夜道の運転練習
志藤家の夕食。いつになく静かな食卓だった。黙々と料理を口に運ぶ年長三人。ひとりゲルダだけが空気を読まず、「うみゅ」とか「おしょうゆ」とか単語を口にし、アリエルがショウユを取ってあげたりしていた。
「ごちそうさまでした……さあ、復習始めなきゃなぁー」
目を泳がせて立ち上がったタクマの襟首を、ぐいっとカレンがわしづかみにする。
「うん、あたしの復習だよね、タクマ?」
ニンマリ顔でいて、その目は笑っていない。
「おお、またアレを動かすのか? ワラワも乗りたい!」
「だめっ、ゲルダちゃん! お願いカレン、この子は……この子だけはっ!」
ゲルダを抱きとめて、キッチンの壁に背をつけるまで、後じさっているアリエル。ゲルダは手足をパタパタさせている。カレンは苦笑ぎみに、蒼白になっているアリエルをなだめにかかった。
「おいおい……そりゃ大げさだろうよ……子とり鬼じゃないんだから」
「いいえっ、私にはわかるの! アレは危険なの! 少なくとも、カレンが運転席に座っていると!」
いつもながら、アリエルの「カン」に、畏敬の念を抱くタクマ。聖癒姫アリエル・フェルナバールには、身近な者に対する危機察知能力が備わっている。自分自身の危機に対しては反応しないという、占い師の占いみたいな能力ではあるが。
先日カレンは、運転免許の取得に見事成功した。最短時間で終了の快挙である。で、中古のSUV車を一台購入し、試し乗りに四人全員で夜道に乗りだして見たのだが……
「アレ? ワイパーが」
「カレン、右! ウィンカーは右の!」
「おおお、すごいのう! この鉄の箱は!」
「カレン? 前の、前の車との距離が!」
「うぉぉっとぉ!」
……運転免許の取得に「なぜか」成功したと言い直したい、カレンの運転技術だった。家に帰り着いた時には、ゲルダ以外は全員、精神的に疲労困憊状態だった。ガレージに車を入れるのも、十分以上かかってもバンパーに擦り傷を作るばかりで、結局タクマが後輪ごと車を持ち上げて引きずり納めたのだった。
しかし、良くも悪くも前向きなカレン・イクスタスである。交通量が少なくなる時間帯を選んで運転の練習に努めようというのだが……
「なんでオレが乗らないといけないんだよぉ……」
「身体強化魔法かけたあんたなら、どんな事故が起きても平気だろ? まあ何かあった場合の保険ってことで(にっこり)」
極めて実利的な理由で、練習につきあわされる事になったタクマであった。一緒に乗りたがっていたゲルダは、アリエルの必死の説得に折れてあきらめた。少なくとも彼女の危機察知能力が反応しなくなるまでは、カレンの運転する車には乗らないと約束させられた。
タクマもあきらめて同乗することにした。……まあ、今の技倆でカレンを一人きりにするのは、さすがにちょっと危ないし。なんだかんだで、タクマもカレンを姉貴分と思ってはいる。
夜の県道に乗り出す。直線に車を走らせるのはできるのだが、一旦停車すると、もうそこからが……
「お? 何で走らない?」
「カレン、ギアがニュートラルのままだって!」
「え~っと……あ、ここだった」(キキーッ)
「おわっ! か、カレン、曲がるときはもっと手前で判断して……」
「おお? 何でパッシングされたんだろ?」
「ほらぁ、ヘッドライトがハイビームになってるって……」
初心者ミスのオンパレードだった。何でこれで自動車学校の教官はOK出したんだろう? まさか、精神魔法使ってたぶらかしてないだろうな? そんな事を考えるタクマだった。しかし、ふとカレンの胸元に目が行って、彼女の意図にかかわらず教官側が『魅了』の魔法にかかっていたかも、などと思い直した。
しばらく走った先にあった休憩駐車場でトイレ休みをとった。手洗いの鏡の前で首をコキコキ回すタクマ。気疲れするし、常時『地精の守護』の身体強化魔法をかけ続けている。ちょっとしんどい。
トイレから出て車に戻ってみると、カレンがガラの悪い男二人にからまれていた。
「ねーねー、彼女ー。ひとりでドライブ? それってさみしくない?」
「オレらと面白いとこに行かない? タイクツさせないからさー」
「オー、ワタシ、ニホンゴ、ワカリマセーン」
カレンは全く動じていない。まあ当然だ。自分の足で旅を続け、戦争をくぐり抜けてきたわけで、ゲームで言うところの魔法職のひ弱さとは無縁の体力をもっている。インターハイに出てくるアスリートレベルはあるだろう。その上さらに身体強化魔法を使えば、ちょっとした格闘家相手でも引けを取るまい……
成り行きを見守ろうかと思ったタクマだったが、いい加減遅い時間だし、さっさと済ませるに越したことはないと思い直した。
「お待たせー、行こうか」
にこやかに声をかけて近寄ると、男らが殺気だった視線を送ってきた。
「んだよ、ガキじゃねえか。すっこんでな!」
ひとりが身をすり寄せるまでに近づき、ガンを飛ばしてくる。口臭きついな、と思いながらもにこやかな表情を崩さないでいたら、脅しが通じないのに焦ったのか、急に膝蹴りを股間めがけてたたき込んできた。
「ぐあああ!」
無論、膝を押さえてのたうちまわるのは男の方である。今のタクマは、ハンマーで殴られてもキズ一つつかないだろう。体を動かす際にはまったく障害にならず、危険な攻撃に対しては不可視の鎧として働く。それが強化魔法『地精の守護』である。
「てめえ、何しやがった!」
言い捨ててもう片方が、タクマにミドルの回し蹴りを放ってきたが、
「あが……うがあああ!」
当然のように足を押さえてのたうちまわる。電柱を蹴りつけたも同然だ。タクマから一切手出ししていない以上、自業自得としか言いようがない。
男二人を放置して、車を発進させた。タクマとしては、助手席に座った後のほうが緊張する。
しばらく走っていると、後ろからハイビームのままで追いすがってくる車がある。何やら要らない改造をしているようで、エンジン音がムダにやかましい。さっきの男二人と思われた。悪意のこもったクラクションを連続で鳴らし、ギリギリまで近づいて煽ってくる。
「くっ……この!」
「カレン、運転に集中して!」
カレンが攻撃魔法を使えば一瞬でかたがつくが、慣れない車の運転中ではむしろ危険である。後ろを走っていた車は、今度は轟音を上げて追い越しにかかり、前方に割りこんで急ブレーキをかけてきた。
「おわぁっ!」
「くっ!」
思わず、ブレーキを踏みこみながらハンドルを回してしまったカレン。SUV車はタイヤを鳴らしてスピンしてしまった。
前を行く車の中では、先ほどの男二人が下品な笑い声を上げていた。
「ギャハハハハハ! ざまあ!」
「初心者マークつけて、ナメてんじゃねえよ! ギャハハハハハハ!」
ひとしきり狂笑し、ぷつりと二人の笑い声が途絶えた。
「……おい……何だよありゃあ……」
「何だって……人? いや、ねえべ? そんなの……」
バックミラーに、後方から走ってくる人影が映っている。時速八〇キロは出している車に、見る見る追いついてくる。
「あ? なんだよアレ? なんなんだよ!?」
「見えるんだよな? オメエも見えてるんだよな!? なんだよありゃあ!?」
運転していた男は、パニックになってアクセルをベタ踏みした。一瞬、後方の人影と距離が離れるかに見えたが、それはさらに速度を増して、すさまじい勢いで背後に迫り、そしてルームミラー内から消えた。
「ギャアアアアア!」
助手席の男が、右側ドアの外を指さして悲鳴を上げた。運転する男は、そこに何がいるか、予感しながら、そちらを向いた。
窓の外ギリギリに、男の顔があった。さっき会った「ガキ」の顔。その顔が、ニタリと笑い、上がった口の端が耳元まで裂けていた、ように見えた。
「ヒイィィィィィ!!」
悲鳴を上げながら男は、ハンドルを左に切った。時速百キロを超えていた車は、当然のように横転して中央分離帯に突っ込む──
男らは救急車で病院に運ばれ、手当を受けた。事故現場を実況検分した警察官は、走っていた速度の割に、激突した衝撃が軽微だった事に首をかしげた。男らのケガも軽傷のうちだった。……が、しかし
「一体、どういうわけであんな速度で走って急ハンドル切ったんだね?」
「……あ……あ、あ……口裂け男です……口裂け男に追っかけられて……」
「…………」
警察の取調べに、自分らが見たモノを正直に語りすぎた二人は、厳重な薬物検査を受ける羽目になる……尿道カテーテルとか。
以上はまあ、後の話。
少し広めの、昼間はバスが止まるであろう路側帯にカレンの車は寄せられていた。スピンして、運よくどこにも衝突せずに済んだのだが、タイヤの一つがパンクしてしまったのだ。そこへ一陣の風のように、タクマが走り戻ってきた。
「おかえり……キッチリおしおきして来たかい?」
「ああ、結構こたえたと思うよ」
スピンした車が止まった後に、「タクマー! 仕返しして来いー!」とカレンにけしかけられて、男らと追っかけっこをしてきたタクマだった。勇者って賢者のパシリかなあ、などと疑問が湧いたが、まあ腹立たしく感じたのは彼も同じだ。『風精の祝福』で敏捷性を上げ、『火精の助力』で筋力を増す。結果、時速百キロ以上で走る「口裂け男」(被害者談)のできあがり。ついで、男らの車が、衝突の衝撃が少なかったのは、タクマが魔法で保護してやったからだ。煽られたとは言っても、懲らしめるのに命までとる気になれない。
「タクマ、タイヤ交換って、どうやるんだっけ?」
一応あれこれ試した後のようで、カレンは困り顔で縁石に腰かけていた。タクマも免許を取っていないのだが、昔、親がやっていたのを思い出しながら、手探りでタイヤを交換した。……家に帰り着いた時には日付をまたいでしまっていた。
◇
一週間ほどしてカレンの運転は、まずまずさまになってきた。アリエルもゲルダを乗せることを承諾するようになった。
「おおー! クルマというのは気持ちいいのー!」
「ああ、悪くないだろ?」
助手席にチャイルドシートをつけて、そこに納まっているゲルダ。夜のドライブが気に入ったようである。まあ、夏の暑い盛り、窓から夜風を入れて走るドライブは、気晴らしにはもってこいだ。
「間近で見るとすごいわね。こんな操作で、鉄のゴーレムが水の中の魚みたいに……」
「ゴーレムか、なるほどね」
後部座席のアリエルも、自動車の操作性に驚いている。すでに知識としては車の構造から知ってはいるのだが、やはりネイティブ・イムラーヴァの人間には、「機械」を実感込めて表現する言葉は限られているようだ。
それから夕食後ごとにゲルダにせがまれ、四人でドライブに出る習慣が出来かけたのだったが……三日ほどで幼女が飽きて、あっさり途絶えたのであった。




