物理と魔法1
年代を感じさせる木造ホールの中で、円形に並べられた椅子に座し、十数人の男女が向き合っていた。若い、とは言えない人びとである。年齢を平均すれば、六〇代くらいだろうか。
人物の配置は法廷に酷似していた。正面の高い場所に、ひときわ高齢に見える白い髭をたくわえた男が座し、左右を数名のメンバーが埋める。その中に安曇野の姿があった。
そして一段低い場所に彼らに向かいあう形で、小柄で細身の中年男が立っていた。妙にテラついた細い顔は、能の面を思わせる。
正面の老人が、重々しく口を開いた。
「以上、明らかになったように、協会の合議と結論が踏みにじられた事は、誠にもって遺憾である。よって、今回の首謀者である佐田蔵人を、理事職から罷免する」
「「「「異議なし」」」」
細身の中年男が、正面にむけて一礼した。宣告に名指しされた佐田蔵人である。理事を罷免されながら、表情に落胆の色はない。その顔には、むしろ嘲笑に近い表情が浮かんでいた。
男は背を向けて部屋から出て行った。続いて、三々五々、集まっていた人びとも散っていった。
別室にて、安曇野和代は理事審問会の緊張を解いていた。部下がコーヒーを持ってくる。タクマの家が襲われたときに、沢村と呼ばれていた男だ。
「……意外にすんなり済みましたな。もっと抵抗するかと思ったのですが」
世間話のような口調で、コーヒーセットを安曇野の前に差し出す。カップに口をつけ、一つ吐息をつく安曇野。
「……ここで暴れても傷を深くするだけと思ったのでしょう。そしてそれは、時間さえかければ復帰可能だという自信の現れでもあります」
「今回のような暴挙に出て、それが可能でしょうか?」
疑念のこもった沢村の言葉に、わずかに間をおき淡々と安曇野は答えた。
「……そうなるでしょうね。『魔法』が使えるという事は、それほどまでに魅力的です。正直、自然の流れにまかせたら、抑制派よりも推進派が有勢になるのは目に見えています。今は我々のように、松代の空変事故を覚えている世代がいるから抑えておけるのです。ここ十年ほどで佐田氏が実用化に成功した魔法群は目を見張るものがありますし、それらは熱狂的な取り巻きを作ってきました。結局は……外部の政治家などが煽られて、協会に横やりを入れて来ることでしょう」
「……一体、どうやってあれほどの実用化が可能だったやら。私には、佐田が既に別世界の誰かと手を組んでいるのでは、とさえ思えます」
眉をひそめ、遠いものを見る表情の安曇野。部下の懸念は、彼女が年来持ち続けてきたものと同じだった。
(ひょっとして、わたくしたちの世界と彼らの世界とは、思ったほどには遠くないのかもしれない……)
「……拓磨くんたちに説明に向かわせる人選は?」
「私と、それから室生くんを予定しております。現在、どこまで彼らに知らせるかを選定中です」
「分かっている範囲を全て開示してかまいません。『禁止魔法』も概要だけは伝えるように。無論、松代の件までは不要ですが」
沢村がカミソリのような目を見開いた。
「よろしいので?」
「……あるいは……陋劣なやり方かもしれませんが……」
眉根を寄せてコーヒーに口をつけ、安曇野は続ける。
「開示された魔法。特に、佐田氏が組み上げたものを見て、彼らが何か気づくのではないか期待する……というのは、虫が良すぎますかね……」
「あ……!」
沢村は一礼して部屋を出て行った。
部下の後ろ姿を見送りながら、自分が、好きではなかったはずの術数に慣れてしまった事に、軽い自己嫌悪を覚える安曇野。あるいは……結局タクマたちの手を借りる事になるのかも知れない。あくまで彼らの意志を尊重して、という形はとるにしても。いつもと同じはずのコーヒーが、今日は苦く感じられた。
◇
場所は志藤家。カレンが家長のタクマに成果報告の真っ最中である。
道場の床板の上に、魔方陣が描かれていた。魔力を感じられない者でも注意して見れば、その上にかすかに立ち上る陽炎のようなゆらぎは目にすることができるかも知れない。
「大したもんだな、イムラーヴァの野原くらいには魔素が湧いてくるじゃないか!」
「ふっふーん。ま、こんなもんだ。実はこちらの世界の魔法書をあたってみて、地脈・竜脈って言葉に興味を覚えてね」
ドヤ顔でタクマに解説するカレン。あれこれ魔方陣を組み直して、七回目でようやく成功した。……まあ前例のない魔法技術のはずだから、それでも十分すごいけど。
「……ってわけで、地脈ってのが魔素の流れを意味する言葉だと判断したわけよ」
「なるほど……それをまとめて方陣の中に吸い出すわけですね……」
「そーいうこと。……って誰!」
マンガのようなポーズで硬直するカレンとタクマ。いつの間にか、スーツ姿の小柄な女性が魔方陣のふちに座っていた。度の強そうなメガネをかけて、方陣をのぞきこんでいる。
「あ、申し遅れました。私、こういう者です」
女性が名刺を差し出してきた。『非公認団体 魔術管理協会 分析主任 室生占地』
「はあ……これはご丁寧に」
思わず向かい合って正座してあいさつを交わすタクマ。
「はあ……それでまた、室生さんはどういうご用で」
「これはちょーっと、藪から棒なやり方じゃないかと思うんですよね」
「は?」
低く、ボソボソという物言い。口調が粘着質で、タクマ、カレンに苦手意識を起こさせるものだった。
「ウチの相談役とのー、紳士協定ですか? それじゃあ魔法の使用の自主的な制限ってことになってたはずじゃないですかー。しかるにあなたがたは、自宅敷地内に、強力な魔力回復施設を設置してしまっているわけですよねー。これはちょーっと、協定を間接的に否定する事になりませんか? 魔力を蓄えて、ばりばり魔法つかっちゃるーって意思表示になりませんか? ええ、そりゃあ私としては下っ端の身分ですから、相談役との話し合い内容を持ち出してあなた方を面責する資格はないかもしれませんけどね、それにしたって人と人との信頼関係って、そういうもんなんですか? ええ、ええ、そりゃあ私ごとき下っ端が……」
低く、ネチネチとした口数マシンガンは、クレーマーか迷惑電話を連想させるものだった。急速にタクマとカレンの意識レベルが低下していく。その時、
「あーっ! ここにいたのじゃ!」
道場の入り口からゲルダがのぞきこんで声を上げた。ナイスだゲルダ! 今日ばかりは助かった!
「……あれっ! ここは魔素がたくさんあるのじゃ!」
って、忘れてたよ、ゲルダに必要以上の魔力回復させたらどうなるか! どうしよう? カレンに視線をやるタクマだったが、彼女は既に表情が欠けおちている。
「……ここにいたのか室生、ひとこと断ってから奥に入るべきだろう」
続いて姿を表したのは、スーツ姿の巨漢である。見覚えのある顔だった。確か、安曇野の部下で沢村と言ったか。
「沢村チーフ、私は協定違反の可能性を発見しましたのでー、その意図を確認すべくー……」
「ともかく私たちは客で主人は彼らだ。ウロウロするのはつつしめ」
上司らしい沢村に押さえられ、室生は口を閉じた。しかし……厚い眼鏡の奥から上目づかいの邪視線が刺さってくる。……やっかいだ。まるで、戦闘力は乏しいが状態異常を起こすタイプの魔物のようだ。
「あー、協定を無視しているというのは誤解です。あたしらは、あくまで外部に影響を与えないように設備して……」
「まーりょーくーがー」
「ゲルダちゃん、ちょーっと他所に行ってましょうねー」
視線の圧力に負け、道場に用意した空間結界の説明を始めるカレン。ゲルダはアリエルに抱えられて退場した。
魔法効果のほとんどを遮蔽する結界と聞いて、半信半疑の協会からの使者二人だったが、実際にカレンが作動させた結界障壁面を目の当たりにし、納得せざるをえなかった。
「うわー、うわわー、見て下さいチーフ、魔法が触れただけで消失しちゃいますよー」
「少し落ち着きたまえ、室生くん……」
短杖を振るって炎の魔法を道場の壁にぶつけてみる室生。はしゃいでいると言っていいほど興奮していた。意外に無邪気な人物かもしれない。精神年齢的には。
「ふむ、確かにこういった設備があれば安心だな」
「後でこの魔法の作動設計と起動式を渡すよ。活用してくださいな」
「む……それは……」
一瞬迷った沢村だったが
「ありがたく……」
一礼して受け入れた。
気を取り直して、室生が持参の資料を示しながら解説を始めた。先だって安曇野が約束した、こちらの世界での魔法ルール。使って安全な魔法、危険な魔法の区別である。……タクマは、言われて初めて彼らの訪問目的を知ったのだった。
「基本的にー、我々の世界の基本原理は、物理学が支配している。そう思ってくださいー。魔法は、物理現象を、いわばサポートする形で、各現象を加速させたり減速させたりする。それがセオリーだと考えてくださいー。例えば、我々の炎を使う魔法は、起動には実際の炎を使用します。わかりやすく言うと、○ャッカマンですねー。雷魔法だとスタンガンとか。『タネ』があるもんだから、自虐的な連中には『魔法じゃなくて手品』とか言うのもいますねー」
ああ、そういうわけか。先だっての襲撃を思い出し、納得のタクマ。スタンガンから放たれて、人体に届く時には「雷魔法」。その、木に竹を接いだような奇妙さはそれが理由だったのか。
「そんなわけでー、私たちが警戒する種類の魔法というのは、その裏返しなわけです。純粋に、魔力だけに依って引き起こされる魔法。これが問題になるわけですー」
「ふーむ……」
(あー……)
納得顔のカレンの横で、心中、頭を抱えるタクマ。こちらの世界に帰還して、魔法の使い勝手の違いを試していたのを思いだす。基本的にイムラーヴァで使うのより、必要魔力が多く、魔法の「立ち上がり」時につかえるような違和感があった。それがいわば、こちらの世界の法則に合わないという「抵抗感」だったのだろうか。知らないうちに、かなりな危険行為をしていたらしい……
(ひょっとして、あの時、アリエルが蘇生魔法を成功させていたら……この世の物理法則が変わってしまったかも知れないのか……)
そこまで考えて、彼らの言い分を鵜呑みにするのも問題か、と思い直した。それを判断できる材料を、自分たちは示されたわけではない。祖母の旧知の言葉だからといって、完全に信用できるかは……




