神原村にて1
インターチェンジをくるくると、SUV車が降りていく。運転席に座るカレンは、初心者マーク相応の、緊張が抜けない面持ちだ。
『二百メートル、先を、左折です』
「あっ、道の駅じゃ! オリジナルジェラートじゃと!」
「入り口が反対車線だからさ……後にしよう?」
めざとく看板を見つけたゲルダをなだめるタクマ。本当は左折から入れるルートもあるのだが、午前中に目的地に着くには、寄り道していては心もとない。
「帰りもここを通るのじゃな? 約束じゃぞ?」
「ゲルダちゃん、向こうに着いたらすぐお昼の時間だから、ね?」
「ちょっと静かにしてくれよ~、ナビの声が聞きづらいって」
『百メートル、五十メートル、四十、三十』
四人の声にカーナビのそれも加わって、車内はにぎやかだった。
空は紫がかるほど濃い青で、強い陽光にさらされて遠くの道路には逃げ水が揺れている。カーナビの指示どおり国道から県道におりると、交通量は目に見えて減った。堤防の上を通る道を伝っていくと、山肌に民家と段々畑が見えてくる──
「綺麗……絵の中みたい!」
「キレイ、かな? うん……懐かしいけどな……」
アリエルが車の窓ごしにデジカメのシャッターを切る。事実、絵に描いたような田舎の風景だった。タクマの母方の故郷にあたる村で、神原村という。ほとんど十年ぶりに、母方の実家である佐原家に帰省するタクマだった。
◇
帰省の話が持ち上がったのは三日ほど前だった。高認の試験を終えて一段落ついたタクマのもとに、一枚のはがきが届いた。
「田舎の叔父さんからだよ。水神祭があるから、それに合わせて帰ってこないかって」
「お祭り? 行きたいのじゃ!」
ゲルダが即答した。アリエルとカレンも目を輝かせている。
「叔父さん家は広いから、四人で行っても泊めてもらえると思う」
「受験の方も一区切りだし、息抜きにいいわよね」
「おう、あたしの車出すぜ。田舎だと、たぶんそっちの方が便利だろ?」
とんとん拍子に話はまとまって、四人そろって小旅行に出た次第。
◇
村役場までカーナビに頼って、そこから先はタクマの記憶を頼りに佐原家に到着した。納屋を改造したガレージに車を入れて、母屋で叔父夫婦と祖母に挨拶する一行。
「どうも、ご無沙汰しておりました」
「あらあら、タクマちゃん、立派になって。こごさいた時はこんなだったのにね」
「おうおう……タク坊や、よう帰ってきたのう」
「いや、今日はこんなたくさんお客さん来で、にぎやかでええのう」
「こんにちはー、アリエル・フェルナバールと申します。よろしくお願いします」
「ワラワはゲルダ……なのじゃ。よ、よろしく……なのじゃ(びくびく)」
「カレン・イクスタスっていいます。お世話になりますー、あはは」
ここでもタク坊かと思ったが、言い直してもらうにはもう遅い。タクマも開きなおる事にした。
アリエルとカレンは朗らかにあいさつし、ゲルダは、自己紹介時に失敗すると、お仕置きされるとすり込まれてしまっていた。
初対面では、タクマが連れてきた一行の髪色のカラフルさに戸惑いぎみだった叔父一家だったが、達者な日本語にすっかり緊張を解いた。
冷えたそうめんで昼食となった。箸づかいもすっかり上達したアリエルたちに、驚きながらも喜ぶ叔父たち。
「これ何じゃ? 一本色がついておる!」
「ゲルダちゃん、指でつままないの」
「あはは、都会のほうじゃ、こういうそうめんは無いかしら?」
「あー、そういえば昔はこうでしたねー」
タクマは幼いころ、三年ほどこの村で過ごした事がある。その頃の思い出話に花を咲かせ、にぎやかな昼食になった。
食休みをはさみ、一行は腰を上げた。先祖の墓参りである。
段々畑の脇道をつたっていくと、古いお寺の前に出た。ここにはもう住職がいないという。それでも村人が持ち回りで掃除・管理をしているので、さほど荒れたようすはなかった。さらに小高い場所にある、由緒ありげなお墓の前で、一行はそろって手を合わせた。ゲルダも空気が読めるようになってきて、静かに拝むまねをした。
見渡すと、それなりに掃除されてはいるが、荒れた墓石も多い。
「……ウチの墓は、行き場所決まってるけんど……こごらは皆、無縁仏さ」
どこか寂しげな叔父、義郎の声。ゲルダが無遠慮な質問を飛ばそうとしたのに気づいたアリエルは、素早く背後から口をふさぎ、「後で教えてあげるから」と耳元でささやいた。
丘を下っていく道の途中、同じく墓参りに来た一行と出会った。その中に、タクマの旧知の顔があった。
「おお、タク坊! 帰って来てだがや!」
「ああ、宮原の兄ちゃん! お元気でしたか!」
「いや、立派になって」と声をかけながら、道の真ん中で再会を喜ぶ──と、「兄ちゃん」の目が輝いた。何か思いついたという顔である。
「タク坊、後で頼みたいことがあるんだけんど……」
「頼みごと……ですか?」
墓参りの途中だから、と、その場はそれで別れた。
家に帰って、みなで縁側に座って麦茶で一服していると、先ほどの兄ちゃんがやってきた。宮原真之という、三十路近くのがっちりした男である。
「水神神楽……ですか?」
「ああ、タク坊も習ってたべ。……本当は相方がいたんだけどよ。腰やっちまっでなあ」
宮原の頼みとは、祭で舞われる神楽の代役だった。舞手がケガをしてしまい、代役が見つからないという。
「いや、その……そうは言っても、小学校の頃のことだし……」
「ムリだべか……? 村も若いのが少なぐなって、心当たりがないもんでよ……」
タクマも宮原も困り顔である。しかし……ちらちらとアリエルたちの方に向けるタクマの視線が示すのは、彼の懸念は、本当に舞が出来ないというより、彼女らを放置する事にありそうだ。アリエルが言葉を添える。
「タクマ……大事なことなんでしょう? 私たちはいいから、引き受けてさしあげたら……」
「おおっとぉ、びっくりしたあ。お嬢ちゃん、日本語上手だねぇ!」
大仰に驚く大原。美貌のガイジンさんから出た流ちょうな日本語に、ちょっとびびっていた。
アリエルの後押しに、しばらく考えたタクマだったが
「わかりました。勤まるかどうかわかんないけど……」
「おお! 頼めるか!」
結局引き受ける事にした。今回は、特別な祭なのだから。
神楽は明日の夕刻に催されるという。さっそく特訓だという事になって、タクマは村の公民館に連れて行かれた。
「はあ、申しわけないねえ。タク坊、横取りされちまったねえ……」
自分が村の中を案内しようかという叔母の幸恵の申し出を、やんわりと断るアリエル。彼女は彼女で、いろいろ仕事がありそうだった。
とその時、おかっぱ頭の少女が庭に駆けこんで来た。年のころは小学校高学年といったところか。捕虫網を二本持ち、肩から虫かごを下げている。
「タケ兄ちゃん、いるー? って、おわっと!」
縁側に腰掛けていたアリエル一行に驚く少女。やはりゲルダの赤毛とアリエルの亜麻色の髪は、彩度のコントラストに乏しい田舎では目立ってしまう。交わしたあいさつから日本語が通じると知ると、これまたホッとしたようすだった。
「あらー、キヨちゃん、いらっしゃい。健則ねー、受験だからって今年は来ないんだわー」
「えー? 昆虫採集手伝ってくれるって言ってたのにー」
幸恵の返事を聞いて、あからさまに落胆する少女。健則というのはこの家の一人息子で、街方の私立中学で寮生活をしているという。少女はお隣さんの澄美。夏休みの宿題である自由研究を、昆虫採集にしようと思っていたらしいのだが……
「あたし一人じゃ終わらないよー……」
半べそ顔で座りこんでしまった。
「……ねえ、キヨミちゃん。私で良ければ、手伝いましょうか?」
「いいの?!」
アリエルの申し出に、即答する澄美。予定が空白になっていたアリエル一行には、むしろちょうどよかった。
「アリエル姉ちゃん! そっち! そっち行った!」
「えいっ! きゃあ! 入った、入った! ゲルダちゃん、これ、これ取って!」
「ばかアリエルー! 自分の手で取れないなら、網などふるでない!」
大はしゃぎのアリエルとゲルダである。捕虫網を振るって虫を捕るなど、二人とも初めての経験だった。
「失礼な! ちゃんと自分でも撮ってます! パシャ!」
「写真の撮ると、手で物を取るのは別の字なのじゃ! コンドーするでない!」
「ゲルダちゃん、難しい字を知ってるねー! すごい!」
異様に楽しい。澄美も二人につられてテンション上がりまくりである。カレンは二人の熱中ぶりに呆れながら、ついて行けないとばかりに佐原家に戻っていった。
「ようし、これでチョウも足りるしー、今度は林の虫。カミキリか、カブトムシ取れたら最高ー!」
「「おー!」」
小学生の澄美に先導されて狩り場を移る。ハンター本能が覚醒してしまった二人には、至福の時間であった。
目標数をクリアして、万歳三唱して山を下りる三人。空はまだ明るいが、山かげはそろそろ暗くなってくる時刻。
「アリエル姉ちゃん、ゲルダちゃん、ありがとー! 後でお礼に行くねー!」
佐原家前で手を振って澄美と別れた。
カレンは佐原家の畑仕事を手伝ったとかで、叔父の義郎と一緒に帰ってきた。トマトとトウモロコシを山ほど抱えている。義郎にはカレンの腕力がよほど印象深かったようで、「ガイジンさんは違うねえ」をしきりにくり返していた。
タクマも神楽の練習を終えて帰ってきた。人外レベルの体力を誇るタクマでも、普段と違う筋肉を使ったらしく、しきりに肩をさすっている。
「お帰りなさい、タクマ」
「ああ。……ごめんな、退屈じゃなかったか?」
「ぜんっぜんなのじゃ! ワラワは三匹もコンチューを捕まえたのじゃ! アリエルは網に入れるだけで自分で触れないのじゃ!」
結構楽しく過ごしたらしい二人の話を聞いて、ほっとするタクマ。
「カグラ……だったかしら? 奉納の舞の方はどう?」
「ああ、何とかなりそうだよ。意外に体が覚えていた」
風呂に入って汗を流し、全員、風通しのいい甚平に着替えた。一緒に通販サイトから買ったのだが、アリエルたちの着る可愛いデザインの甚平に、思わず感嘆の吐息をもらすタクマ。
そして黒塗りの重厚な座卓の上に並ぶのは、タケノコご飯に山菜の煮物。刻んだキュウリの浅漬けが乗った冷や奴。鶏肉に塗られている味噌には山椒の風味が効いている。収穫したばかりのトマトとトウモロコシも食卓に並んだ。トウモロコシはまだほんのりと湯気が立っている。取れたての味をふくめ、都会では食べられない田舎料理だ。
皆、言葉も少なく料理をかき込んだ。タケノコご飯をおかわりする度に、祖母のキクヱがしわだらけの笑顔をこぼした。
「こんばんはー! アリエル姉ちゃんたち、いるー? スイカ持ってきたよー!」
隣に住む夫婦と澄美が、切ったスイカを抱えて訪ねて来た。キクヱが笑顔で応える。
「おやおや、ごちそうさま。じゃあウチのは明日切ろうかね」
皆で縁側に出て、スイカにかぶりついた。澄美とゲルダは不作法を叱られるまで、タネ飛ばし競争に熱中していた。
澄美が花火セットを取り出した。皆でやった方が楽しいからの一言で、そのまま小さな花火大会となった。ゲルダが、初めて見る花火の一つ一つに驚嘆するさまを見て、鼻高々の澄美だった。線香花火は静かにやりたいんだけどなあ。そんな思いで苦笑するタクマ。線香花火の「モード」が変わるごとに、「なぜじゃ! どうしてじゃ!」と、尋ねずにはいられないゲルダだった。




