翠の佳人
イムラーヴァ、旧魔王領首都、ネストロモにて。
グラドロン教皇国の騎士団が、護送馬車を率いて大通りを行軍していく。通りを歩く魔族は少ないが、時折、騎士団の方に向けて一礼する者もいた。騎士団の先頭を行くのは聖騎士ロレント・ジンバル。あたりを見渡し、かつて初めてネストロモを訪れた時の事を思いだしていた。魔族がこれほどの都市を作りあげるとは、と驚嘆したものだが、今のネストロモは、暗くて活気が感じられなかった。ムリもないとは言えようが……
そのまま、表通りに面した三階建てで瀟洒な作りの屋敷に入っていった。そこはかつて魔王軍三将軍のひとり、青海将軍セルゲイ・イルメルドの邸宅であり、今は魔王領臨時執政本部とされていた。
入り口を通り広間に入ると、そこでロレントは一人の佳人の出迎えを受けた。透き通るような翠の瞳と髪がひときわ目立つ、青海将軍の一人娘、セルニア・イルメルド。現在は旧魔王国の執政官を務めている。
「ごきげんよう、ロレント卿」
「これはセルニアどの、わざわざ出迎えるほどの事はありませんでしたのに」
「そうは参りません。当方の要請を聞いて頂いただけでもありがたい所ですのに……」
一礼する優雅なしぐさに、ロレントの胸にも感嘆の念が湧く。
魔族との戦争が始まった当初、ロレントの魔族観は、はっきり言って「野蛮・劣等」というものだった。それが異世界からの勇者たちとパーティーを組み、戦い続けるうちに、次第に変化してきた。魔族の将たちの勇猛、侠気。異世界の価値観を持つタクマとの衝突と和解。そんな体験を積むうちに、自分の見識が狭量だったと認めるようになってきた。今、目の前にいるセルニアも、その教養・礼儀作法は人族の貴族に劣るまい。ヤギのような形で頭部に沿っている魔力角がなければ、普通に人族と間違えられるかもしれない。目立たぬ形ながら、平均に比べかなりの大きさといえるそれは、彼女が相応に優れた魔術師であることを物語っていた。戦えば、青海将軍の娘の名に恥じないとも噂されている。
そのまま貴賓室に通される。四聖戦士の一人を、実務一点張りの執政室に通すわけにはいかないという事らしい。
促されて着席し、お茶が出るのも待たずに、ロレントは成果を報告した。
「通報がありました奴隷狩り──魔族と、混血の拉致ですが、ケルベロ峠に設けられていた隠し小屋を摘発し、二七四名を保護いたしました。魔族が一一二名、混血が一六二名」
「おお……」
瞳を上げて、安堵のため息をもらすセルニア。
「抜け道を発見し、吊り橋その他の設備を壊しておきましたので、同様の手口はしばらく防げるでしょう。まともに街道を通って奴隷を運ぼうとすれば、関所を通らざるを得ませんから」
「感謝いたします、ロレント卿。同胞を救っていただきました事を」
深々と一礼するセルニア。ロレントとしては、内心忸怩たるものがある。軍事と警察権を停止されている魔王国内の治安維持は、本来ならば人族側が受け持たなければならないはず。しかし、旧魔王領の処分は、臨時執政官にセルニアを指名したところで宙ぶらりんになってしまった。王国と西方諸国連合の間に戦が始まったためである。各国に分担されるはずだった治安維持部隊のうち、現在活動しているのはグラドロン教皇国のみ。とても手が回らない状態で、そこにつけ込んで奴隷商人が、違法な奴隷狩りを行っている状況だった。魔王軍が破れて半年ほどが経ち、今は騎士団に感謝の態度を示す魔族が増え始めたのは、そんな理由からだった。教皇国騎士団は、人手不足ながらも厳正に任務に勤めたのである。
「……残念ながら、現在の状況では、奴隷商人どもを厳罰に処することができません。拉致された人びとが、ラーヴァ正教の洗礼を受けられるなら、人族に準ずる権利が認められて、奴隷商人の罰則も格段に重くなるのですが……」
「存じております……ですが、信仰の問題は、やはり慎重にならざるを得ません。その、混血の方たちは、現状のままでは苛酷すぎますから、洗礼を勧めてはみますが……」
こういった状況でも、魔族一人一人の意志を尊重するセルニアの潔癖さに、ロレントは好感とともに危うさも感じる。混沌とした現状をしゃにむに切り抜けるには、線が細すぎるように思われて……
「セルニアどのは……混血の方々も救われるべきだと?」
「当然です。以前にもお話ししましたが、私は魔族も人族も、お互いを認め合い、平等な権利を持つべきだと考えています。それが出来ないために、『混血』という『空白地帯』が生まれてしまった……」
話の接ぎ穂ていどの気持ちで切りだした話題に、セルニアは強い口調で食いついた。
混血とは、文字通り人族と魔族の混血である。双方の上流階級においは、ほぼ同様に「純血主義」が支配的な考え方だった。互いに互いを蔑視し合う考え方からは、混血はどちらの目から見ても「汚れた血」であって、権利保護の対象にならずに来たのだった。下層階級になると、意外にその点にはおおらかだったりするのだが。地球側の現代社会と較べて、権利感覚が未発達ではあるが互いに仕事・雇用を奪い合う関係でもないという、そういう時代状況も背景にある。
セルニアは立ち上がり、窓辺に立って中庭を見下ろした。ロレントの配下が連れてきた魔族たちが炊き出しを受けとっている……。その中に、明らかに中庭の隅に固まって、遠慮と警戒を解かない一団がいた。ほとんど同じ「難民」の中にも、はっきりとした境界線がある。
「……私には、一人の姉がいました」
「?」
セルニアの言葉に、ロレントの脳裏を疑問がよぎる。確か彼女は、前・青海将軍の一人娘と聞いていたのだが……
「姉は十四歳まで私と一緒に育てられましたが、その後、突然家を出されて、消息が知れなくなりました。……知らされたのは、かなり後になってからです。姉が、『混血』だった、と。父は、軍内部での地位が上がるに従って、自らの醜聞に神経質になっていったのです……」
「……それは、また……」
「今思い出しても、聡明で美しい女性でした。私の憧れ、目標でもあったのです。それ以来……姉と再会できていません」
ロレントも立ち上がり、彼女と並んで中庭を見下ろす。そうか……彼女の、少々潔癖なまでの理想家ぶりは、そんな心の傷が元になっているのか。無論、彼女の理想は理想として、価値があるとは思うが。グラドロン現教皇ラムゼルも、神の前に全てが等しいという理念から、統一権利法典の必要をもらしていた。
「あなたが『聡明で美しい』と言われるとは、大変な方に思えますね」
「まるでそれ自体が魔法であるかのような記憶力の持ち主でした。私はひたすら彼女を尊敬し、魔力角がないことを疑問にさえ思わなかったのです。銀髪が目に染みるようで、彫刻師フロムの手になるような整った面立ち。……こうして目を閉じると瞼に浮かんでくるようですわ。名前は、ソルアといいます。どこかで似た方を見かけたら、教えていただけないでしょうか?」
「ええ、きっと」
答えながらロレントの心を占めていたのは、別の問題だった。アリエルの遭難に始まる魔王復活の陰謀について、彼女はおそらく無関係だろう。魔族の現状を憂いているのは確かだろうが、彼女なら、再び魔王を戴いて人族と対抗するのとは、別な道を選ぶに違いない。
ロレントは別な話題を振ってみる事にした。
「セルニアどのは、タルタロス島の状況について、何かご存じありませんか?」
「……残念ですが、何も。戦争後に、相当数の同胞が島に渡ったとは聞きますが、それ以降の消息は……」
魔王領と狭い海峡を挟んで広がる「暗黒島」タルタロスは、古くから魔族とゆかりの深い地である。真偽はわからないが、魔族はタルタロスで生まれて中央大陸に進出してきたのだという言い伝えもある。しかし現状、公式には、タルタロス島は未開の原生林や原野が広がるのみで、一定規模の「村」と呼べる集落さえ開かれていない。魔物も強力な種が数多く棲みついており、過去に入植目的で渡った者は、人族魔族を問わず全て失敗している。生きて逃げ帰ることが出来た者は、まだ幸運だったと言われるほどだ。実のところ海側から描かれた正確な地図もないので、本当に「島」なのか、その点もはっきりしていない。
そんな「魔境」でありながら、魔族を中心に根強い噂があった。タルタロス島の奥地には、魔族の祖先が開いた都市があり、そこにたどり着ければ魔物に脅かされずに暮らしていけるという。そんな噂があるものだから、戦乱の度にタルタロス島に逃げ込む魔族が、一定数出るのだった。そしてそれ以降、消息不明になるのが常だったが。
(出来ればタルタロス島に渡って実地調査を行いたいのだが……どうしようもなく手が足りないな)
都市と呼べる規模かはともかく、魔族の拠点があるのでは? という疑念は、常に持たれていた。ロレントが麾下の騎士団を率いてネストロモに来たのは、治安維持の手伝いとともに、情報収集の目的もあったのだ。
部屋の扉がノックされて、文官風の男が入ってきた。
「……失礼します、ロレント卿。セルニアさま、聴取の準備が整いました」
「わかりました。ではロレント卿、私は保護された方たちと会わなければなりませんもので」
「では、私もこれで失礼します。また後ほど」
互いに一礼し、別れた。
愛馬にまたがり、屋敷前の広場から通りに向かう。通りを行く魔族は、皆、表情は暗い。一礼する者もいれば、騎士団を見るなり逃げるように裏通りに駆けていく者もいる。街のようすは、ピリピリとした雰囲気で、荒んでいた。情報収集をしたいのだが、治安維持活動も手を抜ける余裕はなさそうだ。ロレントは相反する任務に頭を悩ませていた。