「I見銀山」②
よどんだ坑内の空気が集団の足音と談笑で掻き回されていく。
少し離れて、蛍光灯を横切る度に白く浮かんでは消えるOL達の背中をアユム達が追いかけていると、ふと前で立ち止まり、こちらを待っている人影がある。
うすい灯りのなかでもわかるその背の高さはミキと呼ばれていた子だった。
横になるとセラと同じぐらい背が高い。
ミキはアユムの横に並んで歩き始めると、話しかけてきた。
「あのー、お2人はどういう関係なんですか」
初対面の緊張感か、ミキの声はうわずっている。
「いや、どういう関係といわれても」
同じく緊張の糸に絡め取られながらもアユムは答える。
「仕事関係ですかね」
セラはこともなく答えた。
「あっそうなんですか」
「・・・。」
アユムはここまでの経緯をミキに話した。
初め角張っていたアユムの説明はミキの相づちと微笑みで滑らかになっていった。
「そうだったんですか、お父さんが・・・」
「いやーそれで昨日の今日で何がなんやら未だ何もわからずしだいで・・・お恥ずかしい」
アユムは説明に夢中で気がつかなかったのだが、いつのまに坑路を覆っていた木枠の壁は終わったようで、壁には岩肌がむき出しになっていた。
「このへんの地層は安定しているからですね・・・いい花こう岩です」
湿気でかるく濡れた岩壁を触りながらセラはしみじみ言う。
「ところでミキさんは高校生でどうして潜ろうと思ったのですか」
気になっていたのか、振り向いてセラはミキに聞く。
「父が昔潜っていたらしくて」
セラと同じように岩壁を指先でなでながらミキは続ける。
「父は私が高校のときにガンで亡くなったんですが、最後のほう意識がもうろうとしたときによく『ダンジョン』の話をしていて・・・
『来たぞ、構えろ』とか、『マナはどうだ』とか、『深度は・・』とか初めは何を言っているのか解らなくて、それで母に聞いてみたら、父は昔、母と出会う前、『洞男』だったって聞かされて・・・。
『9ライブス』を目指していて、三つ目のT煌の『B高窟』で『白鯨』とよばれていたドラゴンに襲われて再起不能の重傷を負ってのであきらめたっんだって言っていたって・・・。
元気だった時はまったくそんな話し一つもした事が無いのに、熱と薬にもうろうとしては何度も何度も同じ話を繰り返す父のその姿がなんだか頭から離れなくなっちゃってて・・・。
それで父が死んだ後に父の遺品を整理していたら、倉庫からこの用具がでてきて、ふと父が見ていた光景がどんなだったのかなーと思い潜るようになったのです」
確かにちらつきの見だつ坑内の灯りの下で見てもミキの来ている『ジャケット』は汚れや修復の後が目立つ。
胸に着いている『アバロン』とアルファベットで書かれたロゴもどこか古くさい。
「まあ、まだまだ『ダン女』呼ばわりされている甘ちゃんですけどこれからは本格的に潜りたい感じです。
今回も仲間集めも含めてやってきた感じですかね・・・これを機に友達が『ダン女』になってくれないかなーと思って」
「だから初めアユムさん達を見たときはびっくりしちゃった。・・・すごい本格的な服を着ている人達がいるなと」
「いや、僕のはセラさんに選んだもらった奴で・・・何が何やら」
「いやいや、とんでもなくいいものを着ていますよ。・・・ところで気になっていたんですけど、セラさんの服はどこのメーカなんですか?」
ミキはアユムをはさんで首をのばしてセラをのぞき込む。
「これは試作品です」
セラはツナギのだぶついた腰元を広げて言う。
「N崎県にある作業服会社からアウトドア業界に参入するからコンサルティングしてほしいと仕事の依頼がありましてね」
セラの水色のツナギの胸元には『如己堂』と縫われたワッペンが豊かな胸元に沿って隆起していた。
「とりあえず試作品として作業服でつちかったツナギ風ダンジョン服を作ってみたわけです。デザインは無骨ですが、ツナギ独特の開放感はなかなかいいですよ」
「へえー快適そう。私のこれはお尻のあたりがちょっときつくって」
「締め付けがないのは本当にきもちいいですよ」
セラは歩きながらくるりとその場で身を回転させてみた。
「あとはマナ濃度があがった際に生地がどう機能するかの確認だけですけどね・・・
まあ、まだ試作品ですので、表に出回ってありませんが、これから出回れば、ミキさん達もリーズナブルな値段で手に入れる事ができるかもしれませんね」
「わー楽しみ・・・ん?・・あれ、アユムさん、おなか痛いんですか」
ミキはなぜか腰を引いて中腰になったアユムに気づいた。
「あっ、いや、おかまいなく・・・」
アユムとて若い男である。
顔や体がぼかされた薄い暗闇のなかで、「気持ちいい」とか「胸」とか「尻」などといった言葉だけが若い女の口から飛び交うさまに、
不本意にも下半身で『本能』を堅く根を張らせてしまったのだ。
「大丈夫ですか・・・ちょっとガイドに言って待ってもらいましょうか」
ミキに加えて、セラまで心配そうにのぞきこんでくる。
「い・・いや、ほんとちょっと歩いてればなおりますんで!」
「わたしちょっといってくる!」
とミキは駆け出したが、その必要はなかった。
アユムがミキやセラの親切に冷や汗をかいている間にいつしか集団は前方の暗闇で足をとめてこちら待っているようだった。
ちいさな蛍光灯では照らしきれない暗い闇の淵であつまったヘッドライトが星のように揺れていた。
前集団が待っている所には天然のホールが口を広がっていた。
あたりには灯りがなく、重くのしかかる闇の向こうにヨコヤマたちのヘッドライトがゆらゆらと火の玉のように浮かんでいるだけだった。
アユム達は首に掛けていたヘッドライトを頭にはめ直して照らしながらゆっくりと前に進む。
歩く度にゆれるヘッドライトが照らすのはいままで歩いて来た道とは違う風景だった。
高い天井からは石のよだれが垂れ下がり、受けて地面からも石が突きだして様子は部屋全体がまるで巨大な生き物の口内の様だった。
「すごいですね、『ダンジョン』みたいですね」
「ハヤミくん、『ダンジョン』だよ」
アユムの口からもれるつぶやきを聞いたのか、黒い闇からヨコヤマの声が重なる。
同時にしのび笑う女子達の声もした。
そこに集まっているであろうOL達もみんな、頭上に浮かぶヘッドライト以外は影のように黒く闇につぶれている。
「まあハヤミくんが驚くのも無理はないかもしれませんね」
暗いシルエットだけのヨコヤマは頭のヘッドライトを壁際のひときわ巨大な鍾乳石に向けた。
もはや柱とも形容されるその鍾乳石にはぼろぼろになった古い縄が巻かれている。
「この部屋では過去の大調査の際、大量の祭具と人骨が見つかりました。
不思議なことに資料での記述が残っておりませんので詳細は分からないのですが、近隣に残る口伝によりますと、表の『銀鉱路』と違って、この道はより古く、『鉱山』というよりは別に、何か巡礼的なものでつかわれていたのではないのかと・・・言われています」
「根の国のお話しですね」
ヨコヤマの説明を補足するようにセラが口を挟む。
「根の国?」
アユムは聞いた事のない地名につい問い返した。
「この国の古い古いお話しですよ」
「地下のはるか深い、深いところに坂道を転げ落ちるように下っていくと、そこに死者の国があるという物語で・・・」
「・・・バ・・・ズ・・」
セラの説明は突然あたりを横切った不快なノイズに打ち切られた。
「あーこちらヨコヤマ、第一ポイント到着しました・・・今から『マタンゴ』始めます」
「・・・ホンブ・・リョウカイ・・」
どうやらヨコヤマが無線で本部と話しているようで、ホールに響くヨコヤマの声の間に無線を通したざらついた声が漏れてくる。
やがて話が終わるとヨコヤマは下ろしたザックから発煙筒のようなものを取り出し、勢いよく床で筒を擦った。
筒から煙と青白い光が爆発的に噴き出す。
「はーい、では皆さんそろったみたいですね。ではこれから『アトラクション』を始めます」
あまりのまぶしさに顔を背けたアユム達に向かってヨコヤマが声を張り上げる。
アユムが再び振り向くと、噴き出していた煙はじょじょに薄まっていて、筒から放たれる青白い光だけがヨコヤマを影絵のように切り取っていた。
黒一色だったホールはいまや青に染められて、どこか月面のように思えた。
「あれれー、何か聞こえませんか」
演じるように、大げさな身振りで洞内の奥に耳をすますような動作をしたヨコヤマは棒読みで台詞を言った。
アユム達も言われて耳を澄ますと確かに何か低いノイズの様な音が聞こえてくる。
はじめは洞内吹き抜ける風の音かと思っていたが、しばらく耳をすましているとどうやら違うことがわかった。
アユムはどこかでこの音を聞いたことがあることに思い至った。
(動物園だ)
それは生き物の発する声だった。
何か生き物がこの洞の奥で喉を鳴らして唸っている。
アユムは背筋に寒いものを感じながらも青白い光で露わになった洞内の奥をのぞき込んだ。
ちょっとした公民館ぐらいある広い鍾乳洞の奥に確かに蠢く複数の影がある。
鍾乳石かと思われた『それら』は突如むっくりと体を起こした。
実に奇妙な生き物だった。
左右に張り出した傘のような頭に直接短い手足がついている。
そして木の切れ目のような目は怪しく発光し、激しく口で呼吸するたびに傘が膨らんでいる。
「えっ・・・なっ・・なんですかあれ、『Cイタケ』の化け物のような・・・」
いつしか恐怖に耐えきれなくて、アユムは叫ぶように隣に立つセラに聞いていた。
「『Cイタケ』ですよ」
セラがこともなげに言った。
「はーい、あれは『マタンゴ』です。見たの通りのキノコのお化けですね」
化け物に向かうように、前方に立つヨコヤマがセラの続きを引き受けるかのように説明を始めた。
「怖いですねー、醜悪ですねー、でも実は我々にとっては結構身近な存在なんですよ。
実はあれ、『Cイタケ』なんです。
普段、我々が食べている『Cイタケ』が高濃度のマナに反応するとあのような化け物になります」
ヨコヤマが説明している間にも『マタンゴ』と呼ばれた化け物達は短い足で立ち上がるとゆっくりではあるがこちらとの距離を詰め始めている。
あきらかに前方で蠢く怪異にOLの子達が悲鳴を上げてしゃがみ込む。
その隣に立つミキはと言えばすがりつく友達を肩で抱きながら平然としている。
「では今から『装備』を配るのでしっかり持って下さいね」
ヨコヤマはいつのまにか手に持っている短い杖をみんなに配り始めた。
OL達を落ち着かせ、立たせて杖を持たせるその様子に大学生たちも落ち着いたようで、叫ぶのをやめてミキといっしょに杖を受け取っている。
アユムも杖を受け取った。
杖は樫の木か、堅い木でできていて、表面は何か古代文字のようなものが彫られている。
「はいみんな、いきわたりましたねー。では始めますよ-。」
再びヨコヤマはマタンゴを奥に挟んでアユム達の前に立つと洞内全域に響き渡るような大声を張り上げて、演技の続きを始めた。
「うわー大変だー!!このダンジョンに巣くう『マタンゴ』が襲いかかってきたぞ・・・!
さあ、魔法で迎撃だ!!」
ヨコヤマは自分の杖を前に突き出すとアユム達に指示を始めた。
「はい、ではいまから後に続いて私のまねをして下さいね。・・・まず杖の先に意識を集中します・・・
この杖の先に火が点るのをイメージして下さい」
目をつぶるアユムの横で同じく集中する大学生達の息づかいが聞こえる。
ヨコヤマの落ち着きぶりからか、いまやアユムからも完全に恐怖心は取り除かれていた。
「そしては『呪文』をとなえます。
呪文は物を持ち上げるときの『ヨッコイセ』かけ声のようなものです。
『マナ』の力を引き出す触媒です。
呪文には様々な流派・方法があるのですが、ひとつひとつ説明すると長くなりますので、今回はとりあえず『アズラット式』でいきますね」
ふー、と長く息を吐くとヨコヤマはより声を大きくして続けた。
「では今から私の唱える言葉を後から追いかけて発音してください」
「エム、ネセム・・・ハテプ・・・」
(星よ、来たれ・・・集え・・・)
アユムは慌ててヨコヤマの後を追いかけて声を重ねる。
洞内の高い天井に礼拝のような唱和が響く。
不思議な事が起こったのはそのときだった。
突然杖の表面が鱗粉のような物に包まれて青く輝きだしたかと思えば、
鱗粉はゆるやかに流れて先端に集まり、小さな青い火を形作った。
どよどよと騒ぎ出すあたりを抑えるようにヨコヤマが叫ぶ。
「はい、落ち着いてー、まだよ、まだ続けるよー」
再び呪文の合唱が始まった。
「・・・トマ、デネド、バズズ!」
(魔を、打ちはらえ、火矢となれ!)
杖の先に点っていたマッチ大の小さな火は突然ふくれあがり、テニスボール大になった。
強い青の光がアユムの顔を刺す。
玉の表面は閃光か青白い火が渦巻いており、ごうごうと音がもれている。
「はーいできましたねー。次行きますよー落ち着いて下さいねー。
では、この火玉を敵に放ります。そのまま滑らす様に前に払って下さい」
ヨコヤマは杖を前へ払うような仕草をした。
アユム達はその動作をまねた。
杖の先から離れた火玉は重力から放たれた流れ星のように飛んでいく。
それに呼応するように、アユム達を照らしていた強い光の輪が岩壁を舐め、奥へと収縮する。
あたりを再び暗闇が閉ざした後、前方で物体がはじける轟音と火柱が立ち昇った。
天井を焦がすような青白い炎につつまれて、『マタンゴ』達は燃え上がっていた。
「キュー!!」
やがて断末魔の声を上げた後、化け物達は灰になって崩れ落ちた。
奇妙なことに、洞内に満ちたどこか食欲をすする香りはまさに『Cイタケ』そのものだった。
「はい皆さんよくできました!・・・ハルース!」
ヨコヤマは微笑みを浮かべながら呪文を唱え、自身の杖の先に火を点す。
今回の火は先ほどの火とは別のようで、ランタンのマントルのように熱は出さず、発光だけを強めながら、あたりを再び青く照らしている。
「皆さん、びっくりしましたか?・・・これが『魔法』
・・・『マナ』によってもたらされた奇跡です!」