ひとつ屋根の下
寝返りをうってあお向けになった拍子に、ゲルドゥアは目を覚ました。
『……知らない天井じゃ……』
なにやら食欲をそそる匂いが漂ってくる。起き出して匂いの方へ足を向けるゲルドゥア。見知らぬ床に見知らぬ壁だった。というか、石造りの建物しか記憶にない彼女には、見知らぬどころか未知の建築物である。キッチンの扉を開けた彼女に、アリエルが気がついた。
『あ、起きた?』
パタパタとスリッパを鳴らして歩みより、目の高さにしゃがみ込む。
『お腹はすいてない? 朝ご飯、食べられそう?』
『…………』
返事をする前に、クー、と可愛くお腹が鳴った。にっこり笑って、アリエルはゲルドゥアを抱え上げて椅子に座らせた。ぷらーんと足がたれ、床に着かない。
『すぐ用意するから待っててね』
タクマとカレンは、一瞬ゲルドゥアに視線を合わせて戻し、何事もなかったように自分の食事に専念する。
『変わったパンだね。旨いけど、ちょっと柔らかすぎるなあ』
『別な種類のもあるんだけどね。それが一応は、一番ポピュラーなんだ』
『……おい……なんでおぬしらは、巨大化しておるのじゃ?』
再びゲルドゥアに視線をやり、今度は困った顔で視線をそらすタクマ。なんと説明したものやら……。悩んでいると、
『……やはりこれは夢か……』
ひとりで自己完結してしまった。そう来たか。どうりで昨日のおびえ具合から態度が違う。まあ敢えて怖がらすつもりもないから、タクマたちもさりげなく接してみたつもりだったのだが。
『私たちが巨大化したんじゃなくて、ゲルドゥアちゃんが小さくなっちゃったの。家具の大きさを見ればわかるでしょう? テーブルとか、椅子とか。はい、熱いから気をつけてね』
トーストとスープを並べながら、アリエルがさくっと説明した。「なぜ」という部分は切り捨てたが。
『……これは夢じゃ……夢に決まっておる……人族の戦士が巨大化して、ワラワにゴハンを出すなどと……』
『あら? お腹はすいているんでしょう? そんな感覚がはっきりした夢がある?』
わずかに沈黙してから、
『ある……ひもじくて寒い夢は、時々見るのじゃ……』
つぶやくような答えに、アリエルは表情を曇らせたが
『じゃあさっそくお腹の虫をやっつけないとね? はい、パンは手でつかんで食べて大丈夫。スープはカップからそのまま飲めるし……』
声をはげまして、ゲルドゥアに前掛けをかけて食べ方を教える。数秒ためらった後、空腹には勝てず、赤毛の幼女は朝食に手をつけた。……一度食べ始めると無我夢中だった。
『にゅうう……おいしいのじゃ……こんなパンは、食べたことがないのじゃ』
『今度はこっちのジャムをつけてご覧なさい? また違った味がするわよ?』
『んんーっ! 甘酸っぱくて、いい香りなのじゃ!』
大騒動の食べっぷりを、先にすませたタクマとカレンが複雑な表情で見守っている……
◇
話は二時間ほどさかのぼる。朝食前に、三人は居間に集まってわかった事を整理した。
「さて、こいつなんだが……」
コトリとテーブルの上に置かれたのは、昨夜ゲルドゥアの体から摘出した魔道具。「魔道臓器」と仮に呼ぶことにした。単二電池ほどの大きさで、表面からたくさんのコードか触手が伸びている。そのほとんどが萎れ始めており、触ると跡形もなく消え失せた。通常の物体ではなさそうだ。
「手持ちの機器で調べた限りでは、魔力を消費して、魔族の身体能力を増幅させる装置らしい」
「ブースターか……。しかし、体の成長具合まで『ブースト』できるものなのか?」
カレンはほとんど徹夜で魔道臓器を調べた。それでいて「一時間寝たから大丈夫」などと言うあたり、ワーカーホリックの精神構造である。
「魔族ってのは、もともと人族より魔素に影響を受けやすい種族なんだ。ま、定義の問題だね。魔素の影響を受けやすい種族を、『魔族』と呼ぶようになったとも言える。そんなわけで、魔素の濃度で魔族の体の組織や大きさが変わるってのはよくある話さ。ややこしいが、単なる『体の大きさ』と『成長・成熟度』ってのは区別して考えてくれよ。成長・成熟ってのはそれなりの時間が必要で、そこまで魔法の力で強引に進めようとしたら、体を成長方向にむりやり引っ張るような事になる」
受験勉強で読んだ漢文の一節が、タクマの脳裏をよぎった。
「『助長』だな……」
「ん? なにそれ?」
「気にしないでくれ、こっちの諺さ」
「ん、で、この魔道臓器は、まさにその『体を成長方向に引っ張る』ために作られていると思う。そこまでやろうとするから、魔素がないと生命力を食ってでもっていう、使用者の命を削りかねないシロモノになってるわけだ」
「……ひどい、あんな子どもに……」
三人の間にしばし沈黙が落ちた。物思わしげな表情で、カレンは二人に問う。
「タクマ、アリエル……あの子、ゲルドゥアさ、これを自分から進んで着けたと思うかい?」
しばらく黙考してから、タクマは首を振った。
「いや、あり得ない。実年齢はどうかわからないけど、あんな精神年齢の子が、メリット・デメリットをきっちり判断できたとは思えない。まわりの大人が、口先巧みに押し付けただけだ。……そうとしか考えられないよ」
「タクマの言うとおりだわ。『魔族のために身を捨てて』みたいなことを言っていたから、本人の主観としては『自ら進んで』かもしれない。でも、そんなのは所詮、大人がすりこんだ考えよ」
「……そうだね、あたしもそう思うよ。ただ問題は……これをあの子の前に出して、摘出した経緯を正直に話したとすると、あの子はこれを自分の体に戻せと言いだすんじゃないかってことさ。『ワラワを強くしていた装置じゃ』とか言って」
カレンの指摘に、タクマ、アリエルは表情を曇らせる。おそらくその予想は正しいだろう。
「秘密にしよう。たとえウソをつく形になったとしても、これは問答無用だ。少なくとも、あの子がもっと物事を客観視できるくらいに成長するまでは」
「賛成です」
「ん、異議なし」
魔道臓器は、カレンがアイテムボックスに保管することになった。
「しかし……ゲルドゥア・マグナスってのが、作られた看板じゃないかとは思っていたんだが……」
「ああ、旅をしていた時にも言っていたな」
物思わしげなカレン。彼女にとって、以前から持っていた疑問ではあった。
「クロムレックのかなり拓けた地域に入っても、さっぱり当人による統治のあとが見られなかったからねぇ」
「……あの子が操り人形だったとすると、後ろにいたのは『バルドマギ』? 何度か口にしていたけど……」
アリエルの問いに、カレンの瞳が、つ、と細くなる。
「『魔界侯爵バルドマギ』か……。あたしも人づてに聞いた事しか知らない。ただ、『クロムレック三将軍』が、魔王軍幹部として良くも悪くも前面に出ていたのに対して、裏に隠れてコソコソやるタイプだと聞いているよ。……主に、青海将軍の娘、セルニアの言うところだけど、ね」
「あの、非戦論者か……今はどうしている?」
かつての戦争時、魔王軍の中にも少数ながら非戦論者はいた。少しばかりの懐かしさとともに、旧知の名を聞いたタクマだった。
「今はあの娘が中心となって、生き残りの魔族をまとめる役をしているよ。フェルナバール王国と西方諸国連合の決定で、ね」
「そうか……気苦労の多いポジションだろうにな……」
非戦論者だった彼女に戦争責任はないだろうに、後始末の任務を押し付けられるとは少々理不尽な話である。とはいえ人族の側からすれば、血の気が多いのをトップに据えるわけにもいかないだろうが。
「バルドマギというのが本当に魔族の有力者なら、こういう場面でこそ表に立って同胞のために働くべきなのに……」
アリエルにしては辛辣な口調だった。しかしまあ、普通の見方をすればそう言わざるをえない。「高貴な勤め」は、双方の世界に共通の徳目である。
(あの子に魔道臓器を植え込んだのも、バルドマギなのか? とすれば、アリエル襲撃の黒幕も?)
可能性は高いだろうが、魔王復活を願う魔族が他にもいるだろう事も確かだ。決め手と言える根拠はない。自分の推論を、頭の隅にしまい込んでおくカレンだった。