「魔法」の痕跡
「う……ん……」
分厚い装丁の書物から顔を上げ、ひとつ伸びをするカレン。うすいTシャツごしに、反則級の胸が盛り上がる。斜め向かいの席に座っていた中学生らしい少年が、顔を赤くして目を反らした。
S市立中央図書館の自習室である。安曇野が手配してくれた身分証を使って図書館を利用できるようになったカレンは、最近はインターネットよりもここに入り浸っている。情報の精確度は、匿名がまかり通るインターネットより紙に書かれた本の方が上だと判断したのだった。目の前に四~五冊積み上がっている書物は、いわゆるオカルト関係のものだった。速読は彼女の特技である。辞書のようなボリュームのそれに、一通り目を通し終えた所だ。
席を立って休憩室に入り、自販機で紙コップコーヒーを注文する。この世界の「便利さ」はちょっとすごい。ある意味、使用者に猛然とにじり寄ってくるかのようだ。
ノート代わりのメモを取り出す。紙コップを傾けながら、自分の推論過程をたどり直していく──。現状、大きな齟齬はなさそうだった。
(この世界でも、異質ながら魔法らしい技術が使われていて、過去の書物にも、それなりに体系だった記述が残っている……ということは……やはりこちらの世界でも過去に魔法文明が存在していたのでは?)
彼女の知的好奇心の赴く所、知りたいことは山ほどある。みずからが属する社会を「研究」しようという「社会科学」なる視点も、新鮮な驚きを与えてくれた。いや、こちらの世界の全てが興味の対象と言える。それが許されるものなら、何時間でも図書館で本に埋まっていたい。……ついでに、ゲームもやりたいし、ネットもしたい。せっかく異世界に来たんだから珍味の食べ歩きもやってみたい。既にいろいろな「誘惑」に負けて、必要以上に時間を割かれてしまった自覚がある。
しかし、現状優先させるべきは、イムラーヴァへの帰還の手立てを見つけ出す事だ。そこは取り違えちゃいけない。そしてこちらの世界のオカルト記録を精査して注目したのは「地脈・竜脈」という概念だった。
(もしもこれが実在するのなら、手持ちの魔方陣をアレンジすることで何とかなりそうだが……)
一つの手応えを感じるカレンだった。ああ、早く帰還のメドをつけて遊びたい……
◇
「それっ、それっ、それそれそれそれっ」
「ヒキョーじゃ! それはハメ技なのじゃ!」
居間のテレビで格闘ゲームに興じるカレンとゲルダ。時刻は夕方で、アリエルは夕飯の支度にかかっている。
「ただいまー」
玄関からタクマの声。
「お帰りなさーい」
アリエルが返事を返し、玄関まで迎えに出る。
「タクマー! 欲しいものがあるのじゃー!」
ゲルダも玄関に出ようとしたのだが、カレンに止められた。
「何じゃ、何でジャマするんじゃ! 『グラップル・ワールド・インフィニティ』が欲しいのじゃ! 。カレンにとっても悪い話ではなかろう?」
「ちょっとだけ気を利かせなさい……はい、もういいよ」
ゲルダを解放するカレン。「お帰りのキス」くらいはジャマしないでやろうという大人の余裕である。
居間に入ってきたタクマはゲルダにつきまとわれている。目的ありなのが少々あざといが、以前に比べればゲルダもずいぶん懐いたものである。まったく……女ってのはおねだり上手にできてるもんだなあ。……自分はどーなんだ。セルフツッコミを入れて苦笑しながらも、タクマに話しかけるカレン。この家の家長はタクマだし、やろうとしている事は、絶対必要な事だと思うし。
「タクマー、頼みたいのが二つー」
「何だよカレンまで……欲しいものがあったら自分で買えるでしょう?」
語尾が変だぞタクマ、どこの父親だ。
「まず一つ。免許とったら中古車一台買うつもりだから、ガレージ使わせてくれない?」
「ああ、そういう事ね。OK」
行動半径を広げようと、運転免許証の取得にかかっているカレンだった。裏ルートに頼るとかえってややこしい事になりそうなので、これは正攻法でやるつもり。
「もう一つはさ、道場をちょっと改造させてくれない? 空間結界で外部と遮断できるように」
「結界? 何すんだい? ……ああ、ひょっとして、魔法の影響が外部にでないように、か?」
「ご名答ー。ついでちょっと細工したいんだ。武術修行には影響しないようにするからさ」
「うーん……」
言葉を濁すタクマ。彼にとって、道場は自分のものというより祖父から預かっているものという意識が強い。耳元に口を寄せ、カレンがささやく。
「魔力回復方陣」
「! マジで?」
「大マジ」
しばらく逡巡してから
「わかった、やってくれ」
決断するタクマ。魔力の効率的回復は、イムラーヴァへ帰還跳躍するにはどうしても必要な事だ。……現状ではもうひと工夫必要になると思うが。イムラーヴァ魔術のほとんどが、こちらの世界で効率低下を起こすのでは、単純な正攻法ではちょっと難しいと思われる。
「心配すんなって。上手く作動するのができたら、床材の中に浸透させて外から見えなくするからさ」
「作動するのができたらって、未完成なのか?」
「そこはまあ……。しかし、何とかするって」
「はい、お話はそこまでにして、お夕飯にしましょう?」
アリエルの宣言で話は打ち切られた。
キッチンのテーブルの上には寿司飯が入った木桶。そのわきには具材が盛られた皿と手のひら大の海苔。今夜は手巻き寿司である。
「うにゅ、うまく巻けない……」
「ゲルダちゃんはまだ手が小さいものね。はい、これでどう?」
「うん……おいしい! あ、ありが……」
ゲルダに蒸しエビを巻いたのを手渡すアリエル。語尾が聞こえなくなるような小声ながらも、お礼を口にした。アリエルもうれしそうに微笑む。そのままゲルダの世話にかかり切りになりそうなアリエルを見て、タクマは適当にいくつか巻いたのを小皿に取ってアリエルの前に置いた。笑みを交わしあう二人。そのさまに、軽いジト目を向けていたカレンだったが
「ん~このワサビの香りが! 大人の味だねぇ~」
わざとらしい釣り針を幼女の前に放った。おいおい……
「それ、ワラワにもよこすのじゃ!」
「ゲルダちゃん、ワサビはムリに食べない方が……」
「んきゅぅぅぅ~~~~」
カレンが面白がって渡したサビ入りを、一口かじって涙目のゲルダ。
「はにゃ~~はにゃがぁぁ~~らましたなぁカレン~~!」
「この鼻がぶんなぐられるような感じがいいんじゃねえか。んっふぅぅ~っく!」
そんなセリフ吐くほどワサビに慣れてないだろと、心中カレンに突っ込むタクマ。自分の本棚にある某○味しんぼを読んだのが察せられる。大体、カレンもゲルダも生魚には慣れてないので、今日の寿司ネタは火の通ったものが大半である。卵焼きの他、スティック状ハンバーグだのエビフライだの。ラインナップとしては回転寿司みたいなものだ。
ゲルダとカレンが箸の使い方に慣れたら、今度みんなで回転寿司行こうかな。そんな事を思うタクマだった。