ゲルダの入園2
次の日は、やはりというか、問題が発生してしまった。ゲルダが園児の一人を泣かせたというのだ。
連絡を受けてカレンが幼稚園に向かい、アリエルは家でやきもきしながら待つ。園につくと、相手園児の親も交えて話し合いになってしまった。組の担任を挟む形で、相手の男の子とその母親、そしてゲルダとカレンとが組になり、向かいあって座った。
男の子からは要領を得ない話しか聞き出せなかったというが、ゲルダは落ち着いて事情を説明したということで、最初にそれが語られた。
ゲルダの話をまとめると、相手の男の子が同じ組のおとなしい女の子を叩くのを止めないので、腹に据えかねて割って入ったという。そうしたら、その子は急におびえだして、大泣きしてしまったというのだが……
「納得できません! 泣かされていたのはウチの蘭人ですよ? そちらの子が何もしていないというのなら、泣いたりするはずがないじゃないですか! それで蘭人が最初に他人を叩いたなんて、とうてい信じられませんね!」
相手の親はかなりエキサイトして、ゲルダの話を拒絶した。鋭い印象の銀縁メガネをかけた、いかにも教育熱心そうな女性だ。しかし……蘭人っていうネーミングもまた、大概な……。まあ、その点にこだわるのはよそう。別問題だ。
何か話の「鎖の輪」が、欠けているような気分のまま、カレンはゲルダに尋ねてみる。
「ゲルダ、蘭人ちゃん、なんで泣いちゃったんだい?」
「……知らんのじゃ。つまらん事をするのを、呆れてにらみつけていたら、勝手に泣いてしまったのじゃ」
上目づかいでカレンに訴えかけてくるゲルダ。……ゲルダの話にウソは感じられない。本当に自制を失って手を出したなら、それは魔法の行使になったろう。そうなれば、泣く程度の話で済むはずがない。カレンはそう推論した。
話が水かけ論の手づまりになりかけた時、教員室の扉がノックされた。
「あの……多部彩佳の母です。娘がお話したい事があるとのことなので……」
疲れた感じの母親に連れられてきたのは、見るからに大人しそうな、というか、臆病そうな女の子だった。男の子──蘭人の視線から逃れるように、母親の影に隠れている。おっかなびっくりといったようすで二人が椅子に腰掛けると、担当教師が促した。
「……さ、話して、彩佳ちゃん」
「……助けて、くれたの……」
蚊の鳴くような声で話したのは、蘭人にぶたれていた自分を、ゲルダが助けてくれたという話だった。蘭人の母親、見る見る態度が受け太刀になる。
「それは……その、申しわけないと思いますが……蘭人だって、被害者だったわけですし……」
ゲルダに直接暴力を振るわれたという主張はやめないらしい。カレンはなるべく優しい声を意識して、彩佳に尋ねてみた。
「はじめまして、彩佳ちゃん。あたしはカレンって言って、ゲルダの保護者なんだけど……。聞かせてくれるかな? 蘭人ちゃん、なんで泣いちゃったんだろう? ゲルダが蘭人ちゃんをぶったのかな?」
ふるふる、と頭をふる彩佳。ためらい、考えこむ間があいたが、カレンは無言で続きを待った。
「……ゲルダちゃんに、噛みついたの。でも……ゲルダちゃん、ビクともしないで、怖い顔してて……そしたら、ランドくん、急に泣いちゃったの……」
つっかえながら、たどたどしく語られた証言。蘭人の母親が青くなった。何か、普段の行動から心当たりがあるらしい。
「どこを噛まれたんだい?」
カレンに促されて、ゲルダは園児服のそでをまくって右腕をさらした。肘に近い部分に、歯形が赤く残っている。
「こんなもの、くすぐったいだけなのじゃ! でも、さすがにむっとしたから、にらみつけて、そしたら泣いてしまったのじゃ……!」
話の欠損部が埋まった。蘭人は、自分の必殺攻撃というか、それをやれば誰でも泣き出して屈服すると思っていた行為が、この赤毛の子にはまるで通じなかったもので、怖くなったのだろう。
蘭人の母親が、一転、平謝りになって、話はそれでお終いとなった。「よく言い聞かせておきますから……」と言っていたが、さて、蘭人くんの更生はいかに?
送迎バスはすでに出てしまっていたので、普通のバスに乗り、カレンとゲルダは丘の上のバス停に戻った。
「……よく我慢したねゲルダ、偉いぞ」
歩きながらゲルダをほめてやるカレン。彼女としてはかなり本気でそう思ったのだが
「だから、あんなの攻撃のうちに入らないのじゃ! ワラワを誰だと思っておる! ワラワがクロムレックの王にふさわしくないと言って挑んできた者どもは、五人や十人では効かないのじゃ! それを力でねじ伏せて、ワラワは王を名乗ったのじゃぞ!」
言われて苦笑するしかないカレン。つい忘れてしまいそうになるが、この子だって修羅場をくぐってきたわけだ。しかし……そうなると……
「……幼稚園に通わせるってのが、はたしていい方法なのか? と思ってさ」
午後九時の保護者ミーティングの場で、カレンは自分の懸念を語った。
「あの子の外見から、つい精神年齢低く見積もっちゃうけどさ、あの子、少なくとも十歳ちょっとくらいのレベルに達していると思うぜ。こっちの教育制度だと、小学校高学年ってところか。だとすると……四、五歳児に混じっているのが、むしろ苦痛になっちゃうってことも……」
「うーん……そうか……」
「ゲルダちゃん、勉強はもう、小学校教科が終わりそうだものね……」
悩む表情ながら、どことなく自慢げなアリエルの言葉。そこまで進んでいたかと驚きのタクマ。アリエルのみならず、ゲルダもまた並みの頭脳の持ち主ではないらしい。……カレンは最初から規格外として。
ひょっとしてこの家で一番アタマ悪いの、オレかも。そんな思いにとらわれ、へこむ家長。
「でも……人と人とのコミュニケーションって、そういう教科書的な知能とは、別ものだと思うわ。本を読んで身につくものじゃなく、実際に顔をつきあわせていかないと……」
アリエルの意見も一理ある。体はコドモ頭脳はオトナ、ではないが、外見は幼稚園児で精神年齢が小学校高学年として、そういう子は、どこで人と人との交わり方を身につけるべきだろう?
「「「うーん……」」」
一様に、腕組みして頭をひねる三人だったが……
「……一度、ゲルダ本人の意志を確認してみないか?」
タクマの言葉に
「そう、ね……」
「ああ、ちっちゃい子に混じるのが苦痛かもって、それも予測でしかないものなあ」
アリエルとカレンもうなずいた。
翌日、アリエルから「あくまでゲルダちゃんの希望として、幼稚園通いたい?」と問われ、
「う~~ん……」
だいぶ迷っていたゲルダだったが、
「行き……たい」
そう、自分で答えを出した。
「ゲルダ、昨日の事で思ったんだけどさ、お前の目から見たら周りの園児って、すっごく幼く見えるんじゃないかって。それに混じって『合わせる』のって、苦痛じゃないかい?」
カレンのストレートな問いだったが、
「……そんなに……イヤじゃない。みんなと遊ぶのは、結構楽しい……のじゃ。それに……」
言いよどみ、ちょっと頬を赤らめて脇を向き、
「……ワラワが行かなくなると、アヤカがまたイジめられそうじゃ……」
そう、付け加えた。アリエル、カレン、タクマは、ほっこり微笑んだ。
◇
数日後、坂本幼稚園にて。
「ばかたれがー、ランド! ワラワの下僕のくせして生意気じゃー!」
「ふえーん! センセー! ゲルダ怖いー!」
すでにモモ組のリーダーとして君臨するゲルダだった。職員の数人は、彼女を「赤い旋風」と呼ぶに至ったという……
この節、終わり