うごめく思惑
場所はイムラーヴァ。旧魔王国クロムレック領にて。
その日も違法な奴隷狩りを取り締まっていたロレント率いるグラドロン第一騎士団は、ネストロモに通じる一本道にさしかかった。
突然、崖の上から丸太材が落とされて、先頭を行くロレントと後続が分断された。更に魔族の刺客数名がロレントめがけて頭上から襲いかかる。
「ロレントさま!」
「私にかまうな! 負傷者の救護と警戒を!」
後方に分断された部下に指示して、ロレントは剣を抜き、かまえた。
刺客の得物はかぎ爪のついた杖だった。違和を感じたロレントだったが、引きずり下ろすつもりならと、『地精の守護』を唱えて馬から飛び降り、地に立った。どのみち馬上にいて、地の利がある状況ではない。得物を振りかざして迫ってくる魔族たちを、かぎ爪にかかる間もなく切り伏せるロレント。一方的な戦況に、むしろ彼の違和感は増大した。こいつらは本気で自分を害しようと思っているのか? あまりに技倆が違いすぎる。
両生類系の魔族がロレントに組み付こうとする。繰りだした剣に腹部を貫かれたが、そのまま鬼気迫る表情で彼の左手をかかえ込んだ。
「ケェーッ!」
「ぬっ!」
一声上げて、魔族の腹が膨らみ爆散した。文字通りの自爆魔法である。
「ろ、ロレントさまぁっ!」
部下たちに動揺が走ったが、爆煙が晴れるとその奥に、衣服が破れながらも身にキズ一つ負わぬロレントと、その左腕にしがみつき続ける魔族の上半身が見えた。
聖騎士ロレント・ジンバルは、又の名を「堅守のロレント」。通常の守備力も魔法防御も桁外れの高さを誇り、支援魔法強化されれば、並みの攻撃は滅多に通用するものではない。
ズルズルとずりおちながら、その魔族はむき出しになったロレントの左腕を確認し、最後の息を振り絞って叫んだ。
「ナ、ナイーーー!」
「なにっ!」
右手に持つ剣を逆手に持ちなおし、真っ黒焦げになった頭部を貫いてとどめを刺した。
「ロレントさま! ご無事で!」
「来るな! 助けは不要だ! それよりも気配察知が使える者は手分けしてあたりを探れ! ここから離脱する魔族がいるはずだ!」
「は、はっ!」
やられた。捨て身の手段をとられたとは言え、ついに左腕の「縛魔の紋章」が消えているのを見られてしまった。最初からそれだけが目的だったのか……
部下たちに追跡を指示しながらも、全力で退く事だけに専念する相手は、ちょっと捉えられるものではない。そう判断せざるを得ないロレント。
(これでゲルドゥアが封印から解かれた事は魔族たちに知られてしまっただろう。彼女がおそらくタクマの世界に跳躍し、こちら側にいないであろう事は、救いと言えようが……)
落とされた丸太をかたづけ、負傷した部下たちの手当をしながら、ロレントの思考は引き裂かれたように別方向を向いていた。
◇
さらに、フェルナバール王国首都イムレバネン城下町の裏通りで。
すでに夜半の時刻、袋小路の奥で二人の男が並んで石塀に背をつけていた。通りから見て奥の方に立つ男は、見るからにおどおどとおちつかない。神官風のローブ姿で顔を隠しているのだが、身体言語はローブで隠せない。手前側で腕組みしている男は、明らかに奥の男を心理的に圧迫していた。位置関係からしてローブ姿の男が逃げ出さないようにというポジションである。普通の平民姿、少なくともローブなどで顔を隠していないのだが、ヒゲや帽子を見る者が見れば、明らかに変装しているのが見て取れた。腕組みしたまま、無言の圧力を加え続ける……
沈黙に耐えかねて、ローブ男がかすれた声を上げた。
「か、かんべんしてくれ。これ以上は……」
「カンベン? ははは、何を言ってるね? そこまでおびえる事じゃないだろうに?」
ヒゲ面の男は、上機嫌という口ぶりで話す。
「だ、だからその件、けして口外してはならんと言われているって……」
「ふっ、子どもじゃあるまいし、自分の頭で考えたらどうだね? そりゃあ王国に出仕している以上は口にできない事はあるだろうさ。オレだってそんな事をしゃべれとは言わんよ。ヘタすりゃ家族親族にまで累が及ぶだろうからなあ」
ヒゲ男の軽口に、ローブからわずかにのぞく男の顔が、蒼白になっていく。
「しかし、そいつはあくまで王国に対する反逆の場合だ。つまりイルフレドさまやご家族に関する情報に限られる。そうだろう? まして相手はフェルナバールの臣民ですらないんだ。それをちょっと漏らした事が、国家反逆罪などにあたるものか。そう思わんかね?」
ローブ姿の男が、ごくり、とつばを飲んだのが見て取れた。
「……まあ、あくまでお前さんが、見当違いの忠誠心から口をつぐむってんなら、それもしかたない。受け持ち帳簿の食い違いも、上司にはっきりさせてキレイな身になるかね?」
「……ま、待ってくれ。それは……」
男の頬を冷や汗が伝い落ちる。ヒゲ面の方は、上機嫌な笑顔のまま、もうしばらく待った。相手が折れると確信していたから。
◇
時間は少し下り、場所はベレラカン王国首都ベルベレス、王宮の一室にて。公式な式典以外の、密談などに使われる奥まった部屋だった。
ベレラカン王国諜報部「黒の歯」を率いるグラギオ・イド・レギンズ男爵は、王みずからの下命に応えるべく、報告書をたずさえて参内していた。「黒の歯」は表には出られぬ部署であり、グラギオの参内も密かになされるのが常だった。
(遅い……指定された刻限から、もう半刻は経っているはず……)
調べるよう求められた情報は、セグル王みずからの指示によるもの。フェルナバール王国側の防諜もそれなりに固く、苦労して手に入れた情報だと言うのに……
その時通用門から王の笑い声が聞こえて来た。誰かと言葉を交わしているような……。扉が開き、セグル王が入ってきた。上機嫌で、顔がやや紅潮している。
「おお、グラギオ、大儀であった。待たせたな」
「いえ……」
「む? そんな所で何をしておる。入れラミア」
「いえ、王さま、私はここでお待ちしております。国事に関わる事に、私ごときが同席するわけには……」
「何をいう、お前が知りたいと言っていた件ではないか。かまわん、入れ」
「……それでは失礼したします……レギンズ男爵さま、ごきげんよう」
王の後ろにつき、扉の外に控えていたのはラミアだった。セグルに強引にうながされ、入室し優雅に一礼する。まばゆいばかりの銀髪に冷たいほどの美貌。完璧なまでの礼儀所作。しかし、顔を伏せたままのグラギオは、頬を引きつらせただけだった。流れ者の素性も知れぬ女を、この部屋に同席させるなど……! しかも、王のセリフからすれば……この情報を求めたのは……!
「うむ。で、グラギオよ、例の件はどうであった?」
「は……王のご明察どおり、放浪の大賢者カレン・イクスタス、フェルナバール王国の『勇者召還の間』からいずこへか跳躍魔法を用いたもようです。詳しくはこちらにまとめました。ご覧下さい」
グラギオは努めて平静を装い、報告書を提出した。セグル王はそれを片手で受けとると
「ほれラミア、カレン・イクスタスの動静じゃ。うれしかろう?」
みずから開きもせず、傍らに佇むラミアに事もなげに渡した。
自分が目にした光景に、一瞬硬直するグラギオ。諜報に身を置く者としては、あってはならない動揺だったが、自分と部下が、場合によっては命をかけて探ってくる報告書を、こんなふうに扱うなど……!
「ああ、うれしゅうございます、セグルさま! 私は大賢者さまの、ファンと申しますか、あこがれておりまして! だって女の細腕で、大魔法を用いて魔族をなぎ倒すんですもの!」
満面の喜色で報告書を受けとるラミア。……グラギオのカンは、その態度に芝居を感じた。
ラミアの喜びように満足げなまなざしを向けていたセグルだったが
「うむ、よくやってくれたな、グラギオ。礼は後で改めてな」
上機嫌で声をかけ、席を立った。そのままラミアの肩に手を回し、退出する。
「そうか、賢者カレンはお前のあこがれか。ふむ、一度それを題にした芝居を書かせようぞ……」
「ええ、きっと評判になりますわ。あこがれている女は私一人ではないと思います……」
遠ざかっていく二人の声に、グラギオは憤懣やるかたない思いだった。……宰相ラウコンを思い出す。情報の重要性を熟知しており、下級貴族の自分相手に対等の礼を尽くしてくれた人物だった。
人気のない王宮の廊下を歩くグラギオ。胸に浮かぶ決意は、ラミアの監視。カレン・イクスタスの動きを探れという指示、意図はわからないながらも王の命と思って成し遂げたものを、それがラミアの願いだったとは。「黒の歯」を間接的に操ってヤツ個人の情報収集に利用しようなど、個人的好悪を別にしても、もはや看過出来ない。王の側に仕えた時から怪しいとにらんでいたが、ヤツの背後にいる者を、何としても掴まねばならない。事はおそらく、王国の将来を左右しかねない……
ラミアと、その父親ジガンの監視の手はずを、頭の中で練り上げるグラギオだった。
ベレラカン王国後宮の一室で。
セグル王が、最近では珍しく自室に戻ったあと。あたりの者が寝静まった時間に、ラミアは起きだして表に漏れない程度の明かりをともした。
卓上に紙を広げ、ペンをとって、じっと紙面を見つめる。脳裏に焼き付けた「像」が紙と重なるように。そして遅滞なくペン先を走らせ出した。驚くべき速さで図が描かれていく。それは……現代地球の知識で言えば、地震計の記録に酷似したものだった。
描きあげられた図は、グラドロン教皇国よりベレラカン王国に提供された「ラーヴァの瞳」の直近記録である。セグル王に頼んで記録を見せてもらい、一目で脳裏に焼き付けたラミアだった。閨でねだれば、見せるのを通り越して貸し出しもしたろうが、図像記憶は彼女の天分といえる特技である。他の廷臣から疎まれ、怪しまれるような隙を作ることはない。
ラミアはペンを置き、「黒の歯」の報告書を取り出して図とつき合わせた。
(浅黄の月十四日十三刻、カレン・イクスタスはフェルナバール王国『勇者召還の間』から次元跳躍を行った……)
「ラーヴァの瞳」記録の、当該部分を指でなぞる。
(そしてそれから二刻弱で、もう一度そっくりな反応が現れている……? これは一体……)
ラミアは無言で考える。独り言を口にする事は、わざと聞かせる芝居の時以外にはありえない。すっかりそれが第二の天性になっていた。
カレンが跳躍魔法を使うにあたって、一度目は失敗したとか、リハーサルをしてみた、とか? そんな話は報告書にはない。カレン・イクスタスはよどみなく次元跳躍魔法を成功させたという。……まったく、世の中には理不尽なほどの才能を持つ者がいるものだ。前回の勇者召還時には、名の知れた術者十数名が集められて行われた術だというのに。……自分の考えが逸れていたのに気づき、正す。
瞑目して沈思していたラミアが、ぴくりと体をふるわせ、瞳を見開いた。バルドマギから届いた数少ない指令のうち、最重要とことわり書きがついていたモノを思い出したのだ。
『ゲルドゥア・マグナスを閉じ込めていた封印は消失した。その後ゲルドゥアは行方不明。関連情報を探れ』
それが彼女の中で、パズルのピースとなって当てはまった。……あるいはこれは……確かにそう考えればつじつまは合うが……
(……確証を得るにはどうすべきか? セグル王を操って「黒の歯」を動かす、か?)
小さく息を吐きながら首を振る。これはやり過ぎてはいけない手だ。「黒の歯」を統括するグラギオ・イド・レギンズ男爵は、侮れない相手だと思う。
今日の会見を思い返すと、背中に汗が浮きそうになる。セグル王の馬鹿さかげんは、正直想像の外だった。思わず舌打ちしたくなったくらいだ。直属の情報組織の報告を、目も通さずに渡してよこした挙げ句、「お前が欲しがっていたものだ」と来た。とっさに芝居を打ったが、あれではグラギオ相手にはバレバレだろう。恐らく自分に対して監視を強めてくるはずだ。外部との連絡は、今まで以上に難しくなるだろう。
(もしも、どうしても連絡が必要になったら、私が派手に動いてオトリになり、ジガンを動かすか……。一回通用すれば、御の字の手だな……)
そこまで考え、根本的な動機──自分においてのメリット・デメリットを秤にかけてみる。バルドマギにすれば最大の武器であるゲルドゥアの行方は何としても知りたいだろうが、自分にとってはかなりどうでもいい話だ。要はセグル王を焚きつける役を果たして、あのデブから報酬をもぎとればそれで十分。
(となれば現状、こちらから危ない橋を渡る理由はない、な……)
ラミアの口に薄笑みがうかぶ。ここはしばらく「冬眠」を決め込もう。セグルの相手はうっとうしいが、もっとひどい女扱いをする連中など、いくらもいたのだ。耐えられないことはない。
しばらく冷却期間をおき、「黒の歯」を一番効果的に動かす方策でも考えよう。方針をまとめると、ラミアは紙に書き出した「瞳」の記録を暖炉で燃やした。自分の頭の中に持っていればいいのだ。わざわざ不利な証拠になるモノを持ち続けることはない。監視がゆるければバルドマギに送ってやってもよかったのだが、ここしばらくはムリだろう。
明かりを消してベッドにもぐり込み……そして彼女は驚くほど素早く眠りに落ちた。ほんの少しの物音でも破られる、薄氷のような眠りだったが。




