歯医者の戦慄
「うにゅ……ううう~~っ……」
居間のソファーの上で、ゲルダが何やらゴロゴロしている。うめき声のオクターブが高い。端的にいって、苦しんでいるように見える。
「ゲルダちゃん、どうしたの? 具合でも悪いの?」
「うう……何でもない……」
言うそばから口を押さえて眉をひそめる。普通であるはずがないのは、タクマの目からも明らかだ
「何でもないこと、ないだろ。ひょっとして、歯が痛いのか?」
「うにぃ……らいじょぶ……うぬ~~」
「ちょっと見せてごらんなさい? 痛みを止めるなら、わたしにも出来るから」
アリエルにうながされて、ようやく口を開いてみせるゲルダ。正面からはわかりづらかったが、前歯の内側に見事な虫歯ができていた。
「あらあら……どうして隠してたの? 痛かったでしょうに」
「……らって……もうすぐ、オヤツの時間なのに……」
この状態でもオヤツは食べたい、か。食欲恐るべし。しかし……
「確か治癒魔法では虫歯って根治できないんじゃ……」
「ええ、そうね……歯自体が再生しづらいものだから……えいっ『鎮痛』」
「あ……治った……」
突然呆けたような声をあげたゲルダだったが、アリエルに、顔からはみだしそうな笑顔をむけた。
「ありがとう、アリエルっ!」
? なんかお礼が、いつもよりオーバーじゃないか? タクマが不審に思っていると、アリエルも笑顔をゲルダに向けたまま。
「どういたしまして、ゲルダちゃん。でもね、治ったわけじゃないのよ? 歯医者さんに行って、ちゃんと治してもらいましょうね?」
「ダイジョウブ、治ったのじゃ! もう全然痛くないのじゃ!」
「ゲルダ……それは誤解だって。痛みを止めてるだけで、虫歯自体は治ってないんだよ」
「ダイジョウブ! 痛くないから、もう治ったのじゃ!」
「…………」
この子はわかって言ってるなあ。そう確信するタクマ。
「ゲルダ……何か、歯医者さんをイヤがる理由でもあるのかい?」
「…………だって……ピョンキーが、とっても怖そうにしてたのじゃ……」
好きな児童番組のキャラ名が出てきた。ああ、自分に経験なくても、メディアから知識は入るか……納得のタクマ。
「ゲルダ、きっちり治してもらえば、あしたもあさっても、おいしくゴハンを食べられるんだよ?」
「……だって……」
「私の魔法は一時間くらいで切れてしまうし、そのあと、同じ魔法は効きづらくなるの。何度も痛い思いをするのよ?」
「……う~~……」
アリエルのセリフには少しウソが混じっていた。そこまで極端に効きが悪くはならない。しかしゲルダを決心させるには、多少のウソは許されるだろう。
数度、近所の歯医者に電話を入れて、すぐ診てもらえる所が見つかった。歩いて行ける距離である。
ゲルダの手を引き、歯医者に付きそうアリエル。「だいじょうぶー だいじょーぶぅー ♪」などと歌ってはげますのだが、ゲルダはやはり顔色が悪い。
歯医者に入り受付を済ませる。健康保険証がありがたい。安曇野に心の中で感謝するアリエル。ゲルダはもう、カチコチに緊張して、待合室の椅子で固まっている。同年代の子の姿も二人ほど見かけた。一様に表情が固い。
キュイーーーーン
治療室からカン高い音が響いてきた。続いて、
「うわぁぁぁ~~~ん! わあぁああ~~ん! イタイ~~~! イタイぃ~~~!」
幼児らしい泣き声が聞こえる。医師か看護師が、なだめる声が重なった。
待合室に戦慄が走った。ゲルダよりちょっと年下かな? という女の子はヒックヒックと嗚咽をもらしだし、ちょっと年上に見える男の子は、口を一文字に引きむすんでガマンの表情だった。
「大丈夫、怖くなーい、こわくなーい……」
言いながら、アリエルがゲルダの肩に手を回して撫でさするのだが、何となく逃亡を防いでいるように見えないこともない。
「こ、こ、こ、コワくなんかない! わ、わ、ワラワを誰だとおもっておりゅ!」
ちょっとかみ気味で答えるゲルダ。顔色はさらに悪い。
一人、また一人と治療は終わっていく。ゲルダの直前だった男の子は、涙目で治療室から出てきたが、声を上げることはなかった。えらいぞ、ボク!
そしてゲルダの番が来た。心配そうなアリエルに見送られ、治療室に入る。
(おおおおおおお?!)
目の前にあるモノは、ゲルダが一度も目にしたことのないものばかりだった。人が横たわるようにしつらえてある椅子。アームに支えられて無機質な光を放つライトの下に、その光を弾いて輝く、細かなペン状の金属道具。コードの繋がった幾種類もの「工具?」が台座に納まっており、どのように使うものなのか想像できなかった。
チュイーーン!
先ほど待合室で聴いた音が、となりの台から響いてきた。中年女性の口に「工具」が差し込まれており、そこから音が出ているようだ。ガガガ、ガガガ、と何かを削る音が混じり、女性はそのたび眉間にシワをよせる。コードに繋がった「工具」は、歯を削るモノらしいと見当をつけた。
(削るじゃと! は、歯を削るじゃと! ここは虫歯を治すところではないのか? 虫歯って、ムシによって歯が黒く削られてしまうものじゃぞ! それが、何でわざわざ、さらに削るんじゃ!)
目の前の器具が、拷問用具にしか見えなくなるゲルダ。彼女を責めることはできまい。同じ感想を持つ現代地球人は、決して少なくないはずである。
「はい、お嬢ちゃん、真ん中の席に上がってねー」
歯科医師らしい、恰幅のいい男がゲルダをうながす。衝撃の現実に打ちのめされながらも、ゲルダはまるで操られるように治療椅子に座った。
……そのまま待たされる。治療室に入っても、なぜか結構待たされる……。自分を取りまくチリチリとした空気に耐えられず、ゲルダは室内のあちこちに目をやり、観察する。……と、恐ろしいモノが、視界に入ってきた。それは……そのまま引き抜かれたと思われる、人族の上下のアゴ! 歯が生前のままついており、なぜか白やピンク色に塗装されたさまが異様であった。それがなんと、三つも並べられていた!
(ひ、ひいぃぃぃ~~~っ! なななな、なんじゃこりゅわぁ~~~っ! イケニエか? この世界の人族の風習なのか? 部族の神に、ヒトのアゴを捧げるのか? 同族の歯とアゴを、そのまま引き抜いて飾っておくとはぁぁっ……!)
「はい、お待たせしてごめんねー、お嬢ちゃん。始めますよー……あれ?」
ヒック、ヒックとしゃくり上げるゲルダ。ついにこらえられず泣き出してしまう。
「ふぇぇぇ~~ん……許しておくれぇぇ……ワラワのアゴを……引き抜かないでぇぇ……わあぁぁ~~ん!」
医師が一生懸命説明した所により、ようやくそれがタダの模型と分かったゲルダ。じかに触らせてもらって、ようやく納得できた……
治療を終えて、待合室へのドアをくぐる。ワラワは……生きてかえった……そんな感慨に満たされる。目が赤いものの、口を引きむすんでガマンのゲルダに、アリエルが声をかける。
「えらい、えらい、ゲルダちゃん! よくがんばったわね!」
「……じ……人族のオノコが、泣いていないのに……ワラワが負けるわけにはいかないのじゃ……」
「……えーっと……そうね! 泣いてないよね! ゲルダちゃん、えらい!」
……ゲルダが泣き出した時、アリエルは治療室に飛び込みそうになったのだが、「ワラワのアゴを……」のくだりで怪訝に思い、ドアの前で思いとどまったのだった。ちなみに、治療自体は簡単にすんだ。虫歯になっていた前歯が、いじってみたら、あっさり抜けたからである。……本当の目的が「ちなみに」扱いとは、ちょっと違うような気がするが……
「生えかわりの歯だったんですね。次の歯は、大事にするようにしてくださいね」
医師の説明に、胸をなで下ろしたアリエルだった。
夕暮れの道を、手をつないで帰途につくゲルダとアリエル。
「今日は頑張ったから、お夕飯は、ゲルダちゃんの好きなハンバーグにしましょうね!」
「うう……あした、今日食べ損ねた分もオヤツ食べる……」
「……虫歯になるわよ、ゲルダちゃん……」
◇
数日後……、食後の片付けをしていたアリエルが、顔をしかめて頬を押さえた。
「あ、ツっ……」
「アリエル?」
「大丈夫かい?」
「あーーっ!」
最後の、うれしそうなセリフの主は、言うまでもない……
翌日、タクマに付きそわれて歯医者に来たアリエル。顔色が悪い。人生初めての歯医者である。
「大丈夫、今の歯科技術って、すごく進んでるから……」
「う……うぅ……」
「だいじょうぶ! アリエル! キアイじゃっ! キアイじゃっ! キアイじゃーっ!」
真っ青なアリエルに、満面の笑顔でキアイを入れるゲルダ。付き添いは十分だと言ってもきかずに、着いてきたのであった。




