密輸者の決裂
場所はイムラーヴァ、タルタロス島の城塞にて。
城塞の奥深く、余人の立ち入りを禁じられた部屋の中で、バルドマギは巨大な水晶球に向かっていた。それは一種のスクリーンであり、部屋一杯に組み上げられた「設備」から光条が放たれ、映像が投影される。
設備は端的に言って、魔法を使った通信機だった。『念話の鏡』と呼ばれている。有史以前の古い時代のモノを改修した「逸失技術機構」であり、設定次第では次元の壁をも越えて通信を行える秘宝だった。事実、いま現在、イムラーヴァとは別な世界と通信が交わされている。
水晶スクリーンの中には人の姿が浮かんでいた。黒っぽいスーツに身を包み、陰気な顔をした痩身の男。別世界に住む人族で、クロード・サタという。
「……どういうことですかな? クロードどの。先代から続く取引を、一方的に打ち切られるとは」
バルドマギの声が低い。意志で押し込めているが、言葉の底に動揺が感じられる。
『我々の取引は、お互いそれなりに有益だったと思いますが、必ずしも円滑ではなかった。違いますかな? 当方では、より円滑にイムラーヴァの魔法技術を提供してもらう目処が立ちましたもので、これを機会に今までの関係を清算させていただこうかと』
「…………」
返答につまるバルドマギ。確かに、自分と相手の取引は一種のだまし合いであって、互いに得た情報の検証をしなければとても安心できたものではなかった。双方互いに手の届かない場所に居ながら、相手側の情報は欲しい。そして、ニセモノを掴まされても直接的な制裁は下し得ない。いわゆる「囚人のジレンマ」そのものの関係が、続いてきた。
とは言え、互いに得た「異世界技術」の蓄積は相当の成果と呼べるものだったはずである。それを今、一方的に断ち切る? そして『より円滑に提供してもらう目処』とは? 単なるブラフなのか、それとも……
「いやはや……僭越ながら、あなたより長生きしている身から忠告させていただければ、少々物事の進め方が拙速ですなあ。別のルートが出来たから今までのルートはいらない、と。私ならば双方生かしておいて、互いに競合させますが」
愛想良く笑いかけて言ったつもりだったが、はたから見れば嘲笑にしか見えない笑い顔だった。それに応えたのも……嘲笑だった。事実、相手は笑っていた。
『クックックッ……いや、ご忠告ありがとう。しかし、ある情報源が百の情報をもたらし、そして別の情報源は一の情報しかもたらさなかったら、「競合」させるなどお笑いぐさでしかない。ついで、我々は一族の悲願のために、汚らわしい魔族と迂遠な取引をしてきたのだ。やらずに済む苦行を、わざわざ望む者などいない。私はマゾヒストではないのでね」
「……ほう、提供者とやらは人族ですか」
自分が侮辱されるのには過敏と言っていいバルドマギだったが、腹芸の最中に抑え込む程度の分別はある。
サタは、自分の不用意な発言で、断片的ながら相手に情報を与えてしまったことに気づき表情を硬くした。
『……これ以上は無意味ですな、バルドマギ卿。では、今までの取引を感謝いたします。いずれ……「そちら」でお目にかかりましょう……!』
侮蔑のこもった捨て台詞を最後に、『念話の鏡』に映る姿が乱れ、通信は一方的に絶ちきられた。
「……つけあがるなよ、小僧!!」
映像が消えた水晶球に、腹の底を叩きつけるバルドマギ。部屋を出ると、外には副官の男が控えていた。獣人型の魔族である。
「マーカス! 無煙火薬の製造はどうなっている?」
「少々手間取っております。銃本体の制作も合わせて、必要な量の確保に一年ほどかかるかと」
「遅い! 急がせろ!」
「ははっ!」
廊下を歩きながら指示を飛ばす。
「……ベレラカンの連中は、どこまで準備を進めておる?」
「火縄銃の複製に成功し、テストをしている段階です。黒色火薬は、我々が提供した硝石を使って、そこそこの量を確保できたもようです。バルドマギさま……愚考いたしますに」
「なんだ、言ってみろ」
「我々が量産するのも黒色火薬ではいけないのでしょうか? 製造工程がより単純で、さらに量産が効きますが……」
部下の進言に、嘲笑を返すバルドマギ。あるいは嘲笑のつもりはないのかも知れないが、そう見えるのだから仕方ない。
「あれは二流の技術だからこそ連中のエサしたのだ。いずれ我々と敵対したとき、我々に勝る戦力であってはならんからな……。無煙火薬を使った速射銃。これがあってこそベレラカンの連中を確実に上回れる」
「ははっ」
副官は一礼し、立ち去った。
ベレラカンの事を思うと、バルドマギの顔から笑いが消えない。火縄銃からして自分たちがリークしたものだというのに、それに気づかず、あまつさえ硝石をエサにしたらあっさり飛びついて、四聖戦士の一人まで売り渡すとは。そっちの目論見はうまくいかなかったものの、ベレラカンの現王セグルの暗愚っぷりは、思い出すと笑いが止まらない。
(まあ念のために送った「ラミア」が、いい仕事をしているようだが。女はまさに麻薬よのう……ククク)
準備は進んでいる。最大の手駒であるゲルドゥアを失ったままなのは痛いが、異世界から流入した「科学技術」で、それを上回る戦力が手に入りつつある。
普段の執務室に戻り、成金趣味といっていい椅子に腰を下ろす。そうしてデキャンターから酒を注ぎ、一気にあおった。自分に侮蔑のセリフを突きつけた先ほどの男の顔を思い浮かべると、ハラワタが焼けるような怒りを覚えるが、努めてそれを押し殺し、考える……
(サタの言うのがタダのハッタリでないなら、ヤツは人族の協力者を得たことになる。何ものだ? このイムラーヴァに、俺以外に『念話の鏡』を復元したものがいるのか?)
そんな事が為されたなら、それはそれで人族にとって「快挙」なはずだ。魔導通信機はそれなりの数が稼働しているが、別世界と通信出来るものとなれば魔導機としての格が違う。何らかの噂になりそうなものだが……。各地に放っている偵察隊に、探査条項を追加しなければなるまい。
(あるいは……ヤツの最後のセリフもまたハッタリでないなら、次元跳躍の技術を得て、イムラーヴァにやってくるメドがついたとでも? わからぬ……きゃつらに「こちら」に来る手段がないからこそ、通信を介してでも魔法技術を欲しがったのではないのか? ヤツの先代スミトの時に偶然通信が繋がってから、もう五十年近く経つというのに……)
「チッ……考えても仕方がないか……!」
今までの取引関係を、向こうが打ち切るというのなら、こちらから打つべき手はない。ただのブラフだとしても、なおさらこちらから譲歩の姿勢を見せるべきではないだろう。弱みを見せればつけ込まれる。普通の商談においてさえ、そうなのだ。
サタの最後のセリフを思い出す──
(ふん、上等だ。もしもヤツが本当にこちら側に渡ってきたならば、この俺の手で、あのノッペリしたツラを引き裂いてやるわ……!)
憎悪とともにその思いを反芻する魔界侯爵バルドマギだった。
◇─────◇
地下に作られた一室で、佐田蔵人は光を失った水晶球に背を向けた。歩み寄った部屋の隅に古い机が据えられており、机上には無造作にいくつかのファイルが置かれている。中の一冊を手にとって開くと、写真が添付された調査書様の書類が綴じられていた。一枚目の写真はアリエル、二枚目はカレン、三枚目はゲルダ。写真はどれも遠方からの隠し撮りのようで、微妙にピントがあっていない。無表情のままに書類をながめ、ファイルを閉じる。
そして佐田は無言のまま部屋を出て、薄暗い石造りの廊下を歩いていく。しばらくして、むき出しの鍾乳石に囲まれた部屋に出た。高い天窓から明かりが差し込み、その部分だけ明るく浮かびあがって見える。鍾乳石の壁面に棚が刻まれており、そこに柩が収められていた。柩の中に遺体に類するモノはなく、一冊の手記が置かれているだけなのだが。それは佐田の一族の象徴──彼らの「始まり」を象徴する遺物だった。
佐田家の一族は、この部屋を地下墓地と呼ぶ。自然の鍾乳洞を利用して作られた、一族の「聖地」といえる。
柩の前でひざまずき、佐田蔵人は祈りを捧げた。
「……もうすぐです、お祖父さま──我は、手がかりを見つけました」
祈りを終えて顔を上げ、柩に語りかける。四十を過ぎているはずのその顔が、ヒゲ一つなくテラついて、妙に幼く見えた。
「もう、汚らわしい魔族など、相手にしなくてすむ……。もうすぐ……我が全てを支配する……」
つぶやいて、もう一度手を組んで祈りを捧げる。薄笑みを浮かべたその表情は、何かちぐはぐな不安定さを感じさせた。




