プールで保護者会
その日、予備校の午後の講座がなかった日だったので、タクマはファストフードで昼食を済ませ、まっすぐに家に帰った。
「ただいまー」
「お帰りなさい、タクマ」
トトト、と玄関に駆けてくるアリエル。お帰りのキスをして……身を合わせたまま離れない。
「……あの……タクマ。カレンは自動車学校で、帰りは夕方になるって……」
「! うん、じゃ、二階に行こうか……」
「はいっ……」
ゲルダが幼稚園から帰ってくるのは、三時頃になる。ひょっこり生まれた、二人だけの時間……
タクマが服を着終わると、アリエルはまだ身支度の最中だった。伏せた顔が赤い。……刺激が強すぎたろうか? 悦んでもらえたとは思うんだが……
蚊の鳴くような声でアリエルが抗議する。
「……あんなことしたら……お腹、コワしちゃうわよ……」
「壊さないよ? アリエルのだから」
真顔で返された即答に、耳まで真っ赤になってタクマの肩先をはたくアリエルだった。
バス停までアリエルが迎えに出て、ゲルダと一緒に帰って来た時に、ちょうどカレンも自動車学校から帰って来た。
「ただいまー、なのじゃっ!」
「ただいまー、なんだいゲルダ、ご機嫌だね」
居間にみんなが集まった所で、ゲルダが「手札」を開く。
「ジャーン! 屋内プールの券なのじゃ!」
「へえ、どうしたんだい?」
「園で仲良くしている彩佳ちゃんのお母さんがくれたんですって。一緒に行きましょうって」
「ああ、多部さん……だったか」
「ええ、なんでも、同じクラスの父兄で顔を合わせるいい機会ではって」
マーベラス! これは水着回なのか? 受験勉強に励んでいるオレへのご褒美なのか? ご褒美といえば、もうもらっているような気もするけど、水着姿は別腹だ! 思考が変な方向に暴走するタクマ。
「で、いつ行こうか?(ワクワク)」
「えーっとぉ、平日券で期限が来週までだから、アヤカたちと予定が合うのは、八月の五日なのじゃ」
「え~~~~っ! そんなぁぁ~~っ!」
頭を抱えて絶叫するタクマ。それは彼の高認試験の、まさに当日である。
なんということでしょう。せっかくのプール日和に、主人公が参加できないなんて。そんな理不尽が許されるのでしょうか? もはや天道は地に落ちた。目が点になったまま、うなだれるタクマ。アリエルが苦笑してはげましている。
「あはは、タクマはまあ仕方ないね。じゃ、行くのはゲルダとアリエル?」
「いや? 券は三枚もらってるのじゃが?」
「あの、カレン、一応これも、保護者づきあいみたいなものだから……」
「え? あたしも?! いやいや、ナシ。それはナシの方向で!」
珍しくカレンがうろたえている。ゲルダがジト目で直球な疑問を口にした。
「なんじゃカレン、カナヅチなのかえ?」
「あら? そういえば、一緒に泳いだことがなかったわね?」
「そそそ、そんな事はないから! あたしを誰だと思ってるのよ? 放浪賢者のカレンさまだっての!」
ムダなプライドが墓穴につながるのは誰しも同じなのだろうか。冷や汗を浮かべつつ胸を張るカレンを、生温かく見守るアリエルとゲルダ。タクマは悄然としてうなだれるまま……
◇
当日、バスで屋内プールに向かう三人。施設前のロータリーで降りると、数組の園児と保護者が集まっていた。何でも、例の蘭人くんの親──長谷川氏──がプールの経営者らしい。おわびと親睦を兼ねてと、券をサービスしてくれたのだとか。券の出所はそこだったかと、少し納得のアリエルとカレン。確かにストレートに誘われたら、ちょっと躊躇したかもしれない。
着替えてプールサイドに出て、屋内プール施設に驚きの目を向ける三人。ウォータースライダーに流れるプール。波がうち寄せる人工の砂浜まである。イムラーヴァには、これに類した施設はない。遊びのためにここまでやるかと、あきれと感心が入り混じった気持ちをいだく。
水着姿だけならプロのモデルかと思うようなアリエル、カレン、ゲルダなのだが、キョロキョロとあたりを見渡すようすが「おのぼりさん」ぽくて、奇妙にミスマッチな雰囲気だった。
辺りの若い男たちが一気にざわめく。
「おいおい、何だよアレ、客寄せのモデル?」
「うあ、カンペキ! サイッコーじゃんん!」
「何、あの胸! あのくびれ! ポロリ要員なの?」
「キセキだね! 時間よ、止まれって感じぃ!」
「オレはあっちの大人しそうな子だなあ。なんてったってバランスがいいわ」
「コントラストが目に染みそう! 赤毛と青い水着のあの子ぉ!」
「おまわりさんこいつです」
平日にもかかわらず、さすがに真夏の暑い盛りで、プールはそれなりに混んでいた。学生やナンパ目的らしい男たちが、息をのんでアリエルやカレンを指さしている。……子連れ家族集団の集まりとわかった瞬間の、彼らの落ちこみっぷりは、見るも無惨なほど激しかった……
子どもたちが、足がつく深さのプールでビーチボールで遊びだした。彩佳ちゃんはゲルダにくっついたままキャイキャイとはしゃいでいる。ゲルダはゲルダで、
「ランドはおらんのか。つまらんのう」
などと言って、バレーコートのアタッカーみたいな動きでビーチボールをスパイクしていた。……蘭人くんとしては、今日の集いは全力で回避したかったにちがいない。
ウォータースライダーなどで一通り遊ぶと、子どもたちはプールサイドのチェアで一休みして体を温める。これを機会に泳ぎの復習をしておこうと、アリエルは流れるプールに入った。
すい……と水中に身をのばすと、まさに人魚のように見えるアリエル。辺りの男連中がひそかにスマホのカメラを向ける。……が……彼女の泳ぎを凝視する人びとが、次第に微妙な表情で目を反らしだした。無理もない。容姿・スタイルとも抜群の外人娘が、和風古式泳法で泳ぐさまは、これまたかなりなミスマッチ。イムラーヴァのそれと和式泳法が、一致していたのは偶然だろう。似たような条件下では、人間の技は結局似てくるという事か。
「なんじゃカレン。結局水に入らんのかえ?」
「むっ」
プールサイドのチェアから動かないカレンに、器用に平泳ぎしながらからかうゲルダ。他の子の父兄から手ほどき受けて、あっという間に平泳ぎをマスターしてしまった。
「そこへなおれ! 手討ちにしてくれるわ!」
「あはははは! 悔しかったらここまでおいでなのじゃ!」
ゲルダを追って水に入ったカレンだったが
「うわああっぶ!」
足が着かない深さなのにあわてふためく。こんな深さで、ゲルダは平気で泳いでいるのかよっ! バタバタともがいて、ようやくプール端にしがみついた。辺りの男たちの視線が集中する……
「お、おのれ~、こういうのは、さすがに若い子の覚えが早いか……」
言ってしまってから、自分のセリフに自分で打ちのめされ、ズ~ンと落ちこむカレン。タクマの「アラサー」発言が脳裏に蘇り、帰ったら無意味におしおきしてやると心に誓った。
水面から上体を引き上げたとき
「いっ!」
ビキニのブラが取れていたのに気がついた。胸元を手で押さえ、あわてて水中に逆戻り。
「いやー……なんというか」
「安心する展開だわ-」
「わかっていても、ウレシイもんですねー」
にやけた口調で、勝手気ままな評言が届いてくる。水に顔をつけて、首筋まで赤くなるカレン。普段の言動とは裏腹に、人並みの羞恥心は持ちあわせている。
「なんじゃー? カレン、水の中だと鈍くさいのじゃー!」
遊び足りなさそうな声と共に、ブラを回収して手渡してくれたのはゲルダだった。弟子に借りを作ってしまったのが切ない……
シャワーを浴びて着替えてから、父兄同士であいさつをかわす。園児のお父さんの何人かは役得、眼福といった笑顔だった。……横目で見る母親の表情が硬い。それぞれの家に帰ってからの光景は、想像すまい。
帰りのバスの中で、ゲルダは盛大に眠りこんでしまった。他の子たちも同様である。丘の上のバス停からはカレンがゲルダをおぶって家路をたどった。
「今度はタクマと一緒に行きたいわね」
「もうカンベンしてよ……そん時は三人で行きな。あたしはパス」
「もう、カレン。そう言わずに泳ぎの練習と思って……」
頬を染めて恥ずかしがるカレンは、かなりなレアものだ。デジカメを向けたら逆上するのが読めるので、記憶の中だけに納めておくことにするアリエルだった。
家に向かって歩くうち、前を行くタクマの後ろ姿を見つけた。……何となく背中が煤けて見える。駆けよって声をかけた。
「タクマ!」
「んあ? アリエル……」
「よう、どうだったい試験は?」
どうも調子は、お世辞にも良さそうに見えなかったのだが……
「……バッチリ」
死んだ魚の目のまま、Vサインを立てるタクマ。おいおい……プールに行けなかったくらいでダメージ受けすぎだろう。
アリエルはタクマの腕をとって耳元に顔を寄せ
「もう、後で水着姿になってあげるから……」
とささやいた。タクマは不死鳥のように目覚ましく復活し、カレンはやさぐれた目で、両手が空いたら絶対おしおきしてやると心に誓うのであった。この世に理不尽のタネは尽きない──




