒に浴衣に着替える二人。昼食は、神社の屋台の食べ歩きで済ませようとうち合わせていたのである。
神社の境内にはたくさんの幟がたち並び、屋台が軒を連ねていた。すでに結構な人出で、村外からの観光客も数多く、女性陣はまるで浴衣姿を競うよう。しかし中でも艶やかな浴衣姿の外人娘三人組は異彩を放っていた。「村で呼んだタレントかい?」などという声も聞かれる。実際、アリエルとカレンなどは、どこかのモデル事務所所属と言われても違和感ない。屋台で買ったものをパクつき、手当たり次第デジカメのシャッターを切っている姿をさらすうちに、そんな声は次第に消えていったが。
さっきまで遊んでいた子たちも、三々五々、集まってきた。
「アリエル姉ちゃん、キレイ!」
「ありがとう。キヨミちゃんも綺麗よ、写真撮らせてね?」
「うっわ、すっげ……」
「化けた……さっきとえらい違うわ……」
一緒に釣りを楽しんだ子たちの感想には、少々シツレイな物言いが含まれている。委細構わず、さっきのお礼に好きな物一品おごりますよーと宣言したアリエルに、子どもたちは歓声を上げた。そのまま屋台の遊びを試していく三人。中にはくじ引きのように、子どもたちに「あれはやめとけ」と忠告される類いのものもあったが、何ごとも経験とばかりに、縁日遊びを総なめしていくアリエルたちだった。
よく晴れていた青空が濃紺のグラデーションに染まるころ、神社の境内の一角で、かがり火が焚かれはじめた。水神神楽が始まる時間である。
ドン……ドン……ドン……
重々しく太鼓の音が響く。それに合わせて、ゆっくりと刻むような足取りで、神楽装束に面をつけた舞手が二人、標で囲まれた中央に歩み出る。
ドン、ドン、ドン、ドロロロロ~……
二人は対面し、腰を落として身構える。互いの面は、赤と白の鬼の面。笛の音とともに身を揺すりながら立ち上がり。太鼓と鉦が合わさると、大きく踏み込んで体を入れ替えた。
奏でられる楽器は、笛と太鼓と鉦。ひとつの楽器だけが演奏されるときには、舞手の動きもゆるやかで、三つ一緒に鳴らされる時は、二人激しく躍動し、互いに争い合うかのよう。赤い面の舞手が跳んだ。ほとんど人一人を飛び越しそうな高さに舞って、あたりからは驚嘆の声がもれる。
アリエルたち三人も、初めて見る民俗芸能に、言葉なく見入っていた。故郷のさまざまな宗教儀礼から見れば異様と思える。泥臭いとすら感じる。にも関わらず、音と舞と光と影が、渾然となって──まるで心臓の鼓動そのままのように伝わってくる。
ドンドロロ、ドドドン、カラカッカ、ドドドン、ドドドドド……
神楽のテンポがいっそう速くなった。舞はさらに緊張感を増し、空を切る手足が、まるで音を立てるかに思えた。ザン、ザン、ザン! 踏み込む音も激しく響く。
アーイヤサー、ヤッサー、イヤサー、ヤッサー
楽器の音に、お囃子が重なった。全ての打楽器が激しく、細かく撃ち震わされて──
ドドン!
一度に重なり、決まった。指揮者が指揮棒を振り下ろしたかのように、アリエルたちにも「締め」が伝わった。
歓声と万雷の拍手が沸いた。一礼した舞手二人は、ゆっくり陣幕の内側に下がっていった。
「行こうアリエル!」
「はい!」
ゲルダの声にも興奮が感じられた。今、目の当たりにした「芸」に、心を揺さぶられた証である。
タクマの友人だと名乗って、陣幕の中に通してもらった。神楽舞の面をとり、タクマと宮原が汗まみれの顔で笑い合っていた。タクマが赤い面、宮原が白い面の役だった。
「いや、たまげた! あんな跳んだのタク坊が初めてだ! 体操でもやってたんか?」
「いやあ、やっぱ兄ちゃんすごかったす。舞の決まり方が違うって感じで!」
「なんとまあ、佐原の所のタク坊かや。見違えたのう!」
「こんでタク坊も一人前だじゃ! がはははは!」
法被姿の村人に囲まれて、満面のタクマの笑顔に、アリエルは思わず見入った。何度も見慣れた、戦闘に勝った時の笑顔とは別の……苦みも殺気もない、子どものように純粋な誇らしさ。みなの祝福を受けているタクマを見ていると、アリエルの胸にも甘酸っぱい誇らしさが湧いてくるようだ。ああ……これがいわゆる、「惚れ直した」というヤツかな? デジカメのシャッターを切るのも忘れ、タクマに見とれるアリエルだった。
神楽が終わった後、川の中州から花火が上がった。神楽の観客たちは、神社の階段や高台のふちに散って川の方に視線を移した。花火見物には、なかなかのポジションである。
ヒュルルル~~~……ドン……ドドン……パラパラパラッ……
「ふわあぁ……すごいのじゃ……」
「はあ……ほんとうに……」
「話にゃ聞いてたけど……」
皆、初めて見る打ち上げ花火に、ため息がもれる。
「おお、いい眺めだな、ここ」
「タクマ! あちらの方はもういいの?」
三人の後ろにタクマが立っていた。すでにTシャツとジーンズに着替えている。
「ああ、連れがいるからって言って、抜けさせてもらったよ」
例年、神楽の舞手は殊勲賞というか、公民館で飲み放題の無礼講にあずかるのだが、まだ未成年のタクマが居続けるわけにもいかない。それでもビール二杯ほどは飲まされてしまっており、少々顔が赤かった。
キュルルル~~~……パラパラパラ……ザザーーッ……
最近の打ち上げ花火は二段、三段と変化するものだから、まるで一つの物語のようである。ゲルダは変化のたびに「おー!」とか「ほぉー!」とか、素直に歓声を上げる。タクマも近年、こんなに無心に打ち上げ花火を見た覚えがない。いつの間にか花火も進歩しており、初めて見る変化に驚かされた。……声を上げなかったのは、「現地人」のプライドだろうか。アリエルがタクマのそばに身を寄せて、自然に手をつなぐ。そうして、それが当然のように、肩に頬で寄りかかった。
ヒュルルル~~~~……ドン…………!
締めに、夜空にひときわ大きな菊花が上がった。
四人は終了アナウンスの声を聞いても、しばらく夜空を眺めて続け、花火の余韻をかみしめた──
◇
翌朝、朝食を済ませると、タクマたちは佐原家の人びとに別れを告げた。
「そんじゃ、達者でな、タク坊」
「今度会う時は、移転先だねえ」
「お世話になりました。叔父さんたちも、お元気で……」
車を発進させて、座席からふり返ると、いつまでも手を振るキクヱばあ、義郎おじ、幸恵おばの姿が見えた。後部座席のゲルダとアリエルもまた、手を振り返す──
「……楽しかった? ゲルダ、アリエル」
「たっのしかった! のじゃっ!」
「ええ、本当。昆虫採集とか、もう楽しすぎて! 初めてやったことばっかりだったわ」
日焼け止めを塗っていたにも関わらず、二人の鼻の頭が赤い。思いっきり太陽の下で遊んだ証である。
「カレンはどうだった? なんか農作業の手伝いばっかしてたみたいだけど」
「興味があったからやった事だって。実際面白かったよ。あの村の灌漑システムが見事だったね。高いところに作った溜め池からさ、低い方に水が流れるうちに、自然と全ての畑が潤うの。イムラーヴァで同じ工事をしたらどれだけかかるだろう、とか考えて、ね……」
「良いところだったのじゃ。作物もとれて、魚もいっぱい釣れて……。タルタロス島に同じような場所があったら、どれだけの魔族が助かるじゃろう……」
一時、車内に沈黙が落ちた。
「……あんなよくできた農地が、沈んじまうなんてねえ……」
「……惜しいわよね……」
「モッタイナイのじゃ……」
神原村は、大がかりなダム工事に伴って廃村になる予定だった。住民の立ち退きスケジュールも定められ、それが終われば村落一円、ダムの水面下に沈むことになる。今年の水神祭は、今の場所で行われる、最後の祭だった──
「……うん……でも、十年近く皆で話しあって、決めた事だそうだから……」
既にあの村を出ている自分には、その決定に口をさし挟む資格はない。ただ……あの村でのまぶしい思い出は、いつまでも大切に胸の中にしまっておこう。そんな事を思うタクマ。そしてその思いは、アリエルたちも同じだった。
……車内の沈黙を破って
「帰りは約束どおり、道の駅に寄ってジェラートじゃぞ?」
「もう、太っても知らないわよ、ゲルダちゃん……」
ゲルダのセリフは、あたりの空気を明るくしようとしたものか。あるいは素で言ったものか。
紫がかるほど濃い青空の下、逃げ水が先導する道を走り、タクマたちはS市に帰っていく──
この節、終わり




